トップに戻る

<< 前 次 >>

第二部『プロローグ』

単ページ   最大化   





 延々と広がる曇天が、無数に建ち並ぶビルディングを覆い尽くしていた。
 時たまにゴロゴロと不穏な音が空で鳴り響く中、地上ではビルの隙間を縫うように、豆粒のような人々が忙しく動いている。
 ――風の強い日だ。
 数ある内の一つ、その無個性なビルの屋上から景色を眺める男が、ふと胸の内でそんなことを思った。
 黒いコートは風に煽られ、自前の黒い長髪はまるで生き物のように揺らめいている。……彼はかれこれ二十分ほど、この寒空の下で一人の人間を待っていた。待てども待てども来ない待ち人を思うことに疲れた彼は、自然と視線を眼下に広がるマクロな景色に委ねていた。
「本当にここなのか」
 不意に、彼が独り言を発した。応えるものがあるとすれば、耳を通り過ぎる風の音のみ。そう思えた。
<間違いないよ。的中率については、めん君が一番わかってると思うけど>
 彼の頭の中で、耳鳴りのような声が響いた。依然として彼の周りには人が居らず、果てさて空耳かと思いきや、彼は聞こえてきた言葉に対して何ら疑問を持つことなく、またも独り言を呟く。
「だが、せめて誤差は十分以内に出来ないか。こうも寒空の下に放置されていたら、心が病んでしまう。あと、俺はめんじゃないと何度言ったら分かるんだ」
<文句は帰ってきてから聞くよ>
 その言葉を最後に、彼の頭に声が響くことは無かった。次いで、またも彼の耳は風に支配される。
 ――ああ、今日は本当に風の強い日だ。
 彼は視線をマクロな景色から、背後のミクロな景色に移す。見れば、そこには開いたままになっている屋上の出入り口。……扉はここへ来た時に閉めたはずだが、さて。彼が“起き始めた”事に理解した直後、今まで以上に強く、乱暴な風が屋上に吹き荒れ始めた。
 なるほど、今日は風に縁がある日らしい。彼は心の中で勝手に納得すると、視線を少し上にずらす。空は相も変わらず曇っており、そこには分厚い雲が広がっているのみ。だが、彼が見つめる一点には、その雲をほんの少しだけ遮る障害物が在った。そして、遭った。待ち人に。
「待ちくたびれたぞ。おかげで心まで凍えてしまうかと思ったじゃないか」
 彼は宙に浮かぶ障害物に対し、爽やかな笑顔を浮かべながら語りかける。
 ただの障害物に語りかける、独り言を呟く、端から見れば彼はとんでもなく可哀想な部類に入る人種なのだろう。しかし。
「何だ、お前は」
 宙に浮く障害物は、あろうことか口を利いた。……見れば、障害物には持って生まれた二本の腕、二本の足、一つの頭。間違いなく、その障害物の見た目は人間だった。
「俺か? まあ、敢えて名乗る必要は無いと思うがね。なんせ、アンタの人生はここで終わってしまうのだから」
 爽やかな笑みから一転、不敵な色を含んだその表情で、彼は宙に浮く不可思議な障害物に向かい、言い放った。明らかな挑発を受け、不可思議は一瞬だけ何を言っているのかわからないと言った風な表情を浮かべ、すぐさま破顔する。
