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日傘じゃ悪意はふせげない

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 青々と茂りゆく木の葉を見るたび、濃さを増してゆく影たちを見るたび、川本純子は部屋から出るのが嫌になる。特に好きな季節があるというわけでもないが、夏は嫌いだった。澄子の肌は、普通ならニキビ盛りであるはずの中学生にしては、特にトラブルもなくきれいな方ではあるのだが、紫外線にはとんと弱い。春の日差しですらも長時間浴びていると、なにやら肌が火照ってかゆくなる。手足はそうでもないのだが、顔の皮膚は異様に敏感なのだ。それが夏の強い日差しになるともう生き地獄だ。顔は赤く焼け、まるで酔っ払いのようになる。もちろんかゆみも強いし、それを我慢してもぷつぷつと炎症が起きる。
 それでも夏休みまでの辛抱だ、夏休みになれば外に出なくてすむ、純子は自分にそう言い聞かせ、窓の外の忌々しい太陽を撃ち落したいと考えながら、のろのろと登校の準備をした。まだ眠くて食欲はなかったが、永谷園のお茶漬けを食べた。
 早出の父は既に出勤しており、パートで働いてる母は父の弁当を作った後にまた一眠り、小学生の弟もいつも通り登校時間ギリギリまで寝ているようだ。ちなみに、家族たちの肌は純子と違って強い方である。父の「小さい頃は大丈夫だったんだし、体質は変わっていくものだから思春期の一時期なものじゃないか」という有り難い言葉を純子はすがるように信じているが、この体質とは小学5年生ぐらいの時からもう3年ほど付き合っており、そして10代にとってはその時間はとてつもなく長いものなのだから、これからまた長い間我慢し続けなければならないかと思うと、なかなか辛いことであった。
 本当に、この体質さえなければもう少し真っ当な学生生活を送れていたかもしれないのに。

 純子は学校につくと、折畳式の黒い日傘をたたんだ。黒色は日光を遮断するのに最適なのである。生徒玄関は、外とは違ってひんやりしていて、そして静かだ。多分、全校生徒の中で純子が1番早くに登校しただろう。一年生の時から、純子は温かい時期はいつもこうやってかなり早い時間帯に登校していた。日傘を差しての登校を見られたくないからだ。
 日傘をスクールバッグに入れ、下駄箱を開く。瞬時に、甘い香りが鼻に届く。
「もったいない……」
 怒りや悲しみが浮かぶよりも先に、純子はそうつぶやいていた。下駄箱の中には靴だけではなく、何故かプリンも入っていたのだ。大きなプリンが左右の靴の中に、崩されて入れられていた。不幸中の幸いとでも言えばいいのか、幸い虫はわいていなかった。
 とりあえずは靴を手に取り、靴下だけの足でそのまま手洗い場へ行く。なんでこんなことをするんだ、と沸沸と怒りが込み上げてきていたが、だからといって怒り叫んでも意味はないのだと純子にはわかっていた。今ここで怒りを露にしても体力を消耗するだけ。あいつらに直接怒ってみても、きっと意味はない。同じことをやり返すのはもっと馬鹿だ。だから怒りを収める。ここには純子の挙動を見る者など誰一人としていないが、表情にすら怒りを浮かべないように抑える。涙はもっての他だ。
 水道管に詰まらないか一瞬不安になったものの、固形物といってもやわらかいので多分大丈夫だろうと判断し、純子はプリンを流した。それでも靴の中は湿っていて、さわるとネバネバした。何事もなかったかのように履いて一日をすごすわけにはいかないようだった。仕方ないので靴を洗い、来賓用のスリッパを拝借することにした。

