トップに戻る

<< 前 次 >>

第九話『たった二人が幸せなだけでよかったのに』

単ページ   最大化   





「おはよう、光史」
 その瞬間、“私”は相羽光史の視界に覆われた。そうなるだろうと予想はしていたが、まさか一言話しかけられただけで“私”が表に出てきてしまうとは。獄吏道元の空間で見た過去の光景は相当に傷を広げていたらしい。
 何も言わずに無表情なままの“相羽光史”に不信感を抱いたのか、先程まで浮かべていた微笑を崩し、相羽涼子がその白衣の懐からハンドガンを取り出す。
「その反応、覚えがあるわ。アナタ、光史じゃないわね?」
 言いながら安全装置を解除し、構える相羽涼子。
 状況は理解しているが、はたしてこの状況、私が出てきたところで何かが好転するとは思えない。むしろ相羽涼子に対して私への印象は悪いことから、私が出る方が危険だ。
 些か慎重になりすぎたか。何も応えないことを肯定だと受け取ったのだろう、相羽涼子は引き金に掛けた指を躊躇することなく曲げた。
「ぐっ」
 耳鳴りと共に、右の上腕部から激しい痛みが生まれる。反射的に痛みの原因を見ると、掠めたのだろう皮膚が若干裂け、そこから血が流れている。
 無言は得策ではない。このままでは心的防護は出来ても、身体が壊される。
 口を開こうとしたところで、さらに近い所から銃声が響いた。たまらずその方向を見ると、ハインリーケ・ガーラックが同じような銃を相羽涼子に向けていた。
「急に現れたと思ったら勝手にコイツのこと撃っちゃってくれて、もちろん自分が撃たれても文句は無いわよね?」
「……なに、誰かと思えば囚われのお姫様じゃない。散歩にしては物騒な物を持ってるのね」
 相羽涼子が嫌な笑みを浮かべると、気に障る言葉があったのだろうか、ハインリーケ・ガーラックが再度右手に構えた銃の引き金を引く。しかし、人を殺傷し得るその乾いた音はまるで違う方向に弾痕を残すにとどまった。
「ただでさえ射撃の腕はお生憎なのだから、大人しくベッドの上で夢でも見ていれば良いものを。あの人には怒られそうだけど、どうせなら両腕も使えなくしてあげてもいいのよ?」
「ハッ、あの悪趣味な夢ならこっちから願い下げよ。アンタこそ、よくもまあコイツの前に顔を出せたもんだわ。一から十までアンタのした所業を説明したら、どんなことになるのか楽しみで仕方が無いわ」
「その前にアナタを光史には近づけさせない」
「その前にアンタを殺すわ」
 なんとも物騒な状況だ。しかしながらこのまま傍観しているわけにもいかず――相羽光史は二人に好意を寄せているため――私は二人の間に割って入る。
「二人とも冷静になるといい。今、二人のどちらかでも死ねば、相羽光史に深い傷を残すこととなる。二人ともそれは望まないはずだ。そうだろう?」
 その瞬間、二人は互いに向けていたはずの銃口を私に向けた。一瞬で私自身が物理的に深い傷を残し得る状況になってしまったのだ。……私が“ココ”にいる今、他の可能性を見ることが出来ない。それはつまり、私が最善策を掴み取るしかないということだ。
 若干引き攣った表情を見せる二人に対し、私は両手を広げて抗議する。
「待つんだ! 私が死ねば、そもそもの様々な思惑が潰えることとなる。それは君達二人が死んでも結果は似たようなものになるだろう。さあ、落ち着くんだ、ひとまず銃口を下ろす――」
 パン、と。文字数にして二字の乾いた音が鳴る。熱さに引かれて右肩を見れば、薄らと血が滲んでいた。どちらが撃ったか視認出来なかったが、素晴らしい射撃能力だ。
「ハインリーケ、私はこれ以上光史の醜態を見たくはないわ。……いえ、光史の姿でアレ以上やられたら、私、どうにかなりそうなのよ」
「もしかして初めてじゃない、アタシ達の意見が合ったのは。アタシも同意見だわ」
 二人が何故か同調し、何故か私が撃たれたことを正当化されている。理解できないが、一つだけわかったことがある。二人とも、私の股間部分を凝視しているのだ。つられて私も股間部分に視線を移すと、なんの変わりもない生殖器が付いているだけだった。……まさか、発情しているのか?
