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第二話:コーヒーショップ

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 品川駅の北改札から歩いて十分程で、わたしのアルバイト先に着く。街を歩けば目に着くような、何処にでもあるチェーン店のコーヒーショップ。
 ついさっきまで池袋のコーヒーショップに居た事が、少し滑稽に思える。毎週木曜日、わざわざコーヒーショップで時間を潰して、そこからまた移動してコーヒーショップ。何をしているのだろう、と自分でも思う。
 別にコーヒーショップが好きな訳でもないし、嫌いな訳でもない。宮子ちゃんと行くのは、学校だと周りがうるさくて疲れるから。バイトをしているのは、バイトを探していた時にたまたま無料の情報誌に載っていて、時間と場所がわたしの都合と合っていたから。
 とにかくわたしは、一週間の半分以上は、何かしらでコーヒーショップで時間を過ごす事になる。

 少し重いガラス戸を押すと、聞きなれた「いらっしゃいませぇ」が店内に響く。
 客ではなくスタッフである事を確認した店員達は、口々にわたしに「おはよう」と言う。わたしは「こんにちは」と言いながら、奥のスタッフルームへと進む。
 おはよう、が言えないのだ。飲食店だろうが何だろうが、もう午後の三時過ぎだ。そこで「おはよう」と挨拶する事が普通だと分かっていても、どうにもこの時間に「おはよう」と言う事に抵抗がある。
 スタッフルームの扉を開こうとした時、レジに居た高崎さんの声が聞こえる。

 「亜紀ちゃん!今日さー、あたしこれから抜けるから。」
 「え?四時から、わたしと高崎さんだけですよね?」

 思わず扉を開くのを止め、ドアノブを握ったままわたしは振り返った。
 毎週木曜日は、四時から七時までの三時間、カウンター内はわたしと高崎さんだけなのだ。二人居れば十分だけど、一人では回らない時がある。
 それに、高崎さんが居ないのは淋しい。高崎さんは、カウンター内でもスタッフルームでも、わたしの数少ない話相手なのだ。大学院に通う彼女はわたしより二歳年上で、一人っ子のわたしにとって、友達でありお姉さんのような存在なのだ。何時も二人で、好きなCDや本の話をしては何だかんだと騒ぐ。
 高崎さんと話すのは、いつも楽しい。木曜日の三時間は毎週絶対の事だから、わたしはバイトのシフトの中で、木曜日が一番好きだ。

 「うん。でもそれだと、亜紀ちゃん困っちゃうでしょ?」
 「仕事も困っちゃうけど、話相手が居ないのも困っちゃうよ」

 亜紀ちゃんは淋しがりやだねー、と笑いながら、高崎さんは話を続ける。

 「だからね、シフト変わってもらったから」
 「誰に?」
 「コバだよ。今スタッフルームに居るから」

 困った。スタッフルームに、小林くんが居る。
 亜紀ちゃん?と、また高崎さんが呼ぶ。

 「とりあえず、着替えておいでよ」

 曖昧に頷き、わたしは扉のノブを握り直す。一時間程前に送った、自分のメールの素っ気無い文章を思い出す。小林くんはあのメールを読んで、何を思ったのだろう。
 ―呆れたかな。
 本当は、楽しみにしてるんだよ。つまらなそうに読めたかもしれないけど、そんな事無い。早く明後日が来ればいいなって、思ってるんだ。素直にメールが打てなかっただけ。
 …何を思ったって、自分で送ったメールなのだから、しょうがない。観念してスタッフルームの扉を開く。
 扉を開くと、小林くんが顔を上げた。手元には何か本を持っている。…漫画?

 「よぉ!」
 「…うん」

 伝えなきゃ、と思う。さっきのメールの事、ちゃんと言わなくちゃ。誤解、されちゃう。違うんだよ。
 ゆっくり近付くと、小林くんは持っていた本をメッセンジャーバッグにしまい込んだ。もう制服に着替えている。

 「優子さんに聞いたでしょ?」
 「うん。今日、変わるんだよね?」
 「そ。相原来たら変わる事になってっから、もう出るよ」
 「あの…」

 メールの事を言う前に、小林くんが立ち上がる。着替えるでしょ?なんて先に言われてしまったら、わたしは頷く事しか出来ない。
 擦れ違う時に肩が触れそうになり、わたしはそれを咄嗟に避ける。
 あぁ、どうやって伝えたら良いのだろう。本当は、違うのに。
 わたしが扉を開けた時と、立ち位置が逆になる。

 「…相原さー」

 小林くんが振り返る。俯いていたわたしが顔を上げると、小林くんは少し笑った。

 「ま、いいや。出てくるのは四時からでいいからね。気ぃ使うなよ」

 それだけ言うと、小林くんは扉を開けて出て行った。
 そっちこそ、気を使っている。
 さっきまで小林くんが座っていた椅子に座ってみると、まだ少し椅子は暖かかった。
5, 4

  

