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第十二話『母さんはもうカレーを作ってくれないのか』

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 どごーん、なんて。今時マンガでも使われないような。そんな陳腐な表現がとても似合う炸裂音がホールに響いた。楠木ビル、現代の最先端を行く企業ビルの中でなんでこんな爆発が。
 なんてことはない、極太淫乱触手がほんの八本ほど暴れているだけだった。
 俺は後ろの処女を守るべく、とにかく走っていた。悔しいけど、俺にはこうするしかないわけだわさ。だって俺の能力ってば欠陥もいいところだしね。極端な話、超絶自己中な能力なわけで、協力なんて事とは無縁なのですよ。
 俺は自分への不満を胸の内で漏らしながら、再度飛来してきた触手を避ける。
「うひい」
 すぐ後ろでコンクリートが破砕する音。思わず金玉が縮み上がるってもんだわ。
 言ってみりゃ囮役だ。開道寺と銀髪女が攻撃に専念できるように、俺がたった一人で淫乱触手を相手にするという、あらためて考えてみると非常にHARDな事を任されている真っ最中。
 けど、一見インフェルノな難易度に見えるこの触手共も、よくよく観察してると難攻不落というわけじゃないのがわかる。さすがはアクションゲームのボスを張れる姿形をしているだけあって、ちゃんと付け入る隙も用意されているというわけだ。
 そう、この触手どもは数秒間止まった後、初めて目標に突っ込む。その止まっている間は飛来地点を変えることが無い。なもんだから、数に気をつけていれば割と優しい敵なのだ。
 ぼふん。触手が床や壁に激突する音とは違う、変な音が聞こえた。音のした方を見れば、開道寺が数十本ある内、一本の触手を焼き千切っていたところだった。右手からゆらゆら揺らめく炎を振りまいている。……何人かメテなんちゃらを見てきて、あらためて思うわ。やっぱ開道寺ってば、かなり反則級の能力を持ってるのな。
 自分が傷付けられたことに気付かないほど鈍感じゃないんだろう、開道寺に向けて新たにもう一本の触手が飛来する。けど、俺は絶対的な安心感を持ってそれを見ていた。“あれじゃあ死なない”、そういった既知感がある。それが俺の能力から来てるのかどうか、それを結論付ける前にもう一本の触手は一本目と同様、床にみっともなく落ちていく。
 さて、疲れた。
 いやね、やっぱり余裕があるといってもずっと動き続けなきゃいけないってのは相当に疲れるんですわ。開道寺達が本体っぽい肉塊に辿り着くにはまだ時間がかかりそうだし、ああ、割と息切れが。
「ちょっと、止まったら死ぬわよ!」
 銀髪女がナイフを手に触手とじゃれあいながら、俺を見かねて叱咤の言葉を吐いている。いやね、わかってはいるんですけど、なにぶん疲れってのは人間としてあるからに逃れられない生理現象というかなんと言うか。
 ああ、やっぱこの役割分担には納得がいかなくなってきたわ。





 ――数分前。
「あのね、俺が名前を覚えられないのは昔っからなの。というかどさくさに紛れて殴りやがったなこのファッキンビッチぶっ転がすぞ」
 腹を擦りながら、俺は銀髪女に対して悪態をつく。
「だから、私の名前は――」
「痴話喧嘩はそこまでにしておけ。本格的に来るぞ」
 痴話喧嘩なんかじゃねえ。そう反論する前に、俺達はその場から離れることを余儀なくされていた。肉塊から生えている触手の内、一本、二本……八本ほどが俺達の方を向いていた。こいつはまずいね。さすがの俺も八本同時に入れるほどの穴は持ち合わせちゃあいない。
 三人が三人、別々の方向へ駆ける。三人の内、誰かに攻撃が行くと思ったんだけど、触手はさっきまで俺達が立っていた場所に向けて一斉に降下を始めた。……どういうことなのか。何か引っかかるものを感じていると、離れた位置から開道寺の声が聞こえてくる。
「ガーラック、貴様が囮になれ」
「いやよ」
「即答とはな。ここは貴様の力が必要だと言ったはずだ。俺一人では、あの肉塊に近付くことすらままならん。ある程度の触手を引き受けて欲しい」
「だから、なんで私なのよ。それこそ、私がアレに近付くためにもアンタが囮になりなさい」
「……ナンバー011か。話には聞いているが、今は貴様の過去に付き合っている暇は無い」
