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3.恋心/隠し事

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「2人暮らし?」
「うん、姉さんと」
 ――どういうわけか、僕は倉木と一緒に夕飯の買い物に来ている。
 しかも、どういうわけか、とうとう高校のクラスメイトに姉の話をしてしまっていた。彼女がしつこく僕のことに聞いてくるのに耐えかねてしまったのだ。
「なんて名前?」
「ゆう」
 特売品のレタスを品定めしながら、僕は簡単に言った。すると、彼女の動きがピタリと止まった。
「……ゆう? 私と同じじゃない。どんな漢字書くの?」
「お前と一緒。ひらがなのゆう」
「ひらがなで……ゆう?」
 虫食いもないし、これにしよう、と買い物かごにレタスを放り込む。
「そんなに驚くほど特別なことかな? 世の中には同姓同名の人たちだって何組といるんだし」
「どんな人?」
 彼女は明らかに姉に興味を持っているようだった。どんな人、と言われてもな……。それに、姉のことはあんまり話したくはない。
「どんな人でもいいだろ」
「えー、気になるよー」
 この後も執拗な問いかけを受け流しつつ、僕は買い物を済ませた。
「じゃあ、レジ行ってくるから」
「そこで待ってる」
 彼女はレジの向こう側にある、買った商品を袋に詰めるスペースを指差して言った。
「ん、わかった」
 レジ係のおばさんにかごごと食料の山を差し出して、次々にバーコードが読み取られていく。その様子を見ながら、僕は物思いに耽っていた。
 なんで、彼女は僕にかまうんだろうか。どうして、姉のことを彼女に話してしまったんだろうか。彼女が僕に好意を寄せているかどうかは別として、僕のことを嫌いだとか、どうでもいいとか思っているはずはない。そんな相手と一緒に帰ったり、ましてや買い物なんてしないよな……。
 ――レジ係のおばさんの声が、僕を現実へと引き戻した。
「税込みで3024円になります」

 買い物が終わった後は、2人で他愛のない会話をしながら僕の家へと向かった。どうやら彼女は姉のことについてこれ以上言及するのはやめてくれたようで、正直ホッとしていた。
「うち、ここだから」
 我が家の前まで着くと、僕はみすぼらしいアパートを指差してそう言った。
「へえ、ここなんだ」
 そんなに見ないでくれよ――錆びついたボロい住まいが恥ずかしかった。
「今日はなんか付き合わせちゃって悪いね」
 僕が誘ったわけじゃないけど、一応言っておくべきセリフだと思った。
 ううん、と彼女は首を横に振った。
「そんなことより、お姉さん紹介してよ」
 ――その話題はまだ終わってなかったのか。
「いや、それはちょっと……」
「えー、いいでしょ? 会ってみたい」
「勘弁してよ。部屋汚いし、いきなり女の子なんか連れてったらびっくりするから」
 言い訳の前半は全くのウソで、後半は真っ正直な言葉だった。
「……わかった。残念だけど、またの機会にお願いね」
「いつかね」
 彼女がなんでそこにこだわるのかは分からなかったけど、僕は曖昧な返事をしておくことにした。
「じゃ、また明日」
「また明日」
 そう言って彼女は僕に背を向けて歩き出した。僕も自転車を停めに行こうとしたが、一度だけ、彼女の歩いて行った方を振り返った。
 ――彼女の背中はどんどん小さくなっていって、夕陽のせいで彼女の茶色がかった髪は余計に明るく見えた。

 それからというもの、何故か僕は倉木と一緒に帰ることが多くなっていた。二人きりというわけじゃなくて、倉木がいつも一緒に帰っている娘もいた。それが余計に悪かった。そんな状況で僕が何を感じているかというと、居心地の悪さ。これ以上にしっくりくる表現はない。
 どうやらその倉木の友達は一年生のバスケ部のマネージャーで、三井と面識があるようだった。彼女は僕が三井の友人だということを知ると、三井の部活での様子なんかを僕に話して聞かせた。どうやらあいつは存分に部活を楽しんでいるようで、そんな楽しい学校生活を少し羨ましく思った。

 ――三井が僕に話しかけてから、僕たちは学校でほとんど一緒に行動するようになっていて、それは僕にとってかなり嬉しいことだった。いつも一人で行動する中学校時代を送っていた僕にとって、常に一緒にいてくれる友達の存在は大きくて、とてもありがたかった。
 事実、僕は学校ではほとんど三井以外の男子と会話することはなく、事務的な連絡か、たまに珍しく向こうの方から話しかけてきてくれたとしても、気恥かしさで無愛想な応対しかできなかった。
 もうこれ以上友達はできないのかな――、そんなことを考えてしまう僕だったが、それでも十分な気がした。友情とか、そういうものって、よくわからないけど……三井とは親友になれそうな気がした。
 ――そもそも、僕は友達がたくさんできるようなタイプじゃない。せっかくできたこの関係を、大事にしていけばいい。交友関係の広さなんて、関係ない。
 そんな結論に達していた僕は、人間関係についてのコンプレックスから、そこそこ離れることができ、学校も楽しかった。授業も、三井や倉木との他愛のない会話も。
 そう思ってしまうと時間の流れも早いもので、気がつけば五月の声を聞くようになっていた。