「そろそろ洗おうかと思って昨日持って帰って、そのまま家に忘れちゃったんです」
 事前に考えておいたわけではなかったのだが、言い訳の言葉はすらすらと出た。でも誤魔化し笑いは引きつっていただろう。けれども、担任は素直に信じてくれて「じゃあ仕方ないけど、あくまでもそのスリッパは来賓の方のための物なんだから無断で使っちゃいけないんだ、一人が自分のことだけ考えて勝手なことをするとみんなが真似して社会というものは成り立たなくなってしまうんだ」といつもの調子で語り始め、教室中が白けた雰囲気となった。
 純子の席は、廊下側から二列目、前から三番目。特に目立つ位置というわけではないが、すぐに担任にスリッパをはいていることがばれて、問い詰められた。足元なんて見ないだろうから気づかれにくいだろうし、気づいてもわざわざ問い質すものではないだろうと純子は考えていたのだが、そうではなかったようだ。言い訳を素直に信じてくれたのはよかったが、長々としたお説教にまで発展してしまうとは思わなかった。白けた雰囲気からは苛立ちのようなものも感じる。隣の席の男子が「うぜー」とつぶやく。きっと、担任にではなく、お説教タイムを招いた迷惑な隣人への言葉だろうと純子はぼんやり思う。後ろの方で、女子生徒たちが小声でおしゃべりをしていた。担任の話は今や純子の靴のことではなく、最近多発している、故意に電灯のスイッチを押しつぶす輩への憤りに移っており、声はどんどん大きく高くなっていっており、担任の声に押されているものの、クスクスと笑いを含んだ彼女たちの話の内容はいくらか聞き取れた。
「あいつもしかしてプリン食ったのかな?」
「靴ごと食ったんだったりしてーだったらきもくない?」
 早く帰りたいな、と純子は思う。この席にまでは日が差さないが、太陽の照る外に出た方がまだマシだった。日光からは日傘が守ってくれても、ここでは純子は一人きりだ。
 中庭の隅に置いておいた靴は、放課後には乾いていた。またなにかされかねないだろうから、持ち帰ることにした。しばらく靴を持ち歩こうと思いつつ、純子は早歩きで校門を抜け、人気がなくなったところで日傘を差した。道行く知らない人に日傘を差しているところを見られるのはかまわないが、同じ学校の者には見られたくなかった。気取ってるんじゃないか、とまた陰口を言われるのが嫌だった。陰口だけならまだいいが、今朝のように物にイタズラされるのは困る。机に落書きなら消せばいいだけの話だが、靴にプリンなんてもったいない。昔見た、いじめを題材にしたドラマのようにそのうち教科書を破られたりなんてことに発展してしまうのではないかと思うと、自然と眉が歪む。義務教育において教科書は基本的に無料で配布されるものだが、書店などで新たに取り寄せる場合は教科書代を払わなければいけない。純子は月ニ千円のお小遣いをもらっているが、大抵使わずに母に貯金してもらっているので手持ちの金は無いも同然だ。教科書を買う金すらも多分ない。弟に借りようか、と丸いフレームの眼鏡が似合う弟の顔を脳裏に浮かべて見たが、起こってもいない事を深刻に考えても仕方が無いような気がしてきた。考えてもどうにもならないことは考えない方がいい。
 そう思った途端に、少し顔が痒いような気がした。考えの方に集中していたので気づかなかったようだが、ほんの少しとはいえ日光の下を歩いたせいかもしれない。それとも、日光の下を歩いたら痒くなる、という意識がいわゆるマイナスプラシーボ効果にでもなっているのだろうか。痒いのか痒くないのかよくわからない、といった微妙な感覚ながら、純子はほとんど無意識に頬を人差し指で少し掻いた。昨日の帰りはこんな風ではなかった。やはり、日に日に日光はその激しさを増して行っているのだろうかとため息をつきながら、純子は明日の体育の授業を憂鬱に思った。


 家に帰ると純子はすぐに制服を脱ぎ、制服の下に着ていたシャツと体操服の短パンだけの姿でパソコンの前に座った。両親は基本的に家ではパソコンはさわらないので、川本家のパソコンは子供用だ。旧型のパソコンなので動作は鈍いが、学校の授業で使うパソコンも同じぐらいの年代物なので「パソコンはこういうもの」だと純子は当たり前のように信じている。純子はインターネットを開くと、『お気に入り』の『お姉ちゃん』フォルダの中からサイトを開いた。まずはじめに表示されるのは『パタパタちゃんねる』というパステルピンクのロゴ。文字は羽をモチーフにした丸文字で、左右に2.5頭身の可愛らしい天使が描かれている。
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  パタパタちゃんねるにようこそ
  ここはメンヘラー・ペシミストの避難所です
  荒らし・煽り・リア充自慢は禁止です
  それらの相手をすることも禁止です
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 クリーム色の背景に、ロゴと同じパステルピンクの文字でそう書かれている。一行目は他の行よりも大きめで太字になっており、三行目は赤字で表記されている。パソコンを使い始めてすぐの頃、特に目的もなくネットサーフィンをしていた時に見つけたサイトだ。スレッド一覧と書かれた部分をクリックすると、画面全体が青色の文字で埋まる。その中に幾つか、紫色で表示されている文字がある。既に純子が開いたスレッドだ。いくらかスクロールし、純子は既に紫色になっている目当てのスレッドを開いた。


