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第一章

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 初めて「アラーム」が聞こえたのは、和広の記憶では小学五年生のときだった。
 機械から流れ出てくるような無機質な声を、和広は何だろうと疑問に思った。このとき和広は、自分の教室で国語の授業を受けていた。担任の先生が一通り朗読している最中だったので、教室はそれなりに静かだった。先ほどの声は放送室から聞こえてきたものだろうが、それにしては、周りの誰もが無反応だった。その声が話したことは、「五分後、あなたの学校で火事が起きます」というものだった。先生は、今日避難訓練があるなどとは言わなかったはずだった。だから、先生や友人がさっきの放送を聴いていたなら、騒ぎ立ててもよかったようなものだった。ますます不思議に思いながらも、授業中だったこともあって、和広は黙っていた。
 そして、時計を見たところ、さっきの放送からすでに五分以上が経過していたので、自分の空耳だったのではないかと思った。
 非常ベルが聞こえてきたのは、その直後であった。耳に響く甲高い音が止み、慌てたような男性職員の声が、学校中に響き渡った。今度は教室の誰もが聞いていた。
 家事の原因は、どうやら家庭科の調理実習中に起こったらしい。幸い大した被害は出なかったものの、新聞沙汰になるほどの影響を見せた。
 和広は、火事が起こる前に聞こえた声のことを誰にも言わなかった。
 その翌日、和広が登校をしていたとき再びあの声が聞こえたのだ。そのときは、「五分後、あなたは溝に落ちます」というものだった。
 この声が聞こえた瞬間、和広は立ち止まった。前回と同じく、周りの皆は歩みを止めずに学校へと向かっている。それに気付いた友人の一人が、和広に「どうしたんだよ」と尋ねた。その声を聞いて我に帰った和広は、「なあ、今変な声聞こえなかったか」と尋ね返してみたが、友人は「お前何言ってんの」と適当に返事をして、再び学校へと歩き出した。和広も彼に遅れないように歩みを速めた。
 そして、友人のほうを向いて話している中、突如和広の視点が低くなった。一瞬何が起こったのか分かたなかったが、足先に感じられる水の冷たさから、和広は溝に落ちたのだと知った。友人は笑いながら「大丈夫かよ」と言って手を差し伸べていたが、和広の驚きは凄まじかった。溝に落ちたことより何より、先ほどの声が自分の身に降りかかることを予言していたこと、その声は自分にしか聞こえないと言うことが、より一層の驚きを和広に与えていた。
 それからというもの、和広は頻繁にこの声を聞くようになった。
 授業中に「五分後、あなたは問一の(二)を答えさせられます」と聞こえた。和広は教室に掛けてある時計を見てから、その問題を解いていたら、先生にその問いを聞かれたのだった。再び時計を見ると、きっかり五分だった。また、家族で遊園地に行ったときに、「五分後、あなたは迷子になります」と聞こえたので、和広は父のシャツの裾を掴んでいたが、人にぶつかった際にうっかり手放してしまった。気がつくと、和広は一人になっていたのだった。
 和広はこの声が時計から聞こえるようなアラームに似ていたため、「アラーム」と名づけた。アラームは他人には聞こえず、自分にしか聞こえない。自分の身に降りかかる、または自分の目の前で起こる出来事に関して、アラームは予報を告げた。
 「五分後、あなたの目の前で事故が起きます」と言われ、五分後に本当に事故が起きる。「五分後、あなたはトイレに行きます」と言われ、実際にトイレに行くのだった。
 ただし、このアラームは確実と言うわけではないようだった。
 例えば、和広が眠っているときに、「五分後、あなたは目を覚まします」と告げられる。しかしその声が聞こえたために、和広は目を覚ますので、五分後には起こらなかった。あるいは、「五分後、あなたは自転車でこけます」と言われたので、自転車を降りて五分間待ってから発進すると、全く転ぶことはなかった。
 和広はこのアラームをうまく使い、生活を送っていった。自分に不利なことはなるべく避けるように努力し、回避できそうにないことをできるだけすばやく解決できるようにしていった。
 そうして和広は、現在十九歳になった今も、アラームに気をつけながら暮らしていた。
 

