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今日から家族?-6

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 息が、止まった。

 一度頭を振り、僕は再び静良を見据えた。
 仏頂面だと。無表情だと。先ほどまでそう思っていた静良の、その表情は。
「──すまん」
 怯えていた。
 顔を青ざめ、脂汗をかき、何か恐ろしいものを見ているかのような目で、僕を見ている。
 芥正義と会話していた、先ほどまでの僕が、そこにいた。

 やってしまった、と僕は思った。
 父と話した時の自分のテンションを、平常に戻していなかった。父と話す時のテンションで、静良と向き合ってしまった。
 一般的に受け入れられるような状態ではない。人相が変わり、判別がつかなくなってしまうほどに変化した心理の状態は、静良の反応を見れば解る通り、通常に受け入れられる状態ではないのだ。
 ある意味では、親子だけが許される状態なのだろう。その意味の良し悪しはさておき、だが。
 そんな状態で、静良と話してはならない。
 風変わりとはいえ、静良もまた、一般の人間に過ぎないのだから。

「父さんと会話した後は、いつもあんな感じになる。だから極力、落ち着くまでは人と交わらないようにしてるんだ。が……今回はイレギュラーだった」
「──いや、私にも非はある、取り乱して済まない」
 指先で額を撫でながら静良が詫びたが、僕にはそれを責めるつもりなど毛頭無かった。
 静良の反応は、正しい。
 飽くまでそれは一般論に基づいた正しさではあるが、その一般論を静良が持っていたことが何よりの救いだ。これ以上、あのような異端の家族が現れても、対処し切れない。
「何か、聞きたかったことがあったんじゃないのか?」
 今尚、顔面に桜色の血色が戻っていない静良をリラックスさせる意味も込めて、僕は言葉を促した。
「あ、ああ。さっきまではあれほどまでに拒否していたものを、まるで掌を返したように容認したからな」
「拒否も何も、父さんがああ言うなら容認するさ。拒否出来ない、と言った方が正しい」
「厳格な、父なのだな」
「血も涙も無い。流れ出る血を涙で洗ったら、いつのまにかどっちもスッカラカンになっちまったんじゃないのか?」
 肩を竦ませて、首を傾げながら僕は嘯く。
 言ってて、自傷と滑稽の念に駆られて苦笑が漏れた。その血も涙も無い男の子息として生まれ、その血も涙も無い男の教育方針に従っている以上、僕だってそうなる可能性は、むしろ高いのだ。
「事情は察そう。私とて、先ほどのような体験をして寿命を縮めるような真似は、そう何度もしたくはない。今後もそういった事があるのなら、私なりに配慮はする」
「今後は、と言うけどな」
 頭を掻いた。いまいち状況が掴めていないことだけは、先ほどから何も変わっていないのだ。
「情報を整理したい。静良、お前は今日から僕と家族になると言ったな?」
「確かに、そう言った」
「それはつまり、ここで僕と共に衣食住を共にする、ということか?」
「相違無い」
「生活費や食費の負担はどうなってる? 出せというのなら出すが、決して満足出来る食事や生活環境を提供することは出来ないぞ?」
「そちらは問題無い。毎月御財閥から君の口座に振り込まれている生活費に、今月から私の分が加わるはずだ」
 それを聞いて、僕は胸を撫で下ろした。毎月僕の口座へ振り込まれる生活費は、人が一人二人増えたからといって明日の食事の心配をせねばならないほど少ないわけではないが、やはり今まで自由になっていたお金が生活費に当てられるのは、あまり良い気分ではない。
「それは解った、が……何と言うか……」
 お金の問題は、実はそれほど大したものではない。無いなら無いで、どうとでも対処出来る財産が、僕にはあるからだ。
 それより何より問題なのは……
「一緒に、暮らすのか? この部屋で?」
「そうなるな」
 やはり事も無げに、静良が頷いた。
 何が「そうなるな」なものか、大いに問題だ。
 来年から、僕は高等学校に通うことが約束されている。何故なら僕は、義務教育から開放され、己が望んだ分野の学問を修練する年だからだ。
 そういう、年なのだ。一般的に解り易い言葉を使えば、「思春期」なのだ。
 静良を見る。
 艶やかな紅蓮の髪。
 ダイヤのように輝く、純血の日本人では持つことの出来ない青い瞳。
 シャープに研ぎ澄まされた、しかし決して女性味が無いわけではない、凛とした表情。
 同様、引き締まってはいるものの、出るところはそれなりに出ている、女性的な肉体。
 疑念を抱いていた頃は意識しなくても良かったが、意識してしまうと鼻腔がいつまでも離したがらない、芳しい女性としての香り。

