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7th.Match game3 《かわらないもの》

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 時は……多分1時間くらい前に遡る。

「いらっしゃー、って功ちゃんか。久しぶりだな。元気にしとったか? ちゃんとメシ食っとるか?」
 ここを訪れるたびに、マスターに聞かれる毎度お決まりのセリフだ。その落ち着いた低音の響きは耳に心地良く届いてきて、いつも俺に安心感を与えてくれる。マスターはとても人間味溢れた人で、涙もろくて笑い上戸で曲がったことが大嫌いな優しい人だ。小さい頃から面倒を見てもらっているので付き合いもかなりのもの。俺を実の孫のように可愛がってくれている。
「それが、実はつい最近まで風邪をこじらせてさ。治すの時間かかって大変だったんだ。」
「ほぉ、そりゃあ難儀だったなー。じゃあ今日は何か精のつくものをこさえてやらんといかんなぁ。」
 マスターはたっぷりと蓄えた顎鬚を右手で優しくなぞりながらそう言うと、いつものように柔和な笑みを浮かべた。
「ありがとう。今日は2人なんだけど、いつもの席空いてる?」
「おう、空いとるよ。奥の窓側じゃな。今日は2人っていつも恵ちゃんと一緒……あれま?」
 ここまできて漸くマスターは俺の後ろに立っているヒトが恵姉ではないことに気がついた。
「こ、こんにちは……。」
「あぁ、いらっしゃい……って、功ちゃんこちらのお嬢ちゃんは?」
「ああ、テニス部のマネージャーやってくれてる鵜飼さゆりさん。俺と同級だよ。」
「ほぉ、こりゃまた随分なベッピンさんだなぁー……。」
 マスターは俺が恵姉以外の女の子を連れて来たことがかなりの驚きだったようで、俺とマネージャーを交互にまじまじ見つめては、神妙な面持ちで何度も何かにうんうんと頷いている。
「…………もう座ってもいいかな?」
「ん? ああ、すまんの。びっくりしてワシの時間が止まっていたみたいじゃ。で、今日はベッピンさん連れてデートってワケかい。功ちゃんもなかなかやるじゃねえか! あー羨ましいのぉ。」
「でっ、デート!!?? ちげーよ、そんなんじゃなくて、たまたま帰りが一緒になっただけで、俺が腹減ったからちょっと寄っただけで……ね、ねぇ?」
「そ、そうです! 私たち別に付き合ってるわけじゃないんですよー!?」
 2人して必死に手を横に振った。だけど、マスターはずっとニヤニヤしたまま。もう完全に勘違いしていらっしゃる。
「よ、よし、じゃあ席行こか。奥の窓側がいつもの場所でさぁー……。」
 最早これ以上否定しても逆効果っぽい空気なので、とりあえず席に着いて落ち着こうと思った俺は、相変わらずニヤニヤのマスターを置いてフロアの奥へと向かった。
 いつものように四人がけのテーブルに座って、自分の横の席にカバンを置く。お客が混んでいる時は席を2つに分けなければならないので、必然的にカバンはイスに立てかけることになるのだが、今日はそれほどお客さんも多くなかったのでこういうちょっと横着な使い方ができた。マネージャーは俺の向かい側の席に座って、うれしそうにメニューを眺めている。
「ええっと、なんにしよっかなー♪」
 あれがいい、これもおいしんだよなー、と忙しなくページをめくっては戻してを繰り返す。きっとその大きな瞳に向かって、どのスイーツも『私を食べて!』と言わんばかりの眩い光沢を放っているのだろう。
「うーん、目移りして決めらんないよー。渡瀬君はもう決めた?」
「俺は多分何を言わずともマスターのおまかせになると思うから。さっきの流れ的に。」
「そっかあ。ごめんね、待たせちゃって。」
「贅沢な悩みも立派な悩みには変わりない、って感じ? んー、そうだ! 決まんないんだったらさ、ここの裏メニューとか食べてみない?」
 メニューとにらめっこしていたマネージャーは、俺の提案にがばっと顔を上げた。
「うらめにゅー!? えっ何?? 何???」
