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一話 気まぐれと責任 後編

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 6、仕組まれた殺意

 霧宮の家は周りの家に比べて、一回り大きく感じた。実際大きかった。会社では、新人なのになぜこんなにも大きな家に住んでいるのか。
 ―――その答えは、彼女の親が金持ちだから。有名な会社の重役らしい。
「・・・・・行くよ。」
 三重を先頭に二人は無言で着いていく。
 立派な石畳の玄関まで歩き、チャイムを押した。ハーイと中から声が聞こえる。玄関に今時のインターフォンとやらが付いていないらしい。

 中から出てきたのは見た目からして若い女性が出てきた。髪は茶髪ながらも自然と受け入れられるような笑顔が特徴的だった。
「霧宮直美さんでしょうか?」
「はい、そうですけどぅ・・・・」
「あなたを捕まえにきました。」
 三重は、胸からなにやら警察手帳のようなものを取り出して、霧宮に突きつけた。
 三重さん警察だったのか・・・。
「そうですか・・・それじゃあ、逃げます。」
 そう言って、茶髪が特徴的な彼女は笑顔を絶やさずに後ろに振り返り、走り出した。
 そしてあっと言う間に勢いをつけて、窓ガラスをぶち破って外に飛び出した。
 
「・・・・・あれっ?」
 この変な状況を整理するために、絶は三重に聞いてみた。
「捕まえないんですか?」
「捕まえるに決まってるじゃん。」
「じゃあ、なんで追いかけないんですか?」

 すると、三重はポケットから小さい小瓶を取り出して、ムゥに向かって投げた。いきなり投げられたそれを、ムゥは見事にキャッチした。
「にゃんですか、これ。・・・・水?」
 確かに中には無色透明の液体がたっぷりと入っていた。
「そう、普通の水よ。ただ、私が触ったこと以外わね。実はね、霧宮に話しかけたときに少しだけ、霧宮に水をかけていたのよ。何でって言うと霧宮を追跡するため。そのビンの中の水は霧宮についている水に反応するようにした水なの。例えれば磁石のようなもの。」
 そこでちょっと中を見てと言われた。覗き込んでみると、水が異様に傾いている。何かに引き寄せられているみたいに。
「傾いているほうに霧宮はいる。それを持っていくといつか追いつくとおもうわ。」
「それじゃあ、早く行きましょう。」
 説明を聞いている時間も惜しいと言う風にムゥは横槍をいれた。

「そうね、・・・・・じゃあ行ってらっしゃい。」
 手をヒラヒラとさせながらそんなセリフをいう三重さんは、まるで絶とムゥの二人で追いかけろと言っているように見えた。
「わたしはここで待っているわ。」
 ようにじゃなくて、正にその通りだった。
「三重さんは行かにゃいんですか?」
「あなたが止めるんでしょ。あなたなりのやり方で。霧宮を捕まえるのは私の仕事だけど。優先事項で言えばあなたの方が上だからね。だから、行きなさい。あいつを追い詰めなさい。私がいなくてもあなた、たち、ならできるでしょう。」
 そう言って、三重は玄関に腰を下ろした。
 本当に行かないらしい事を確認すると、ムゥは絶の方に向き直り、追いましょうと声をかけた。絶はもう一度自分の家のようにくつろいでいる、三重をみてからムゥの後を追った。


 ムゥは思ったより足が速かった。相変わらず足音をパタパタと鳴らしていたが、確実にそこら辺の男子よりかは、少なくとも中の上ぐらいの絶よりかは早かった。絶はなんとかムゥに追いついていた。
 ムゥは右に左へと、くねくね走っていく。それで、一回も行き止まりに入らなかったのは、軌跡か、猫のときの散歩のおかげか。
「どうだ、近づいているか?」
「傾きが大きくにゃっているから、多分もう少しで追いつくはずです。」
 ムゥは手に持っているビンを見ながら答えた。

 その後何度か大きな建物の角を曲がり続けると、いきなりムゥが立ち止まった。
「どうした?」
「霧宮がいます。」
「・・・・・・・」
 ムゥの後ろから道路を見てみる。でも人影らしいものは見つからない。
「どこにいるんだ・・・・」
 ムゥはそっと目の前にそびえ建っているマンションを指差した。5階ぐらいの階段に霧宮を見つけた。
 
