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「志工 香矢の内外」

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ゆっくりと息を吸い込む。目を閉じて肺が膨らむ感触を楽しむ。そっと目を開くと香矢と同じように座って向かい合っている士友が居る。士友の十八番である悪役のようなにやけ面を向けて、ひざの上に自分の足首をのせながら香矢を見ていた。

熱さにもだいぶ慣れてきた。だけど蒸し暑さは変わっていなくて、香矢の前髪の先には小さな水玉ができている。香矢が呼吸をするたびに前髪が揺れてはその水玉は髪の毛から落ちて、香矢の手の甲に落ちてはじける。その流れを何回も見ては喉の渇きだけが進んでいた。

ふと自分が汗をかいているのがただ熱いからだけではないのではないかと頭の中でそんな疑問が揺れた。喉がかわいているのもただ熱いからだけではないのでは。もっと他に理由がある。例えば目の前に居る士友に困惑しているのだとしたら。

士友は依然としてさっきと同じ態度で居る。まるで香矢の思っていることを見透かしているようだった。そして香矢自身が士友に掌握されているようでもあり、香矢は不愉快さと気持ち悪さを一度に感じていた。

士友はなぜここにいるのだろう。士友の態度と照らし合わせて、さまざまな憶測が香矢の中を駆け巡る。しかし最後は聞いてみなければ分からない。香矢はすくりと立ち上がり、士友を見下ろす。

外の木々がざわめいている音はあい変わらず聞こえているのに、香矢の周囲で何かが動いている気配はない。外では動の音で騒がしいのに比べて音質の中は静の音でひっそりとしている。まるで外界から切り離された別世界のようで香矢はどこか落ち着けなかった。

「どうしてここに居るんだ」

外では一際大きい風が吹いたのかざわめきが強さを増している。森の中にいるときはそれほど肌身に感じなかった風なのに今は温室の壁を叩くかのように風の勢いが増している。山肌にあるせいからだろうか。香矢は自分が今まで座っていた椅子の周りをうろつきながら士友の返答を待つ。

士友はまっすぐなまなざしで香矢の顔を見ていた。士友のそのような瞳を見るのも初めてかと勘違いするくらい久しぶりのことだった。ずっともっと昔のときに、士友はそのような目をしていた。

士友はおもむろに立ち上がると椅子の手に手を置いたままくるっと回転する。

「静かな温室だろ」

椅子に手を置いたまま士友は上を見上げる。香矢は邪魔をせず士友の後姿を見ていた。根拠はないが、士友がここにいるのは香矢がいるからではなく士友なりに何か理由があるということを感じていた。

自分でも気づかないうちに士友に対する警戒心を強めている。士友がここに居る理由はただ一つ。香矢にここで何かを告げたいのだろう。

さっき士友がこぼした一つの言葉を最後にまた温室に静寂が訪れる。士友の言葉は水面に小石を落としたように小さな波紋を残してまたもとの水面に戻っていった。その水面がまた波立つことがあることは訪れないようである。

香矢には沈黙の空気が上から降り注いでいるように感じている。士友は感無量な思いに身を任せてただ深い息をはいた。

「これらは全部俺のものだよ」

両手を広げながら体を回転させ香矢のほうを振り向く。自慢げな振る舞いにも香矢は疑問符を返すしかなかった。香矢と士友の間に二人が食い違っているような空気が流れて変な肌寒さを感じる。

周りにあるものがまだ何かは分からない。温室の中は思ったよりも暗くまだ目が慣れなかった。ただ同じようなものが無数に並べられているということは分かる。それらがあるという存在感は感じていた。

ただその気配はなんと言えばいいのか。なんとなく自分の存在を主張しているように香矢の五感に働きかけ、それでいるのに動いている気配はしない。多分この温室で構成されている静の雰囲気を作っているのはそれらだろう。

植物か何かではあると思うのだがこんなに異質な雰囲気を感じさせるものはあるのだろうか。生き物のようで生き物でない。そんな中途半端な様を香矢は感じていた。

右に左に、前に後ろにそれらは居る。この温室の中で空気のように偏在しているそれらの正体を掴もうと香矢はいろいろな方向へ頭を回転させていた。そんなおかしなさまを士友はただ観察していた。