「君達が何を考えて私に発砲したのかは理解出来ない。さらに言えば、先程から相羽光史の生殖器を凝視するという行為も理解し難いな」
 今の状況に対する私の心情を吐露したところで、二人はようやく私に対して向けられていた銃口を下ろした。ようやく状況が進むと、私が次の思考に入ったところで、何故か二人は沈黙したままこちらに近付いてくる。……やれやれ、我慢の限界、といったところか。
「確かに相羽光史は男性、君達は女性である。だが、発情するにも時と場合というものがあるのでハグォ!!」
 最後まで言うことなく、私という存在は二つの拳により、深層心理へと突き落とされた。

第九話『たった二人が幸せなだけでよかったのに』

 誰か、誰かこの状況を説明してくれ。
「並行世界で無限に死ね」
 一つだけでもいい。全く分からない内の一つだけでも教えて欲しい。
「貴方を殺して私も死ぬわ」
 何故俺は顔をパンパンに腫らしながら素っ裸で二つの銃口を突きつけられているんだ……!? しかも右腕だけ皮膚が抉れちゃったりしてるんですけど? なんなの?
 銀髪女ならまだわかる。もうコイツと銃口はセットだ。ハンバーガー頼んだら勝手にポテトも付いてくるような感じだ。だけど、なんで涼子さんまでも世界の終わりを見てきたかのような目で俺を見つめながら銃口を向けているんだ? なに? やっぱ俺っていらない子? 
 というかね、一番気に食わないのはあの私ちゃんだよ。何が上手くやっといただよ。どう見ても考え得る選択肢の中で敢えて最悪を選んだ結果じゃないかコレは。
「二人とも落ち着け。今は刹那的なアレに翻弄されているだけなんだ。自分の目的を思い出せ。決して、二人して俺を殺すなんて目的じゃなかったはずだ。そうだろう? そうだと言っておくれよ? じゃないと俺泣くぞ? 全裸で色々なもの振り回しながら泣くぞ?」
「……この感じ、光史だわ」
「何だか分からないけど戻ったようね」
 それぞれ何かを納得したのか、二人が銃を下ろす。そう、それでいい。原因は分からないけど、人一人に対して銃口が二つ向けられるなんて、そんな悲しい世界は無い方が良いに決まってるんだ。
「で、相羽涼子さん? そこをどいてもらえないと、アタシとコイツがこの物騒なホールから出られないんだけど?」
「あら、出す気がないからここに居るのよ。……貴女のことは殺さないように言われているけれど、“傷つけるな”とは言われてないの。今なら、精々達磨にしてから011の目の前に転がす程度で済ましてあげるわ」
「――ッ! 兄さんをその番号で呼ぶな……!」
「あの」
「あら、それとも化け物とでも言った方がいいかしら? 怪物? 出来損ない?」
「殺す」
「その」
「よくもまあ言えたものね。その下半身に加えて、当たりもしない銃だけで殺せるとでも? しばらく話さない内に随分冗談が上手になったわね」
「……うおおおおおお!」
 中々話しかけるタイミングが無いから叫んでみた。どうやら反応は上々、二人とも虫か何かを見るような目で俺を見つめてくれる。泣きそう。涼子さんまで。
「あのね、さっきから聞いてればアメリカ生まれのヒップホップ育ちも真っ青な言葉の応酬に俺はビックリだよ。銀髪女は元々アレだとして」
「アレって何よ」
「悪い奴は大体知り合い的な」
「……」
 何も言い返してこないのは良い傾向だけれども、このタイミングで黙って銃の弾倉を交換するのはやめて欲しいな。
「特にね、涼子さん。一体全体、その小悪党みたいな喋り方はなんなの。育ててもらった恩を鑑みても、さすがに擁護し切れない言葉の数々ですよそれ」