 小林くんと入れ替わりで高崎さんが戻ってきたけれど、わたしはすっかり上の空だった。普段なら、次から次へと話すのに。
 それに気付いたのか、同じように普段は次から次へと話す高崎さんも、今日はあまり話さなかった。手早く着替えを済ませて荷物を片付けると、わたしにいつものノートを渡すと、あっと言う間に帰ってしまった。
 ぼんやりしているうちに、他のスタッフもスタッフルームに戻ってくる。時計を見ると、三時五十二分。

 「おー、おつかれ!」

 スタッフルームを出ると、小林くんが振り向いて、いつもの調子でニカっと笑う。シフトに入っている他のスタッフは、みんな地下か二階席。
 本当に四時ギリギリになっちゃった、と言うと、小林くんはニコニコしながら、別にいいじゃん、と答えた。
 何を話したら良いのか分からないわたしは、今日は空いてるね、なんて言ってみる。木曜日のこの時間が空いているのはいつもの事だけど、話題が出て来ないのだ。メールの事に触れるタイミングを逃してしまったわたしは、いつも以上に臆病だ。
 ぱらぱらと入店して来る客の対応をしながら、自分がつくづく嫌になる。適当な話をぽつりぽつりとしながら、時間だけが過ぎて行くのだ。そんな事をしていれば、三時間なんてすぐに終わる。ぼんやり過ごす時間は、長いようで短いのだろう。
 高崎さんの代わりに入っている小林くんも、木曜日の高崎さんと同じように、わたしと一緒に七時で終わり。先に着替えなよ、と言われたわたしは、素直にそれに従う事にする。

 自分のタンブラーにアイスコーヒーを入れてスタッフルームに戻り、手早く着替え終えると、扉がコンコンとノックされた。入っていい?と言う小林くんの声に「いいよ」と返すと、小林くんが扉を開けてするりと入ってきた。
 このスタッフルームには、更衣室が無い。女の子が着替える時は周りも気を使うけれど、男の子が着替える時は見て見ぬふりをするのが暗黙のルールだ。
 ―メールの事、いつ言おう。
 考えるだけで口から出ないまま、わたしは着替え中の小林くんを見ないように「いつものノート」を取り出す。高崎さんとの、交換日記。交換日記を20歳を過ぎた大学生と大学院生がやるなんて、傍から見れば馬鹿馬鹿しいのだろうけど、わたしも高崎さんも、この「いつものノート」がとても好きだ。
 一番新しい高崎さんのページには、家で観た映画の事が書いてあった。バッファロー'66。どうやら先週にわたしがギャロの話をしたかららしい。普段はあれこれ書いて一ページなのに、映画の話だけで二ページも書いている。余程気に入ったのだろう。今日の帰りはレンタルショップに行こうかな。久々に観るのも悪くない。
 そんな事を考えてノートを眺めていると、いつの間にか着替え終えた小林くんが、わたしの横に立っていた。
 「そのノート、高崎さんとお揃いなの?」
 「え?」
 「ここでさ、二人とも同じノートを持ってるの、よく見るから」
 「…交換日記」
 「…交換日記?」

 小林くんが、目の前で目を丸くしている。そりゃそうだ。他の人から見たら、この歳で交換日記は無いだろう。
 わたしと高崎さんの交換日記は他人から見ればきっとままごとのようなもので、それでも書いている本人達にとっては大切なものなのだ。
 今まで誰にも、交換日記をやっているなんて言った事が無い。言ったって伝わらないと思うから。小林くんだってまさか「交換日記」だなんて答えが返って来ると思わなかっただろう。

 「どんな事書いてんの?」
 「…へ?」
 「そういうの書いた事無いからさ。女の子ってそういうの好きだよなー」
 「…大した事は、書いてないんだよ」
 「例えば?」
 「好きな音楽とか本とか、映画とか…趣味が合うから」
 「高崎さんと?」
 「うん、高崎さんは趣味が合うから。他にも、色々書くよ」
 「色々?」
 「本当に大した事じゃなくて、思った事とか、そういうの」
 「ふーん」
 「…手で文字書くのって、何か好きなんだ」
 「…だからメールは苦手なの?」

 吃驚した。メール?苦手?何の?…さっきの。
 あれだけ言おう言おうと思っていたメールの事はすっかりわたしの頭から抜け落ちていて、その抜け落ちていた事を小林くんに拾って投げられた瞬間、咄嗟の言葉が出てこなかった。
 ああ、そうだよ、メールだよ。何て言えば伝わるの?苦手って言えば良い?苦手だけど、違う。わたしが素直じゃないだけだ。何て、言おう。
 ぐるぐると考えていると、小林くんはふっと笑った。

 「俺、嫌われてんのかと思っちゃった」
 「違うよ!」
 「メールが苦手なだけ?」
 「…あんまり」
 「じゃあ嫌だったり怒ってたりした訳じゃないんだ?」
 「違うってば!…愛想無いメールで、ごめん」
 「分かったから大丈夫だよ」
 「うん」
 「明後日楽しみにしてるからね」
 「うん」

 小林くんはわたしの顔を覗きこんで「じゃあ、明後日ね」と言うと、またふっと笑って、そのままバックルームから出て行ってしまった。
 どっと疲れたような気がしたわたしは、横にあった椅子に深く座った。結局言えてないや。わたしだって、楽しみにしているのに。
7, 6

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