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「葵 古都の帰郷」

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一人が私を追っています。何度も振り返っているのにその一人が誰かなのかが分かりません。振り返るたびにその人が変わっています。私にとって知らない人ばかりです。でも会ったこともないのにその人たちがどういう人なのかが分かります。

私は逃げています。でももうだめです。追っている人たちの気配は背後に迫っていて、私を掴もうとする指先は私の肩を幾度か掠めています。

「こっちに来て欲しい」

そう耳元でささやいていました。振り返ると最後に見えたのは梟でした。ただ普通の梟よりも何倍も大きく、そして何倍も広い面積を持つ翼で私を覆います。その刹那、笑いもしない梟が笑ったようでした。

突如として私は眼が覚めました。痺れる体には倦怠感が詰まっていて指一本動かすだけでとても苦しいです。

だけど時間がたつにつれて疲れは体の外に染み出ていき、後に残ったのは恐ろしいほどに意識がはっきりした私でした。時間はまだ午前三時です。このような時間に目覚めるのは私にとってたいしたことではありません。

ただ体が汗でしっとりと濡れているのは意外でした。まだ動かしづらい体に鞭打って私はベットから這い出ると近くにある共用の水場へと進んでいきます。

水場のガラスの前に立つと、その身をきつく縛っていた上着と下着を脱ぎ去り半裸になります。誰かが見ているという不安はありましたがそんなことよりも体にまとわり付く不快感をどうにかするほうが優先でした。水場の鏡には私の体が青白く発光して映っています。

ただ私の肩に刻まれる傷はぎらぎらと燃えているようでした。右肩に二つ、左肩に二つで合計四つの傷は全て同じ形をしていて、鎖骨に沿うようになっています。それをつけられた日のことはまだ覚えています。

コンビニであの人たちに捕まえられたとき。私に有無を言わせないまま路地裏の細道まで連れ込んだ後に私を掴み壁に押し付けました。室外機に座らされる形になったことは幸いでしたがそのときにこの傷ができたんだと思います。

私はこういう結果になることを予想していなかったわけではなかったです。

ただコンビニを出たときから私がどう抵抗しようがこうなることには変わりないと諦めていました。さらにいうと、もうどうでもよかったようでした。記憶がないことの揺らぎに耐え切れず私は半ば自暴自棄になっていたのでしょう。

だからこのときに志工先輩が現れた上に、不良たちをいともたやすく蹴散らしたことには驚きました。

濡らしたタオルで上半身を拭くと少しだけ体が軽くなった気がします。私は上着だけを羽織るととぼとぼとした足取りで自分の部屋に戻りました。自分の部屋は廊下よりも熱気が溜まっています。窓を開ければ幾分か風通しがよくなるのですが窓を開くことはしたくありません。

眠気はどこにも残っていません。私は朝までこの部屋でじっとしていることに決めました。コンビニに行くという選択肢もありましたがなんとなく志工先輩のことを思い出して、行く気は失せました。

だけど志工先輩の言葉が蘇ってきます。たまには自分を大切にしろという他人事のような彼の言葉でしたがそれでも私の中で響いたようでした。でも私を大切にしてくれるおばあちゃんはもういないのです。

志工先輩だって挨拶代わりに言っただけで心から私を心配してくれたわけではなさそうです。そうだと分かっています。

暗闇の自分の部屋の中では何も聞こえません。実家にいた頃はよくこんな暗闇の部屋で畳に寝そべっていました。今になくて昔にあるものは安心感なのかもしれません。私の近くには必ず誰かがいる。そういう気持ちが暗い部屋の中で明るい光になっていた気がします。

私のそういう感情は全ておばあちゃんがくれたものでした。

たまには自分の家に帰ってみようか。あそこには嫌な思い出しかないですがおばあちゃんをないがしろにすることはいけないことでしょう。ただ一人で行くことはできない。私にはまだそれをする度胸が足りませんでした。