「小悪党とは失礼ね。一応貴方の前ではいい子ちゃんぶっていたけど、こっちのほうが素なのよ?」
 思い返す。……いや、言うほどいい子ちゃんだったか? 結構チャランポランのチャランポちゃんだったんですけど。
「いい子ちゃんだったかはともかくとしてだよ。俺は二人に言いたい、まずは殺すとか一旦止めて、俺に色々説明して欲しい。これでも起きたばっかりなんだぞ俺は。分かるか? 起きたら変な石に繋がれていて、全裸で、殺されかけて、今だよ! 少しでも可哀相だと思うなら、何でもいいから説明して!」
「それは出来ないわ」
 なんて、涼子さんは自分が羽織っていた白衣を脱ぐと、俺に投げる。着ろって事か。まだ温もりが残ってる白衣を全裸で着るって結構変態っぽいよね。
 ひとまず銃口を向けられる前に白衣を着る。ああ、やっぱコレ変態だわ。フルオープンより悪いことしてる感じするもん。
「それに、今の貴方を見る限り、“ある程度”知ってるのでしょう? なら、それでいいじゃない」
「なにがいいんだ、なにが。精々俺が知ってるのは涼子さんが結構な悪いことしてきたってことくらいだぞ」
「十分よ。それ以上に何が知りたいの? それとも、まだ認めていないのかしら……ふふっ」
「何が認めてないってんだよ。あと悪い顔しすぎだろ」
「何がって、光史、“あんな”茶番を信じ切って、自分を見失ってしまうくらいショックを受けて、ねえ? 貴方が見てきた相羽涼子は真実なのよ。ほら、今もそんなに顔を引き攣らせて」
 ああ、本当に、悪い顔してやがる。
 何時だって何でも受け入れてきた自信があるけど、そりゃあ認めたくはないさ。顔だって引き攣る。今でも家に帰れば、いつも通りの涼子さんが待っていてくれてると思っている部分はある。だから、認めたくない。こんな現実は。
「……なあ、涼子さん。俺ってさ、結構イっちゃってる部類に入る人間だと自分でも思うんだけど、今からもっとすげえこと言うよ。……俺の能力って、俺が望んだ通りの結果を現実にするんだ」
「知ってるわよ」
「だからさ、俺がこんな現実を認めちゃったら、最後なんだよ。俺だけが、俺が望む限り、こんな現実でもまだ変えれる余地はある」
 それは無理なことなのかもしれない。そんな俺の考えを表すように、涼子さんは蔑むような目を俺に向ける。
「無理よ。それにね、光史。私は貴方に幸せになってほしいの。貴方が隕石に繋がれている限り、それは叶うわ。全てが思い通りになる世界で、ずっと過ごしていられるのよ」
 そう言って涼子さんは俺に手を差し伸べる。その顔には、見慣れた涼子さんの笑顔が浮かんでいた。
「さあ、戻りましょう。そうすれば、貴方も“私”も幸せに過ごしていられるわ。何の悪意もない、そんな世界に」
 その時、俺の後ろから機械的な駆動音が聞こえた。
「あのね、さっきから聞いていれば二人して夢物語ばっか、いい加減に胸焼けがするわ。何が幸せな世界よ。頭ん中お花畑なのは大いに結構。だけど、それを現実に持ち出さないでくれるかしら? アタシとしては今、目の前のクソ年増をどうにかしてここから立ち去りたいのよ。ガーデニングなら、先ずはそこをどいてからにして欲しいわね」
「相変わらず口が悪いわね、このお嬢様は。……退くと思って? 楠木として、私としても、光史に此処から逃げられると困るのよ」
「あっそ。でも、当の本人はどうするのよ。戻りたいわけ?」
「え? 俺? うーん……」
 いや、悩む必要が無いぞ。意識があるこの状態で貞操帯とか着けられた日にゃマジで泣く自信がある。
「俺は嫌だなあ。戻るなら、涼子さんと一緒に家に戻りたいや」
「また、そんなことを――」
 呆れたように涼子さんは口を開く。