 裏返った声を出した彼女は、いつもより一層瞳を大きくしてキラキラ輝かせている。
「あっはは、まあ落ち着きなって。ココだけの話なんだけど、常連さんにしか出さない究極のレアチーズケーキがあんだよ。もうね、マジにほっぺが落ちるくらい激ウマの逸品!」
「ホント!? うわぁ食べたい!!! 私レアチーズケーキ大好きなの! でも私コロンブスの常連さんじゃないし……。」
「それが大丈夫なんだなぁー! 俺が言えば絶対出してくれるよ。何せその逸品の開発にはこの俺も一役かってるからね!」
「ええっ、渡瀬君が!!??」
 そう! 俺はこのスペシャルケーキの誕生に深く、深ーく関わっている。
 ……味見隊員Bとして。
 このレアチーズケーキが出来たのは俺がまだ小学生の時だった。当時から半ば遊び場のようにお店に入り浸っていた俺たちは、マスターの作った試作品を片っ端2人でやっつけては、エラそうに『塩が足りない!』とか『もっとなめらかに!』なんてエセシェフを演じたりしてよく遊んでいたのだ。
「そうだったんだ。ふふ、なんか思い浮かべるだけで面白いなぁ。」
「ちっちゃかったしね。コックのかぶる大きな帽子あるじゃん? あれ被ってシェフごっこしてたもんなー。包丁持つ時は猫の手! なーんて言ったりしてね。」
「あっははは! あんまりスイーツ関係ないじゃーん。」
 結局俺の提案を快く受け入れたマネージャーは、レアチーズケーキを食べることに決定。案の定、マスターにオーダーすると『まかせときな!』と2つ返事で引き受けてくれた。
 俺たちはその後も近況や昔話や中学校の頃の自分の話なんかをしながら、スイーツの登場を待った。
 中でも印象に残ったのは、いつもしているポニーテールの話からマネージャーの中学での恋バナへと話が発展して、マネージャーが中学校の頃はツインテールだったけれど、当時片思いだったクラスの男の子に『バッタみたいだな』って言われたことに大層ショックを受けて、今のポニーテールになったという珍妙エピソードを聞かされたことだった。
「それさ、きっとその男の子も好きな気持ちの裏返しで言ってたんだと思うよ。だって、気になってる子じゃなきゃそんなこと言おうとも思わないだろ?」
「えぇーそんなの解んないよぉ! ホントにショックだったんだから! 結局何も言えなかったし。」
「そっかー。折角好意を持ってくれてる人が近くにいたのに、その子も何と惜しいことを。バッタみたい、か……。バッタって……プッ……クク……。」
「コラそこ! 想像して笑わない!」
「あっはは!」
 昔を思い出してやや凹み加減な目の前のマネージャーの顔に、触覚みたいに大きなカーブを描いているツインテールさんが飛び跳ねている姿をイメージして重ねたら、もうどうにも吹き出したくなる衝動を抑え切れなかったのだった。

「ごちそうさまでしたーっ。」
「はい。で、感想は?」
「んーっ! もう最高! エクセレント!」
 俺よりも随分時間を掛けてゆっくり味わっていたマネージャーは、俺に向かって両の親指をびしっと立ててご満悦といったところだ。良かった、どうやらナイスジャッジだったみたいだな。ちなみに『エクセレント!』からの一連の動作は真理子先生のモノマネだ。全く似ていないが、妙に似合っている。
「ほい、快気祝いだよ。」
 と、俺たちが食べ終わるのをまるでずっと見ていたかのような絶妙のタイミングでマスターはこっちにやってきて、これまた俺の好物のカフェラテフロートをサービスしてくれた。
「おおっ!! マスターありがとう!」
「どういたしまして。して、お味はいかがでしたかな?」
「「おいしかった!!」」
「ほっほっ、ありがとう。」
 俺たちの反応に、マスターの顔も綻ぶ。店内の落ち着いたBGMを聞きつつカフェラテフロートを飲みながら、俺たちはまったりトークを続けた。
 程良くお腹も満たされて、気分上々↑ しかも目の前には綺麗なマネージャー。
 別に恋愛関係でなくとも、こうして仲の良い異性を目の前にして過ごす時間というのは格別に楽しいものだ。朝メールを貰った時から変に緊張しっぱなしだったが、事情が解ればなんのコトはない。世界は今日も穏やかに滞りなく時を刻んで、いつもと全く変わりなし。