「なんですって……!」
 なんなのこの人達。一瞬でもまともな人間として会話してた俺がバカみたいに思えるくらい状況をわかってねえ。
 ここには俺を含めて三人居る。つまり、二人のどちらかが囮にならなくとも、まだ一人、なれる奴がいるわけだ。つまり俺ね。
 走り続けながら、わかったことがある。この触手の攻略法だ。ここで俺がそれを一から説明するよりも、最初から俺が囮になればいい。な、もんだから。
「ごちゃごちゃうるせえなお前ら! ケツからカレー入れて喉ヒリヒリさせっぞ! 俺が囮になるから、お前ら二人で好きなだけ特攻してこいやふぁっく!」
 二人が俺を見る。……あ、ちょっと言い過ぎた? 割と怒ってる? でもね、俺も怒ってるのよね。
「すみません言い過ぎました」
 だけど立場的に弱い俺は反射的に謝っていました。ああ、なんて悲しいんだ。プライドを捨ててまでも、俺は自分の命が大切なのだ。当たり前だけどね。
 煽りの部分が帳消しになったことにより、俺の言いたいことがわかったんだろう、二人は同時に口を開く。
「了解だ。だが相羽光史、お前に死なれては困るのでな。ある程度でいい、死ぬと思ったら逃げろ」
「アンタはまだ利用価値があるんだから、死なないでよね」
 意外にも二人は俺の身を案じてくれてるわけなんだけど、なんか含んでる物がありそうで逆に怖くなってくる。というか聞くからに色々含んでるのがわかっちゃうわ。まあ俺も死にたくはないんで、言われた通りにするけど。
 肉塊に向かって走り始めた二人を見て、俺はどうやって触手の気を引くか考えていた。と、そこで見つけたのはゆらゆらと漂うだけの触手。触手を蛇に例えるなら、腹を地面につけて首をもたげているような。そんな触手は気付いてないのか、肉塊が動かせる触手に限界があるのか。どっちかはわからんけど、無防備すぎるその触手に近寄ると、俺はぺしぺしとそれの胴体を叩き始めた。
 うむ、気持ち悪い。なんというかミミズのでかい版みたいな。薄皮の下で筋肉っぽいものが動く感触。さすがに気持ち悪すぎたので、俺はすぐ傍に落ちていたコンクリートの破片を手に取ると、それで思いっきり触手を叩いた。
「うわあ」
 ぐっちょり。
 予想に反して、割と尖っていたコンクリ片は深々と触手に突き刺さってしまった。どろっとしたピンク色のゼリーっぽいものが溢れ出す。……と、上を見る。俺は見てないけど、どっかの俺は見たことのある口が目前に迫っていた。
 反射的に、俺は後ろへ飛び退く。目の前で大口を開けた触手が床に突っ込んでいた。あぶねえ。さすがの俺もあの牙だらけな口の中に飛び込むのはお断りだわ。死ぬほど痛そうだったもんね、アレ。
 あの映像を思い出して身震いしながら、俺は走り出す。場を見渡すと、今の触手だけではなく、他の数本が俺に向いていた。なるほど、囮作戦は割と成功したってところか。ちょっと数が多いのはどうしようもないとして。
 俺は一瞬だけ、開道寺と銀髪女のほうを見る。開道寺が突っ立っているだけに対し、銀髪女がそれを守るようにナイフで近付く触手を切り刻んでいた。まあ、あっちはあっちでなんとかするだろう。うん。俺は自分の心配をしなければ。
 すぐにまた触手に視線を戻すと、俺はさっきまで引っかかっていた触手の動きを確かめようと、身構えた。





 そして現在。俺は呼吸を落ち着かせるように息を吐くと、小走りで触手の飛来を避ける。
 それにしても二人はまだなのかね。いや、何をするのかはわからないけど、何かしらの動きがあってもいいはずだろ。さすがにそろそろ割とマジで限界なんだけど。主に心肺機能が。
 すがる思いで肉塊に向かった二人を見る。依然として数本の触手を焼ききった後、動かない開道寺に対し、銀髪女も俺と同じく、疲労を感じているようだった。さっきまでの華麗とも言える動きには既にキレが無く、表情にも疲労が浮かんでいる。あの野郎、俺に叱咤しときながら、自分も限界じゃねえか。
 俺は我慢しきれず、開道寺に向かって叫ぼうとした。けど、俺の口から声が出る前に、開道寺自らが叫んでいた。
「っぁああああ! 燃えろぉおおおお!」
 瞬間、開道寺の周囲に漂う空気が揺らいだ。比喩ではなく、現実に“ブレ”ている。非現実による現実への干渉。その、ありえない現象を、開道寺はたった一人で起こしていた。
