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超常現象研究会。

僕の大学には、そんな名前のオカルトサークルがある。大学に入ったものの、勉学に専念するわけでもない、ぐうたら学生の僕は、なんとなく、そのサークルに入ってしまった。もともと怪談話とかが好きだったこともある。子供の頃、「ムー」とかを夢中で読んでいたのは、今となっては恥ずかしい思い出だけど。

ところが、世の中は分からないもので。
まさか「本物」に御対面するのが日常になるとは思いもしなかった。

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「さて、どうしたもんかねえ」

僕の目の前で、「本物」の一人である新願寺が悩んでいる。名前が示すとおり、彼の実家はお寺だ。前に、密教系のマイナーな宗派だと聞いたことがある。

彼は、実は霊が見えるのだ。

…などと言ったところで、世間の人が驚くとは僕も思わない。真贋に関わらず、そう言う人はよくいる。別に珍しくもない。僕は見えないけど。

彼が「本物」だと僕が思う理由は、彼がたまに実家の寺から仕入れてくる「魔除けの札」にある。

これが、驚くほど良く効く。
どんな奇っ怪なお化け屋敷でも、これを何枚か張れば、翌日から心霊現象はぴたりと収まるのだ。噂をかぎつけて、大学の外部から、魔除けの札を買いに来る人が来るくらいだ。つい最近も、「その手の物件」を掴んで途方に暮れていた不動産屋が、何枚か買いに来たのを覚えている。

「いや、その不動産屋なんだけどね」

新願寺が学食でカレーを食べながら、言った。僕は適当に聞いた。

「例の、不動産屋かい?そういえば、大学の近くの貸家に『出る』って言っていたよね。入居者が、必ず3日以内に逃げ出すとか何とか。まあ、どうせ魔除けのお札で解決したんだろう?」

「それがね。効かないらしいんだよ。お札が」

新願寺が困ったように言った。
僕は、興味を持った。あのお札が効かないなんて、この大学生活での2年間で、初耳だ。かなり珍しいことである。僕は、新願寺の話の続きを聞いてみた。

「あの貸家はね。以前、自殺者が出たらしい。その家に、故人が大事にしていた日本人形が今でも残っているんだが、どうも尋常じゃない『念』が籠もっているみたいでね。夜中に歩き出したり、新しい入居者が寝ているところに、首を絞めたりするそうだ」

「おやまあ」

「それで、新しい入居者は、人形をゴミ捨て場に捨てた。それで一件落着かと思いきや」
「どうなった?」

「夜中に、女の声で、げらげら笑いながら、その貸家の玄関を猛烈にノックする音が聞こえてきたそうだ。新しい入居者は、怖がってドアは開けなかった。賢明だね。朝になって、ようやくドアを開けると、そこには」

「玄関先に人形が、ちょこんと座っている、ってところかな」

「正解」

僕が先に答えを言うと、新願寺がつまらなそうに言った。

「当然、入居者は、気味悪がって出ていく。新しい入居者が来るたびに、その繰り返しだ。困った不動産屋は、人形を仕舞ってあるタンスに魔よけの札を貼った。ところが、翌朝になると、びりびりに破かれた札が、畳の上に散っていたそうだ」

「すごい怨念なんだねえ」

「まったくだ。そこで、僕は尚子さんを呼んだ」

尚子さんというのは、新願寺の年上の従姉妹で、もの凄い魔術師らしい。なんでも、悪魔退治が専門だとか。

「尚子さんによると、普通の怨霊を10とすると、その人形からは2000を振り切るくらいの邪悪な力を感じ取ったらしい。その人形は、もう呪物というよりも、悪魔そのものに近い存在になっているとのことだ。…ただ、悪魔的なものは、『年季』がものを言う。100年経過すればともかく、今の段階では、いたずら程度のことしか出来ないようだがね。しかし、放置しておけば、いずれ、映画の『ダミアン』のような事態になる」

「ふうん。それで、尚子さんにお祓いでもしてもらったのかい?」

「いや、尚子さんは戦闘魔法は得意なんだけども、お祓いとかは出来ないんだ。たとえ人形を壊したり焼いたりしても、怨念は浄化されないと言っていたしね。残念だが、尚子さんでは無理だ。彼女の知り合いで、浄化が得意なツテを探してもらっているところさ」