いつのまにか私は机の上にある。携帯電話を見ていました。震える手で携帯電話をゆっくりと開きます。目が痛いほどに明るいディスプレイに見つめられて決意がゆらぎました。

こんな時間に連絡するのは非常識なのですが、私は少しだけわがままを言ってみたい気分でもありました。新規メールを作ると文面を考えます。時間はまだ一杯あるのでゆっくりでいいでしょう。

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駅の改札口で待っていると待ち合わせの時刻よりも十分ほど前に志工先輩がその姿を現しました。私が驚いたことは二つあります。志工先輩が私のメールを読んでくれて、私の誘いに乗ってくれたこと。

そして志工先輩がまた女装をしていたことでした。

学校の制服を着て、脚は黒いタイツで包まれています。サイズがぴったりなのが逆に気味悪いですが私はこの姿を見るのが二度目なのでそれほど違和感は感じませんでした。

ただ一つ違ったのは若干細めの眼鏡をかけていることと、車輪つきの鞄を引いていることでした。カラカラという音を鳴らしながら志工先輩は私のところへまっすぐ歩いてくると何も言わずに私の前で立ち止まります。

私を上目遣いで見ながら、私が動揺していたことを見通していたかのように鼻で笑います。私は志工先輩が来てふと周りが気になりだしました。女装をしている先輩のことを誰も訝しげに思わないのでしょうか。

背後で歩いている人たちはゆるやかな加速度で加速しているようでした。困惑している私の前で歩きであるかも分からないほどの速度で人々は動いています。

やがて徐々に色を失いやがてモノクロの映像となっていました。ところどころにノイズが走るように私の目には他人が掠れて見えています。その中でも志工先輩だけはちゃんとした彩りでした。

まるで周囲の人間が異質なものであるかのように。でももしかしたら異質であるのは私と志工先輩の方であるとしたら。志工先輩が来てまず思ったことがこれでした。

「おはようございます」

私は嫌な考えを振り払うように大きな声で挨拶すると周囲は普通の状況に戻っていました。みんなちゃんと色を取り戻しています。志工先輩はぐいと鞄を自分の足元に引き寄せると眼鏡をかけなおしました。

「おはよう」

志工先輩は女の声を出します。私がそれを聞いたのは二度目でした。何時もの先輩の声ではないその声調は私にはとても気持ち悪いことなのですが今の先輩の格好ではその声が一番似合っているものでした。

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私の家は学校の最寄駅から地下鉄で二つほど進んだ駅から歩いて十分ほどのところにあります。実際あのようなことがなければ私は実家から通学するはずでした。もう長い間座ったことのなかった地下鉄の椅子に座ると懐かしさがこみ上げてくると同時にどこか自分が俗世と離れた生活をしていることに気づいてしまいます。

私の隣では志工先輩が黙って座っています。地下鉄はトンネルの中を進むので前のガラスに私と先輩が映っているのですが、先輩は俯いているのでどういう顔つきをしているのか伺いかねます。

時折動かしている先輩の足首のおかげで私は先輩が寝ていないことを知ることができました。先輩の顔さえ見なければ女性二人が並んで座っているように見える。それに気づいたから私はなんとなく話を振ってみました。

この地下鉄に乗っている時間は少ないはずです。実際あと五分もしないうちに目的の駅に付くことができるでしょう。だからこのまま黙っているだけでもよかったのですが私は先輩にこのことを聞いてみたかったのです。

これから同じ時間の過ごすのなら少しぐらい相手のことを知ってもよかったのではないでしょうか。

「休みの日はいつもそんな格好しているのですか?」

「常時という訳ではない。ただ外出するときにはなるべくこの服を選んでいる」

風鈴のような声色をしている志工先輩の声は高く、そして遠くまで行き渡るような透明感を持っていました。女の人しか出せないはずの声の高さを男の人が出している。顔では無関心を装いながらも内心胸が高鳴っていました。

先輩の感性を疑うよりもその技量に感嘆するばかりです。

「そうですか。でもすごいですね。どうやって声を変えるのです」

「好奇心と訓練。あと幾分かの才能」

そういって先輩は高笑いを始めました。自分の発言に酔っているよう見たいです。その高笑いを数秒間続けた後に突然それを止めました。顔全面を使って屈辱を具体化させています。