 二人は霧宮に気づかれないようにマンションへと入った。


 外から見ると良く分からなかったが、マンションは新しかった。壁も床もピカピカだ。そう眩しいとまでは言わないが。
そして、マンションにつきもののセキュリティの象徴、自由に出入りできない透明な自動ドア。ここのセキュリティは、会いたい人の部屋の番号を押して住人と会話して、了承を得て、ドアを開けてもらうものだ。
 それにもうひとつ、住人が持っているカードを差し込めば開くのだが、残念ながら今は誰も通りそうに無い。 管理人に開けてもらうのなんか、論外。時間もそんなに無い。だから、仕方なく強行手段をとることにした。


「はい。」
「あの、202号室の鳥山さんでしょうか?」
「はい、そうです。」
「私、カラス運送の者なんですが、お荷物をお届けに参りました。」
「・・・・・・・・」
 ・・・・・まさか、ばれたか?
 ドキドキしているとウイーンと音をたててドアが開いた。インターホンから「中に入ってください。」と声が聞こえてきた。
 
 見事に作戦は成功した。
 側にお巡りさんが居れば、身分詐称だとか不法侵入とかで捕まりそうだが、全く気にしない。こんなの小学生のときから前科がいっぱいある。いや、別に自慢することでもないか。
 そんなことより今は霧宮を追う事だけを考えなければ。

 一階の通路まで登ったとき、ムゥがあっと声を出して止まった。
「どうした?」
「そういえば、霧宮がどこに行ったか、分からにゃいです。」
「・・・・・・・・」
 
 侵入に成功して昔の思い出(それも世間的によろしくない)なんかを思い出していた頭を元に戻す。
 そう、霧宮がどこに行こうとしていたのか分からない。そもそも、なぜこんなところに来たのか、その目的すらわかっていない。
 俺が今持っている、水のビンを試しに見ても、やっぱり東の方向に偏っているだけでどのくらいの高さに居るのかは分からなかった。

 ウオォーン。
 考えが行き詰っていると突然、底から唸るような音がしだした。マンションでこんな音を出すものはあれしかない。絶は次の瞬間に、通路の一番奥まで走り出した。ムゥはどうしたのかというような顔をしながら絶の後を追った。
 通路の奥にあったのはエレベーターだった。

 ドアの上についている数字は段々大きいほうへ光っている。そして10階で止まった。絶はすぐにボタンを押した。ほどなく上からエレベーターが降りてくる。
「10階に行くぞ。」
「今さっき上に行ったのが霧宮ってどうして分かったんですか。」
「分かってなんかねぇよ。手がかりなんて何もないんだ。カケだ。」
 そう、流れに任せる。ムゥを拾ったときのように。そして、自分は結果に応じて行動するのみ。


 賭けはうまく行ったようだ。状況はとてもまずいが。
 二人が着いた十階は、風が結構きつかった。というか壁が全く無かった。
 そう、ここは最上階の屋上だ。壁の代わりに風通し抜群のフェンスが周りを囲っている。そして二人が入ってきた場所と、丁度反対側に二人の人影があった。
 一人は男で、なぜか血を流しながら地べたを這ってフェンスのほうに近づきながら、もう一人に向かって何か叫んでいる。そしてもう一人は、手に血の滴っている包丁を持ち、男のほうに近づいている。
 薄暗くて良く見えないが、微かに見える頭の茶色は霧宮だと分かる。

「霧宮さん!!」
 ムゥの声にビクッと震えて霧宮は振り向いた。少し驚いたようだったが、すぐに血のついた顔で笑顔を作った。
「あら~。完全に出し抜いたと思ったんだけどねぇ。」
 霧宮は不気味に不適に楽しげに笑う。
「それに子供たちが追いかけてくるなんてね。警察の人かと思って、正直驚いちゃった。」
「霧宮さん。もうやめましょう。今からでも遅くない。これ以上間違った方向に進まないで下さい。」
「止めるって、何を?遅くないって、何が?」
 
 そこで霧宮は笑うのを止めた。代わり鬼のような形相で凄まじい怒声を怒鳴り始めた。
「私は間違った方向に進んでなんかない!私は正しい!間違っているのはあなたたちのほうよ。私がどんな思いをしているのかあなたたちに分かる?!まだ親を頼らないと生きていけない、あなたたちのような子供に何が分かるの!!!」
 