 空気の揺らぎに対して、見た目としての炎は拍子抜けとも言えるほどに小さかった。ソフトボールほどの球体となった炎が、開道寺の手の上に浮いているのみ。
「同じセカンドとして同情を禁じ得ない、が、貴様は生きていてはいけない存在だ。やがては世の危険として認知されるだろう。……せめて苦しまないよう、一瞬で“爆ぜ奪る”」
 空気の揺らぎはさらに激しさを増し、ついにはここからでは開道寺の姿を確認することすら難しくなっていた。……だが、そこまでの高温に対し、俺の体には日焼け程度の火傷一つ出来ることはない。
 ――俺達は認知しているからかな。自然界のそれでは有り得ない炎が、それを起こしている開道寺が、俺達に危害を加えないと、既に認知しているから。けど、それらを取り巻くこの世界は認知していない。それもそのはず、そもそも存在するはずの無い非現実なんだ。認知出来るわけが無い。だから。
 空気が揺れる。コンクリートが熱で硬質化する。腐った肉が焼けるような臭いが、怪物から漂ってくる。
 開道寺が、ゆっくりと怪物へ歩を進める。それを牽制するように、怪物から三本の触手が放たれた。既に遅々とした動きをする余裕が無いのか、端から目標に向け最高速で飛来する超重量の肉塊。その光景を見て、ふと、大気圏に突入する隕石のようだと、俺は思った。
 次の瞬間、開道寺の手の上で浮かぶ火球が爆ぜた。まるで風船を膨らませたかのように、瞬時にその大きさを変えた火球は易々と三本の触手、さらには周囲で蠢く数多の触手全てを飲み込み、収束する。その場に残ったのは眩い光と熱線のみ。触手は、最初から無かったのだと、宙に浮かぶ火球が主張していた。
 やっぱ反則だわ、アレ。
 俺は今起きた一連の出来事が頭の中にこびり付くのを感じながら、体を震わせる。ありゃいかんわ。だってさ、俺なんかの能力だと、現実としての、目に入ってくるモノとしての非常識ってわけじゃあねえんだわ。完全に自己完結型の能力だ。けど、開道寺のは全くの別物だ。自分の能力《道理》を通す為だけに、目の前の現実をひん曲げてるのだから。いわゆる魔法ですよこれは。
 鼻に残ってる焦げ臭さ。だけど、俺やガーラックには何の被害も無い。なんともまあ都合のいい、それこそ反則的な、指向性のある純粋な破壊。……コイツだけは怒らせないほうがいい、俺はそれしか考えられなかった。
「道は開けたぞ、ガーラック。その服の下に隠し持っている物、どうやら奥の手らしいが?」
「ふん、礼は言わないわ。……それよりも、私の手が通用しなかったら、後は頼んだわよ」
「柄にもないことを言う」
 俺に迫っていた触手諸共消し飛ばした開道寺は、悠々と笑いながら銀髪女を促す。ツンデレ二人を組み合わせるとなんか気持ち悪い光景が出来上がるのだと今初めて知りました。今度から見ないようにしとこう。
 冗談はさておき、俺は開道寺に駆け寄る。
「おい、お前は行かないのかよ」
「燃料切れだ」
「随分と燃費のよろしいことで」
 よくよく見れば、開道寺は肩で息をするくらいに疲労していた。なるほど、割と疲れるのね。でもやっぱ反則だわ。
 俺は最初と比べるとおとなしくなってしまった怪物を傍目に、なんとか一段落着いたのだと、一人安堵する。後は銀髪女の奥の手とやらでどうにかこうにか、あのグロテスクリーチャーを消し飛ばしてくれたら万事解決だな。
 さすがの俺も今回は死ぬかと思ったけど、よくよく思い返してみると結構な割合で死にそうになってる日があったことに気付いちゃったとある冬の日。別に珍しくもなんともなかった。人生切ねえ。
 と、俺が瓦礫が散らばるホールの中心で切なさよりも遠くへ叫んでいた頃、目の端に写っていた銀髪女が怪物の元へと辿りついた。いくら怪物兄貴とは言え、開道寺にあれだけチンコみたいな部分を燃やされたら、そりゃあ萎えるってもんですわ。大人しいもんです。
 なんて。
 考えが甘かったのかもしれない。見れば、少し離れた位置で千切れて動かなくなったはずの触手が、怪物の傍に立つ銀髪女に飛び掛ろうとしていた。意外にも素早い動きだ。……考えている暇は無いわけで。
 全力で床を蹴り上げていた。スニーカー特有の“キュッ”という、俺はあまり好きじゃない音が響くと同時に加速。勢いに任せて、触手に向かう。銀髪女は気付いてない、今から声をかけたとしても間に合わないだろう、開道寺は燃料切れらしいし、じゃあ、俺がなんとかするしかないでしょでしょ。
