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第二話

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 「とりあえず毛抜きとハサミね。ハサミは先が丸くなってる奴じゃないと駄目だよ。つけまつげ……は、いらないよね。まあとりあえずはこれだけで十分か。安物だけどね」
 鈴木さんは崩れた棚を手際よく戻しながら、半ば独り言のように自働的に言葉を吐く。
「まあ、そこまで本格的にやるわけじゃあないから、僕としては安くてもいいんだけどね」
 僕がそういうと、鈴木さんは手を止めて残念そうな目つきで僕を見た。
「な、何その目は」
「いやあ、残念だなあ、と思って。取り合えずあと一時間くらい待ってよ。そしたら私上がりだからさ」


 鈴木さんの部屋はなんというか、女の子の部屋だった。と言ってもほかに女性の部屋に入ったわけでもないが、最後に彼女の部屋に入った頃(恐らく小学生の頃だ)よりは確実に「女の子の部屋」になっていた。
 鈴木夫人は久しぶりね、といってお茶とクッキーを出してくれた。が、緊張のせいかのどが渇き、お茶は直ぐに飲み干してしまい、クッキーには手が出せなかった。だからむしゃむしゃと鈴木さんが一人で食べた。そんな彼女を見て、まあ他人行儀にされるよりは、と僕の緊張も幾分かはほぐれてしまった。
 座布団を出され、思わず正座して座ってしまう。
「とりあえず無駄毛抜こうか」
 右手にハサミを、左手にピンセットをカチカチと鳴らし、どこか威圧的に鈴木さんが寄ってくる。
「ちょ……ま……、す、鈴木さん! 怖い! 地味に怖い!」
「まあまあ落ち着けって。眉毛整えるだけだから」
「ま、眉毛からっすか?」
「そ。女っぽい眉毛に整えてあげる。こーゆーのは君にやらせるより私がやったほうがいいからね」
 鈴木さんはじっと顔を近づける。髪が僕の耳から肩へさらさらと細かい音を立てて流れ、僕は思わず息を止める。鈴木さんの目は僕の眉間あたりを穴が開くほど見ている。僕は恥ずかしくなって目を閉じた。
「ちょっと痛いよ」
「鈴木さん」
「何?」
「息苦しいから早く抜いて」
「はいはい」
 ぷちぷちちょきちょき。
 ……。
「はいよ、終わったよ」
「っぷは!」
「うーん、次は髭かな」
「ちゃんと剃ってるのに」
「毛根が目立つのよ。青く見える」
 鈴木さんは僕の上唇の上に、白くて細い指を這わせる。僕はまた息を止める。
「もう、いちいち息止めなくていいの」
「ごめん」
「謝らなくていいの。ほら、顎こっち向けな。抜いてあげる」
「自分でできるっての」
「やってあげたいの」
 勘弁してくれ、と僕は思った。首に妙な汗をかいているのが自分でも良くわかる。
「息止めるのやめなよ、ほら、顔が赤くなってる」
 そんなこと言われたらもっと赤くなると思う。
 鈴木さんの吐息が、ふっと僕の顔に掛かった気がした。

 さて、次は腕毛ね、と笑いながら鈴木さんは言ったが、僕の身(と心)が持ちそうにないので、やめてくれ、と言った。
「なんでよー。私が抜いてあげるっていうんだから」
「いやいや、ほら、時間とっちゃうし、もう夕方だからさ。家帰らないと……」
「急に他人行儀にならないでよ。何年来の幼馴染だと思ってるのよ」
「ブランクがある」
「細かいことは気にしないの。ほら、そんなに言うんなら長袖の服きて誤魔化せばいいじゃない」
 いやに楽しげに言う鈴木さん。とにかくこの場で僕に女装させたいらしい。
「あ、いや、鈴木さんのお母さんが下にいるし……」
「配慮して上がってきてやくれないわよ」
「どんな配慮だよ」
「いいからいいから」
 僕を無視して、鈴木さんはクローゼットを開ける。中には綺麗に服が整頓されて入っていた。防虫剤の匂いで、思わず僕はくしゃみをしてしまう。鈴木さんはそんな僕を見てくしゃみをした。
「制服にしよう。長袖のブラウスと、あと黒いオーバーニーで腕と足隠してさ」
 黒だと立体的な形が分かりにくくなるから、脚の男っぽい骨格を隠すのにはちょうどいいらしい。僕がオーバーニーを履くことに躊躇していると、鈴木さんは、私と体格あんまり変わらないからサイズは大丈夫、とだけ言った。僕が躊躇しているのはそんな理由じゃない。
 僕が汗をかいているの事に気付いて、鈴木さんは冷房の温度を下げたが、もちろん汗をかいている理由もそんなところにあるはずが無かった。

