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第二十一話『表現すべき建前:三島早紀』

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 逃げ続けている。
 あたしにとっての学校という場所は、自分を全て肯定してくれる、嫌な場所だ。なんせ自分の父親が校長なんだ、表立って特別扱いされることはなくとも、得られもしない父の恩恵を得ようと、少なくない人達があたしに良い顔をする。あたし自身もそれを悪いことだとは思わず、十二分にそれを活用してきたわ。心ちゃんの一件でも、担任から聞きだすために“それ”を有効活用させてもらった。
 そんな中で、こうした肩書きを使ってみると、あたしの周りにいる人間は二つ種類があることを確認できた。あたしの肩書きを聞いて良い顔をしない人と、そもそもあたしに興味が無い人間。前者は主に同学年の学生に多かった。特別を求める年頃だもの、理解できるわ。でも、理解できないのは、あたしに興味が無い人。……ううん、興味って言い方はちょっと違う。だって普通はクラスメイトなら、名前まで覚えろとは言わなくても顔を覚えていたり、特にあたしならば耳に入ってくる校長の娘という噂で、少なくとも一度は意識を向けると思うの。……クラスメイトであるあたしを知らない人。そう、武田クンのように。だからこそ、あたしのことをほんの少しも知ろうとしない武田クンに惹かれたのかもしれないわね。
 武田クンすら覚えていないと思うあの時に、あたしはもう“恋”をしていたんだから。


『表現すべき建前:三島早紀』


 形容しがたい空気が流れる。俺と三島は見つめあいながら、多分、同じことを思い出しているのだろう。男子トイレ、個室を開ければ三島が居て――今は杉林さんもいるが――、以前と同じやり取りを交わしている。不思議な感じだ。
 俺は自然と笑みを浮かべていることに気付いて、照れを隠すように口を開く。
「とりあえず、ここから出ないか? 俺は別にいいが、二人は男子トイレに抵抗があると思うし」
「……そ、そうねっ、あたしもそれが言いたかったのよ! ささ、心ちゃん」
 三島も俺と似たような心境だったのだろう、あからさまに回っていない舌を気にしようともせず、杉林さんの手を引いて個室から出てくる。俺はそんな二人を確認すると、男子トイレからひとまず出た。
「それで、なんで逃げたんだ。俺だってわからなかったのか?」
 男子トイレと女子トイレ、二つに挟まれる形で設けられた手洗い場の前で、俺は二人を問い詰める。俺の言葉を聞いて、三島はばつが悪そうに眼鏡を弄りながら目を逸らしている。杉林さんは、我関せずといった風に呆けているわけで、二人は全く答える気が無いようだ。俺はそんな光景を見ながら溜め息を一つ漏らして、考える。
 二人が逃げた理由としては、追いかけてきたのが誰なのかわからなかった、といったところだろう。だが、それならば今理由を話さない理由がわからない。かと言って、他の理由を思いつくわけがなく。
「……じゃあ、質問を変えるが、なんで教室に居ろって言っていたのにいなかったんだ。心配したんだぞ」
 “教室”という言葉に、三島が反応する。眼鏡を弄る手を一瞬止めた程度だが、俺はそれを見逃さなかった。……見られたか、もしくは聞かれたか。どちらにせよ、可能性として、教室の中で起こっていたことの一部を二人は見聞きしてしまったのかもしれない。
 俺は無言で三島を見つめる。その内、観念したのか三島が口を開いた。
「トイレに行ってたのよ。しょうがないでしょ、教室でしろっていうわけ?」
「いや、まあ、すまん」
 顔を真っ赤にしながらそんなことを言う三島に、俺はたどたどしい言葉で返事をするしかなかった。
 この様子を見る限り教室でのことを見られたとは思えないが、まだわからないな。……どちらにせよ、俺はあの女に言われたとおり、二人を消さなければならない。それ以外に出来ることが無いから。