「そうかまだ見えないのか」

ふっと士友の姿が消える。士友はどこに行ったのか。それを確認する前にもう士友の声が響いた。

「なら見せてやるよ」

得意げな士友の声がぱっと香矢の頭上を通過する。その後に士友のあまり上品ではない笑い声がまた頭上を掠める。そして昼夜が逆転したかのように温室に光が満たされた。まぶしさに自分の顔を帽子のつばで隠す。そして香矢はその光の先で今まで自分らの周りにあったものの姿を見た。
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頭上には何列にも並べられた数多の裸電球が力一杯その身体を発光させている。ちりちりと原因の分からない音が裸電球からしていて、それはつるされている電球の悲鳴のようにも聞こえた。

一つ一つでは弱い光しか放つことのできない電球だけど数が多いだけにあたりは昼間のように明るくなっている。だけど香矢はマントの中に全身を隠しながら視線を定めることなくあたりに投げかけ続ける。

現れるか分からないという心配はなくなったがそれでも周りがまだ正体不明ということは変わっていなく、その不安がいまだに消えなかった。香矢の心臓は以前よりも激しく収縮を繰り返す。

土煙で汚れている温室の壁や屋根が鮮明に見える。半透明なビニールの天井の向こうで明るい穴のような月と香矢は目が合った。月が見えているのにもかかわらず香也たちを見下ろすように生えている外の木々が頭上を独占していた。

明かりがついてから香矢はまず先に士友の姿を探した。誰も座っていない椅子が二つありそれを中心として小さな空間が開いている。香矢もそこに立っていた。緑以外の色はそこだけでしか見えない。靴越しでも感じる地面の硬さとその土色は久しぶりに拝めるものだった。

ただ士友はどこにもいない。士友の影も見えなければその気配も香矢には届かなかった。天井は見えるのに壁は見えないから士友の姿も隠されているのだろう。そしてうすうす気づいていたことにはっきり気づいた。

温室の周りにある植物たちを香矢は見たことがない。ここの明かりがともる前に感じていた気配はそれらのものだろう。

そして温室の周りにある緑は森の外の緑とは違う。外が多岐にわたる種類の植物が生息しているのに対してここでは一種類の植物しか見当たらない。それに気づいて香矢はますますここが外とは違う空間だということを感じた。

一つだけではない。それがいくらもある。ここに自生していたのではなく、作為的に集められた苗木であることはまちがいない。苗木は一つ一つが鉢植えに埋められている。それが何よりの証拠だった。

「ここに来ると昔を思い出すよ」

苗木の隙間から士友が顔を出す。そして掻き分けた苗木を乗り越えて香矢のところへと戻ってきた。のろのろとした動作で元の椅子に座る。古臭い椅子がきしむ悲鳴を上げながら士友は香矢を見上げた。

それと同時に士友だけではなく周りの苗木にも見られたような感覚にとらわれた。たくさんの苗木に囲まれているという感覚がある。それらの中でも士友の視線はねっとりとした気持ち悪さとおどろおどろしい奇怪さを兼ね備えていた。

香矢はこのときから士友が何を考えているのかだんだん理解できなくなってきた。何時ものような士友の他人を馬鹿にするような雰囲気をかもし出していない。士友にとりまとう雰囲気を振り払い一見すると無防備に見える。

だけど香矢にしてみればその雰囲気がないからこそ士友と同じように振舞うことができない。それが香矢が士友を読み取れなくなった理由だろう。香矢が狼狽しているのを士友は分かっている。だけどそれには気づかない振りをして士友は機械的にしゃべり続ける。

「ここを見つけたのはただの偶然。それでも俺の知的好奇心がなければ起こらなかった偶然かも知れない。俺のその好奇心のおかげで香とも仲良くなれたし」
「お前……まだ」
「見てみろよ」

親指を立てた片手を動かし、士友はその親指でぐいと自分の背後をさす。後ろには士友の配下のような苗木たちが並んでいる。温室の隙間から入り込んできた風は温室の中でそよ風ぐらいにまで弱まり、香矢のマントの襟を揺らしていた。

