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アルバイト

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駅の改札を降りると、ロータリーには何にもなかった。

寒々しいほど人気もなく、銀杏の葉が山になって溜まっている。もう秋もすぎてしまった。

ガサガサと無意識に山を蹴散らし、自分のスニーカーを見て、はっと固まり、ちょっと恥ずかしくなって慌てて山から離れた。小学生か、俺は。

学ランのポケットに手を突っ込み、黙々と歩きはじめた。

空は暗雲に包まれ、今にも泣き出しそうだった。


うねうねと続く住宅街と道路を十五分ほど歩いたところに、公園がある。

4丁目公園、とさび付いた看板が見えてきて、それを通り越し、公園を突っ切った反対側に、秋とは思えないほど華やかな家があった。

表札は木製で、山田と書いてある。ポストには何も入っていなかった。

ギイギイと鳴く門を通り、猫の額ほどの庭と駐車場を数歩歩いて、玄関に辿り着いた。

鍵は開いている。

「ただいま!」

開け放ったドアの向こうに、叫ぶほど言った。

ざわっと空気の振動を感じたように思ったけど、すぐにかき消されてしまった。

廊下の奥から走ってきた女性と男性、背の高い少年によって。

「おかえり」
「おかえりなさい」
「…おかえり」

「ただいま、母さん、父さん。アニキ、大学は?またサボりかよ」
「ばか、お前と一緒にすんな。今日は…半ドンだ」
「はあ~?マジかよーずりーなー」

苦笑交じりに兄さんは笑った。マジだよ、ばーかと言われ、早く上がりなさい、と母さんが笑った。

父さんの顔もニコニコとしている。最も、父さんは顔の造りが「ニコニコ」だから変化がないといってもいい。


台所には、何故か切りかけのキャベツの千切りが残されていた。今日はとんかつか?

鞄を肩から下ろしながら、何か菓子みたいなもんはないかな、と思わずきょろきょろとした。腹がすいている。

「お菓子なら居間にあるわよ。でもすぐにご飯作るわね。勇太、何か食べたいものある?」
「えー?別になんでもいーよ。でもハラへったから、超特急で!」
「はいはい。…今日は剣道、良太君に勝てたの?」
「…また負けたよ」

唇を尖らせ、そっぽを向く。思わず父さんが声を出して笑った。

「あらあら」
「良太君は背が高いからなあ」
「俺だってすぐ伸びるよ!もう14だし、成長期だしさ。アニキだって160あるし。だろ!?」

居間の方に座り、テレビを見始めたアニキに向かって声をかけると、フン、と鼻息が聞こえた。

「お前、牛乳嫌いだからもー伸びねーよ」
「飲んでるよ!…学校で」
「学校だけだろ。家でも飲めよ。買ってあんだから」
「……だって不味いじゃん。牛の乳だぜ?牛!」

うえっと舌を出す。また、フンと鼻で笑われた。ちぇ!いいさ、今にアニキを越して見下ろしてやる。

「俺、着替えてくる」

席を立つと、また空気が揺れたように感じた。
父さんのニコニコがちょっとだけ固まり、母さんはふり向いた。

「あ……」

「な、なんだよ。びっくりしたなーもー。何?」
「え?ええ、いいえ、何でもないわごめんなさい。何だか勇太が急に…背が伸びた感じがして」
「えっ!マジ!?わっやべ、ちょっ、測ってこないと!アニキ、メジャーどこだっけ!?」

大急ぎで居間に駆け込み、引き出しをひっくり返した。何故か大量の爪切りを見つけて、次の引き出しを開けた。

「…知るかよ。1mmだろどーせ。1mm」
「んなことないって2cmくらい伸びてるってきっと!いいからメジャー探すの手伝えって!確かこないだ測った時どっかの引き出しにしまったんだよなー」
「そっちじゃなかったか?つか伸びてねぇって絶対。つい先週測っただろーが」
「いーや、きっと伸びてる!」

ガッツポーズと共に、俺はアニキの方を向いた。それを見て、ダメだこいつ、という風にアニキが首を振る。

「はーー…とりあえずお前、着替えてこいって。制服でうろうろすんなよジャマくせー」
「うっせー。まー、じゃ、メジャーヨロシク!」
「誰が探すかばかやろーが」


居間を出てすぐの階段を上がると、部屋が階段を中心に、右に二部屋、左に二部屋ある。

左の方の奥が俺の部屋だ。

扉には鍵が掛けられるようになっていて、鞄のポケットから鍵を取り出して開けた。開けると同時に鞄をベッドの方へ放り投げる。重たすぎる。

部屋にはごちゃごちゃと雑誌やら服やら、CDやらが並んでいる。片付けないといけないが、やる気はしない。

MDコンポのスウィッチを入れると、ラジオから軽快なロックが流れてきた。知らない曲だけど、いい感じだ。

学ランをベッドに放って、箪笥を引いた。中身も結構ぐちゃぐちゃだ。適当な色合いを引っ張り出して、適当に着込んだ。クシャミが出た。ほこりっぽい。

窓を開けると、公園が見えた。公園も銀杏だらけで、まっ黄色だ。もみじだったらまだ良いのにと思う。

空は先刻よりも晴れて、雲が千切れていた。星が一つだけ見える。星座には詳しくないから、よく判らない。

ああ、雨は降らないのか、降れば良かったのになと思った。



「おーい、メシ、できたぞお」

間延びした父さんの声で、我に返った。随分長い間ぼんやりしてたらしい。

「今行くー!」

慌ててコンポのスウィッチを切り、駆け下りる。良い匂いが漂ってきた。おお、旨そうな匂いだ!