 今更思考が追いついた頃、極太触手が大きな口を開けて銀髪女を丸呑みにしようとしていた時、俺の全体重と走ることにより生まれたに違いない運動エネルギープラス今日のごたごたに向けた怒りが含まれた必殺の飛び蹴りが触手に炸裂した。
「だらっしゃああああ!」
 千切れていたこともあって、俺と同じ身長程にまで縮まってしまった触手。その触手に一瞬、俺の足が深くめり込んだかと思うと、反発するようにすぐさま吹っ飛んだ。ああ、吹っ飛んだ。……なんだか予想外にも綺麗に決まってしまった。ある種の快感すら覚えたね。
 俺のキックを食らったことで吹っ飛ぶ触手。いい気味だ。まあ銀髪女には悪いが、兄貴だろうがナンだろうが、少なくとも一回は俺のことを殺してるわけだしね、コイツ。まあこれくらいしても恨まれることはないだろう。うん。
 と、動かなくなった触手を見て満足すると、俺は今頃気付いたのか、こっちを見て目をまん丸にしている銀髪女に向き直った。
 なんだコイツは。助けてもらってお礼の一言も言えないのか。なんてヤツだ。
「命の恩人には言うことがあるだろ。さあ、跪いて詫びるんだ! わはは! 今なら三回跳ねて“カレー教に入信します”と言えば許してやるぞ!」
 勢いに任せて外道成分溢れることを言っちゃったけど、別に普通だろう。そう、コイツには色々と嫌な思いをさせられたわけだし、ここらで上下関係をハッキリさせておく必要がある。そんなSっ気溢れる自分が好き。
 が、銀髪女が口を開くことは無かった。それどころか、なにやら表情を険しくして、俺に飛び掛ろうとしているじゃあないか。え、ちょっと待って、さすがに暴力で来られたらさすがに、いや、さすがの俺も、困るよ? と、制止の言葉を投げかけようとした時、後ろの方から開道寺の叫び声が聞こえた。
「後ろだッ!」
「え?」
 振り向こうと思ったんだけど、その前にとてつもない衝撃が俺の体を襲った。無理な力で真横に吹っ飛ばされたのだと理解した直後、もう二度と聞くはずないと思っていた、あの音が聞こえた。そう、一生分は聞いただろう、コンクリートが粉砕する音だ。続いて、勢い余った俺の体が床に転がった。
 腹がめっちゃ痛い。たぶん銀髪女に蹴飛ばされたんだろうと腹を擦りながら、膝を付いてゆっくりと自分が元居た場所を見て、すぐに目を背けた。
 ……開道寺が千切った触手は何本だったか。俺が見ていた限り、二本だったはず。他は、全部蒸発してしまった。あれ、じゃあ、計算は合うのか。蹴飛ばしたヤツ以外にも、もう一本残っていたと、そういうことだ。……そういうことじゃ困るじゃねえか。
 もう一度、俺は膝を付いたまま、さっきと同じ場所を見た。千切れた触手が床の穴に頭と思わしき部分を突っ込んでもぞもぞと動いている。……動いて、何をしてるんだ。
「……変えなきゃ」
 自然と、俺の口から言葉が漏れていた。そうだ、間違いなく銀髪女は、あの触手に、ああ、そうだ、変えなきゃいけない。こんなの、俺は望んじゃいねえんだよ。だったら変えなきゃいけない。どうやるか、具体的なことは全然わけわかめだけど、やらなきゃいかんだろ、やらなきゃ。誰も死んじゃあダメなんだ。それは譲れない。
 俺は完全に立ち上がると、念じるように目を瞑った。……俺の能力なら、たまには俺の思い通りになってくれよ。そう念じながら、一際強く瞼の力を入れたとき、“それ”が迸った。



第十二話『母さんはもうカレーを作ってくれないのか』



《相羽光史俺の願いは既に言ったそれを断るということはつまり君の母親を裏やめろ切るということになるそれでも君は母やめろ親の手を君の血で汚れさせるようなこやめてくれとになっても断るのかね?たのむああなるほどそれは避だれかけなければならないな会やめてくれ長彼は既に私の息こんなの子ではありまうそだせんおそらくは我うそだ々よりも高うそだ次うそだに位うそだ置する息子の価うそだ値観ですなんとなあ母うそださん母さんは最うそだ初からアレに関やめろ係してたのか?貴方に母さんと呼ばれる筋合いは無いわそうか母さんはもうカレーを作ってくれないのか》

「は?」
 俺はすぐさま目を開けた。目の前の現状は変わっていない。いや、そうじゃないでしょ。そうじゃない。そうじゃなくて、今見た変な映像だ。なんで母さんが“ここ”に居んの。なんで銀髪女の父親っぽいオッサンと一緒に居んの。いや、待った、わけがわからない。わけがわかめでふえるわかめのわかわかめだよ!