「私からも一つ聴きたいことがある」

「どうしてあの時に私だと分かった」

「顔見れば志工先輩だと一瞬じゃないですか。目つきとか唇の閉まり具合とか他人とは大きく違いが見えてますよ」

昔に噂で聞いたことありますが、整形手術をしていても変えられないのが目つきだと聞きました。私は路地裏の夜のときのことがフラッシュバックします。誰かが助けに来てくれたとき、大まかな輪郭だけでは誰とも分かりませんでした。声だけでは女性だと思いました。

けど私に手を差し伸べて来たときに私を映し出したその瞳孔が私の記憶に爪を立てます。その特徴ある目つきは私が知り合ってから一日と空いていないある人物の目とそっくりでした。だから私は志工先輩だと確信しました

「なるほどな。だが同じ言を今でもいえるか?」

最後に出した声は男のものでした。志工先輩は不敵に笑いながら私を見つめています。その顔は何かに満足しているようです。眼鏡の向こうで輝く先輩の瞳は大きく開かれています。くりくりとしたそのまなざしは穢れを知らない無垢な少女のそれでした。先輩がそのような顔つきをしているのは初めてです。

だから私は言葉に詰まりました。男のときの先輩と女のときの先輩は顔で分かると思っていたのに目の前の先輩はそれを克服しているかのような別人のような表情をしているからです。私は先輩が一枚上手にいることと、先輩が操れるのは声だけではないことを思い知りました。

私が負けを認めた後、目的の駅に到着したことを平坦な駅員の声が教えてくれました。長すぎたような短すぎたような鉄道でした。
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なつかしい。足裏から伝わる地面の感触も、つんと鼻を突くにおいも、私とは関係ないことで騒いでいる商店街の喧騒も何もかもがなつかしい。実家の最寄り駅に着いたときにまず感じたのがそれでした。

気が付くと目頭が熱くなっています。知らないうちに帰ってこれた喜びが押し寄せてきて私を軽々と飲み込もうとしていました。大きなうねりを持つその波は私の中で渦巻いてその勢いが衰えることはありません。

少しでも私が気を抜いたらそれに流されてしまうでしょう。ただそれは抵抗するべきことなのでしょうか。久しぶりに思い出が詰まった自分のふるさとに戻ってきたのだからたまには素直になればいいのかもしれません。

けど私の後ろには志工先輩がめがねを光らせています。別に私を監視しているわけではないことは分かっています。ところが私にとって志工先輩はまだ他人です。他人の彼に私の素顔を見せるわけには行かない。だから私はこのなつかしさに耐えなければいけません。

振り返り先輩の様子を伺うと、先輩はお気に入りのカートを無造作に引っ張り、セーラー服のスカートを不規則になびかせて、恐ろしいくらいの規則的な足音を奏でながら私の後ろを歩いていました。何も言うそぶりを見せていません。

一つ奇妙に感じるのが先輩の服装に商店街を歩く人々が気にも止めていないことです。まるで先輩が女であることを信じきっているということの動かぬ証拠にでもなりそうでした。志工先輩は私の疑問を感じ取ったのか眼鏡をずりあげると、その鏡面を光らせています。

私はもう先輩の事を考えるのはやめてこれからの事を考えることにしました。これから向かう実家のことについてですが、おばあちゃんのお仏壇に手を合わせることの他に何もやることがありません。

適当に私の着替えを見繕って後はだらだらと実家で一日をつぶすのが私の予定です。正直日帰りでもよかったのですけどおばあちゃんが寂しがることを想定して少し長居することにしました。

そうすると志工先輩も必然的に泊まることになるのでしょうか。私はそれを聞いてみることにしますが多分それは無駄なことでしょう。先輩は多分私と一緒に実家でこの一日を過ごすに違いありません。それが志工先輩だからです。