 制服のポケットに手を入れる。冷たい、金属質の球体が手に触れた。使い方は聞いている。この球体を知らない二人に見せても、まさか消されるとは思わないだろう。つまり、今なら難なく二人を消すことが出来る。……だが、それを行動に移すまでの勇気が無い。消したことで相手がどうなるのかを知らないし、消すという言葉の意味も知らずにいる。そんな俺が、二人もの人間を消す。考えれば考えるほど、自分にそんなことが出来るとは思えなかった。ポケットの中で球体を握る手に、汗が滲む。
 変な顔でもしていたのだろう、俺の顔を三島が覗き込んでくる。変な顔もするさ、こんなことを考えていれば。俺は何でもないと三島に言って、気持ちを落ち着かせるために、手洗い場で顔を洗う。……どうすればいいんだ。
「……あの、武田さん。本堂さんはどうしたんですか?」
 ハンカチで顔を拭いていると、今まで沈黙を守っていた杉林さんが、あまり答えたくないことを聞いてきた。
「そうよ、一緒にいたんじゃなかったの?」
 三島まで、俺に詰め寄ってくる。……どうする、二人に話すのか、起こったことそのままを。いや、それは無理だ。話したところで、二人に理解出来るとは思えない。俺にだって理解出来ないんだ、もっと混乱させるだけだろう。かと言って、この場に本堂が居ないのはあまりにも不自然すぎる。適当な言い訳を話したところで、信じてもらえないのが関の山。……いっそ、俺の知っていることを全部話してしまうほうがいいのかもしれない。でなければ、すぐにでも二人を消してしまうべきだ。
「今から話すこと、信じてくれるか?」
「なによ、急に改まっちゃって」
「茶化すなよ。大事な、本当に大事なことなんだ。……この話は、この場に本堂がいないことにも繋がる」
 本堂の名前が出て、三島が黙る。多分、今一番知りたかったことなんだろう。杉林さんも三島と同じく、俺の言葉を待っているように見える。
 三島を見る。沈黙しているが目を見れば、続きを話せと、そう言っているように思える。……これは感だが、三島――と、多分杉林さんも、“何か”を見たのかもしれない。この状況を作り出している“何か”。目の端に映る女か、先程襲ってきた仮面の男か。どちらにせよ、何かを疑っている。元々三島は新聞部の部長だ、怪しいものを見れば調べることが性分というもの。そう考えれば、俺だとわかっていながら逃げたことにも説明がつく。
 俺は一際深く息を吸うと、全てを話し始めた。
「全然関係ない話で、突拍子もないことを今から話し始めるが、ちゃんと聞いて欲しい。まず、これから話すことの前提として、俺はお前らが知ってる俺じゃないんだ」
「へ?」
 三島が今まで見せたこともないような、間抜けな表情を浮かべる。それを見て尚、俺は話す。
「どういう理屈かわからないし、理由なんて知るわけがない。けど、俺はこことは違うところから来たらしい。……俺が元居た日常じゃ、佐藤は死んでなんかいなかった。目の前で消えたけどな」
「でも、佐藤君は病気で死んだはずよ? おかしいじゃない」
「だから、そこだよ。俺にとって、佐藤は病気だったけど、死んではいないんだよ。そして、お前らは覚えてないかもしれないけど、クラスメイトだった内藤って奴も消えたんだ」
「内藤……」
 次々と消えた奴の名前を言う俺に対して、二人は怪訝な視線を向ける。そりゃあそうだ、ここじゃ佐藤は病気で死んでるし、内藤なんてクラスメイトはいなかったことにされているんだからな。
「どういうわけか、俺は佐藤、本堂、三島、杉林さんの四人が持つ葛藤とやらを“解決”しなきゃいけなかった。もしさっき教室であったことを見ていたんなら知ってるかもしれないが、名前も知らないような女にそんなことを言われてな」
「……」
 三島が黙ったまま、何かを考えている。三島は考え事があると、いつも指を顎へ持っていく癖があるからな、見るだけでわかる。だが、わからないのは杉林さんだ。まるで反応を見せない辺り、俺の話を聞いてくれているのか、まずそこからが疑わしいものだ。