 ――学校の、美術の時間。別名を私語の時間ともいう。
 とにかくおしゃべりするのに格好の時間とも言えるこの教科は、多くの生徒にとってリフレッシュの時間となっている。
 僕と三井もその例に漏れず、この時間も、水彩画の課題も片手間にして、どうでもいい会話を続けていた。
「なあ、そういえば」
「ん?」
「お前、最近倉木と、うちのマネージャーと一緒に帰ってるみたいだけど、どういう関係?」
 正直、返答に困る質問だ。別にどうという関係でもないから、普通に友達だ、とか言えばいいのかな……。とにかく誤解を招くことだけは避けたい。
「何週間か前に倉木と一緒に帰って、それから、そのマネージャーの人も一緒に」
「一緒に帰って、って、お前、どっちかと付き合ってんのか?」
 あれ、おかしいな。言い方がマズかったようだ。
「違う違う、たまたま方向と時間が一緒だったからだよ」
「ホントか? 怪しいな……」
 何やらわけのわからない色使いで彩色していた筆をわざわざ止め、考え込むフリのポーズを取る三井。
「ホント。詮索しても何もないよ」
 軽くいなすと、僕は気にせず続けていた彩色の作業を終えた。
「おし、できた」
 僕は伸びをすると、残りの時間自由か、暇だな、なんて考えていた。
「なんだ、ホントに何もなさそうだな。安心したぜ」
「安心?」
 なんでこいつが安心するんだ。
 僕が怪訝な顔で聞き返すと、三井は明らかに動揺したようで、いかにも『やっちまった』という顔つきだった。
「お、お前、絵うまいな。砂漠の絵」
 大してうまくもない僕の水彩画を指して、必死に誤魔化そうとしている三井。隠しきれない動揺が見て取れる。……明らかに怪しいよ、お前。
 ――それに、僕が描いたのは砂漠じゃなくて、草原の夕焼けだよ、三井。

 家に帰ると、そこにはまだ姉の姿はない。
 ベッドに体を預けて、今日の三井との会話を思い返す。そして、三井の反応の意味するところを推理していく――。
 推理するというにはあまりにあっけなさすぎる。こんなに簡単な問題はないぞ。
 ――間違いない。三井は倉木に惚れている。僕はそう確信した。
 確かに彼女はルックスもいいし、明るくて誰とでも馴染める性格の持ち主だ。三井も社交性があるし、友人も多い。運動神経は抜群だし、それに、外見だって悪くない。
 そんな2人だから、僕は彼らが付き合うところを容易に想像できた。
(お似合いじゃないか)
 当人たちがどうかは知らないが、そんな想像を働かせていたら、なぜか僕が無性に楽しくなってきた。顔がニヤける。
 他人のこういうところを、客観的な目線から観察するのは楽しいもんだな。
 そんな僕の中で、突然、もう一人の僕が、「他人のことよりも自分のことを心配しろ」とツッコミを入れた。
 ――自分の心配?
 そんなこと言ったって、僕と話をするような女子なんか、2人しかいない。倉木と、あとは――その友達のバスケ部マネージャー、ユリ。
 僕はハッとした。僕は彼女の苗字を知らない。ただ、倉木がそう呼んでいるのを聞いて、下の名前を知っているだけだ。一緒に下校するときも、名前を呼ばなきゃいけないような会話はなかったから、特別不便に感じることはなくて、そのままだった。
 話してみた感じ、彼女は倉木と同じくらいかそれ以上に人当たりがよくて、彼女の話は聞いてて飽きない。頭も良さそうな発言が会話のところどころに現れたりもして、なかなか話しやすい娘だった。髪は短くて、目は大きい。いかにも活発な感じを受ける少女だった。
(――ユリ、か)
 僕は、気づいた。
 僕自身が、恋心とまではいかなくても、彼女と親しくなりたいと望んでいることに。
(こんな気持ちは、久しぶりだな……)

 そのまましばらくボーッと天井のシミをにらみつけていると、玄関のドアが静かに開いて、外の空気と遠くを走る車の音と共に、姉が部屋へと入ってきた。
「……ただいま」
「おかえり」
 ――さっきまでの僕の感情は、姉に話すことなく、そっと心の隅の方にしまっておいた。
 久々にできた、僕の姉への隠し事だった。
4

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