 何が良くて、何が悪いのか。何があってこうなっているのか、なんのせいでこうなったのか。何も分からない俺たちが答えを持っているわけが無い。
「私は、あなたに何が起きたのか分かりません。だけど私はあなたが昔と変わった事は分かります。よかったらあなたが変わった理由を聞かせてください。」
 
 それを聞いた霧宮は今度は高らかに笑い出した。空にこだまするほど大きく大げさに。
「ハハハハハハハハ!白々しい。白々しいにもほどがあるわ。そんなドラマのようなセリフ恥ずかしくて聞けたものじゃないわ!」
「信じてもらえないかもしれませんが、私は、あなたのお世話になった猫の、フィルです。」
 またもやムゥの言葉を聞いて、霧宮は笑い続けた。
「あなたがあのフィル?ハハハ。ほんとにとんだお笑い種だわ。御伽話じゃあるまいし。」
 だれだって普通はそう思うだろう。ムゥが少しおかしい女の子だと。

 しかし、霧宮は笑いをやめた。キッと睨みながら口元に笑みを浮かべて。
「・・・・いいわ。あなたが前に私が飼ってて逃げ出したフィルだと信じましょう。フフフ。そうね。わたしが変わった理由だっけ。少しだけ語ってあげるわ。」

18, 17

  



「私もね、何日か前までは普通に、そう、ごく普通に当たり前のように生活していた。会社に通い、仕事をこなし、それなりに評価を得て、家に帰ったら、今日の晩御飯はどうしようと考えたり、あなたや他の猫と遊んだり、テレビを見て世間の物騒さを感じたり、少しダイエットに挑戦してみたり、休日だったら友達と買い物に行ったり。・・・・・そして、周りの女の子と同じように恋もした。」
 
風が収まってきたせいか、ぶつぶつと呟くように過去を語る彼女の声はよく聞こえた。そしてその後ろにいる男の悲痛な叫びも。
「許してください。許してください。許してください。許してください。許してください。許してください。許してください。許してください。」
 男の怯えきった表情は、元の顔には二度と戻らないような気がするほど酷くゆがんでいた。

「この男は、わたしの元彼氏。昔はこれでもかっこよかったんだけどね。だからわたしは彼にこれまで、好かれようと努力した。趣味も合わせらるようにしたし、部屋を掃除したり。でもね、この男はわたしを裏切ったの。それも一番卑怯なやり方で。―――こいつは二股をかけていた。」
 肩を震わせて、体全体で怒りを表した彼女はものすごいドスの効いた声で吐き捨てるように言った。

「わたしはあのとき、今より強くなかったから、その事実に打ちのめされた。もう何も信じることが出来なくなったし。生きる希望も失ってしまった。―――ほんと、今思えばバカらしいわね。こんな男にそこまで、惚れていたなんて。―――こいつとの偽りの関係が終わったあと、わたしは行く当ても無く、ふらついていた。まるで薬を使った異常者のようにね。そしてどこかの公園にたどり着いた。そこで男に出会った。こんな真夏に目深に帽子を被ってスーツを着た奇妙な男に。」
 一瞬、蒼夜のことが頭をよぎった。しかし、そのまま通り過ぎた。あの人は帽子は被らないことを絶はよく知っているから。

「その男はわたしに無言で近づいてきた。そして無言のまま顔を上げて、顔を合わせた。顔は良く覚えてないけど、ひとつだけ覚えていることがあるわ。左の目が無かった。そう、彼は左の目に闇を持っていたわ。何もかもを飲み込んで、隠してしまいそうな闇が、そこにあった。」
「アイツが―――」
「?・・・何か言ったかしら。」
「いや、何も・・・・」
 思わず口走ってしまった。それは霧宮の口から出た男が予想外だったからだ。なぜ思いつかなかったんだ?
 最初から可能性はあった。霧宮が能力を持っていると聞いたときから。アイツが絡んでいることを予測することも出来ていたはずだ。今更こんなことを思っても仕方ないけど。
 俺は心の中で苦虫を噛みにじった。

「でも気が付くとその男は、いなかった。まるで霧のように消えていたわ。そしてわたしもいつの間にか変わっていた。今さっきわたしは異常者と言ったけど、度合いで言うなら、そのときの方が―――つまり今の方が異常だわね。」
「異常というと・・・?」
「空腹よ。」
「空腹?」
 空腹になる能力。そんなものがありえるのか?
「異常なほどに空腹になったの。だから手当たり次第に胃の中に詰め込んだ。でも冷蔵庫が空になるまで食べても空腹は満たされなかった。逆に体が食べ物を拒絶した。なにもかもを吐き出してしまっていた。だから私は違うものを食べた。」
 俺は思い出した。霧宮の話しを聞いていて。他でもない自分のことを・・・・。そしてあることに行き着いた。
 霧宮の能力は―――――