「――くっ、ははっ! 何をバカな! ただの人間が俺を殺すとでも言うのかよ! 俺が起こしているこの“現象”を見てわからないのか? この街に住むのなら一度は耳にしたことがあるだろう、俺は貴様ら旧人類がもっとも恐れる、“メテオ・チルドレン”なんだよ!」
 不可思議な人間は高らかに笑いながら、地上で寒さに震える彼を指差す。その直後、彼等を取り巻いていた風が止んだ。不自然すぎる大気の急停止は、続く不可思議に打ち消されることとなる。宙に浮く不可思議な人間の指先に、視覚情報として認識出来るほどまでに膨れ上がった気流が生まれていた。
 乱暴で、力強く、只々傷つける為。掴み所の無い大気の凶器へと変貌していく様が、そこに展開されていた。
「道理で今日は風が強いと思ったぞ。お前みたいなヤツが空を闊歩していたら、そりゃあ風も強くなるというものだ。……しかし、風を使うにしては、少し爽やかさに欠ける顔だな、お前」
 対して、彼は目の前の不可思議に対して、“風が強い”という一言だけで一蹴した。
「……何だ、貴様は。何故恐怖しない。貴様ら旧人類の上位に位置するこの俺が、今、貴様を殺そうとしているんだぞ? さあ、顔を歪ませろ、歪な命乞いをしろ、歪曲してしまった小さいプライドを曝け出せ!」
「あー、なんだ、うん。よく居るんだよな、お前みたいなヤツ。精々偶然手に入れたんだろう、少しだけ人とは違う力を手に入れただけで、他を見下してしまうヤツ」
「あ?」
 不可思議な人間が、不可思議なものを見たかのような表情を浮かべた。いや、それはおかしい、自らが不可思議だというのに、今更何を不可思議だと認識出来ると言うのか。
 だが、現実に不可思議の前で、新たな不可思議が発生した。触れれば例えコンクリートの塊でも粉々にしてしまうだろう、荒々しい大気の渦が、瞬く間に消失してしまったのだ。新たに“発生”させようとしても、そのことごとくが霧散する。
 不可思議は困惑し、自問する。自らが不可思議、自らが上位、目の前の寒そうにしている旧人類如き、何故切り裂くことが出来ないのか、と。……そもそもの、“旧人類”という括りが間違っていたと気付いたのは、正に今、この瞬間だった。
「嫌だ嫌だ、ただでさえ寒いのに、もっと寒くなってしまった。これじゃあ心まで冷たくなってしまう」
 そう言う彼の周りには、白い靄が生まれていた。いつから“発生”していたのか、不可思議がその答えを得ようと頭を回転させ始めた時、彼の口から回答が飛び出す。
「メテオ・チルドレンなんてのはマイノリティであるべきなんだ。いや、そもそも存在しちゃあいけない。だというのに、この俺もメテオ・チルドレンと来た。こりゃあ、この世界がおかしくなってしまったということに他ならないと思わないか?」
 彼の立つアスファルトに、霜が降りる。