そこまで聞いたところで、僕は、とある考えを思い付いた。
でも、いいのかなあ。
いいや、言っちゃえ。

「森助教授に頼んだらどうだい、新願寺?」

「へ?」

新願寺は意表をつかれたようだ。それはそうだろうなあ。いくら他学部でも、森助教授の名前を知らない人間は、この大学には居ない。僕は、自分の考えを説明した。

「いずれは悪魔に化けるかもしれない希有な霊的物体にしろ、今の段階ではただの、『びっくり人形』なんだろう?普通の幽霊ならともかく、カタチあるものに対して、あの先生が負けるとは思わない」

「…………」

新願寺はしばらく呆気にとられたような表情をした。しかし、僕の考えていることに、うすうすと気づいたらしく、腕組みをして、ぶつぶつ言いながら、考え始めた。

「動く人形・対・変人助教授か……これは好カードだ。やってみる価値はあるかもしれない…尚子さんとは、別のベクトルで無敵だからな。あの人は」

僕たちは、建築学部の建物へと向かった。
森助教授に会うために。

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翌日、僕と新願寺は、例の貸家の前で、森助教授を待った。昨日、現地で会うという約束を取り付けたのだ。夏の太陽がぎらりと照りつける。

すると、路地の向こうの方で、なにやら爆音がする。そして、それはだんだんと近づいてきた。どこの暴走族だろう。まだ昼間だぞ。

と思ったら、四輪バギーに乗った男性が、凄まじい音を立ててドリフトしながら角を曲がりつつ、猛烈なスピードで僕たちの前に突っ込んできて、急ブレーキをかけた。四輪バギーを町中で見るとは思わなかったが、それは、僕たちの手前、数センチで止まった。すごいテクニックだ。

「やあ、学生諸君!!元気かね」

「こんにちは、森助教授…それ、先生の車ですか?」

僕は、目の前に現れた、ヘルメットを脱いだ中年の男性に、声をかけた。新願寺に至っては、轢かれると思ったのか、まだ体勢を堅くしている。

「車と言うな!!」

僕は、森助教授に一喝された。

「バギーは、男のロマンだ!!私は、たとえ暴風雨でも、このバギーで通勤している!そこら辺の、見にくい鉄の塊の『車』なんぞと一緒にしてもらっては困る!!」

「はあ、そうですか」

僕は普通に返事をした。この程度で驚いていては、この人のゼミで勉強はしていられない。新願寺が、おそるおそる挨拶をした。

「こんにちは、森助教授……ところで、く…じゃなかった、バギーの後ろに積んであるカエルの人形は何ですか?」

「私の相棒、キョロちゃんだ!!」

たしかに、バギーの後ろの荷台には、高さ1メートルほどのキョロちゃんが載っかっていた。薬局とかでたまに見かけるヤツだ。

新願寺は、すぐには返事が出来なかった。
僕は、そんな新願寺の肩を叩いて、貸家の方を指さした。

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「うむ、綺麗な家だ。これで家賃1万2000円とは、まったくもってお買い得だ!!ありがとう、新願寺くん!!」

「ええ…どういたしまして」

貸家の中に入って、新願寺と僕は、助教授を貸家の中に招き入れた。確かに外装や、個々の部屋は綺麗なのだが、この貸家にただよっている、一般人の僕でも感じ取れるような禍々しい気配には、森助教授は気づかないようだった。

「それで、これが、例の人形なのですが……」

新願寺が、和室にあった、古いタンスの棚を開けた。
そこには、一体の人形が座っていた。整った顔造作をした、和服をきた、髪の長い女性の日本人形。高さは50センチほどだろうか。価値としては一級品であろうことが、素人の僕にも分かった。来ている和服に至るまで、実に綺麗な細工が施されている。

しかし。
その瞬間、この家を包んでいた、禍々しい空気が、一気に濃くなった。これは、もう気配とかいう段階ではない。明らかに「殺意」が、この家を支配している。僕は霊感はないのだが、それでも、人形の方から、いい知れない寒気を感じ取った。新願寺に至っては、人形を正視できないようだ。明らかに、人形から顔を逸らしている。