 それと同時に、何やら俺の中にある危機感知能力が発動していた。合わせて体も動く。
 涼子さんが喋る終わる前に、俺はその涼子さんに突っ込んでいた。勢いを殺さずに突っ込んだ結果、さっきまで立っていた場所から大分離れた位置で、俺が押し倒しているような形に落ち着く。
「っと、光史!? あのね、一応私と貴方は親子ってことに――」
 確かに白衣という純白のアンチ卑猥コートを手に入れた俺だけど、布一枚の下が全裸という状態でこの状況はマズイ。けど、さらにマズイのは。
「おい銀髪女! お前の兄貴が来るぞ!」
「は? 兄貴って……」
 地響き。ビルの中で地響きと言うのも変な話だけど、その通りなのだから仕方がない。恐ろしいのは、開道寺兄とマコっちゃんがアレだけ天地開闢的な戦いを繰り広げても微動だにしなかったこの区画が、いとも簡単に揺れているってとこ。俺の周りの兄キャラってばこんなんばっかだよ。勘弁してくれ。
 なんて、もやもやしている間に“ソイツ”は姿を現した。“さっき”まで涼子さんが立っていた場所、一際大きな音と共に出てきたその姿は、つい最近見たようで随分前のような、でも既視感マックスなグロテスクっぷりでした。うねうねとミミズのように動きつつ床から出てきた触手、その先っぽに亀裂が入る。はい、あーんしてますね。コレでもかと牙だらけな咥内を見せてくれちゃってます。
「ちょっと何時まで“そう”してんのよ、逃げるわよ!」
「おっと、コイツは失礼。……涼子さん、大丈夫? 怪我ない?」
「大丈夫だけど……って、そうじゃないわ!」
 なんて、俺を跳ね除けた涼子さんは壁際まで走ると、壁に設けられた電話を手にする。
「……チッ、繋がらない。いつも思うけど、なんでこうザルなのよこのビルは!」
「何を連絡しようと思ったのか分からないけど、アレって警備員かなんか呼んでどうにか出来るもんじゃないでしょ。俺の経験的に考えて」
 そんな悠長なことをしている間に、触手が動いた。動いたなんて生易しいもんじゃない、床が落ちる勢いでその頭部と思われる部分を突っ込んでいた。突っ込んでいた場所は、俺の記憶が正しければ銀髪女が居た場所。
「で、こんな状況でもそこを退かないわけ? アタシはともかく、そこのカレーバカが死んだらまずいんじゃないかしら」
 ひゅー、ひやひやさせやがって。ちょっと死んじゃったかなとか思っちゃったじゃん。しれっと取り澄ませた顔でちゃっかり涼子さんを煽る銀髪女を見て一安心。
 俺の能力とやらがどこまで万能か分からない以上、あんまり無茶な状況で動き続けるのは怖いんだよね。
 とかなんとか、床に突っ込んだ触手がまたしても別の場所から顔を出す。それを見た涼子さんは、目に見えて不機嫌な態度をとりながらも背後の扉に手を掛ける。続いて、鍵が開いたような金属音が聞こえた。
「えっ? マジ? 触っただけで開くの? マジ?」
「今時車でもそんなものよ」
「すっげえフューチャー……」
 呆れた顔で銀髪女に指摘されながらも、ちょっとワクワクしてしまった。
 しかしながらゆっくりしているわけにもいかず、涼子さんが開けた扉へ急いで向かう。どうやら触手は例の如く動きは遅いようで、それ以上俺たちを追ってくる気配はない。
 と、扉を抜けた向こう側は非常に見覚えのある真っ白な廊下でした。これってアレでしょ、またグルグル昇っていくパターンでしょ。勘弁してよ。
「降りるわよ」
 なんて、一人でうんざりしていた時、銀髪女がミニ四駆みたいな音と共に緩やかな傾斜を見せる廊下を進む。あ、そうか、登る必要は無いもんね、帰るだけだし。
