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WASTE YOUR YOUTH AND BE NEAT NEET

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 哲人は高校生を見ては過去の自分を思い出して恥じた。彼らはその頭脳をあまりにも繊細なる感覚器官によってすっかりと麻痺させられてしまっているために理知的な行動が取れないのであった。彼らは一たび何かをするごとにぼんやりとした快感を感じながら、そしてそれに伴う僅かな嫌悪感を催した。その嫌悪感の正体は彼には掴めないものであったが確かにそのような構造は当時見られたのだ。現実主義者である彼はこのようにして現在の自己を肯定するのであった。

 しかし当時の彼は必ずしもそういった感情に囚われてはいなかったのだ。彼はその皮膚の毛穴を最大まで拡張し、時代の雰囲気を感じていた。そしてその思想をできる限り肯定しようと試みるのだった。彼はそれに対して何の疑う余地もなかった。その点で彼は哲学者ではなく、時代を肯定する愚かな知者だった。人々の多くはその肯定を消極的な姿勢で行うのであったが少年は誰よりも積極的だった。

 資本主義の時代の空気は何時であってもその中に一つの命令文を含んでいた。それは「消費しろ」という文だった。人々は多かれ少なかれこの文章のもとに隷従を強いられるのであった。少年たちはまだあまり抵抗の無いままの状態で、体中の張りのある毛や勃起したペニスをアンテナとしてその信号を受信するのであった。

 その命令の意味する先は何も商品だけではなかった。しかし、資本としての労働への先行投資と言うのであればそれもまた商品と言えるのであった。つまりそれは少年自身であった。彼らはその信号に触れると、まるで取り憑かれたようにその命令を実行するのであった。それは殆ど禁欲主義者と言ってもいいほどに何かの活動に献身的であったり病的に熱中するのであった。

 彼の場合その命令は全く逆の方向へ働いた。それは怠惰として現れ、彼のための多くの生産手段はその行動によって消費されるのであった。つまり彼は資本主義というシステムそのものを消費していた。彼は優秀な消費者としてそのヒエラルキーの頂点に立つのではなく、そのヒエラルキーの外に独立することができた。

 そういった点で現代のニートもまた彼らと同様に偉大なる支配者であった。彼らはシステムによる恩恵を受けながらも、それによる支配はされず、またそのシステムを支配するという行為による支配からも自由であった。有名な台詞である「働いたら負けかな」の「負け」とはこのシステムによる隷属状態を示している。彼らはその成長過程の優れた叡智によって「消費しろ」という文を「依存しろ」とい命令文に置き換えることに成功したのであった。
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