なんだか人形のような感じがしない。生きている本物の人間のようだ。
一言でいうならば、さながら、「生き人形」だった。

しかし、助教授は

「すばらしい!!」

と言って、人形を抱きしめた。さすがにこれには、僕も空いた口が塞がらなかった。

「僕は、こういう、古風な女性が大好きなのだ!!ありがとう、新願寺くん!!」

新願寺は返事をしなかった。彼は、和室の天井の一点を凝視している。
顔色がかなり悪い。大丈夫だろうか。

「ここで、肩車してくれないか。あの天井裏から、何か感じる」

僕は、新願寺に言われたとおりに、彼を肩車してやって、天井の一点に近づけてやった。新願寺は、そこの天井の板を外すと、天井裏から、一本のロープを取り出した。

おそらく、自殺者というのは、これを使って、首を括ったのだろう。
ロープの先端が、輪っかになっている。もう一方の先端は、天井裏の釘に結びついているようだった。僕はぞっとした。

「おお!!これは!?」

助教授が叫んだ。さすがに驚いたのだろう。

「見たまえ、新願寺くん!!」

「すみません助教授…やはりこの家は危険です。一刻も早く…」

新願寺が玄関の方に急ごうとすると、助教授は、事もあろうに、自分の尻をロープの輪っかに腰掛けさせて、嬉しそうに叫んだ。

「ブランコがついている!!」

新願寺が、玄関の方で転んだ音がした。
同時に、何かトラックのようなものが止まる音が玄関から聞こえた。

「こんにちはー、引っ越しのパンダ便でーーーーす…うわあ、夏なのに凄い寒いですねえ、この家。よほどクーラーが効いて居るんだろうなあ。

この家にはクーラーはついていない。どこにも。

「ああ…どうも」

玄関で転んだ新願寺が、マヌケな格好で引っ越し屋さんを迎えることになった。

黙々と引っ越し作業を始める助教授と引っ越し屋さんを尻目に、僕と新願寺は、助教授を残して、引き上げることにした。

外は、もう夕暮れだった。
もうすぐ夜になる。悪魔の動き出す時間だ。

「たしかに好カードだな…果たしてどうなることやら」

僕は、新願寺に言った。
新願寺は、疲れたのか、黙って頷いた。

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「あれから助教授はどうなったんだろうね」

「ああ、実はね…」

僕は、新願寺に聞いた。新願寺の方は、どうも調子が戻らないようだ。
新願寺は、昨日、助教授の貸家を去る直前に、自分の携帯電話の番号をメモして、助教授に渡した。そしてこう言った。「非常時には、ここにかけてください」と。

そして、夜中の2時に、携帯のコールが鳴った。新願寺は緊張して電話をとった。そして、助教授に貸家を紹介したことを後悔した。やはり、関係のない人間を巻き込むべきではなかったのだ、と。

しかし。

「すばらしいテクノロジーだよ!!新願寺くん!!」

助教授の第一声はそれだったそうだ。

「助教授はね、人形が歩くのを見て、感激したそうだよ。自律歩行がどうとか、ジャイロが高性能だとか、人工知能の飛躍的革新とか、ひとしきり騒いでいたね」

「ふむ。第1回戦は助教授の勝ちだな」

さすがは助教授だ。新願寺は続けた。

「それで、今夜、泊まりに来ないかってさ…どうする?」

「ううむ、正直怖いが…なんだか、あの人が一緒なら大丈夫なような気がするな。来いって言っているんだから、こっちは紹介した手前、行かないわけにはいかないだろうね」

「やはりそうか…特上寿司を出前でとってやるとは言っていたが、気乗りしないなあ」

新願寺はため息をついた。

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キョロちゃん。
キョロちゃん。

キョロちゃん、キョロちゃん、キョロちゃん、キョロちゃん……!!

人形のいる部屋の至るところに、キョロちゃんが置いてある。
大小さまざまなキョロちゃんは、全部で50体は超えているだろう。

「どうやら、あの人形には人工知能がついているようなんだ。人形が寂しがるといけないと思ってね、あちこちの薬局と交渉して、ここまで揃えたんだよ!みんな友達さ」

例の人形はタンスの上にちょこんと座っている。助教授いわく、狭いタンスに閉じこめるのは可哀想だとか。ご丁寧に、座布団までついている。その隣に、助教授の相棒である高さ1メートルのキョロちゃんが鎮座していた。