 しかしながらそうは問屋がおろさない、横から本日何回目かのカチャ音が聞こえた。はい、涼子さんでした! ホントにこのビルにいる奴ってのは銃が大好きだよね。うんざりだわ。
「二人とも動かないで頂戴。これ以上動かれると、こちらとしては面倒なの。ハインリーケ、貴女も久し振りの外で嬉しいのは分かるけど、それもここまでよ。部屋に帰りなさい」
「何の冗談? まだ兄さんが追ってくるかもしれないのに、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
「それじゃあ聞くけど、貴女は何をしたいの? また部屋に戻って、幸せな夢を見ていれば良いじゃない」
 ギシリと銀髪女の車椅子が軋む。
「幸せね。そう、確かにそうね。コイツが作った世界で、何の苦しみもない生活をして、たまに楠木の要望をコイツに叶えさせる。ええ、現実と比べれば幸せでしょうね」
「じゃあいいじゃない。案外、満更でもないのでしょう? 何の目的もないまま外に出るより、よっぽど有意義じゃない」
「……反吐が出るわ」
 そう言って、銀髪女は車椅子を反転させて涼子さんを見る。
「アタシの幸せは、アタシ自身が決めるわ。頼まれもしない幸せなんか与えられたところで、気持ち悪いだけよ」
「あらそう。じゃあ、もう一度聞くわ。貴女、何がしたいの?」
「メテオを破壊するわ」
「……私の幸せは、メテオがあってこそ叶うの」
「聞いてないわよそんなこと」
「あのメテオと、そして光史が居れば、人の願いは容易く叶うわ。ハインリーケ、貴女が本当に願う事だって、いつかは叶うかもしれないのよ」
「そうなのか?」
「かもしれないわね」
「そうなのか……」
 間に入ると怖いから大人しく聞いてたけど、どうやらやはり俺は凄いらしい。確かに俺の能力ってのは、簡単に言えば思い通りの結果を出すことが出来る。けど、それは色んな俺のおかげでもある。もしかしたら、今の俺だってどっかの俺の為に死んでしまうのかもしれない。あんまり万能でもない。
 ……俺が望んでいるのは? そりゃあ、元通りの生活だよ。毎日カレーが食えて、学校行って、帰りに山田とゲーセン行って、カレー食って。まあ、ついでに今まで知り合ったやつらも幸せになりゃあいいかなあ、なんて。……大変だなあ。
 目の前では睨み合いが続いていた。俺としてはこの場から離れたいんだけど、どうでしょう。
「睨み合ってるとこ悪いけど、俺としてはこの場から離れたほうが良いんじゃないかなって思ってたりするんですけど、どうでしょう」
 ――言ってる傍から、頭の中で“二人”が死んだ。
「涼子さん、銀髪女も! 扉から離れるぞ!」
 近くに居た涼子さんを突き飛ばし、続いて銀髪女の車椅子の後ろに付くと、扉から離れるように走る。
 背後で、何かが爆発した。そりゃあ爆発って言うくらいだからね、俺くらい簡単に吹っ飛ぶ。車椅子ごと吹っ飛ぶ。吹っ飛ばされながら銀髪女がぎゃあぎゃあ言うもんだから、一先ず抱きかかえる。
 離れたところで車椅子が派手にぶつかる音がして、遅れて俺も床に肩から着地する。痛い。さらに何故か知らないけど鳩尾辺りが滅茶苦茶痛い。見れば銀髪女がフェザー級日本チャンピオンも真っ青なボディブローを俺にかましていた。そりゃあ痛い訳だ。
「ちょ、っと! アンタなにしてんのよ! 吹っ飛ばすわよ! というか、はだけてる! 色々はだけてるのよ!」
「おっとコイツは失礼。俺の息子がライジングサンしちまったよ。息子だけにね。ふぶぅっ」
 やべえ笑った拍子に鼻血出てきた。そういえば俺女の子苦手だったわ。それっぽい原因は見てきたような気がするけど治ってないわコレ。……女の、子?
