『明日、覚えてる?麻由(まゆ)ちゃんの、12歳の誕生日』
電子音が鳴り、留守番電話から杏(きょう)の声が発せられる。
妻が死に、俺は以前の職の相棒だった彼女に、物心もついていない年だった娘を託した。
杏の家にはよく顔を出しには行くが、娘は俺が父親だということは知らない。
『麻由ちゃんには教えてないけど、あんたは麻由ちゃんのパパなんだから』
根元まで火が回った煙草を灰皿でもみ消す。
俺は、愛用の煙草のソフトパックを黒色のトレンチコートのポケットに押し込んだ。
『麻由ちゃん、動物園に行きたいんだって。あんたが居なきゃ意味無いから、ちゃんと連絡してよ?』
壁に掛けられているデザートイーグルの、使い込まれた黒鉄のフレームは鈍い光を返す。
それをホルスターにおさめ、俺しかいない部屋で一人呟いた。
「麻由、杏……すまない」
サングラスのフレームを人差し指で押し上げる。俺は、部屋の玄関をゆっくりと開けた。
思わず耳をふさいでしまいそうな爆発音が、ビル群に囲まれた路地裏に響き渡る。
立ち並ぶコンクリートの壁面は巨樹の幹を思わせる。まさにコンクリートジャングルだ。
「敵は一人だ!各員、能力の限りを尽くして潰せッ!!」
目だしのニットキャップを被った黒ずくめの男達の海の間を縫い、駆ける。
右手の愛銃が鉛弾を吐き出し、一人また一人と男達を貫いていく。
男達が、構えた掌からバレーボール大の火弾を放つ。
無数の火の球が襲い掛かり、俺の肉を焼いた。苦痛に声を張り上げ、俺は地に崩れ落ちる。
「てこずらせやがって……」
男達が、倒れている俺を取り囲み、手にした刀を一斉に振り被る。
刹那、彼らの視界がまばゆい白光に覆われた。
「……ッッ!?閃光弾か……!しまっ……うがぁぁっ!!!」
その場を包んでいた光が晴れる。男達は皆、硬弾に胸を貫かれ地に伏していた。
「流石は、警視庁の狂犬・加山(かやま)。いや、今は紫雲(しうん)だったかな……?」
乾いた拍手の音が、その場に鳴り響く。俺は音の方向に向き直す。
そこには一人の細身の男がいた。俺はかつての同僚のニックネームを口にしていた。
「久しぶりだな、J……。いや、切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパ―)」
「懐かしいな、加山よ……。食らいついたら離さない、狂犬と呼ばれたお前が今は賞金稼ぎ(ハンター)とはな。猟犬よ、私の首にかかった金が目当てか?ヒャーハハハッ!」
ジャックが、怪しく口の端をいびつに歪ませ笑う。
その瞳は狂気に満ち、異形の獣を思わせるほど獰猛な光を放つ。
俺は長年探し求めていた奴を、憎しみのこもった瞳で睨んだ。
「J、お前が妻を殺したあの時から、お前に復讐するこの日だけを俺は生き甲斐にしていた」
「ふん、あの女か。良い声で泣いてくれたよ……。私が四肢をひとつひとつ引き裂く度にな」
「お前は人間を辞め、ただの殺人狂に成り下がった。俺はお前を殺し、妻の無念を晴らす!」
「できるのかァッ!?ただの人間のお前にィィッ!!」
ジャックが吼え、手にしていた無骨な大型ナイフで虚空を薙いだ。
生み出された真空波が、俺の胸を切り裂く。これが奴の『切り裂き』の能力だ。
深く開いた切創から、鮮血が舞った。脳を走る激痛の信号に、俺は歯を食い縛る。
俺は、デザートイーグルのグリップを強く握り、銃口を敵に向けた。
「娘が明日の動物園を楽しみにしている。ジャック……悪いが、早めに終わらさせてもらう」
「ふん、ならば娘との一時は諦めるんだな。何故なら……紫雲、お前はここで死ぬ」
昔の呼び名を互いに辞め、現在の名で呼び合う。
かつて仲間だったことの決別の証明だった。ジャックが鼻を鳴らし、口元を恍惚に歪ませる。
奴の持つ大型ナイフ(ジャックナイフ)が、妖艶に光を放つ。
「俺は死なないさ……。さあ――」
掌の中の相棒を、俺は一層強く握る。俺は宿敵に対峙するため、地を強く蹴った。
「祭り(カーニバル)の始まりだ」