 俺はカップを手に取って、ぷかりと浮いたアイスをストローで何度か底の方までつついて沈めた後、ストローの先を口に含みながら徐に前方に目をやった。その行動自体に何ら特別な意味はなく、本当に何の気なしに取った動き。
 が、視界に飛び込んできたその人にビックリした俺は思わず咥えたストローを離してあっと声を上げてしまった。
 そう、味見隊員Aが現れたのだ。

 で、現在の状況はと言うと。
 
 言うまでもなく、4人掛けの席に空きスペースなど存在しない。したがって、俺のカバンはイスの下という窮屈なポジションにコンバートされている。そしてテーブルを挟んでマネージャーと恵姉、右隣に寺岡先輩という大抵の男ならwktkせざるを得ないハーレム・フォーメーションが出来上がっていた。合流組はスイーツのおいしさとは何ぞや、とマネージャーを交えてワイワイ喋りながらそれぞれオーダーしたケーキに舌鼓を打っている。
 では、何故こうも居づらさを感じるのだろうか? 答えは単純明白だ。慣れて、いない。かような状況に、空気に。
 とっくに空になったカップに残っていた氷が解けて、飲み終わった後時間が経って底の方に溜まったカフェラテフロートと混ざった薄味の液体をさっきから何度も吸い上げながら、俺はボケッと話を聞くでもなく過ごしていた。こんな時にゲンキでもいれば、面白(バカ?)トークを連発して盛り上がること請け合いなんだろうが、俺にそんな状況打開的な場況ホンワカトークスキルはない。完全に聞き手に回って、振られた話に答えるだけ。せめてもの救いはみんな気兼ねなく話せる間柄であるというところだろうか。 
「でもさぁー、まさか2人が一緒にコロンブスでケーキ食べてるなんて思わなかったから、ホント驚いちゃったわよ。さゆりもイヤなら断って良かったのよ、コイツつまんなかったでしょう?」
「オイコラ待て! 聞き捨てならんぞ今のは。で、やっぱつまんなかった?」
「ううん、面白かったよ。それに私が誘ってしまったようなものだったんです。歩いてる途中でお腹が鳴っちゃって……。渡瀬君に聞かれてすっごく恥ずかしかったんですけど、それがなかったらレアチーズケーキも食べれなかったですし。ちょっと得しちゃいました。」
「えっ、レアチーズケーキ食べたの!?」
「はい。何にしようかすっごく悩んで全然決められないでいたら、渡瀬君がすすめてくれたんです。」
「ああ。あの様子じゃまだまだ選ぶのに時間かかりそうだったしな。」
「そ、そう、ふーん食べたんだ……。」
 そう言うなり恵姉は何やらぶつぶつとぼやき始めたようだ。と言うのもフォークを咥えたままで、かつあまりに小さな呟きなので全然聞き取れないからだ。
「そ、そうなんだー。あ、じゃあさ、2人は別にデートしてたわけじゃないんだよね?」
「もーいづみセンパイまでー。違いますよー。マスターさんには信じてもらえませんでしたけどね。」
「そっかあ! 恵、違ったんだって! デートじゃないって。」
 寺岡先輩にまくしたてられて、完全に1人の世界に入っていた恵姉ははっと我に返った。
「そ、そうに決まってるでしょう! 大体功みたいなのが女の子にモテる訳がないでしょ! この泣きむs―――。」 
「コラーっ! 余計なコト言わんでいい! 気にしないで、今のは恵姉の戯言で、事実ではないから知らなくても良いコトだよマネージャーは。」
「えっ!? う、うん……。」
「さゆりにはその内教えてあげるわ、きっと幻滅しちゃうだろうけど。間違いなくイメージ・ダウンするわね、今よりも。」
「今より? ってお願いだから余計なことは言わないでくださいオネエサマ。コノトオリデスカラ。」
「それが物を頼む態度かしら? 変に片言だし。んー??」
「………………クソッ。」
「何? なんか言った??」
「いえ、滅相もございません、サー!!」
「アタシは女よ!!!」
「「あっははははははっ!!!」」