「ああああやべええええええもうめっちゃわかわかめだよおおおおおおおおお!」
「うるさいわよ!」
 と、もう何がなにやらわからなくなって頭がパンクしそうになってた時、触手がもぞもぞしている辺りから、聞き覚えのある棘を含んだ声が聞こえてきた。……あぶねえ、油断してた所為で涙が出そうになってしまった。生きてんじゃん。
「生きてるなら生きてるって言えよふぁっく地獄に転がすぞ!」
「命の恩人には言うことがあるって、さっき自分で言っておきながらその言葉はなんなのよ! いいから助けなさい!」
「すんまそん」
 ほっとした。ついでにこのクソったれなやり取りが出来て、ちょっと嬉しいとか感じちゃってる乙女な俺。あまりに嬉しいものだから、ついつい笑顔で極太触手を蹴り飛ばしてしまった。
 で、俺はさすがにもう動いてる触手はいないだろうと周りを確認すると、さっきまで触手が突っ込んでいた穴の近くまで近寄る。
 ……あれ、なんか見慣れた赤い液体が飛び散ってんだけど。
「あわわわわわ」
「だからうるさいわよ! 何度言わせりゃ気が済むの! 早く助けろって言ってるのよ、私は!」
 銀髪女は元気だった。いや、それは別にいい。死んだと思ってた人が生きてたというのは、それはとても喜ばしいことだ。たとえ銀髪女のような極悪非道の人間でも、死んでもいい理由なんてちょっとしか無いのだ。
 だがしかし。俺は銀髪女を直視出来ずにいた。だって、割とえぐい具合に銀髪女ったら左足を抉られてるんですもの。あれだ、簡潔に言えば左足の膝から下が無くなってる。
「いてえ」
「痛いのは私なんだけど。どうでもいいから、早くこの穴から出して頂戴」
 見た目に反して、無理をしている様子も無く、銀髪女は俺に手を伸ばす。……まあここで突っ立ってるだけじゃどうしようもないしなあ。仕方ないなあ。嫌だなあ。
 血とか女とか正直あんまり触りたくないんだけど、まあ、死なれたら困るので、仕方なく俺は伸ばされた銀髪女の手を取った。
「うわ、血がついた、うわ、えぐっ、うわっ、うわっ、ひゃああ」
「黙って動くってことが出来ないの貴方は。さすがの私も堪忍袋の緒が切れるわよ」
「いつも切れてるくせによく言うわ」
「殺す」
「おお、こわいこわい」
 穴と言っても俺の腰まであるかないかの深さだったので、難なく俺は銀髪女を引っ張り出すと、そっと床に降ろす。
 俺は膝をつきながら、それとなく銀髪女の容態を見る。……うむ、ひどい。主に見た目がひどい。既に銀髪女のユニフォームと言っても過言じゃあないウチの学校の制服、その白を基調とした服が無残にも真っ赤に染まっていた。えぐい。
 床に横たわった銀髪女は、焦点の定まらない目で天井を見上げていた。
「大丈夫かよ」
 と、俺の口から素直に相手を心配する言葉が出てきてしまった。どういうことだ。近所でも懐かないと評判の俺がこんなデレ期みたいな態度をとってしまうだなんて。……まあ怪我してるしね、心配するのが普通なんだよな。
「大丈夫に見えたとしたら、貴方は病院へ行って眼球を取り替えてもらうべきね」
「ぶちころがすぞ」
「冗談よ。まあ、冗談が言えるほどには大丈夫ね。けど、出血が多い所為か意識が朦朧としてきたわ」
 なんて、冷静に自分の状況を説明する銀髪女。そんなこと言われても俺にはどうしようもないというか、ああ、どうしよう、本当にどうしようもないんだわこれが。
「俺が医務室へ連れて行こう」
 俺が途方に暮れていた時、背後で開道寺がそんなことを言った。名案過ぎる。
「いやよ」
 が、ここで銀髪女は拒否の姿勢。冷静に自分の状況を説明できた割に、今の返答は冷静じゃあないね。まったくわかってないなコイツは。
 強がる割に苦しげな表情を浮かべ始めた銀髪女を傍目に、俺は口を開いた。
「銀髪女はこう言うけど、連れてってやってくれよ。ここに寝かせてても、やがては厭な具合に発酵しちゃうと思うんで」
「間違いない」
「間違いだらけで噛み付く気も起きないわ」
 銀髪女の言葉を無視して開道寺と頷き合うと、俺は立ち上がった。
「じゃあ銀髪女、お前はゆっくりじっくり看病してもらいなさい。これに懲りて、今後は人に迷惑をかけるようなことはするなよ。銃は捨てろよ。ちゃんと学校行けよ。歯はちゃんと三分以上磨くんだ。寝る時は掛け布団プラスアルファが必要だからな、今の季節は」
「なによそれ」
 残る二人に背を向けて、俺はエレベーターに向かい歩き始める。そこで、背後から銀髪女の声。
「まるで、というか明らかにもう会わない事前提みたいな口ぶりじゃない」
「いや、俺としてはもう二度と会いたくないというか。俺が遭いたいと思うイコール自殺願望ってことじゃん」
「そうじゃなくて、なんで貴方は」
 立ち止まる。