『プロローグ』


 肌寒い季節のはずだった。普段の服装に上着の一枚も羽織れば、十分事足りる、そんな季節のはずだった。この瞬間までは。
 季節外れの、まだ着るには早いだろうと思われた黒いロングコート。彼が何故そんな物を着ていたのか、不可思議はようやく理解する。――肌寒い季節が、肌を刺す極寒の季節へと変貌した。
「おお、寒い寒い。ここだけの話、俺は寒いのが苦手なんだ。俺の能力と来たら、使う俺の体温も容赦なく奪いやがるからね。悪いが、すぐに終わらせてもらうぞ」
「何を……バカな、そんな筈は無い、メテオ・チルドレンは総じて企業側に身を置いている筈なんだ。何故だ! 何故貴様のような者が存在している!」
 彼は喚き散らす不可思議を哀れむような目で見つめながら、白い息を吐き出す。ああ、心まで冷たくなってしまいそうだ、と。彼は一人胸の内で呟きながら、白い息と共に言葉を吐き出す。
「どうでもいいが、そんな薄着じゃあ、体が冷えるぞ」
「あ? ……あ、あ」
 彼からの言葉を聞いて、不可思議の表情に恐怖が差す。
 不可思議が見ているのは自身の腕だった。……確かに不可思議は派手な絵がプリントされたTシャツにカーゴパンツと、お世辞にも防寒対策をしているわけではない。だが、今の季節であれば、特に珍しい格好というわけでもなかった。
 不可思議の表情が完全に恐怖を象るのに、そう時間はかからなかった。何故なら、不可思議の肘から先が、まるで石造のように霜が降り、凍り付いていたからであり。
 目の前の彼を不可思議、今起きていることを不可思議、そう認めてしまったが為に、不可思議は、既にただの男として喚くことしか出来ない。唯一、地上に降りることを忘れていることを除いて、男はこの瞬間、人間に成り下がった。
「うっ、嘘だろ? 嫌、嫌だッ! 腕! 俺の腕!」
「もう一つどうでもいいことだが、そんなに暴れると、すぐ壊れるぞ」
「あ、アッ、ギィいっ!?」
 空中で暴れていた男から、落ちる物が一つ。それは屋上の床に落ち、一瞬で砕け散った。男を見れば、在ったはずの右手が、そこだけ取り除いたかのように無くなっていた。数瞬遅れて男の目から涙が溢れ、それすらも凍り、眼球、男の視界が白い霜で覆われる。
 ……寒さ。それはいかなる生物をもってしても逃れようの無い、純粋な破壊。細胞という細胞が壊れ腐れ、その形を留めることが困難になる。男の右腕も例に漏れず、まだ正常を保っている細胞から蹴落とされるように、身から剥がれ落ちた。
 彼はそんな男の惨状を見ても表情を変えることなく、唯々、白い息を吐き続ける。
「ゆっ、許してっ、お、俺は、俺はッ! “ああしろ”って言われただけなんだ! だからッ!」
 男の喚き声とは他に、硬い物が折れる音が聞こえ、続いて硬い物の割れる音が彼の耳に届いた。
 彼はゆっくりと視線をずらして男の左足が無くなっていたことを確認すると、この寒さにも負けることの無い、冷たい光を宿す瞳を男に向けた。
「お前は旧人類とやらよりも優れているんだろう? 俺の顔を歪ませたかったんだろう? だというのに、なんでお前が歪んでいるんだ。ご丁寧にも体まで歪ませて、何がしたいんだ?」
「だから、許し――」
「――風間勝則、23歳。ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通の人生を歩んでいたはずなのだが、楠木コーポレーションに入社した後から、何度か“あること”をするようになる。そのあること、というのが問題なんだよ」
「何、を……」
 彼は男の体から左腕が落ちるのを確認すると、冷たい笑みを顔に浮かべる。
「風間、お前は経緯がどうであれ、普通では考えられない能力を手に入れた。だが、その後だ。その後、お前は何をしたんだ。そうだ、人を殺したんだ。罪の無い家族、帰る場所が無い男、年端も行かない女の子」
「だからそれはっ、言われて……!」
 彼の黒いコートが、なびくことを止めた。コートに付着していた僅かな湿気、さらには化学繊維までもが凍り固まり停止したのだ。だが、それが普通なのだと、彼はその現象を気にすることなく言葉を続ける。
「何を恐がってるんだ。俺が思うに、お前のほうがよっぽど恐いぞ、風間。“こんなこと”をしている俺だが、そんな俺でもお前のような生きている価値が無いメテオ・チルドレン共を残酷に殺す程度しか出来ない。が、お前は何もしていない、ただ普通に暮らす人を何の躊躇いもなく殺すことが出来る。その点で、お前は間違いなく日常に於ける恐怖の象徴だよ。敵わないね、全く」
 男の右足が、男の体から離れた。続いて床に撒き散らされた残骸を見て、彼は男に向けて右手をかざす。
「わかっただろう風間、お前は“人殺し”なんだ。それは如何なる謝罪をも受け付けない、絶対的な悪だ。だから」
 彼は、どうやって対象を壊すことが出来るか理解していた。それは複雑なことは一切必要とせず、ただ単純に、壊したいものを目で確認し、右手を向けて、死ね、と思うだけでいい。その一連の動作を行うだけで、相手は。
「死ね――!」
 ……男の姿は既に無かった。在るのは、屋上の床一面に散らばる赤い色をした何かの破片のみ。既に気温はこの季節に相応しいものに戻っており、彼はそれでも体を震わすと、白い息を吐き出す。
「おい、心が寒い」
 バリバリと嫌な音をコートから漏らしつつ、彼は独り言を呟く。
<帰ったら好きなだけ観ればいいよ、感動モノの映画>
「ダンサーインザダークを借りておいてくれ」
<……寒いどころか氷河期が来るよ、それ>
 それっきり反応が無いことを確認して、彼は最後にもう一度、屋上から見下ろすマクロな景色を視界に収める。
 そしてしばらく経ち。屋上にはそれなりの生臭さとピンク色の水溜り以外に残るものは無かった。





次回:第一話『可能性が摘まれた世界』
28

人大甲 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る