士友はまだ香のことを忘れないつもりでいるのだろうか。香矢はぐっと言葉を飲み込む。ただ黙って士友の後ろにある苗木に近づいてみた。

苗木はどれもこれも香矢の目線ぐらいの高さで止まっている。限りなく黒い色をしている土色の植木鉢からすらりと細長い幹が伸びている。黄緑色の幹からは様々な方向に向かって同じ色をしている枝が伸びていた。その枝からも掌のような形をしている葉が生えているがそれだけは濃い緑色をしていた。

それだけではごく普通の植物だ。だけど香矢は警戒心を強めながら一歩一歩前へと進む。近づいて耳をすませてみると何かが聞こえてくる。ぱりぱりと何かが千切れるような音が香矢の耳をくすぐっている。

香矢は一番近かった一つの苗木に向かって顔を近づけてみる。遠めで見たときとなんら印象は変わらない。けど砂糖が焦げたような甘い匂いが香矢の鼻腔を刺激した。疑問に従うままその匂いの元を探す。苗木がそのような匂いを出しているとは思えなかった。

それならその匂いは何が出しているのだろう。ふとその苗木の反対側を見ようとした瞬間に幹の反対側から何かが這い出してきた。芋虫のような、ミミズのような緑色の虫。苗木の幹の色と似ている身体を持ち戯れるように苗木の枝葉を食している。さっきかすかに聞いた音は虫が苗木を食べていた音なのだろう。

虫がのんきに枝葉を食べているその近くで香矢は震える身体を押さえられなかった。何回か見たことのあるあの虫をここで間近に見ることになるとは。

そして一匹だけだと思った瞬間に同じ虫が次々と沸いてくる。思わず香矢は目を背ける。しかしそれはまた別の苗木に目を向けることを意味していた。

香矢が何度か見てきた虫が別の苗木にも、その別の苗木にもびっしりと這い回っていた。香矢は声を上げるのも忘れて後ろに下がる。全身の毛穴がぶわりと開き汗が吹き出る。そしてそれが冷めて一気に寒気が襲ってきた。

凍りつくような寒気で末端に血液が溜まっていく。指が張り詰めるように肌が真っ赤になり、指先がぴりぴりと痛くなってくる。やっと自分の目が見開いているのに気づいているのに閉じることができなかった。唇がふるふると動き、何も話すことができなかった。

「香が居なくなってからもここは変わらない」

全身が震えている香矢の後ろで士友のよく通る声が聞こえてくる。一言一言強調させて話していく士友の言い方は香矢の体の中に確実に沈みこんでいった。そして香矢の体内で何度も震えていく。

動揺を隠せない香矢の後ろで士友の声は平常時のものと対して変わっていない。大人びている士友の低い声が抑揚も付かずにこの温室の中で小さく反響していた。そして士友はふと口ごもる。ただ何を話すかを考えるわけでもない、よく意味の分からない間だった。

「けどお前は変わったな。ただ風の向くままに生きている。無気力で、無感覚のまま話す価値もないくらいに。なあ香矢」

自分の名前を呼んでいる。香矢は振り返る。座っている士友の背中だけが見える。士友は少しだけこちらに顔を見せた。

「けど俺はお前ともう少し話したいことがある。少しだけな」

士友の横顔はどこか寂しげだったけど香矢にその悲しみを理解させる余地を与えないようだった。香矢に対しては地割れのような飛び越えられない拒絶を見せている。
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ぱりぱりという音が耳に残り続ける。その音が自分の体を食べられているような感覚にさせているためか香矢は自分の体をさすりながら士友のところへと歩いていった。明るさにはもうなれているためか今度は温室の外がだんだん見えなくなっている。

温室のビニールの壁にはガラスのように室内の風景が映っている。はっきりとではないが幻影のように映る景色に香矢は温室が二倍にも三倍にも広がっているのかと間違えてしまった。苗木も倍増しているように感じられる。それは気のせいだと何度も言い聞かせる。

士友の目に促されて香矢はもとの椅子に座り直した。さっきと同じ椅子なのになぜか居心地が悪い。それはさっきから感じていた見られていたという気配の元を知ることができたからかもしれない。