 しばらく待つか、三島は特に何も言わないようなので、俺は話を続ける。
「それで、紆余曲折ありながらも俺は女に言われた通り、解決することにした。だが、今日のこれだ。今起こっていることは女にとっても予想外だったらしく、俺も満足なことは教えてもらっていない。ただ」
 言葉を止める。俺は“二度目”だったから、まだ落ち着いて思考できる。だが、この二人はどうだろうか。知り合いが得体の知れない奴に消されるという事実は、認めれば認めるほど受け入れがたいものだ。
「ただ、なによ」
 三島が先を促すように、俺を見つめる。……ここまで話してしまったんだ、これ以上も以下もないな。
「ただ、本堂が得体の知れない奴に消されたというのは、ついさっき起こった事実だ。その後、俺は女と話して……」
 ――そうだ、何をやっているんだ俺は。ポケットの中に手を入れる。現実から目を背けているのは、俺じゃないか。今から“消す”相手に説明だなんて、意味がないどころの話じゃない。一瞬で終わることが、もっと面倒になるだけじゃないか。
「ははは、いや、そうだ。俺は女と話して、この状況を終わらせるための提案を聞き入れた。この球が、方法。それが――」
 ポケットから球体を取り出して、俺は二人の前に掲げる。……これでいいんだよな。
「――私達を本堂君と同じように消す、ってことよね」
 完全に不意をつかれた。俺が話し終わる前に三島は結論に至っており、その行動は俺から逃げるというものだった。三島の意味不明な行動を意味がわかる行動だと考え終わる数秒の後、俺は残る杉林さんのことを頭から追いやって、すぐさま走り出していた。



 暗い校内に、二つの足音が響く。それしか音がないものだから、嫌でも耳につくというもの。だが、それによって俺が三島に追いついてきているということが耳で感じ取ることが出来た。
 考える。考えなきゃいけない。俺は本当に三島を消せるんだろうか。走りながら頭の中で必死にその光景を思い浮かべようとするが、どうやっても、俺は躊躇してしまう。そりゃあそうだ。いくら出来ると口に出したとしても、頭の中じゃ納得してないのだから。
 暗がりを走る。こんな悪夢のような場所からは、今すぐにでも抜け出したい。でも、そうするには、俺なんかのことを好きだと言ってくれた子を佐藤と同じように消さなきゃいけないだなんて。理解することは簡単だ。でも、納得するのは、無理だ。
 俺は前から聞こえる足音を頼りに、階段を駆ける。このまま上り続ければ、屋上。それ以上は三島も逃げられないだろう。けど、それは俺も逃げるわけにはいかないという事。鼓動が激しい。走り続けているのもあるが、それ以上に怖い。
 時間というのは世の中で一番平等な価値観なんだろう。必死に考えている間に、俺は開かれたままの扉を前にしていた。このまま何を引き伸ばせばいいのか。選択肢なんて無い、前に行くしか。
 一歩、前に進む。記憶の中にある屋上は、澄み切った青空と無視出来るぎりぎりの暑さ、妙に涼しい風があった。でも、ここにはその一つも残っていない。真っ黒な空に無風、太陽の無い空の下に暑さなんて微塵も感じない。
「三島……」
 屋上の中心で、三島は俺のことを見つめていた。表情からは何も読み取れない。まだ泣いてでもいてくれたら、俺は消すことを諦めて、別の方法を考えていたのかもしれない。それすら叶わなかった。
 ゆっくりと三島に近付く。だが、近付いた分、三島も離れていく。それを続けていくうちに、三島は何も無いところで躓き、尻餅をついてしまった。近付く。……いつしか、三島は不敵な笑みを顔に浮かべていた。いつも通りの、自信過剰な新聞部部長の顔だ。……それを見て、吹っ切れた。ポケットに入れていた手を出して、俺は球体を握り締める。
「ちょ、ちょっと待ってよ武田クン。最後まで聞かずに逃げちゃったわたしも悪いけど、でも、本当に“消す”だなんて」