―――――――――――――――――――――――――――――――
  【明日学校地震で潰れればいいのに^^ 震度73】

  1 名前:パタパタ名無しさん
    ツブレター\(^0^)/  

  2 名前:パタパタ名無しさん
    >>1乙

  3 名前:1死ね
    テンプレ貼れクズ

  4 名前:パタパタ名無しさん
   おつー

  5 名前:◆R.xOLM4if.
    1さん乙です。
    俺の学校も潰れろー\(^o^)/

  6 名前:パタパタ名無しさん
    こんな真昼間にお前ら今日もサボリですかwwww
    ……お、おれは携帯からなんだからね!一緒にしないでよね///
―――――――――――――――――――――――――――――――
 スレッドタイトルは赤字で一行目に表示される。このスレッドは学校に行くことを苦痛に思っている人たちが集うことを主旨としたもので、純子は通し番号が69の時から見始めた。スレッドタイトルは毎回変わり『明日学校』という部分だけが共通している。その時によって『明日学校行きたくない奴集まれ』と主旨を明快に示したものの時もあれば、『明日学校が冥界に沈む』といったようななにがなんだかわからないものもあった。
2, 1

  

 前に読んだ部分はスクロールし、新着の書き込みだけを読む。このスレッドに集う人々は、大抵が純子と同年代の中高生だ。小学生だと名乗る書き込みは滅多に見当たらないし、大学生用には別のスレッドがあるらしい。書き込みは一日で何十個もあり、全部読むのには結構な時間を要するが、他にすることといえば宿題ぐらいしかないので純子にとっては苦ではないし、全ての書き込みを読まなければと妙な義務感を感じていたりもした。教科書の授業で使われない部分も、読まないのはもったいない気がして進んで全部読んでしまうような性格なのだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――
  324 名前:パタパタ名無しさん
     宿題のプリントが私にだけ配られなかった件について\(^0^)/

  325 名前:パタパタ名無しさん
     宿題しなくてすむじゃん

  326 名前:ゆーかりん◆1coeUDPrDk
     >>324
     kwsk

  327 名前:324
     前の席のDQNが余ったとか言って先生に返しやがった\(^0^)/
     後ろの私ポカーン\(^0^)/
     トイレで泣いたわ\(^0^)/

  328 名前:パタパタ名無しさん
     ふつーに教員にくださいってゆえよ

  329 名前:パタパタ名無しさん
     トイレに篭もった時の安らぎは異常

  330 名前:◆R.xOLM4if.
     >>328さん
     言わなきゃいけないってわかってても、
     そういう時ってショックで頭真っ白になっちゃうもんなんだよ。

     >>324さん
     あまり落ち込まないでください。
     DQNは324さんを傷つけたくてやってるから、
     相手の意図にはまるのは絶対にだめ。
     心を強くもって、ちゃんと本当のことを先生に言って
     プリントをもらいに行こう。