それが結果的に香矢に居心地の悪さを与えることになった。香矢とは対称的にゆったりした佇まいを見せている士友は足を組みなおすと前に組んでいた自分の両手をへその下辺りに落ち着かせていく。

香矢は神経質に五本の指をおりまげたり、足裏で地面を叩いたりしていた。おさえようとしてもそれらの動作をおさえきれない。苗木に張り付いているあれらの数え切れない気配が香矢を精神的に追い詰めていた。それでも香矢は帽子を目深にかぶり強がる。

最後の防波堤である意地がなせることだった。士友にとっては香矢のことなどたぶん全部見えていそうだが。

「……ふぅ」

士友が息をつく。帽子に隠れて士友の上半身は見えない。ただその力をぬいて緊張をとかせるような息の吐き方は逆に香矢を緊張させた。そしてそれは香矢だけではなく士友が息を吐いたのを最後に辺りは緊張に包まれた。

触れるだけで切れてしまいそうなぐらいに張り詰めた糸がくもの巣のように張られているようなそんな雰囲気だった。逃げられない。香矢はそう感じた。くもの巣と例えたのはそう感じたからかもしれない。

香矢は顔を落としてこの沈黙にじっと耐えていた。ぴりぴりと空気が引き締まっている中で香矢は耳鳴りを感じていた。

茶色の地面には何の変化もない。小粒ほどの小石が転がっていて、いつつけたかも分からない自分の足跡がうっすらと残っていた。やがて誰に聞かせるわけでもないように士友は口を開き始める。

「一年のときによくこの山を歩き回っていた。ただの気まぐれというわけではない。平坂がこの山を出入りしているのを何度か見ていた。だから俺は平坂を探していた」
「平坂が……なんで」
「さっきこの温室は俺のものだといったが、これは平坂のものでもある。平坂はこの温室で虫を育てていた。だから俺も便乗させてもらった。普通の学園生活ではどこか物足りなかったから」

虫と聞くと香矢はさきほどの光景が思い浮かぶ。士友が見せたかったのは苗木ではなくてそれを食べていた虫なのだろう。

これまで何度か見ているがあの虫は慣れなかった。あの色といい、大きさといい、形といい、表面のぬめり具合といい、どれだけ香矢が寛容になってもその虫を受け入れることはできなかった。

「あの虫たちは無害だ。勿論苗木もただの木だ」
「人体に埋め込まれているというのにか?」
「一応な。ただ無害ではないが効果はある」
「効果……」
「虫の表面に何時も分布している外液。あれを触ると何時もぬめりとしているのだがその外液は暗示作用がある。外液を取り込んでから数時間の間に外から暗示をかける。すると外液を取り入れた人間はその暗示にかかりやすくなる。誰でも簡単に催眠術ができるようになるということだ」

暗示。催眠術。士友の言葉を香矢は頭の中で反芻していく。

「何も考えずに、ただすりこまれた暗示を成し遂げるために行動する。結構効き目のある効果さ。ただ効果が出ている期間というのはごく短い。そこでこの虫の外液を常に入れ続ける。虫はあの苗木が餌だが一ヶ月は食べなくても餓死しないから大丈夫だ」
「常に入れ続ける?」

香矢は士友の言葉をただ聞いているだけで相槌を打ったのもたまたまだった。だけど士友は香矢の相槌にとても満足だったのかにんまりと笑いそして指を一本立てる。

「どこにだと思うか?ここだよ。別にどこでもいいのだけどな」

さっきぴんと立てた指を士友は自分の右肩あたりに持っていく。ただそれだけの動作なのに香矢の喉はやけつくように渇き言葉さえ押し出せなかった。士友は香矢の反応が心底面白いのか笑いをかみ殺す代わりに目をつぶったまま何度も頷く。

しかしその後でふっと自嘲気味にまなざしを暗くする。

「ただ誤算だったのは香にこれの存在を教えてしまったことだ。そしてそのとき俺は香にとってこれを知ることが恩恵だと考えていたのは最大の誤算だ」

そのとき外で奇妙な音がした。それは何かの羽ばたきだと分かるのには少しの時間を要した。屋根に柔らかいものが落ちてきて埃や土がはらはらと舞い落ちる。この場所に新たな気配が入ってきた。