「わーすっげーごちそうじゃん!」
「さあ、並べて頂戴。今日は頑張ったのよ、母さん」
「啓太、テレビなんか消して、こっちにきて手伝ってくれ」
「はいはい、今行くって」

かったるそうにアニキが立ち上がり、父さんからサラダを受け取った。

テーブルには和洋折衷のご馳走が並ぶ。炊き込みご飯、味噌汁、ポテトサラダ、鶏肉の香草焼き、山盛りのエビフライとコロッケ、野菜たっぷりのコンソメスープ、

漬物にてんこ盛りのシュウマイ、サイコロステーキ、マグロとサーモンの刺身、などなど。

「こんなに食えないよ、母さん」
「いただきまーす!」

アニキが眉を寄せていう。母さんは笑いながら、そうねぇ、と曖昧に誤魔化した。父さんのいいじゃないか、とニコニコを広げた。

食事は楽しい。どれもコレも、とても美味しかった。

流石に全部食べ切れなかったが、最後のエビフライはアニキから奪って食べれた。コロッケは逃した。

シュウマイは残ってしまい、父さんは明日の弁当に入れてくれ、と母さんに言ってニコニコした。


風呂から上がり、髪の毛からパタパタと水を飛び散らしながら階段を上ろうとしたら、上からじっとアニキがこっちを見ていた。

「な、なんだよ。髪ならこれからちゃんと拭くって」

無言だ。ただ、じっと見ている。

「なんだよ!俺が先に風呂はいってもイイって言ったじゃんか、いーだろ別に」

神経質そうな目が、無言で何か別のものを見ている。

流石に気分が悪くなって、わざとシカトして部屋に戻ろうとした。

「………なのか?」
「え?」

扉を手を触れたまま、振り向く。今度は、泣きそうな顔をしたアニキを見つけた。

「なに…?聞こえなかった」
「いや…いや、何でもない。水、後で拭けよ」
「そんなん、その内乾くだろ。なんだよ、もう」

また何かを言おうとしたアニキをよそに、部屋に入った。知るかよ。

ラジオは流行りのポップミュージックに変わってしまっていた。



朝だ。機械音がしている。目覚まし時計だと気がつくまで、時間が掛かった。まだ全然眠い。

「おはよー」

パジャマのまま下に降りると、既に朝飯を終えた父さんと母さんが居た。

「おはよう」
「おはよう、勇太。顔洗ってきなさい、頭、酷いわよ」
「んー」

鏡の中で、黒いライオンが眉を寄せた。ドライヤーで昨日、乾かせばよかった。密かに後悔したが、どうせ今日は学校は休みだ。

「アニキは?」
「まだ寝てるんじゃないかしら?最近お寝坊なのよね、おにいちゃん」
「ふーん。あ、目玉焼き俺、固焼きね」
「はいはい、わかってますよ」

ニュースはいつも通り不幸を叫んでいる。今一番のニュースは、俳優が殺人を起こしてしまった事件だ。俳優の家の周りに、蟻が沢山群がっている映像が流れていた。

10時を漸くすぎたころ、アニキが起きてきた。徹夜でもしたのか、目が酷くしょぼついている。いい気味だ。

「勇太、どこか遊びに行きたいところとかないか?久々に皆でどこか行こうかと父さん考えてたんだが、いいとこが思いつかなくてなあ」
「皆って、家族で?俺もアニキももうそんな年じゃないっしょ。行きたいとこなんてないよー別に」
「そういわずに、な?っていうか、父さん最近運動不足でなあ、この間の健康診断のとき、運動しなさいって先生に言われちゃったんだよ。父さんに付き合うと思って、な?」
「えーー…じゃーアニキの行きたいとこでいーかなー」
「え?」

突然話題を振られたアニキは、目玉焼きをご飯に載せたまま振り向いた。

アニキの目玉焼きの食べ方に関しては、絶対俺はナンセンスだと思う。熟々卵だし。あれじゃ、黄身が流れて勿体無いじゃないか!