 「五分後、あなたの前に客が現れます」
 コンビニでレジを任されている俺は、左手につけてある腕時計を見て時間を確認した。アラームが聞こえるようになってからというもの、中学生になり買ってもらって以来、風呂以外で腕時計を外したことはなかった。銀の金属光沢を見せる腕時計は、午後の七時と五十四分を指している。現在店の中にいるのは、お菓子コーナーで話をしている学ランを着た高校生らしき二人組みと、雑誌を読んでいるサラリーマンらしき中高年だけである。
 「客」とは彼ら三人のことなのか、あるいは新たに店に入ってくる人なのか判断はできないが、どちらにしろそれに備えて、タバコを整頓させておくことにする。
 とはいえ、ものの一分も掛からないうちに終了してしまった。俺は手持ち無沙汰になりながらも、その客とやらを待つことにした。こういうときの五分間は、やけに長く感じるな、と近々思う。店内には最近有名になってきたアーティストの曲が流れているのと、暖房、そして学生たちが話している声以外、音は特にない。腕時計を見ているのも疲れるので、ずっと店の壁に掛けてある時計を見ていた。もっとも、俺の腕時計より一分ほど早いのだが。
 ピンポーン、と言う音がして店のドアが開き、女性客一人が入ってきた。俺はすかさず時間を確認する。が、まだ後数十秒ほどあるように思えた。
 まだかまだかとずっと腕時計を見ていると、レジにすっと飴の商品が三つ置かれた。どうやら客とは、男子高校生たちだったらしい。
 「はい」と言って、俺はレジ打ちを始めた。彼らは先ほどまで喋っていた時とは違い、黙って商品を見ている。
 会計を済ませ店を出て行くと、彼らはまた話し出したようだ。俺は「ありがとうございましたー」と、マニュアル通りのお礼を言ってから、店内を一瞥してみる。中高年はまだ雑誌を読んでいるし、女性客は弁当の辺りをうろついている。中高年はまだ大丈夫だが、女性客はもうそろそろ来るだろうと思う。上がりは八時となっているので、次の客を最後にしようともうしばらく立っていることにした。
 「藤井さん、そろそろ上がりじゃないんですか?」
 声がした横を振り返り、少し目線を下げると川崎が立っていた。俺よりひとつ年下で背が低い。おまけに坊主頭であるためか、あるいは顔のパーツのせいなのか子供っぽく見える。まだバイトを始めて一週間の見習いだが、仕事を覚えるのは早かった。しかし、よりによってレジ前でその話をすることはないだろうと思う。せめて声量を下げてもらいたいものである。
 「そうだけど、次の客で最後にするよ。東郷もまだ来てないみたいだし。お前は商品の入れ替えとかやっててよ」
 と、俺が小声で喋っても、
 「そうですか、わかりました」
 元気のいい声で答えてくれるのである。彼は商品を取りに行った。
 そうこうしているうちに、あの女性客が弁当と紙パックのお茶を持ってきたので、「こちらのお弁当は温めますか?」と、これまたマニュアルどおりの親切な質問をする。お願いします、と言うので、レンジへと弁当を入れた。特に待っている客がいるわけでもないので、チンと鳴るまでの時間はなかなかつまらない。もちろん、待っているのなら先にそちらのレジを行うが、今の店の中にそれを求めるのは甚だ愚かである。彼女は携帯を見て時間を潰そうとしているが、あいにくこちらがそのようなことはできない。黙って弁当が温まるのを待つしかできないのである。
 レンジは役目を終えて俺に終了の音を鳴らした。俺が振り返ると同時に、彼女も携帯を仕舞ったようだ。熱くなった弁当をレジ袋に入れ、その上にお茶を乗せた。本日何度目か分からない「ありがとうございましたー」を言って客を見送る。
 東郷がいないのならば、俺はレジを離れるわけには行かない。
 「五分後、あなたは自転車に乗ります」
 アラームが五分後の未来を告げた。そしてすぐに、コンビニの制服に着替えた東郷が奥から出てきた。栗色の髪を一つにまとめたポニーテール、パッチリした目が印象的で見た目はかなりかわいらしい。腕時計は八時三分を示している。
 「すいません、遅れました」
 「遅いよ東郷。他のバイトが忙しいのかもしれないけど、少しはこっちのことも考えてね」
 彼女はまた、すいません、と言って俺が立っていた場所と入れ替わった。
 俺は制服から私服へと着替え、店を出た。三月が春であるとはいえ、夜の空気はいまだ冬のものである。身を震わせながら自転車の鍵をポケットから取り出し、俺は自転車にまたがりそのまま帰路につく。
 
いつもと変わらない、バイト終わりの帰り道。家とコンビニの距離はせいぜい五キロ。近いともいえない半端な道のりの中で、俺はせいぜい退屈にならないようなことを考えながらペダルをこいでいく。
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