  331 名前:パタパタ名無しさん
     Rは脱ヒキしてから偉そうな事いえw
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 パタパタちゃんねるでは大抵の人が『パタパタ名無しさん』という名前で愚痴を言ったり、意見を交し合ったりしている。特定の名前を掲げての書き込みはごくわずかで、そういう書き込みをする人達はコテハンと呼ばれている。◆R.xOLM4if.という人もコテハンだ。以前に他の人の書き込みではじめて気づいたのだが、書き込み時刻がいつもばらばらで、深夜の時もあれば真昼の時もある。ほとんど不登校状態であるらしい。◆R.xOLM4if.自身もそう前に書き込んでいた。一年以上学校に行っていないという人の書き込みもたまにあるが、◆R.xOLM4if.は休んだり通ったりを繰り返していているらしい。
 ほとんどの人は、たまに休むことはあっても大抵は我慢しながら学校に通っている。それぞれが我慢している物は、眠気だったり退屈だったり校則だったり悪口だったり、人によっては暴力だったりもする。純子がはじめてこのスレッドを見て驚いたのは、互いに顔も名前も知らない人たちが、それぞれの苦痛を慰めあい、励ましあっているという不思議なことにだった。
 相手の顔も名前ももちろん、奥歯を噛み締めてうつむく姿すら知っているのに関わらず、平気で人を傷つける者もいるというのに。
 その日は急にどしゃぶり雨が降ってきて、堂々と玄関から日傘を差して帰れた。この日傘は雨天時に使っても差し支えはないものなのだ。両方使えるなんてお得な感じがするが、雨傘は透明なものの方がいいなと純子は思う。上からではなく正面から吹き付けてくるような雨風に対抗するためには、傘を半ば盾のように構えて歩かなければならないのだが、黒い傘では視界がかなり不自由なのだ。
 純子の横を、自転車に乗った生徒が駆け抜けて行く。水が跳ねて靴下を濡らした。苛立ちを感じたが、彼は傘もカッパもなく、校門からまだそう離れていないのに既にずぶ濡れの様子であり、すぐにその思いもしぼんだ。差さないよりはマシだろうとはいえ、雨は純子の手も足も濡らす。上半身はわりと大丈夫なのだが、水を含んだスカートの重いこと重いこと、純子のスカートは校則を厳格に守り膝下丈なのだが、こういう時ばかりはミニスカートの方が軽くていいのではないかと思えた。だが、ミニスカートでこの風の中を歩いたら中身が丸見えになってしまうだろう。短パンを履いていてもみっともない、とそこまで考えたところで純子は自分が無意識に右頬を掻いていることに気づいた。爪の先がわずかに赤く染まっている。手鏡などという洒落たものは携帯していないので生憎様子を見ることはできないが、触れてみた限りでは、ざりざりと執拗に掻いたわけではないようだった。大した事ない。
 帰宅すると、既に帰ってきた弟が風呂に入っているようだった。玄関に濡れた傘が置かれていないことから推測すると、弟は家から傘を持っていかず、学校で借りもせずにずぶ濡れで帰ってきたようだ。中学校と比べると、小学校は家からかなり近いとはいえ、ずいぶん無茶なことをするものだ。純子は着替えると、自分の濡れた服と、予想通りずぶ濡れの弟の服を洗濯機にかけてパソコンを点けた。
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  502 名前:パタパタ名無しさん
     今日は一時間目から運動会の練習だったわけだが
     リレーとかどこのマゾが発明したんだよ

  503 名前:パタパタ名無しさん
     >>502
     運動神経ある奴はこんなとこくんな。
     がんばればいくらでもリア充になれるから(´・ω・`)

  504 名前:パタパタ名無しさん
     リレーはガチで古代は死者が出てたらしい

  505 名前:パタパタ名無しさん
     運動会って・・・小学生かよ 体育大会だろ?

  506 名前:パタパタ名無しさん
     >>503
     >>502だけど運動神経あったら苦労しねーよw

  507 名前:パタパタ名無しさん
     クソ暑くなってく時期にお前ら大変ですねーwwww
     俺のとこは秋にやるおっおっww

  508 名前:パタパタ名無しさん
     リレーは選ばれし精鋭がなるもんなんじゃないのか?
     それともクラス全員でやるやつか?
     そんで体育会系がピザにマジ切れするわけか?
―――――――――――――――――――――――――――――――
 純子の学校でも今日は体育祭のリレーの練習があった。なんとタイムリーな話題だろう。
 三時間目の体育の授業の時、空気は湿り気などなくからりとしていた。日焼けしちゃうかもと隣のクラスの女の子が笑っていた。純子の学校の体育は、いつも二クラス合同で行われているのだが、今日はリレーの作戦を練るためにクラスごとに分かれて200メートルのタイムを測った。体育の先生は二つのクラスを交互にまわってアドバイスをするだけで、走る順番は生徒たちに決めさせる。純子のクラスは体育委員の坪内が仕切り、まずは、初めの方に走りたいか、後の方で走りたいかを全員に聞き、その後に坪内が皆のタイムを測った。タイムを測る順番は出席番号順で純子ははじめの方だった。
 200メートル程度なら配分など考えずに全力疾走できる。一緒に走った三人の中では、一番早くに純子は200メートルを走りきった。球技の腕は壊滅的だが、単純に走ったり跳んだりだけなら純子の成績は良かった。体を動かすと肌が火照り、ただ陽の下にいるよりも痒みが強くなるのだが、何も考えずに走った時の気分はなかなか気分がいいものだった。
4, 3