 ……なんとなく、やーな予感が頭の中にこびり付いてるんだわ。今じゃなくてもう少し先、連想されるのは真っ暗な場所で、もうすぐ“そうなる”ってのが漠然とわかってしまうような。俺もよくわからん。が、しかし、たぶん死んじゃうか、それに近いことになっちゃうんじゃないのかなあ、という確信めいたものがあった。
 だから、俺は“最後”に銀髪女を安心させるよう、さっき見たアレを少しだけ話すことにした。
「最上階かな、屋上じゃねえぞ。このビルの最上階に、お前の親父さんっぽいヤツがいる」
「え?」
 銀髪女は驚いたのか、今まで聴いたことが無い、素の返事をした。
「だからさ、兄貴があんなんだろうと親父がいることには変わりないんだから、まあ、元気出せよ」
 柄にも無く励ましているつもりだった。よくよく考えれば、コイツは怪物兄貴を殺すことに対し、なんの躊躇いも見せていなかったんだよね。うん、これで落ち込むようなヤツじゃあねえんだわ。でも。
「知っているわ」
 銀髪女から返ってきた言葉は、一言では表すことが出来ない、色々な気持ちが入り混じったものに聞こえた。 
「すんまそん」
 ……それっきり、後ろから声が聞こえることは無かった。





 ういいいいん。
 エレベーターの微かな駆動音が、さっきからずっと耳から離れない。そりゃあそうだ、エレベーターに乗ってるんだからね。……緊張してきたわ。
 結局、俺は二人をあの場に残し、一人で最上階に向かっていた。あんなに家へ帰りたがっていたのに、一体全体なんで真逆の事をしているのか。そりゃあ、家に帰っても誰もいないってことがわかっちゃったからであってですね。
 未だに俺はさっき見た映像の全てを信じることが出来ずにいた。だってさ、まさかまさかの母さんが、俺にとって最後に残されたユートピアである母さんが、あんな非日常な風景の中に居たんだ。いつも大好きなカレーを作って家で待っていてくれる大好きな母さんが、だ。
 信じないで家に帰ることもできたと思う。だけど、もし、家に帰って誰も居なかったら、俺は耐えられないと思う。だから、確かめに行く。
「……あー、カレー食いてえなあ」
 ぼそりと、切実な思いを呟いた時、それに合わせるように甲高い音がエレベーターの中に響いた。階数を示す表示板を見れば、60の数字。着いてしまった。
 俺は体を強張らせながら、ゆっくりと開くエレベーターの扉の向こうを見据えた。……そこには、その場に似つかわしくない、ちんまい子が立っていた。
 さっきまで俺と銀髪女、開道寺が居たエレベーターホールとは違い、この階は床一面に真っ赤なカーペットが敷いてあり、どことなくVIP専用ということを強調している感がある。で、そんな場所にちんまい女の子。遠目でもわかるが、来ている服はどうやらウチの制服だ。……そういえばどこかで見たような気がしなくも無い。
 俺は意を決してエレベーターから出ると、ホールの中心、ちんまい子に近づく。と、そこでちんまい子の口が開いた。
「待って、ました」
 ここで気付いた。今日、このビルに来る前、学校でなんやかんやとあった時のことだ。部室にいた、俺の後輩だと言う、あの図鑑ばかり読んでた存在自体が的を射ない、不思議っ子だ! 名前忘れたけど
 で、その後輩ちゃんがなんでこんな場所で俺に対して待ってましただのと抜かしてやがるのか。ここは牽制するべきだな。
「いや、それじゃ俺が待たせてたみたいじゃん、そういう言いがかりは止めてください」
「すみません」
 一瞬にして折れたか。中々に、このビル内にいる人間にしては常識溢れる反応だ。表情を変えないあたりに底知れない物を感じるが、まあよし。次はストレートにいくぞ。
「名前忘れたけどね、ごめんだけどね、なんで君がこんなとこに居んの。というか部長はどうしたんだよ、なんか目が見えねえとか騒いでたけど、大丈夫だったのか」
「……」
「なんとか言わないと犯すぞこのロリ不思議っ子ちゃんが」
「こっち、です」
 ……ひゅー。大したスルースキルだ。俺の法律スレスレ発言を華麗に無視するどころか、この場の主導権を握っちまいやがった。まあよし。
 なんて。よろしくはないわ。
「いや、その前にちゃんと答えてくれよ。部長はどうしたんだ」
「……」
「おい!」
 俺は背を向けたちんまい子に近づくと、そのまま肩を掴む。
 話さない、言えない。どっちでもいいけど、そういう反応ってのは大体において良くない内容の話なわけで、だからこそ、俺はここで何事も無かったように前に進むことは出来なかった。だってね。
「お前、部長になんかあったら山田が泣いちゃうでしょ! いいから無事なのかそうじゃないのか、それだけでも答えやがりなさい!」
 がくがくがく。ちんまい子の、これまたちんまい肩を揺らす。と。
「……無事、で、す」
「ならいいや」
 表情を変えないまま、ちんまい子、略してちん子が答えた。