なんだか、人形は凄くイヤそうな顔をしていた。

僕と新願寺は、その夜は助教授の貸家にお邪魔して、特上寿司をごちそうになった。なんだか、最初にこの家に来たときに感じた、背筋が凍るような殺気が少し収まっているいるように思えるのは気のせいだろうか。

霊感のある新願寺も、今日は顔色が普通だった。

そして、人形のある部屋に、助教授は布団を5つ敷きはじめた。僕と新願寺と助教授の場合、3つで充分だと思ったが、どうやら、あの悪魔人形と、相棒の特大キョロちゃんを寝かせるために、その数らしい。

念のため、僕と新願寺は、魔よけのお札を額に貼った。助教授は、「最近の若者はハイセンスだね」と笑った。

そして、助教授は、部屋の明かりを消した。
夜の帳が訪れた。

助教授のいびきが聞こえ始めた。寝付きがいいようだ。僕は、しばらくは起きていたが、やがて眠りについた。

ばさり。
ひた。

ひたひた。
ひたひたひた。

微かな物音に、僕は目を覚ました。

「起きているかい?」

どうやら、新願寺はずっと起きていたようだ。

「僕は今、金縛りにあって動けない。君はどうだい?」

新願寺が聞いた。すると、僕は、全身が麻痺したかのように動かないのを感じ取った。どうやら、これが金縛りというものらしい。

僕は恐怖を感じた。

ひた。

ひたひたひた。

恐る恐る周囲に目を動かすと、あの悪魔人形が、僕たちの布団の周囲を、ぐるぐると歩き回っている。僕は悲鳴を挙げた。

「んあ?」

助教授が、飛び起きた。どうやら、彼は金縛りには逢っていないようだ。助教授は、人形が歩いているのを見ると、押入の奥から古いラジカセを引っ張り出して、そのスイッチを入れた。

オクラホマミキサーのメロディが流れた。

「フォークダンスの相手は、身長差があって勤まらないのでね。これでガマンしてくれたまえ」

そう、助教授は歩き回る人形に話しかけて、また布団に入ってしまった。

ちゃ、ちゃ、ちゃらららら~
ひたひた
ちゃ、ちゃ、ちゃらららら~
ひたひた
ちゃ、ちゃ、ちゃらららら~
ひたひた

人形は、暗闇の中、オクラホマミキサーの音と一緒に、無心で歩き回っていた。
僕は、なんだかもう怖くなくなってしまった。

「もう寝よう。新願寺」

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「助教授、さいきん、あの人形はどうですか?」

僕と新願寺は、あれから何日か経ったあと、助教授を大学でつかまえて聞いてみた。助教授は、4輪バギーにまたがりながら、教えてくれた。

「ああ、彼女ね。さいきんは、僕の相棒や、その他のキョロちゃんたちを、捨てようとしたみたいだ」

「はあ」

「朝、起きると、部屋中のキョロちゃんが無くなっているんだ。近所を探すと、ゴミ捨て場に全部、並んでいたよ。きっと、彼女が捨てちゃったんだろうね」

あれを全部か。
夜中にキョロちゃんを抱えて、貸家とゴミ捨て場を50往復する人形を想像して、僕はなんだか、おかしいものを感じてしまった。

「仕方がないから、全部のキョロちゃんに、おもりをつけたんだ」

「おもり?」

「鉄アレイとかね。そしたら、彼女も本気を出したのか、鉄アレイごとキョロちゃんを引きずって、ゆっくりゆっくり、一歩一歩、ゴミ捨て場に向かうのを、近所の人が目撃して、腰を抜かしたそうだ」

「あらまあ」

僕は、「巨人の星」の特訓シーンを思い出した。

「彼女は、日ごとに筋力をつけて、いまでは、10キロの鉄アレイも引きずっていく。生体科学的に非常に興味があるね。今日も、鉄アレイの買い出しさ。今度は一気に30キロだ」

「それはそれは」

「ところで、また今日あたり泊まりに来ないかい?」

僕と新願寺は、顔を見合わせた。

「特上寿司があるのであれば」

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また助教授の家にお邪魔した。
今度は、寝る時に、額にお札は貼らなかった。家を覆っている殺気が、前にも増して減少していたからだ。

ただ、襖に小さな、パチンコ玉程度の大きさの穴が、たくさん空いていたのが気になった。

夜、寝ると、僕と新願寺は、また金縛りに逢った。

僕はあたりに目を動かす。
すると人形は、助教授にまたがって、その首を絞めようとしている。危ない!