 途中からは完全にいつものノリで漫才みたくなってしまった。大笑いしだした2人を見て、俺と恵姉は目を合わせ、一緒に吹き出したのだった。

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「じゃあ私とさゆりはこっちだから。また明日ね。」
「今日はなんか色々ありがとう。」
「こちらこそ、送ってもらったし。また明日から部活出るんでヨロシク!」
「はーいっ。」
「じゃね!」
「バイバイ!」
 2人と別れて、功と2人で家までの道を歩く。最近は色々と忙しかったから、一緒に帰るのは意外と久しぶりだ。随分長く話し込んでいたので、辺りはすっかり暗くなってしまった。
「それにしてもさっきは驚いたわ。マスターはデートとか言うし、相手がさゆりだし。いつの間に! って感じだったわよ。」
「驚いたのはこっちだって。恵姉1人でコロンブスに行くのこれまで1度だって見たこと無かったし、めちゃめちゃ目ぇ丸くしてたし。」
「そりゃ目もおっきくなるわよ……。それにさ、レアチーズケーキ……。」
「ん? 何?」
「ううん、何でもない。」
 功が裏メニューを誰かに教えるなんて考えもしなかった。さゆりからレアチーズケーキ、と言う言葉を聞いた瞬間、私は何故だか解らないけど無性に寂しいような悲しいような気持ちになったのだった。裏メニューは他にもいくつか種類があるけれど、功も私も1番のお気に入りがこのケーキだった。マスターも2人の為に作ったと言ってくれたので、私は誰にも言わずに内緒にしようと幼いながらに思っていた。
 だから、功もきっと内緒にしてくれると思ってたんだけどな……。
 ほんの些細なことなのに、なかなか納得できずモヤモヤした気持ちのまま家に帰り着いてしまった。
「ただいまー。」
「おかえり、遅かったわねー。さっき塚本のおじさまから電話があったわ。随分長居させてしまって心配掛けましたって。コロンブスに行ってたのね。」
「うん。偶然お店で会ってさ。あ、アタシが今日はメイを散歩に連れてくから、功はお風呂どうぞ。」
「え? あ、ああ構わないけど……。」
 普段は功に任せっきりにしているメイの散歩。でも今日は散歩したい気分だった。メイを連れて走り回れば少しはこの変な気持ちもスッキリするかもしれない。
 功は怪訝な表情を見せていたが、メイにリードを繋いで渡してくれた。
「いってきまーす。」
 家を出てメイと一緒にいつもの散歩コースをばーっとダッシュして駆け抜ける。でも、一度思い返してしまった記憶の扉は容易に閉じてはくれず、思い出とともに切なさにも似た感情があふれた。
 やがて体の方が先に音を上げ、いつしかメイにリードを引っ張られる普段どおりのペースに戻った私は、後ろから走ってくる足音に気がついた。足音はどんどんこっちに向かってきている。
「嘘、襲われたらどうしよう……。」
 メイじゃダメだろうし、いざとなったらスコップで……。そんなことを考えていると、私を呼ぶ声がしてきた。
「恵姉ーっ!」
「えっ!?」
 功の声だ。
「ハァハァ、やっと追いついたー。やるじゃん女子テニス部レギュラー!」
「どうしたの!? お風呂入ったんじゃなかったの?」
 訳がわからず尋ねると、肩で息をしながら、
「いや、その……く、暗いし危ないかなって。それに、フン! フンをとってあげようかな、と。」
 と、こっちを見ずにメイを撫でながら功は答えた。
 私は功の様子から、言葉にしない功の気持ちが伝わった気がした。努めて平静を装っていたけど、きっと功は帰りの私の様子がおかしかったことに気づいていたのだろう。
 不器用でぶっきらぼうな優しさ。だけど、それがとてもあったかくてすごく嬉しかった。
「じゃあ、お願いしようかな。よし、この深紅のスコップを進呈しよう。」
「これはありがたき幸せ。移植ゴテキター!!!」
 2人で笑いあう。空を見上げると、いつもと同じように丸くて綺麗な月が私たちを照らしていた。
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