  

 だがそれは、一回だけならだ。フライングしていたと坪内に言われ、純子は次の番の人たちと共にまた走ることになった。その次も、また走れといわれた。それで終わったかと思ったら、しばらくしてから「タイムをつけ忘れていた」とまた走らされた。次は、タイムウォッチのボタンを押し間違えていたと言われた。結局五回走った。きっかり1000メートル。二回目からもう既に足が重かった。最後はもう走ってるとさえ言えないものだったかもしれない。坪内も他の人たちも笑っていた。見回りにきた先生も。
 泣きたいとは思わなかったが、まとめて皆を殴りたくなった。うっかり飛行機でも落ちてきてこいつら死なないかな、と物騒なことを考えもしたが、今思い返してみれば、やはり理不尽だとは感じたが、それほど怒りは感じなかった。坪内はプリン発言の人である。耳の上で二つに結んだ髪の毛が可愛らしく、小柄で声も細くて、その割に活発で社交的な人だ。彼女はクラスの人気者で、悪いように言う人はいない。だから純子は露骨に嫌がらせを受けても、直後こそは強い怒りを感じるが、しばらくすると負い目のようなものの方が強くなる。
 純子は弟に対してはつまらないジョークを言ったり、両親にはわがままを言ったりもするが、学校では大抵一日中事務的なこと以外なにも話さない。要は、内向的で根暗なのだと自覚している。そんな自分が感じる不快感などよりも、坪内のような者のやる事の方が正しいように純子には思えた。純子が走り続けていたことに対し、誰もなにも言わなかったことがその証拠だ。以前、傘置場に置いておいた日傘をボキボキに折られているのを見た時も、この前に靴を汚されていた事も悲しかったし腹立たしかった。だが、こんな扱いを受けるのが相応な人間なのではないかとも思った。
 昼間のことを思い出していると、体の感覚まで蘇るのか、顔が無性に痒くなり、純子の指先はまた汚れた。そろそろ爪が切り時だな、とさっきまでとは違う物事に思いをはせると、さっきまで妙に自虐的な気分になっていた事がひどく馬鹿馬鹿しく感じられた。
 視線を再度、パソコンの画面に向ける。文字をひたすら追っていれば、やたらと考え込むことはない。スクロールバーの短さから見て、本日は書きこみがかなり多いようだった。弟はわりと長風呂な方ではあるが、彼が風呂から上がるまでに全て読み終えるのは難しそうだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――
  540 名前:◆R.xOLM4if.
     >>331
     亀レスごめん。
     最近は真っ当に学校行ってますよ。
     DQNうざすぎて死にたくなるwwww

  541 名前:パタパタ名無しさん
     DQNはお前をうざいと思ってるよw

  542 名前:パタパタ名無しさん
     Rですら学校に行ってるというのに俺ときたら…

  543 名前:パタパタ名無しさん
     女子の透けブラは公然猥褻。
     なんかものすごく気まずい気分にならね?

  545 名前:◆R.xOLM4if.
     >>623
     やたらと「うぜー」「うぜー」言われるよ。
     だったらかまうなよ、矛盾してるよって感じですよ本当に。
     行かないとおかん泣くし、かなりしんどいよ。

  546 名前:パタパタ名無しさん
     透けブラがなくなったらそれはそれで文句言うくせに
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 ◆R.xOLM4if.の名前を発見し、純子はスクロールする手を止めた。◆R.xOLM4if.の書き込みはここ数日絶えていたので、久しぶりだ。このスレッドのかなり初期の頃から◆R.xOLM4if.は書き込みをしていたらしく、古参の住人としてスレッド内での彼の知名度は高く、良くも悪くも書き込みに対する反響は多い。◆R.xOLM4if.が久しぶりに来たので書き込みの数が多いのだろう。
―――――――――――――――――――――――――――――――
  580 名前:◆R.xOLM4if.
     >>578
     今回は指やられたから、しばらくタイピングできなかったんです。
     リストカッターに仕立て上げられるのに比べればマシだけど、
     指のが痛覚って敏感なんだなあ。やーもう鬱だわ。