 静良は、はっきり言って、美人だ。

 相当ではない。相応でもない。
 ちょっと、身分にそぐわない。「今日から貴方と一緒に暮らすわよ」と、軽々しく言って良い容姿ではない。
 一体、僕に、どうしろというのだ?
 頭を振った。どうしろも何も、どうもしないのが正解に決まっているだろう。
「お前、いくつだ?」
「百六十四センチだ」
「身長じゃない、年だ年!」
 まじまじと見つめてしまっていたのかもしれない。質問の意図を履き違えた静良に、僕は聞きたい数字を叫んだ。
 ──僕の方こそ、聞いてどうするのか、という話なのだが。

「解らない」

 と、静良は言った。
「──何だって?」
「解らないのだ。私は自分の年齢を把握していない」
 本日三度目の僕の「何だって?」に対し、律儀にも静良は噛み砕いて回答する。
「おそらくは君と同齢、或いは上だろうな。少なくとも下ではないと推測する」
「推測とかそういう問題じゃないだろう?」
 ある程度の予感が無かったわけじゃない。ただ、それ以上の問題が山積みになり過ぎて、それが今になってようやく氷角を露にしたのだ。
 僕と、即興の家族になるということ。
 それはつまり、本来の家族がいない、ということだ。
 そして静良は、自分の年齢が解らない、と言う。
 年齢が解らないということは、物心がついた時には既に、「自分の年齢を教えてくれる人」がいなかった、ということだ。
「君が何を考えているのかは解る。君の推測は、間違ってはいない」
 静良が、微かに頷いた。僕の言葉の無い問いに、「はい、そうです」と答えたのだ。

 ──孤児、か。

「だが心配には及ばない。一般教養は一通り学んでいる、孤児院で教育を受けていた」
「だろうな。でなきゃ父さんだって、お前を選んだりはしないだろうさ」
 そうでなくとも、静良の立ち振る舞いや言動から見ても、それなりに優秀な教育を受けていたことは想像に難しくはない。
 金銭を惜しみながら粗雑なものを購入する男ではないだろう。
「入れよ、部屋に案内する。そんなデカいバッグをいつまでも持ち歩いてたら疲れるだろう?」
「そうだな、お言葉に甘えよう。いつまでもここで立ち話をしていたら近所迷惑にもなるだろうしな」
 ところで、と静良が僕に問いかける。
「畳部屋はあるだろうか? 雇われの身でこのようなことを言うのは図々しいのかもしれないが、いかんせんあのフローリングというものは好きになれない」
「またお前は……容姿にそぐわない要望をしやがって。その目はカラーコンタクトか何かなのかよ?」
 床が冷たいのだ、と言って、青い瞳を持った少女が片眉を持ち上げた。

 あるとも。
 元々、一人で住むには広すぎる場所だ。倉庫に成り果てた畳部屋が一つ空いている。
 ふと、窓に目をやった。
 この部屋の窓からは、夕日が沈む瞬間がはっきりと見える。遮るものが無いほど高い場所にある部屋には、夕日の蜜柑色の光が差し込んでいた。
「──今から、片付けるのか……」
 嘯きながらも、決して嫌な気分にはならなかった。
 倉庫部屋を、倉庫部屋として使う理由が無くなったから。
 広すぎて「一人なんだ」と自覚してしまうのを防ぐ為、半ば強引に物置にしてしまった部屋に、新たな住人が入ったから。
 ──なんだ。
「何だかんだで欲しかったんじゃないか、僕」
「さっきから、何を一人でぶつぶつと言っているんだ?」
 何でもない、と答えた。

 今日から家族になる人に。
9

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