しかし。

ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱん!!

軽快な音が、連続して鳴り響いた。
なんだっけ。
これは、ええと、そうだ!

エアガンの音だ。

助教授は、エアガンのM-16を持って、人形に向かって発射している。
人形は、直撃を数発食らって、ころころと、部屋の端に転がった。

「何をしているんですか、助教授?」

僕は金縛りに逢いながら聞いてみた。

「うむ。さいきんは、この人形と、サバイバルゲームを繰り広げていてね。油断していると、さっきのように首を絞められる。おっと、彼女も反撃してきたようだ」

助教授の目線の方向を見ると、人形が、自分の身の丈を超えるAK-47を、助教授に向けて、撃ってきた。

すぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱん。
自動小銃を撃つ日本人形は、この上なくシュールだった。

「彼女にも武器を与えているんだよ。そうでないと不公平だからね」

助教授は、伏せてM-16を構え、再び応戦した。
戦況は、どう見ても、助教授の方が有利だ。じっさい、かなりのゲームの経験を積んでいるのだろう。命中率が段違いだ。

そのうち、人形は、タンスの中に隠れてしまった。これで決着が付いたようだ。
しかし、ちがった。

「穴ぐらにはね、手榴弾が有効なんだよ」

助教授は不敵につぶやくと、特大の爆竹の束の導火線に火をつけて、それを、タンスを開けて、放った。そして、すぐに、タンスの扉を閉める。

数秒後。

ばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばん!!

正月の中国のように、派手に爆竹の音が、タンスの中で響きわたった。

「これで、私の勝ちだな」

助教授がタンスを開けると、硝煙をぷすぷすと挙げる、疲れた表情をした人形が、うつぶせに横たわっていた。

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それから、数ヶ月が経った。
いろいろと変わったことはけれど、「これなら大丈夫だろう」と僕と新願寺は結論づけて、それ以来、助教授とは、あまり会わなかった。

僕と新願寺が、夕方の大学の構内を歩いていると、聞き慣れたエンジンの音が聞こえてきた。フルフェイスだが、4輪バギーにまたがっているのは、助教授にまちがいない。

ふと見ると、4輪バギーの荷台に、いつものキョロちゃんと、どこかで見たことのある人形が乗っかっているのが見えた。

「助教授!それは一体?」

僕は遠ざかっていく助教授に向かって、叫んだ。助教授はバギーを止め、振り返って言った。

「どうだい。見違えただろう。今日は洋装にしてあげたんだ」

「それって、例の、歩く人形?」

まるでフランス人形のようだった。フリフリのドレスを着て、おしゃれな帽子をかぶせてあった。

「そうさ。これから、一緒に、星を見に行くのさ。きっと、夜中、彼女が動き回るのは、昼間に私が講義でかまってやれなくて、寂しいからだと思うんだ。だから、今夜は、望遠鏡で星を見せてあげようと思う。きっと、喜んでくれると思うよ」

そう言って。
助教授は、またバギーで遠ざかっていった。

「……………」

「どうした新願寺?黙り込んで」

「…あの人形、なんか、気配が変わったような気がする」

新願寺は、それからずっと黙ったままだった。

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さらにそれから数ヶ月後。

「浄化士が見つかった」

新願寺が、あまり気乗りしない表情で言った。

「浄化士って、尚子さんの知り合いかい?」

僕が尋ねる。

「うん。外国の人らしいけど、彼女なら除霊できるだろうって言っていた。たぶん、尚子さんが言うくらいだから、腕は確かなんだろう」

「そうか……でも、もう必要ないんじゃいかな」

「断言は出来ないよ。いちおう、見てもらおうじゃないか。念のためだよ」

新願寺は、自分を納得させるように言った。

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「初めまして。従兄弟がお世話になっているようね」

尚子さんというのは、実際、すごい美人だった。僕は、年がいもなく、どきどきしたくらいだ。尚子さんの横には、小柄な、外国人の少女が佇んでいる。彼女が、除霊をするのだろうか。こちらもかなりの美少女だが、なんだか…まるで、ロボットみたいな感じがする。感情があまり感じられない。