  581 名前:パタパタ名無しさん
     俺なんか全身の皮はがされたぜ
     もうヒリヒリしてヒリヒリして

  582 名前:パタパタ名無しさん
     >>581
     あるあ・・・ねーよww

  583 名前:パタパタ名無しさん
     いいかげんRは警察行けばいいんでね

  584 名前:パタパタ名無しさん
     >>580
     一回相手ぶちのめせよ
     雑魚ってるからなめられるんだよ
     キレたふりしてヤバイ奴だって思わせろ

  585 名前:パタパタ名無しさん
     数学サッパリわかんね^^;

  586 名前:パタパタ名無しさん
     >581
     面白いつもりか?
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 指をやられた、という一文を純子は何度も読み返した。後の文から察するに、指の表面を切りつけられたという事だろうか。切り落としたという事では流石にないだろう。純子は基本的にキーボードは使わず、もちろん文字を打つなんて事も授業の課題ぐらいでしかやらないのだが、キーが打てなくなるほどの傷の深さはなんとなく想像できた。紙に擦れてできるような傷ではないだろう。純子はカッターを想像する。例えばカッターを指の腹に当てて、思いっきり引く。例えばカッターを指の関節に突き刺す。考えるだけで指が痛くなってきそうで純子は自分の手をすり合わせた。
 他の人の対応を見るに、純子がこのスレッドを見るようになる以前から◆R.xOLM4if.は同じようなことをされていて、そして何度もこのスレッドに報告していたようだ。それがどれほど前からなのか、どれだけ◆R.xOLM4if.は傷つけられているのだろうかと想像して純子は、頬の痒みとはまた違うむず痒さを胸の辺りに感じてページを閉じた。そろそろ弟が風呂から上がってきそうだったせいもあった。
 インターネット上にある情報は誤りが多く、時には意図的に嘘を発信する人もいると授業で習った事がある。◆R.xOLM4if.も嘘つきであればいいなと純子は思う。


 蒸し暑さで純子は目覚めた。雨のため閉めていた窓をそのままにしていたせいだろう。ふくらはぎが軋むように痛かった。昨日、弟と入れ替わりに風呂に入った後、純子は寝入ってしまった。足はそれなりに速い方とはいえ、全く鍛えていない体を酷使したため疲れていたのだろう。いつ頃だったか、母にご飯を食べなさいと体を揺すられながら言われた記憶が薄っすらとあるが、そのまま熟睡してしまったのだった。
 時計を見ればまだ六時にもなっていない。父もまだ起きていないだろう。純子はもう目が冴えてしまっていたので、とりあえずパジャマからシャツと短パンに着替え、居間のパソコンを点けた。父が起きるまでまだ時間があるので、しばらくパタパタちゃんねるを見ることにする。
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  503 Service Unavailable

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 いつものようにお気に入りからパタパタちゃんねるに飛ぶと、画面にはそう表示された。純子の乏しい知識ではそれがなにを意味するのかはさっぱりわからなかった。更新ボタンを押してみても画面は変わらないので、回線かなにかの調子が悪いのだろうと諦め、純子はインターネットはやめてソリティアをすることにした。
 もうとっくに梅雨の時期に入っているはずなのに、空気はじめじめしておらず、むしろ乾燥しすぎなぐらいだった。昨日は雨が降っていたので、そろそろ本格的に梅雨になったかと思ったのだが、今日は午前中から太陽がうっとおしく光っており、水溜りの一つすら残っていなかった。その代わりのように、止めどなく純子の体からは汗が流れた。ひっつめにした髪が動くたびにしっぽのように揺れるのを感じ、そろそろ切ろうかなと考えた。
 体育祭において、全員参加の競技にはクラス対抗リレー、玉投げ、綱引きなどがある。純子はその他に、50メートル走と騎馬戦に出ることになった。本日の体育の時間に決まった。騎馬戦で一緒に組むことになった二人は、白滝と池内といって大人しくて内気なタイプだ。余り者でつくられたチームである。練習では純子と池内が上に白滝を乗せ、他のチームとハチマキを取り合ったのだが、白滝は高いところがこわいのか膝を曲げて馬の二人にしがみつき、攻撃はおろか防御もできずにすぐにハチマキを取られた。その後に、青ざめた顔で泣きながら必死に謝られ、純子も池内も返答に困り黙り込んだ。純子は、勝ち負けなんて気にすることないんだよ、とここで一言気の利いたことを言えるような人種ではなかった。池内もその手のタイプらしい。白滝は許しが得られなかったと思ったのか、そのままさめざめと泣き続け、今や地面に座り込んでいた。二人三脚の練習を終えた坪内が「あいつらただでさえ陰気くさいのに」と大きな声で話しているのが聞こえた。より大きくなった嗚咽と、離れたところから響いてくる複数の笑い声を聞きながら、純子はまた頬を掻いた。