 無事ならいいわ。あの人のことだから、ちょっとやそっとじゃどうにかされるってことはないだろうしね。
 俺はちん子の肩から手を離す。
「もう俺から言うことはないわ。ちん子にはちん子なりの理由があってここにいるんだろうしね。どこへでも俺を連れて行きなさい」
 俺はそう言って、ちん子に進むよう促した。が、何故かちん子は先に進もうとせず、沈黙の時間が何秒か続いた。そして。
「ちんこってなんですか」
「難しいなおい」
 こんな小さい子の口から卑猥な言葉が飛び出してきた。え、あー。どう答えればいいんだよ……。
 ちんことは何か。残念ながら、俺はその問いに答えられるほどの知識を持ち合わせちゃあいなかった。カレーならいくらでも答えてやれるんだけどね。仕方が無い、ここはうれしはずかしながら俺の股間を露出するしかないんだろうか。
「よし、ちん子、今から俺がちんこを見せてやる」
「いえ、性器としての意味ではなく、何故、私をちんこと呼ぶのか、と、いう意味です」
「なんかごめんなさい」
 どうやらちんまい子は桐谷知江というらしい。そういえば部長が“ともちゃんともちゃん”言ってたわ。俺も言ってたわ。
 ……そんなこんなで。俺はともちゃんに連れられ、なにやらメカメカしい扉の前まで来た。ここに来るまでの廊下は高級志向というか、なんか迎賓的な意味合いなんだろう、すごい煌びやかだったんだけど、さて、この扉は何なのか。
 ともちゃんの頭の上から、俺は目の前の扉をよくよく観察する。俺の身長が170センチくらいだから、この扉は俺1.5倍センチくらいか。取っ手とかハンドルとか無いところを見ると、どうやら自動扉っぽい。……なんという場違い感だ。この一画だけSF映画に出てくるような宇宙船から飛び出してきたかのように。すごくロマンを感じる。
「ここ、です。……じゃあ、私は、下に用が、あるので……」
「あ、はい、わざわざどうも」
 そう言って、ともちゃんはトコトコと、元来た道を戻って行ってしまった。……まあ、深くは考えないでおこう。この調子だとあの子も“能力もってるんですう”とか言い始めそうで恐いし。ともちゃんにはともちゃんなりの事情があるということで、ここは一つ見逃してやるとしよう。そもそも、俺にはそんなことよりも考えなければいけないことがあるわけで。
 深呼吸。
「……よし」
 考えようかと思ったけど、やめた。いくら考えたって、目の前で何かが起きるのは変わらない。じゃあ、その時に考えればいいじゃんね。もし、この扉の向こうに母さんがいたとしたら、そりゃあ、連れて帰ればいいだけの話だ。
 前に一歩進んだ。ちょうどその位置で感知するようになってたんだろう、音も無く、目の前の扉が開いた。
 気圧が違ったのか、急にひんやりとした風が向こう側から吹いてきて、目を瞑ってしまう。……そこに。
「よく来た、と言っておこうか、相羽光史」
 少し歳を感じさせる太い声が、目の前に広がる空間に響いた。遅れて目を開けば、そこには予想に反して広い空間があった。吹き抜けかと勘違いしてしまうような高い天井、どこにこんなスペースがあったのか、だだっぴろい円形の部屋。もう多目的ホールとして使えそうな広さ。
 広さはまだいい。目を引いたのは広さじゃなく、その円形の中央に置かれている物だった。何十本もの変なケーブルがまとわり付いた、岩。そう、岩。岩だわ。なんで岩がこんなとこにあんの。
 俺はその岩から少しばかり視線をずらす。岩の傍には、あの映像で見た通りの、銀髪のオッサンが立っていた。そのオッサンと比べ、なんと岩の大きいことか。俺1.5倍センチとか、そんなレベルじゃない。軽く5、6メートル四方くらいはあるんじゃなかろうか。
「私はマティウス・ガーラック。娘が世話になったようだな、そこは感謝する、と言っておこう」
 ……そして、捜す。オッサンはどうでもいいわ。適当に無視しとこう。
 俺は岩から視線を離して、周りを見渡す。岩に繋がったケーブルを視線で追っていくと、なにやらわけのわからない機械が乱雑に置いてあるスペースに辿りつき、そこに、一人の人間が立っていた。俺に背中を見せる形で、なにやら薄暗い光を放つ画面に向かっている。……ああ。ああ。
 見つけてしまった。
「母さん……!」
 駆けた。今すぐにでもここから連れ出そう、今ならまだ間に合う、そんな、自分勝手な思いを胸に。……後数歩の距離、そこで母さんが振り返り、顔をこちらに向けた。
「動かないで」
 ……頭の芯まで冷える感覚ってのは、こういうことなんだなあ、と、一瞬そんな考えが頭の中をよぎった。
 俺を見る母さんの目は、いつものような優しいものじゃなく、なにより、母さんが、俺に、銃を向けていた。
 何の冗談だよ。俺は目の前で繰り広げられている現実を認めたくなかった。そりゃあそうだ、母さんは俺の日常だ。変人達の範疇に無い、唯一の日常、その象徴だ。母さんは俺を小さい頃から育ててくれて、“あんなこと”になっても全てを許容してくれて、毎日俺にカレーを作ってくれて。