少し自分の行動に矛盾している。ふとこめかみ辺りがうずきました。私は自分の中に他人が入り込むことをかなり嫌っています。それこそ自分が意識している以上に。それならなぜ私の家に他人を誘うのでしょうか。

答えは簡単に出ました。やはりそれが志工先輩だからです。先輩なら、私のことに必要以上に干渉することはなく、服と服が触れ合うぐらいの度合いで私の傍にいてくれると考えていました。

つまり素の私にはそれほど興味を示さないのだけれども私のことを結構大切にしてくれる。そのような先輩だから私は共に実家に帰る決心が付いたのかもしれないですね。本当に私一人では何もできなかったけど先輩が知らないうちに私の背中を押してくれる。

私は先輩と出会って初めてこの幸福をかみ締めました。

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当たり前の話ですが実家は何も変わっていません。見捨てられているような庭も、数枚瓦がはがれている屋根も、立て付けの悪い自分の玄関の扉も全てが私の記憶どおりでした。

室内は埃と熱気がすごく、私はてきぱきと全ての窓を開くために家の中を奔走しました。全ての窓を開け放ったとき、ふと志工先輩がまだ靴をはいたまま玄関の前で立っているのを目にしました。

「あの……上がってもらってもかまいませんよ」

「そう。ではお邪魔します」

志工先輩ははいていた靴を脱ぐ。男だと分かっているにもかからわず先輩の動作が妙に女性らしく、艶かしいものだったのがすごく不思議でした。おまけに声が女性らしかったので私の意識は先輩に絞られていきます。

梟の鳴き声で私は我に返りました。もう少し見ていたらそれこそ志工先輩が男であることを忘れてしまったかもしれません。

「そこの部屋で待っててください。お茶を淹れてきます」

抵抗も私の支持に従属することもしない志工先輩を強引に部屋に押し込むと私はヤカンに水を入れます。火をつけてそして台所を後にします。

おばあちゃんの部屋に続くふすまをそっと開きます。おばあちゃんが愛用していた椅子や、老眼鏡や、洋服ダンスが私の記憶どおりに置かれていました。

そしてこの家で一番新しいものが部屋の隅に鎮座しています。私は黙ってその前まで歩くと正座をしてゆっくりと呼吸を整えます。笑っているおばあちゃんの写真がモノクロなのがどこか残念でした。

「ただいま」

返事は返ってきません。線香の匂いが鼻をくすぐって、そしてその煙は私を茶化すように空中を踊っています。私は掌を合わせていた両手をそっと離しひざの上にのせました。

締め付けられるような痛みが胸を襲い、顔をしかめながら胸周りを手でわしづかみにします。私の胸が押しつぶされて、体に作られる爪の跡がとても生々しかった。そして剥ぎ取られるかと思うくらいに痛かった。

「誰のお仏壇だ?」

背後には先輩が立っていました。なぜか眼鏡を外していて、そしてその声は先輩らしい低くくぐもった声をしていました。私を同情していないような視線は変わっていません。自分が知りたいから私に聞いてきたのでしょう。

やはり志工先輩は私に一線を画した接し方をしている。私はその線の前でおばあちゃんのことを話す決意を固めました。熱を持ったヤカンが悲鳴を上げています。
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空がいつの間にか翳っています。塀の向こうからたまに聞こえる人の会話も、耳を澄ましたところでそれを拾うのは無理でした。

ただ家の周りを囲んでいる梟の気配はひしひしと感じられてきます。ことことと弱火であぶられている鍋が貧乏ゆすりをしているようで、私はそれが壺にはまって一人ニコニコしていました。

奇妙な食卓です。この人と一緒に夕食を共にすることなど誰が予想できたでしょうか。私の前に座っている志工先輩は私が作った料理を前に同じような動きでスプーンを使っています。ちなみに今日の夕食はカレーです。他にもいろいろと作れますがカレーが一番手軽にできるのですよね。

「カレーか……」

志工先輩は鍋の中でぐつぐつと煮えているカレーを見たときにその一言だけをポツリとこぼし黙ったまま椅子に座りました。どこかふてくされているようには見えましたが私が恐る恐るカレーを差し出すとスプーンを握りました。

