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アイヴ・ガッタ・フィロソフィー・アンド・ナッシング・トゥー・ドゥー

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 2008年8月8日が終わりを告げた頃、ワイヤーで吊るしあげられたおっさんが火を放ち、一方では戦車の砲台が火を放っていた。哲人は彼の砲台で女に火をつけたのだった。

 それは長年土の中に潜っていてついに地上へと這いあがった蝉のようなセックスだった。彼らはその狂乱の鳴き声のように行為によって生命力に満ちていた。そして彼は今、もう一度土へと還る蝉の気持ちでタバコを吸っていた。下世話なテレビ番組ではオリンピックとグルジアの戦争を単純な二元論へと還元し、それがあたかも光と闇であるかのように報じるのであった。彼は無性にそう言った人に対して今現在の自分の世界はどこに存在しているのかと尋ねたくなるのであった。

「なあ、今世界で何が起こってると思う?」彼は女にそう聞いてみた。
「そんなこと、わかるわけないじゃない」女は靴下を履きながらただ淡々とそう答えた。

 それは愚かなる思考停止ではなく、賢明な判断の留保であった。誰もが他人の世界を――たとえそれが僅かな断片であろうとも――理解できることを疑わず、結婚や付き合うという単純な契約によって世界の共有ができることを信じていた。しかしそのホテルの一室にいる二人は微塵もそのような錯覚を起こすことがなかった。

 早朝にも関わらず二人は部屋を出た。そこに居ることでだんだんと錯覚を引き起こしそうになることを恐れたのか、それとも出勤をするために行き交う人を見ては自分も彼らと同じ世界を生きていると錯覚することを恐れたのか。

「俺は朝飯食いにいくけどどうする?」
「じゃあ私は用事があるから」

 彼女はそう言って彼の示した方向には目もくれず、人気のない狭い車道をただまっすぐに歩いて行くのだった。二人の関係は傍から見れば単なるすれ違いのようにしか見えなかっただろう。


 彼はその帰り道になんとなくセカイ系といった話や、ポップソングの「世界の終りに君と出会った」という文が理解できたような気がした。それらははじめ彼にとって単なる想像力の欠如した薄っぺらい文章だった。しかし今、彼はそれをとても現実的で強固な文脈であることを認めざるを得なかったのだ。
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