少女は、一礼して、日本語を口にした。僕は、外国人が日本語を流ちょうに話す様子に、ただ驚いた。

「初めまして。私の名前はラピスといいます。今回、私の回路に浄化機能が増設され、そのテストも兼ねて……」

「ラピス。禁則事項レベルEで話して」

尚子さんが、厳しく何かを咎めた。だが、ラピスと呼ばれた少女は、気にするふうでもなく、ただ、黙って、頷いた。それからラピスは、ウクライナ人であること、尚子さんの知り合いであること、浄化が出来ることを、極めて事務的に告げた。

「それじゃあ、例の人形がある家に行きます。ただ…」

僕は言いよどんだ。

「ただ、何か?」

ラピスが聞き返す。
新願寺が、僕の台詞の続きを言った。

「危険がなければ、浄化は取りやめてもらいたいのです。せっかく、遠路はるばる来てもらって、大変、申し訳ないのですが…」

ラピスは首をかしげて、尚子さんの方を見た。尚子さんは、特に反応を見せない。ラピスに判断を任せているようだ。

やがて、ラピスは言った。

「問題ありません」

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「霊的レベル測定…数値、2018。確かに放置はしておけません。調査が必要です」

ラピスは助教授の家に着くと、そう言った。助教授は、「女の子が来てくれるなんて嬉しいね」と喜んで出迎えてくれた。僕と新願寺は、複雑な表情をしていたことだろう。

ラピスは、誰にも案内されないにもかかわらず、真っ直ぐに、人形のある部屋へ向かった。そして、人形を抱きかかえ、その目をじっと見つめた。

「スキャン開始。5分、時間をください」

そう言ったきり、黙って、人形を見つめ続けている。

1分。
2分。
3分。
4分。
………5分が経過した。

「尚子」

ラピスは尚子さんの耳に、何か小声で話している。尚子さんは、ひととおり聞いた後、「話してもいいわよ」と言った。

ラピスが、僕たちに向き直る。
緊張した。
やはり、浄化が必要なのだろうか。
浄化すれば、たしかに普通の人形に戻るだろう。

でも。
助教授は、それを見て、どう思うのだろうか。
一緒に暮らした人形が、動かなくなるのを見て。

「この人形は、神になろうとしている」

ラピスは、信託のように告げた。

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ラピスは、丁寧に説明をしてくれた。

「この人形には、強力な霊が宿っています。普通、浄化されない霊は、悪影響を及ぼす場合がほとんどです。しかし、まれに、良い方向へ導かれることがあります。悪い方向に導かれ、悪魔として変化する霊はたしかにいますが、魂が昇華され、神のステージへと近づくことがある。そういった霊は、何百年、何千年もかけて、小さな芽がやがて、巨木へとなるように、ゆっくり神へと近づいていく。この人形の霊は、そういったものです。わずかですが、神聖なオーラを身にまといはじめている。当初はかなり異なっていたでしょうが」

「それじゃあ、浄化の必要は…」

新願寺が聞いた。

「ありません。むしろ、持ち帰り、研究したいくらいです。ただ、この人形は、ここにいることを望んでいる。あなたと供にいることを望んでいる」

そういって、ラピスは、助教授の方を指さした。

「この人形の霊から、あなた宛のメッセージを受け取りました。それを今から読み上げます。『天井裏を、もう一度、くまなく探して欲しい。何かを、見つけたら、それを、あなただけに読んでもらいたい』…以上です」

僕は、新願寺を肩車して、天井裏をくまなく探してもらった。隅の目立たない方に、それはあったらしい。

「遺書」

その封筒には、表にそう書いてあった。
僕は、黙って、それを助教授の方に差し出した。助教授は、それを受け取って、やがて、封を開けて、中身を黙読した。

助教授は、どう反応するんだろう。
きっと、助教授のことだ。遺書の内容なんか笑い飛ばして、また、呑気に、人形との奇妙な共同生活を続けることだろう。

楽しく、朗らかに。
ずっと。

だが。

助教授の頬を、一筋の涙が伝った。

僕は、助教授が悲しそうにしているのを見たことがない。
ましてや、泣いているところなど想像が付かない。

変人だけど。
いつも楽しくて、さわやかな人だ。

でも。
たしかに、

助教授は泣いていた。

そして。
人形を、そっと抱きしめた。
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