結局、その日は散々父さんにほだされ、母さんに頼まれ、遊園地なんぞに来てしまった。

それもこれも、アニキの所為である。アニキがあの後、新しいテーマパークがどうのこうの、と言い出したのがいけない。

まあ、いいけど。嫌いじゃないし。

「お、ジェットコースターだぞ、勇太!父さんと乗るか?」
「いやだよ、父さん一人で乗れよ」
「おいおい、怖いのか?あんなのすぐだぞ、すぐ。あ、そうだ啓太も乗るか?」
「え?!お、俺はいいよ」

ぎょっとしてアニキは後ずさった。笑顔が引き攣っている。

俺はここぞとばかりにアニキに食いついた。

「はっはーんアニキは嫌いだもんなージェットコースター!ほら、小学生のとき父さんと乗って、大泣きしたじゃん?おかあさあああん!こわいよおお!!」
「うるさい!あんなもん、怖いわけないだろ!」
「へーーほーーん、じゃ、乗ろうぜ」
「い、いや勇太。父さんと乗れよ。俺は母さんと…」
「父さん!アニキも乗るってーっ!三人分かってー!」
「おお、そうか!啓太も乗るか!よーっし!」

父さんは無類のジェットコースター好きだ。よって、俺とアニキは最終的に4回連続でジェットコースタに乗らされた。流石にきついものがある。これは。

まだジェットコースターッしか乗ってないのに、ぐったりしてしまった。アニキの魂はどこかへ飛んでいってしまった。うーん、南無阿弥陀仏。

上機嫌な母さんは、早速弁当を広げている。父さんが一番上機嫌かもしれないけど。

「ほら、おにいちゃん。お茶よ」
「う……」
「啓太は情けないなあ!あれぐらい、男の子だったらなれないと彼女が出来ないぞ?」
「いや…父さん、流石に4回連続で乗るのは…」
「勇太もか!ダメだなぁ、二人とも。勇太も剣道をやるんだったら、もっと鍛えなきゃいかん、鍛えなきゃ」
「お父さんったら、ジェットコースターでは剣道、やらないでしょ」
「ん?いやいや、精神の問題だよ、お母さん」

いやいや、精神の問題じゃないし。その前に俺は鍛え上げてる。

弁当の中身も、昨夜に負けず豪華だった。サンドウィッチは卵とハムのが一番上手かった。

から揚げに、昨日のポテトサラダ、プチトマト、煮物など、詰めれるだけ詰めたようだ。うーん、また残りそうだ。


昼をすぎて、俺たちは子供のようにはしゃぎまわって遊んだ。

いい年して、母さんはメリーゴーランドに乗り、アニキはゴーカートで俺を負かして得意げに笑った。父さんはコーヒーカップで酔って、ぐったりしていた。

俺は上下に揺れて廻り続ける飛行機のようなものに乗り、アニキと一緒に遊覧船に乗った。鏡の館に入り、あれやこれやと走り回った。

家族全員で乗った観覧車は狭く、それ故に寒さが紛らわせた。空は一面晴れ渡り、俺たちを祝福しているように輝ている。




夕焼けは柔らかく、もうすぐ冬の訪れを思い出させた。

遊園地のゲートを抜けると、途端に皆無口になった。寒い北風が勢い良く俺たちの間をかけていった。

ゲートには、大きな真っ黒いトラックのようなものが止まっていた。煙草を吸っているすらりとした黒スーツの青年が一人、ぽつんと車に寄りかかっている。

それを見て、母さんが取り乱した。

「勇太!行っちゃダメ勇太!」
「母さん、落ち着くんだ。母さん、母さん」

父さんは母さんの肩を抱いて、背中を擦った。横目でそれを見ながら、俺は足を進めた。前を歩いていたアニキが、突然背を返して俺の肩を掴んだ。

無言で俺を睨みつけるアニキの顔を、俺は無表情で見つめ返した。

「………っどうして!何でだ!なんでお前は…っ!」
「…痛いよ、アニキ」
「!!」

アニキは泣きそうな顔をしていた。大声で泣きそうな顔をして、俺を見つめた。

俺はそっとその手を自分の肩から下ろし、横をすり抜けた。後ろで学ッと膝をつく音と気配を感じたけれど、俺は立ち止まらなかった。

スーツの青年は俺が近くに来ると、煙草をもみ消してそのまま俺の代わりに家族の方へ歩いていった。

俺は留まらないで、そのまま車の助手席に乗り込んだ。窓の向こうでは、母さんの泣き声と父さんの怒った顔が何かを叫んでいた。ちゃんと怒った顔もできるんだ、と思った。

やがて家族は全員黙り込み、スーツの青年が差し出した紙にサインをした。

満足げに青年は頷き、父さんの肩を叩いて何かを言い、こちらへ歩いてきて、運転席に乗り込んだ。






「今回は随分スムースだったな。勇太君?」
「ちゃかすな。それより収穫は?」
「セッティング通り800だ。まあまあじゃないか?一日ぽっきりなら、うまい方だった」
「ふん、800万じゃすぐに消えちまうよ。今度のバイトはどこだっけ」
「1週間で6千、場所は日光、年は17で高校生、豪邸だ。…ちゃんとマスクを脱げよ、気持ち悪い。開始時刻は明後日16時だ」
「うわっ休憩なしかよ!あーもー信じらんねええ!!俺には休息も与えられないってか!」
「それが終わればバカンスに連れて行ってやるよ。あったかいところがいいだろ。今回は寒かった」
「初冬なんてこんなもんだ。でも、はーーあ!早くバカンスに行きたいぜ」
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