 着替え終わると、鈴木さんはやけにハイテンションに僕を見て転げまわった。
「あはははははははwwwwwww似合う似合うwwwwwかわいいよwwwwwww」
「やめてよ……恥ずかしい」
「むしろ見てるこっちが恥ずかしいってのwwwwwwwwwそれくらいかわいいww」
 改めて姿見を見る。髪を結って、スカートを履いている僕を見ると、どうも苦笑いが出てしまう。と言うか、自動的に(少しぎこちなく)口元が緩んでしまう。
「ほらほら、こっちきなww化粧したげるwww」
「うう、心なしか歩き方が内股になる……。てか内股に妙な汗が……」
「うーん、なんというか、様になってるよ」
 そんなこと言われても困る。
 化粧台に座って改めて間近で自分の顔を見る。百歩譲ってもこれじゃあまだ中性だね、女の子には見えない。と鈴木さんは僕の首に息でもかけるかのような距離で言った。
「あんまり厚化粧するの嫌でしょ」
「もち」
「んじゃあ髭の部分ちょっと隠して、……妙にあんた唇乾いてるからリップクリーム塗るか」
 唇どころか口内ものどもカラカラだ。誰がこんなに僕を緊張させてると思ってるんだ。当の本人はそんな僕の思いに気付いてくれるはずも無く、僕の唇にリップクリームを塗る。
「ははは、間接キスだ」
「……恥ずかしい事言わないでくれよ」
「やってあげたいのよ、私で」


「……僕少しおなかすいたんだけど」
「夕飯たべてきなよ。これ終わるころには夕飯の時間になる」
「……ありがとう」
「しばらく会わないうちに君はどうも他人行儀になった」
「……自覚してるよ」
「昔は私たち姉弟みたいだった。お互いに一人っ子だったし、親は親で仲よかったし」
「……だったね。いつも僕を引っ張ってくれてたから、幼稚園に入るまでは年上なのかと思ってた」
「えらく古いこと覚えてるね」
「……それだけ鈴木さんが僕を振り回したってこと」
「だろうね」
「…………こうされてると姉さんが出来たみたいだ」
「私は妹が出来た気分だよ」
「……その言い方はちょっといただけないなあ」
「つべこべいわず、ほら、出来た」
 鏡の中の僕はぎこちなく笑った。確かに、前よりは女の子に見えなくもない。
 そう思うと、女装している気恥ずかしさが少し和らいでいった。
「うまいもんでショ。声ださなきゃ八割がた女の子だ」
「……鈴木さん」
「ん? なにかな」
「……ありがとう」
「どういたしまして、って言いたいけど、さん付けやめて昔みたいに呼んでくれたら言う」
「……恥ずかしいね」
「でしょうね。私も恥ずかしくなると思う」
「……?」
「ばか、なんでもない」


 しばらくすると、鈴木夫人が僕たちに夕飯の支度が出来たと告げた。鈴木さんは急いで僕の化粧を落とし、服を着替えさせた。時間があればもっといろいろ着せて遊びたかったのに、と残念がったが、僕としては内心ほっとした。
 僕らが食卓に付く頃に、鈴木さんの父が帰ってきた。彼は僕を見ると、大きくなったなあ、と言った。確かに、夫人とは道端で偶にあうものの、彼と会うのは久しぶりだった。

 食後、事の成り行きで僕は泊まることになってしまっていた。
 男女二人が同じ部屋で寝るなんてと思ったが、それだけ僕はいろんな意味で信用されているのだろう。実際、昔はこんなこと日常茶飯事だった。
 部屋に戻って、最近の話なんかを取りとめも無く話し合った。二十二時を過ぎたあたりで、鈴木さんはシャワーを浴びて寝巻きに着替えた。僕は寝巻きを取りに一度家に戻り親に外泊する事を告げ、自宅でシャワーを浴びて、明日の支度し、それを持って鈴木家に戻った。
 鈴木さんは洗面台に立って化粧水をつけていた。彼女は僕に気付くと、僕にも勧めた。流石に彼女がつけてくるわけではなかったが、少し期待していたので残念だった。
 「こうして二人で同じ部屋に寝るの、久しぶりだね」
 塗れた髪をタオルで拭きながら、鈴木さんは眠そうにベッドの上で言う。僕は床に敷いた布団だ。昔は一緒のベッドで寝たが、さすがに今は狭すぎるし、その他問題も多々あるだろう。
「明日が休みなら、夜更かししていろいろ話したいのにね。お互い何があったか」
「だね」
「おやすみ」
「おやすみ、また明日」
「……また明日って、泊まるんだからいやでも顔合わすわよ」
「だね、おやすみ」
 また明日、学校終わったら遊びに来るよ、と言いたかったのだが、どうも気恥ずかしくて言えなかった。
 それに、悩み悩んで意を決し言おうとしたが、そのとき彼女はもう寝息を立てていた。
 鈴木さんらしいや、と思い僕も静かに眠りの淵に立つことにした。

「オナニーとかしてないでしょうね」
「……起きてたの」
「寝れないのよ」
「僕だって緊張してする気すら起きないっての」
「オナニーすると体が男性化するからね。オナ禁して中性化しなさい」
「……年頃の女の子がそんな単語いいまくるのもどうかと思う」
「そんな単語ってどんな単語よ」
「う、……いや、……お、オナニーとか」
「あんたが恥ずかしがってどうすんのよ、ばか」

 蚊取り線香の匂いが、時折吹く風に乗って僕の鼻をくすぐる。
 夏真っ盛りだというのに、窓を開けていれば涼しい夜だ。

「君がいなかったら普段は下着で寝てるんだけどね。暑くてさ」
「そんなこというから寝れなくなるんだ」
「どうせ歩君もそうしてるんでしょ」
「まあね。とにかく寝よう。明日は早い」

 静かになった部屋には、寝息に誘われたのか、風鈴の音が幾つか迷い込むだけだった。





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