どうやら嫌いな料理ではないようです。

私は料理ができるほうですけどその文頭にかなりをつけることはできません。よくおばあちゃんに駄目だしされていました。古都が作るカレーはカレーらしい。古都が作る肉じゃがは肉じゃがらしい。私はおばあちゃんの真意を悟ることができなかったので結局料理が上達することはありませんでした。

志工先輩にはお仏壇のことはまだ話していません。夕食と一緒に話すといってあります。現に今夕食のお時間なのですが……。私は一口麦茶を飲んで渇いた喉を潤ませました。

「あの私のおばあちゃんは四月の時に死にました」

志工先輩の顔が上がり、私の言葉をゆっくりと噛み砕いています。そしてお仏壇の話であることを察知してまたカレーを口に含みます。

「私は一人になって、だからあの寮にお世話になることになったのです」

そしてと私がしゃべり続けようとしたときに志工先輩は顔の前で自分の手を振りました。カレーをもぐもぐさせている口と、体型、そして服装のためかちょっとかわいらしく見えてしまいます。

「もういい。元々世間話のつもりだから」

世間話ですか。本当にそのつもりなのでしょうか。どこか私を同情している淡い光が志工先輩の目から感じられてきます。

「それに俺の目的はお前の記憶探しだ。何か覚えていないのか」

カレーを飲み込むと志工先輩はいつになく真剣な目をしてました。私はこくりと頷きます。最も、それならここに来る必要は全然ないのですが、それは志工先輩もうすうす気づいていることでしょう。

「断続的というか。入寮して気が付いたら病院にいました。その間の記憶は思い出そうとしても思い出せません。あるとすれば、襲われかけていたときのことぐらいでしょうか」

「なんだ。大切なことを覚えているじゃないか」

「でも……」

「いいから言ってみろよ」

添えてある福神漬けまで平らげて、志工先輩はスプーンを私に突き出しました。カレーのスパイスの匂いに息が詰まりそうになります。私は自分のスプーンを皿の上で躍らせることしかできませんでした。

先輩は信じてくれるでしょうか。梟に嬲られていたなどどうやって信じさせればいいのでしょう。私の自信がぐらりとゆれ、先輩に対する信用もどこか欠けてしまいます。でもこれが偽りのことだったとしても、先輩は私の記憶探しを手伝ってくれる。

そして私がなくしてしまった真相を見つけてくれるかもしれません。

だから私が話そうとしたとき、窓の外から梟の合唱が始まりました。飛び出しかけた言葉を慌てて飲み込み、それによって少し咳き込みました。志工先輩はまるで私を患者のように見ています。そんなに私の顔が青ざめているのでしょうか。

「無理に話せとは言わない。少し時間を挟んだほうがいいかもしれない」

私がどういう状態だったのか、志工先輩の優しさで分かってしまいました。でも志工先輩に負担をかけたくない。私は胸にのしかかる重圧に歯を食いしばり口を開きます。

「私が襲われたのは梟です。この傷を作ったのも梟が原因です」

志工先輩の目線が微小な角度で変わりました。私を見ているのには変わりありませんが私の顔ではなく、私を腕を見つめている。私は私の腕を絡め取っ手いる包帯を取り去って、その姿を見せたい衝動に駆られました。
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この部屋で寝るのもずっと昔のことのように感じます。体から伝わる布団の感触も、畳の匂いも、中途半端な薄暗さもかれこれ数年は味わっていなかったかのようです。小さいときはここで布団を敷かずに寝転んでいるのが気持ちよかったでした。

ただ大の字で寝ていると梟の記憶が私の頭の中で再生されそうで、それが怖くて私は体を横にして寝ていました。そんな気休め程度の回避をしても梟はすぐ近くにいることは知っているのですが一人ではないことが救いでしょうか。