外の木々にも屋根にも梟がとまっている。真円のような一対の瞳が何組も温室の中を覗いていた。温室にともっている裸電球の明るさとは違う。照らすものをすかしつくすような不気味な閃光のようなものを全ての梟の瞳は宿らせていた。

今まで身近すぎる存在としてこの町に生息している生物がこんなに集まっているのを見たことがなかった。思わず立ち上がり梟たちを見つめる。個々は微妙な違いが見られるがどの梟も目を光らせて微小な角度で首を傾けていた。士友も香矢に習い上を見上げている。

香矢の視線に気づいた瞬間に梟たちは互い互いに鳴き始める。重なり合う梟の鳴き声は何時も聞いているよりもどこか深みがあり、そしてそれが梟が普通の生物ではなくどこか高位な存在であるかと思わせるものだった。

香矢はただぼんやりとその鳴き声に耳を傾けて、ただぼんやりと大都井を思い出した。あの時も確かに大都井から虫を取り出したときに梟が集まってきた。まるで大都井の何かを貪るように大都井の身体を啄ばんでいた。

いや、もしかして梟は大都井の身体を啄ばんでいたわけではなく、もっと別の何かが標的だったのではないだろうか。この場所には香矢と士友しかしない。だけど人間ではない生物が他にも居る。

「うすうす気づいているだろう。大都井の身体に入っていた理由。そして葵くんが梟に襲われた理由。全て同じものに帰結する」
「あれが古都にも入っているのか?それに思織に入っていたのもお前の仕業なのか」
「知らなかったのか?入れたのは俺だ。思織に関しては知らん。平坂にでも聞け」

明日の天気を問われたときのように士友は抵抗なく即答した。香矢は真正面から切り捨てられたかのような非情さと滑稽さを味わった。

古都にもあの虫が入っている。それだけで香矢の目の前は真っ暗になりそうだった。裸電球の光も、月明かりも香矢の目の前を照らしてくれない。何で話してくれなかったのだろう。古都のはにかんだ、明らかに失敗している微笑を思い出す。やるせなさ、そして無力感が広がって拳に力が入った。

しかしそれよりも前に香矢は気づけなかったのか。長い時間古都の近くに居たのに。成果はなかったがこの虫に関して調べたりしたのに。個々最近で香矢の近くにずっといたのに。さまざまな思いが香矢の中を錯綜するがそれらは全て香矢に対する自嘲に向けられていった。

士友から始まった古都と香矢の出会いが士友によって終わろうとしている。

「お前。初めから古都を利用して、俺を騙していたのか」
「別に利用とか単純な目的ではない。それに騙そうとしたわけではない。俺は元々犯人をもう見つけている。それが他人か俺だったということだけだ」

香矢は顔を上げる。目の前には士友が居る。士友がただ居る。何時ものように笑い、足を組み、すました態度で居る士友が居る。だけどそれだけで香矢を挑発していた。香矢の中にはたくさんの記憶、それと様々な思考がぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。それらが香矢を塗りつぶしていく。

身体が震えて頭を横に振る。香矢は視界が混ざり合うまで頭を振るのをやめなかった。動いていないと自分がどうにかなってしまいそうだった。

帽子が頭から振り落とされる。帽子は緩やかな曲線を宮中に描いて地面の上に落ちていった。士友はその帽子を冷ややかに見つめてからゆっくりと立ち上がった。なれた足取りで苗木に近づくとその葉をそっと指でつまむ。

「ただ目的があるとしたら、香矢。俺は確かめたいことがあるんだ。香が居なくなったのは俺のせいなのか。それとも」

ここで言葉を切って士友はつまんでいた葉をちぎると地面に落とすように葉を払う。払い落ちた葉の上には何匹かの名前も知らない虫が地面に落とされたのも知らないで一心不乱に葉を食べている。

士友はそれらを半ばあざ笑うように、半ば呆れるように鼻で笑うと自分の靴で葉を踏みつぶした。士友の靴の隙間から緑色のような液体がにじみ出ている。それは地面を汚すように少しだけ広がっていった。

「お前のせいなのか」
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