「元気に動き回っている、子猫たちを私は食べた。あなた以外の子猫を、ね。」
 制限つきの能力―――――

「空腹は生身の肉と血でしか満たされない。満たされると力が何倍にも強くなった。それが分かった。そして空腹は日々増大していく。だからわたしは毎晩食べた。何匹もの猫を捕まえて。」
 そしてその能力は―――――

「そして猫だけでは、空腹が満たされなくなった。私は次に人を食べた。」
 やがてその身を滅ぼす力。

「やっぱり最近の殺人事件の犯人はあなただったんですね。霧宮さん。」
「殺人事件の犯人?何を言ってるの?」
 彼女はなんとも無いという風にせせら笑った。
「私は犯人と呼ばれる筋合いは無いわ。だって私は捕食者だもん。自然の摂理に従って、自分より弱い者を食べて生きている。それの何が悪いの?――――あなただって魚を食べるでしょ。横の君だって、牛を食べるし、豚や鳥だって食べるでしょ。それと何が違うって言うの?」
「でも、あなたは人も食べた・・・・」
「あら、知らないの?この世にいる動物の中には、同種族を食べるものだっているのよ。例えば、蜘蛛のメスが交尾のあとにオスを食べて、子供を育てる栄養にするのよ。」
「・・・・・・・」
 狂っている。もう、理性は完全に崩れている。自然を自分の意志と偽って生きる化け物だ。


 そこで、霧宮は後ろを振り向き、男に向き合った。包丁を逆手に握りなおして。
「だから、私は、この男を、食べる。」
 やばい!!このままでは霧宮はあの男を殺す!!
 俺が霧宮を止めようと駆け出したとき、横からムゥも走り出していた。その右手に銀色の一閃が煌めいていた。
 そして、ムゥは包丁を振り下ろそうとする霧宮の背中に突撃した。二人は転がりもみくちゃになりながら、反対側のフェンスに激突した。
 俺が男のもとにたどり着いたとき、男は恐怖の顔のまま、失神していた。

 二人の方を見てみると、どちらか一人が立ち上がっていた。
 霧宮だった。しかし、立ち上がった霧宮の腹には深々と包丁が突き刺さっていた。ムゥは今さっきの激突で、霧宮に切りつけられた傷口が開いたらしく、起き上がろうともがいていた。
 霧宮は自分の腹に突き刺さった包丁を、なんの躊躇も無く引き抜いた。とたんに当たりに血飛沫が飛び散り、血だまりが出来た。
 包丁を持ったまま霧宮は、ムゥを引きずり起こした。そしてそのままフェンスに押し付けた。
「なんで、あなたは私の邪魔をするのよ!あなたを飼ってあげたのに!!」
「だから、わたしはあなたを救いたい。あなたを許してあげたい。」
「なんで、なんで、なんで、なんで、あなたは!!」
 霧宮が包丁を振り上げた。ムゥは意識が朦朧としていてその動作についていけない。

「くそっ。」
 間に合え!!
 これほど時が止まってほしいと思ったことがあるだろうか。今この瞬間、絶は誰よりも時が止まってほしいと願った。
 だが残酷にも時はいつも通り、同じ感覚で流れ続けた。
 振り下ろす包丁は止まらない。
 霧宮から流れ出る血も止まらない。
 絶の足も止まらない。
 体全身からでる汗も止まらない。
 早鳴りしている心臓の鼓動も止まらない。
 なにもかも進み続ける。

 ガタンッ
 二人が押し付け続けたフェンスがその圧力に耐え切れずに外れた。二人はバラバラにふわりと少し風を感じた後、スローモーションでゆっくりと落ちていった。

 最悪だ。
 なんて運命だ。何も出来ずに終わってしまった。
「くそったれ!!」
 無意味にタイルを拳で叩きつけても、はかなく砕け散るだけだった。
 自分のだらしなさに涙すら出なかった。
「俺は何をやってたんだ。畜生!!」
 絶は一人渇望した。時が巻き戻ることを。今がたちの悪い悪夢の続きだというのなら、はやく覚めてくれと。
 しかし、これは悪夢ではなく、現実なのは明らかで、実際にことは起こった。もう、なくすことは出来ない。
 