 だから、俺は信じたくない。いや、信じるわけにはいかない。
「おいそこの銀髪男、もうこんな茶番は止めろよ。どうせアンタ等のことだ、また変な能力を持ったヤツを使ってんだろうが、そうはいかんぜよ」
 俺は銀髪のオッサンに顔を向けると、若干の怒りを込めて言い放つ。
 ……そうだ。もしかしたら、この、目の前の母さんは誰か知らないヤツの、あの銀髪のオッサンでもいい、とにかく、誰かの能力で創られた何かなのかもしれない。そうだ、その可能性はゼロじゃない。
「ほう、茶番と来たか。俺は思うよ、相羽光史、俺にとっては君が送っていた日常こそが、茶番極まるものだとな」
 銀髪の男――マティウス・ガーラック。ヤツが笑いを堪えながら、そんなことを言う。なんだそりゃ、さすがの俺でもこれには怒るってもんですわ。
 視線を銀髪男から母さんに移す。母さんはまるで俺がここに居ることに何も思うところが無いと、そう言いたげに無表情な顔を向けていた。その手には、母さんにとって一番似合わないはずの物、黒光りする金属の塊が握られている。
「クソが、勝手に言ってろ。……母さん、早く帰ろう。今ならゲームに2、3回付き合うくらいで許してあげるからさ、だから、帰ろう」
「それは、出来ないわ」
 何かが、崩れる。そんな錯覚。
 ……茶番? ああ、茶番? 待てよ。俺の日常が茶番とか、そもそも、あんなオッサンに言われたくはねえんだよ。俺と母さんが、涼子さんが普通の日常を手にするまで、どれだけ苦労したか、コイツは、コイツはわかってんのか。いや、わかるわけがない。それを茶番だと。割と本気でぶちころがすぞこのクソ野郎。
 動揺する俺とは違い、母さんは表情を変えることなく、俺に銃を向け続けていた。……クソ。心が痛い。こんなのは嫌だ。泣きそうだ。
「母さん、ふざけるのはやめてくれよ。あれだろ、このオッサンに言われて仕方なくやってんだろ? なら、俺がこのオッサンをどうにかするからさ、だから」
「光史、私は、自分の意思でやっているわ。会長の命令で動いているわけでも、メテオ・チルドレンの能力でやらされているわけでもない。私は、動くなと言っているの」
 クックック。堪えるような笑いが、オッサンのいる方向から聞こえてきた。
 ……ぶちころがすどころじゃない。ダメだ、もうやっちゃダメなんだけど、でも、ダメだ、もう――ブチ殺すしかないじゃん、あのオッサン。
 許せなかった。母さんが何を言おうと関係ない、ただただ、あの男が、この状況を楽しんでいるという事実が許せなかった。だから。
 俺は母さんから視線を離し、男に向き直る。殺し方なんてどうでもいい、あの時みたいに刃物は無いけれど、人なんて予想外にすぐ死ぬ。いくらでも殺せる。ブチ殺せる。そうだ、アイツは許しちゃあいけない。
 拳を握り締めて、俺は男を見据え、走り出す。……いや、走り出そうとした。
「え?」
 聞き慣れた音が耳に飛び込んできた。感覚的に聞き慣れた音だってことを把握して、それがなんなのかを理解する前に、強烈な痛みが右足から脳天へと駆け巡った。
「あっ、ぐ、ううううう」
 走り出そうとし、つんのめる形となった俺は自然と床に転がり、すぐさま右足の痛み、その源泉を押さえつけ、悶絶する。……血だ、この感触は。痛い、痛すぎる。けど、痛いけど、そうじゃない、なんで、なんでだ、どうして。
「どう、して、母さん」
「だから動かないで、と言ったの」
 母さんは、白衣を揺らしながらゆっくりと俺に近づいてくる。……なんで平気なんだ。息子だぞ、従姉弟だぞ、それを撃って、なんでそんなに平気な顔をしながら、なんで!
「なん、で!」
「……動かないほうがいいわ」
 そう言いながら、母さんは俺の顔のすぐ傍にしゃがみ込むと、右手を俺の頭に伸ばす。そのままゆっくりと、優しく撫でられた。……いつかの記憶を思い出してしまうくらい、とても、優しく。
 わけがわからなかった。どうして、どうしてこんなことになってしまったんだ。そんな、自分じゃあどうしようもない思いが頭の中で暴れて。いつの間に流れていたんだろう、涙が目から溢れていて、それを母さんがぬぐってくれる。
「……この世界は、つらい事ばかりだわ。だから、ね、変えましょう。光史、貴方ならそれが出来るの」
 いつの間にか、視界が何かに覆われていた。それが母さんの掌なんだとわかった時、耳元で声が聞こえた。
「しばらく、休んでいなさい。――“ファンタズムアイズ”」
 視界が、思考が、世界が――黒色で覆い尽くされた。





次回:第一部最終話『第二章が始まる、とでも言っておこう』
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