同じ部屋に志工先輩がいました。さすがにセーラー服ではなく普通の男物の服を着ています。その服は今まで鞄の中に入れていたのでしょうか。

「先輩。まだいるんですか?」

疑問系で尋ねましたが私は先輩が後ろで壁に寄りかかって座っているのは知っています。先輩の息づかいがわづかに聞こえてきて、その音が私の背中をくすぐります。この暗い部屋では何もすることがないはずなので先輩は座っているだけなのでしょう。

それが退屈ではないのでしょうか。それとも志工先輩は坂堂先輩の言いつけでも守っているのでしょうか。寝返りを打って先輩の様子を確かめたかったですけど私は先輩と顔を合わすことに躊躇っていました。

いくら志工先輩とはいえ他人に自分の寝ている様子を見られるのは抵抗があります。

「眠たくなったら別の部屋で寝る」

志工先輩はそういいましたが深い息を何度も繰り返して眠たそうな欠伸が聞こえてきます。私は先輩とたいした会話もできずに先輩がここから出て行ってしまうことを考えたらじんわりと汗がにじんできました。熱気が篭っているのでしょう。そういうばすこし暑いですね。でも……。

「窓開かないのか」

「梟が見ている気がします」

私はそれを言った後にどこかやるせなくなりました。志工先輩の気遣いを無碍にしたことに自分が嫌になりますが、外はまだ見たくない。

志工先輩は短くうなっています。先輩が鼻をすする音が聞こえていました。夕食に私が話したことも重なって志工先輩にはあの鳥のことが頭に浮んでいるのでしょう。

「古都もこの町に住んでいるくらいなら都市伝説の一つや二つ知っているだろう」

おばあちゃんが話してくれたことが眼前をよぎります。私は震える声で答えました。

「この町の守り神のことですか」

志工先輩は黙っています。それは肯定の沈黙なのでしょう。この町の神である梟。でもその梟に啄ばまれた私。運良く命はまだ体の中にありますが、なぜ助かったのでしょう。

もしも梟が天国へと連れて行ってくれるなら、私は天国にいけなかったのでしょうか。私にはそこへ行く資格がないのでしょうか。助かったのではなく、見捨てられたのなら……。

「まぁ俺は別に信じていないけど。だが一般に比べてこの町に梟が多く生息しているのは確かだ。人間の生活している区域と限りなく近い。この状況が続いているのはかなり前からだそうだ。ん?どうした」

志工先輩が何を気にしたのかは私もすぐに分かりました。自分の体に強大な電流が流れた後のことに似ているかもしれません。

浜に打ち上げられた魚のように、私の体はありえないほどに揺れていて、貧乏ゆすりの範疇を超えていました。自分でもそれが常軌を外れていることだとは分かっています。だけどいくら頑張っても止められませんでした。

「分かった。古都の言うことを信用しないわけではなかったが言い方を間違えた。謝るよ」

志工先輩に謝られると逆に寒気がします。私はよりいっそう布団にくるまり、体を簀巻きにするような形にして目をきつく閉じます。志工先輩はまた眠たそうに欠伸をしました。

「俺ももう寝るよ。この家に関してそれほど記憶の手がかりになりそうなものはなさそうだ」

先輩は気だるく立ち上がります。

「またな」

またな……ですか。いつか私の記憶が戻る日が来るのでしょうか。それともこのまま忘れたまま学校生活を謳歌すればいいのでしょうか。どちらに決めることはできず、そしてどちらでもいいような気がして私は志工先輩に返事を返すことができませんでした。

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■おまけ

○夕食時の雑談

「志工先輩はどうして女装しているのですか」

「自分の趣味をやりやすくするため。俺はたまに学校のどこかで占いの真似事をしているんだ。そのときに素性がばれないように女装をしているだけだ」

「ふふ。だからって女装しなくても変装でいいじゃないですか」

「性別を変えるのが一番なんだよ。これでも結構有名なんだぜ。たまに噂になったりしている。まぁその占い師の正体を知っているのが三人いるのだけどな」

「一人はお前だ。もう一人は士友。あと一人はお前の知らない人間」

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