 家に帰るとすぐにパソコンを点けた。最近はほとんど毎日パソコンをしている。大体一日に30分くらいだ。弟に「パソコン中毒とかパソコン依存症とかになるよ」などと言われた時は少し不安にもなったが、何時間もやっているわけではないので多分大丈夫だろう。そんなにやっていると目が痛くなってしまうだろうし。お気に入りからパタパタちゃんねるを開くと、いつもより少々読み込みが遅いような気がしたものの、今朝とは違い、ちゃんと開くことができた。スレッド一覧を開き、ずらりと並ぶ青い文字列の中から目当てのスレッドを探す。と、スレッド一覧がいつもと違っていることに気づいた。
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1: で、いつになったら自殺するの? (19) 2: wwwwwww (21) 3: 【【【リスカ(笑)】】】 (672) 4: ここが2chのパクリサイトですか? (88) 5: 統合失調症 92(148) 6: うんこ (39) 7: ^ω^ (8) 8: メwwンwwwヘwwwwルwwwwwww (1) 9: ぬるぽ (179) 10:VIP大使館 (564) 11: 今北産業(56) 12: なにここきめえwwww(13) 13: たーらーこ♪たーらーこ♪ (10) 14: 記念真紀子 (31) 15: パタパタちゃんねる総合雑談スレ 145 (656) 16: かがみんハァハァ(24) 17: ('・c_・` ) (2) 18: ガッ (146) 19: 管理人の降臨を待ってみるか (3) 20: はよしね(12) 21: ( ^ω^)(ここブサばっかだお…) (3) 22: お前らあんまスレ乱立すんなよ  (1) 23: ||||||||(5) 24: ニュー速からきますた (3) 25: だんごうめえ (38) 26: 至急おっぱいうpしる (1) 27: メンヘル女は萌えないゴミ (24) 28: ( ^ω^) (8) 29: ざわ・・・ざわ・・・(7) 30: なんというカオス (5) 31: じゃあ帰ります (13) 32: 美人メンヘラと恋に落ちたい (1) 33: ワロスwwww(17) 34: で、なんなわけ?(57) 35:ナナーナナナナナーナーナーナーナナナナー (6)
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 意味不明だったり、露骨な中傷を含むタイトルのスレッドは、立てられてもすぐ消されるらしく、見かけた事がなかった。だが、今日はどれだけスクロールしてもそんなスレッドが幾つも幾つもあった。スクロールバーがいつもよりかなり短くなっている。昨日だけで一体どれだけのスレッドが立てられたのか。純子はこういう状況に遭遇するのははじめてだったが、これがいわゆる『荒らされている』という状況だろう。『明日学校』スレッドは紫色で表示されているはずだから見つけやすいと思ったのだが、これだけスレッド数が膨れ上がっていると容易ではない。
 しきりに視線を上下左右に動かしていると、なかなか気疲れする。もしかしたら、新たに立てられたスレッドがあまりにも多すぎて流れてしまったのかもしれない。管理人が荒らしの立てたスレッドを一掃してくれるのを待った方がいいかもしれないと思い始めた時、一つのスレッドに目を惹かれ、考える間もなくクリックした。
―――――――――――――――――――――――――――――――

  【◆R.xOLM4if.自殺予告騒動について 【9】 】

  1 名前:パタパタ名無しさん
    件の書き込み

    640 名前:◆R.xOLM4if.
       なんかもうマジでしんどいし気力ないわ。
       ここくればちょっと立ち直れるかとか思ったけど、無理でした。
       言わなかったけど、金とられるのは本当にきつい。
       小野原達也、長堀蹴人、高草勇二の三人がいつもやってきた。
       明日すぐに学校で首吊って死んでくる。


  2 名前:パタパタ名無しさん
    age進行で

  3 名前:パタパタ名無しさん
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  4 名前:パタパタ名無しさん
    しかし荒らしすごいなー2chとかで祭になってんのかな?

  5 名前:パタパタ名無しさん
    名前伏せなくても大丈夫か?コピペでも捕まるんじゃね?
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6, 5

烏鳥鷏 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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