 俺は屋上を後にした。


 
 わたしはもう終わりかと、ムゥは思っていった。
 かろうじて包丁が振り上げられたことは分かったが、体が動かない。脳に酸素が回っていない。
 結局と、ムゥは思った。
 私は彼女を救うことが出来なかったと。そのあげく自分は死んでしまう。ひどい結末になってしまったと。
 でも自体はさらに変わった。
 気が付くと自分は空中に投げ出されていた。そして、一瞬のうちに理解した。自分の下にあるフェンスをみて、外れたせいで落ちていることに。
 
 マンションは10階。高さは30~40メートルってところだろう。そんなとこから落ちたらまず命は助からないだろう。徐々にせまりくるアスファルト見ながら、ムゥはまた思い出した。

「そういえば、わたし。絶さんにまだお礼言ってにゃかったにゃ。」

 

 それはもともと猫だったからだろうと言うしかなかった。
 ムゥは地面とぶつかる寸前にとてもすばやく、そのしなやかな体をフルに使って体を捻った。そして両手、両足でアスファルトが、まるでクッションであるかのように、ふわりと着地した。
 そう、指一本骨折せずにムゥは生きていた。
 奇跡と言っていいだろう。でも当のムゥは何が起こったのか分からずにその場にへたりこんだ。

 その横をものすごい速さで何かが落ちてきた。
 それはグシャっと盛大に砕け散り、肉の塊になった。頭だけを残して。
 霧宮はかろうじて生きていた。
 ムゥはかすかに口を開き始めた霧宮に近寄った。

「なんで・・・・・あなたは、そんな・・・に優し・・いのよ。」
 霧宮は泣いていた。声を出さずに泣いていた。
 霧宮は強い女だった。仕事を失敗しても、友達とけんかをしても、・・・彼氏にふられても、泣かなかった。それは落ちた痛みからの涙ではなくて―――
 そんな霧宮の頭をムゥは抱きしめた。
 ムゥも泣いていた。ただ静かに泣いていた。
「ごめんなさい。・・・あなたを救うことが出来なくて。」
 ムゥは謝った。通り過ぎた過去を悔やんで。
「・・・いや、あ・・なた―――は、私を・・・救っ・・てくれた。」
 最後に笑いながら霧宮は、「ありがとう」と言って息絶えた。
 ムゥは霧宮を抱えて、いつまでも泣き続けていた。
 
20, 19

  


 7.つながりは切れなくて

 俺は走っていた。いや、駆け下りていた。
 だれかの泣き声が聞こえたとたん、階段を駆け降りていた。
 5階から、光の届かない暗い階段を。当然見づらい上に、遠近感覚もうまく掴めず何度も転げ落ちそうになり、実際、壁に2、3回ぶつかった。
 でもそんなことは今はどうでも良かった。
 
 今、欲しいのは結果。安心感が。
 それがもしかしたら残酷な現実であったとしても、だ。

「はぁ、はぁ、はぁ。」
 外は階段を降り始めたときより、暗くなっていた。月が雲に隠れていて、何も見えない。
「おい!ムゥ!どこにいるだ!!」
「・・・・ぐすっ、ぜ、絶さん。」
 ムゥはすぐ側にいた。マンションの陰にいて、気が付かなかった。
 

 ムゥの周りは血まみれになっていた。
 酷い怪我をしているのかと思い近づくと、それは霧宮の血だと分かった。
 霧宮は、マンションから落ちた衝撃に体が耐えられず、手足が曲がってはいけない方向に曲がっていた。うつ伏せで落ちたらしく、腹から内臓が飛び散っていた。ムゥは唯一原型をとどめている茶髪の頭を抱えていた。奇跡的にムゥは大きな怪我をしていなかった。
「ムゥ。お前、大丈夫なのか?」
「はい。わたしは、にゃんとか無事でした。」
 絶は、ほっとため息をついた。
「霧宮は・・・・。」
 ムゥは首を横に振った。
 もしかしたら、と思ったがやっぱりダメだったらしい。
 