「やらなきゃいけないんだ。“ここ”や“みんな”をいつも通りに戻すためには、やらなきゃ」
 倒れこんだ三島は、腰でも抜けたのか起き上がろうとしない。俺はそんな三島に向かって球体を突き出して、そこで、躊躇してしまう。ここまでは頭の中で何度も考えた。でも、どうやっても、三島を消すことが出来る自分を想像することが出来ない。だって、“それ”に一番理不尽さを感じたのは、誰でもない、俺なんだぞ。そんな俺が、佐藤を消した張本人である女に言われるがまま残った二人を消すだなんて……無理だろう。
 口でいくら自分を鼓舞しようと思っても、指先一つで押せる球体のボタンが押せない。俺も三島も逃げることは出来ない。追い詰められた。……無理だ、無理だけど、やるしか、やるしかない、俺は。
「なんで、そんな顔してんのよ」
「……っ!」
「はぁー。泣きたいのもあたしだし、逃げたいのもあたしだし、わけわかんないのもあたしなわけ。わかる?」
 不意に、三島が立ち上がった。その口から出ているのは、相変わらずわけのわからない言葉。――自分がどうなるのか、少なからず悟ってしまっただろう。なのに、なんで三島、お前は笑っていられるんだ。
「な、んで、笑えるんだよ。俺は本当にお前を消すんだぞ」
「やれるものならやってみなさいよ。そんなふざけた話、信じないわ。ま、本当に消えちゃったとしても、その時は武田クンの所為じゃないわよ。なんたってあたしは、全部、信じないから」
 ……そう言って、三島は笑う。
「学校がこんなことになっちゃったことも、本堂君が消えちゃったことも、武田クンの話も、自分がこれから消えるかも、ってことも。全部あたしは信じない。これはね、武田クン、あたしの生き方なんだ」
「だから、なんでっ!」
「ずっと逃げてきたから。親からも、周りからも、自分の気持ちからも。だから、あたしは最後まで逃げる。こんな現実は信じない」
 勝手にわけのわからないことを笑いながら喋り続けて、三島は急に屋上のフェンスまで駆け寄る。俺はその光景を呆けながら見つめ、遅れた。
 三島が言ってたことは、この際考えなくてもいい。今、三島は、何をしているんだ? フェンスによじ登って、向こう側に降りて、そして、俺に振り向いた。同時に俺は駆け出す。
 ……妙に非現実めいた、短い時間だった。ついさっきまでトイレの前に居て、割といつも通りに話をしていて、気付けば屋上で。そんな短い時間の中で、三島は――。
「あたしが弱いからさ、こうなっただけ。だから武田クンの所為じゃないんだよ」
 ――屋上から飛び降りた。
 漫画やアニメだと重要な場面で動きがスローになるじゃないか。俺は今、それを感じていた。徐々に重力に引かれていく三島の体。完全に見えなくなる前に俺はフェンスまで辿り着き、カシャン、と間抜けな音が鳴る。それだけ。三島は少しずつ見えなくなっていく。
 手はこれ以上伸ばせない。今からフェンスを登ったところで、登っている内に全部終わってしまう。だから、俺は右手に握られている球体を思い出した。そこからは自然な流れだ。俺は三島と線で結ばれる位置に球体を構えて、小さなボタンを押した。
「……みし、ま?」
 時間の流れは既に戻っていた。三島の姿はとっくに見えず、無音が支配する。そう、落ちた音がしない。
 ――もしかしたら、三島は落ちていないんだろうか。そんな事を考え始めた瞬間、見覚えのある光が一つ、下から舞い上がってきた。それは二つ、三つと増えていき、真っ黒な空に吸い込まれていく。……フェンスが小刻みに揺れている。地震じゃない、俺の、フェンスに触れた手が震えてるだけ。
 消えたんだ、三島は。あっけなく。あの光は佐藤と同じだ。落ちた音なんて聞こえるはずがない。俺は確かにボタンを押したのだから。
「あ……」
 そして、光はもう上がってくることはなかった。





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