「こんばんわ。お二人さん。」
 絶とムゥは同時に声のした方を振り向いた。
 声の主は、落ちていたフェンスを蹴って壁にぶつけた後、姿を現した。
「三重さん。」
「ずいぶん派手にやったわね。ほんと、やんちゃな子達ね。」
「待ってるんじゃなかったんですか。」
「待つのも大変なのよ。あのまま、あそこにいても不審者と間違えられる・・・というか、間違われたんだけど。」
 そりゃあ、人の家の前で何もせずに、座っていたらそう思われても仕方が無い。
 いつの間にか、三重はムゥの方に近寄っていた。辺りの惨状をニコニコしながらムゥの顔を覗き込んだ。

「どうだった。前飼い主の説得は。」
「・・・わたし、止めることは出来ませんでした。」
「・・・そう。」
「でも、霧宮さんは『ありがとう』と言ってくれました。・・・結局、救われたのはわたしの方でした。」
 三重は静かにムゥに近寄ってくしゃくしゃとムゥの頭を三重は撫でた。
「大丈夫。あんたの思いはちゃんと伝わってるはずだから。」
「・・・・・はい。」

「よし!それじゃあ、後始末やるかぁ。」
 三重はポケットから携帯を取り出して、どこかに電話をかけた。
 ムゥも気が済んだのか、霧宮の頭をそっと置いて、立ち上がった。
「もしもし?ノルマ達成で~す。ターゲットの死亡を確認しました。場所は・・・・」

「絶さん。」
「ん?なんだ。」
 いつの間にかムゥが目の前に立っていた。
「あの、拾ってくれてありがとうございました。」
「なんだよ、急に。」
「えっと、お礼を言うの忘れてたから。」
「ふーん。」
 別にそんなの言わなくてもいいのに。
「さて、お二人さん。家に帰ろう。蒼夜がおいしい料理作って待ってると思うから。」


 その後、何事もなく三人は帰宅した。
「わぉ!すごい美味しいじゃん、これ!蒼夜、腕上げた?」
 と、言いつつ、三重は蒼夜の顔を殴りつけた。
 蒼夜は予測していたのか、その拳を受け止めていた。
「しかたねーだろ。『ハイドロ』買った直後で、金はこれっぽちもねぇんだ。」
「わたしが、晩御飯どれだけ期待してたと思ってるの~~!!」
「・・・これっぽっちもないだろ。」
「これっぽっちはあったもん。」
 ぶすっとしていながらも、三重はズルズルっと豪快にカップラーメンを食べ始めた。
「フー、フー、フー。・・・ズルッ。熱っ!!」
「おい、ムゥ。大丈夫か?」
「はひ。ちょっほ火傷ししゃいました。」
 ムゥは手元にあったお茶をゴクゴクと飲み干した。

「なぁ蒼兄。」
「なんだ。」
「今回もアイツが関わってたよ。」
「・・・だろうな。」
「アイツって例の?」
「そ。例の。」
 帽子を被り、コートを着た男。神出鬼没、最近になって急に動き出した、8年前の事件の首謀者、と思われる例の男。
「あの男に関わった奴は、急に能力を得て、そして同時に理性を麻痺させ、心の底の殺意衝動を駆り立てる。」
 蒼夜は口に咥えていたタバコを、食べ終わったカップラーメンの中に落とした。表面に灰が広がった。
「いままでの8年間、どこにいて何をしていたのか、全くつかめていない。今起こしている行動の目的も。」

「あー!また私のしらにゃい話を勝手にして。私は仲間外れですか、そうですか。猫だからですか。こうなったら猫差別で、訴えますよ。動物愛護団体に。」
「・・・・・良く知ってるね。ムゥちゃんは。―――あっ、そういえば、まだソーセージが冷蔵庫にあったような。」
「いただきます。」
 さっと立ち上がってムゥは冷蔵庫を漁りだした。

「あの子、いい子ね。」
「えっ?」
「ついさっきにあんなことがあったのに、今こんなに元気な風に装っている。その上、私たちが暗い話をし出したから、場を和ませるために横から口を入れられる。あんな子は最近あまり見ないタイプだわ。でも、ああいう子はちょっとしたことですぐ潰れちゃうわ。・・・絶君。あなた大事にしなさいよ。」
「はぁ、ま、それなりに。」
 そういうことは言われなくても、なんとなく承知していた。
「ただでさえ友達いないんだから。」
 ほんとに大きなお世話だった。
 俺は何も言わずに麺を一口すすった。
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