「吹っ飛ばすわ」
「あっ、銃はやめて! この至近距離じゃ当たるから! さすがに当たるから!」
 すぐさま俺は銀髪女から離れると、倒れた車椅子を拾ってくる。……すげえ怒ってるわコレ。
 器用に片足で車椅子に乗った銀髪女は、頭に付いた埃をはたき落としながら口を開く。
「で、今度はなんなのよ」
「わかんないけど、少なくとも二人くらい死んだね、俺が」
 粉塵まみれで見辛いが、目を凝らして扉の方を見る。
 死に方としては、爆発に巻き込まれて即死。もう一つは、焼死。なんとなくわかりますね。
「相羽主任、まだ避難してなかったんですか」
「あのね、開道寺君。このビルは全て楠木コーポレーションの物なのよ。もう少し考えて行動できないのかしら」
「ナンバー011が相手ですから。それに、悠長に話している場合では――」
 元扉が有った場所、というか穴から出てきたのは開道寺のお兄ちゃんでした。割と親しげに涼子さんと話している。と、ここで急に寒気がした。嫌な予感とかそんなんじゃなくて、マジもんの寒気ね。
「くっ、往生際が悪い奴だッ!」
 切り裂くような寒気と共に、それは飛んできた。氷の槍とでも言えば良いのか、そんなものが十本くらい穴から飛んでくる。開道寺兄はそれに向かって素早く右手をかざす。同時に、今度は熱気が生まれた。一体何処から出てるのか、もはやビームのような炎が飛んできていた氷の槍全てを蒸発させた。
「相羽主任、貴女に居られると私としても力が思うように出せない」
「邪魔って言いたいのよね」
「そうです。ですから、早くこの場から離れてください。そう長い時間はかけません」
「わかったわよ」
 そう言って、涼子さんがこっちに向かってくる。その時、穴の向こう側を見た。そこには、さっきと同じような氷の槍が何十本も向かっているところだった。ああ、まずい。ちょうど涼子さんの居る位置と穴は一直線となっていた。まずい。
 俺は走っていた。走りながら、見えた。何度も何度も、頭の中で流れる光景で、涼子さんが死んでゆく。



 走る、歩数にして後三歩、そんな頃にようやく涼子さんは後ろを振り向いて、刺さった。氷の槍が何本も。肩に、胸に、腹に、頭に、吸い込まれるようにして刺さってゆく。その数瞬後に俺が伸ばしている手が掴んだのは、既に涼子さんとして認識出来ないくらいの死体だった。



 走った。自分が出せる限界を超えるように。たぶん、人生で一番必死かもしれない。手を伸ばす。肩の関節が外れるんじゃないかと思うくらい。そんな俺の必死な姿を見てか、涼子さんは歩みを止めて、振り返る。刺さる。まず腕に刺さった。まだ間に合う。肩に刺さった。まだ間に合う。腹に刺さった。まだ、間に合う。俺の手が触れた。胸に刺さった。まだ――。



 銀髪女から強引に銃を奪うと、そのまま走った。伏せろ、と俺の声が響く。けど言われた涼子さんは、こんな時に限ってきょとんと、見慣れた、普段どおりの表情を浮かべながら首を傾げる。頭の中で何百回と試行して、この狙いならば当たると言う確信の下、涼子さんの足を撃った。予想通り倒れる涼子さん。床に倒れる頃、その身体には何本もの氷の槍が刺さっていた。



「なんで、だよッ! なんで……!」
 知らずに泣いていた俺は、何万通りに習って走る。他には何もせず、ただひたすらに走った。俺を見た涼子さんは、一瞬、不思議そうな、素の表情を浮かべた。俺は思いっきり腕を伸ばした。その手が肩に触れ、脇に引き込もうという時に、腕から衝撃が伝わってくる。そのまま、俺と涼子さんは床を転がるようにして、頭上を通り過ぎる氷の槍を見送った。
 すぐに起き上がると、倒れた涼子さんを抱きかかえるようにして持ち上げ、見る。その腹部の中央には、先程見送ったばかりの氷の槍が刺さっていた。
 何千、何万という俺が助けようとして、その中でも、一番“マシ”な結果が、今目の前の状況だった。
「光史……? なんで、泣いてるのよ……」
 息も絶え絶えと言った具合な涼子さんが、俺を見てそんなことを言う。
「俺、助けようとしたんだよ。何度も。けど、全然、無理でさ。こんな、どうしようもない結果が、最善で……」
「……私なんかの為に、泣いてくれるんだ」
「あったりまえだろ、おバカじゃないの!」
「あれ、へへ、なんかちょっと今、幸せかも……」
 そう言って涙を流し始めた涼子さんは、俺がよく知ってる涼子さんに見えた。あの、茶目っ気ばかりで、飄々とした、いつも通りの。
「何死んじゃいそうなこと言ってんだよ、涼子さんが死んだら、家で、誰がカレー作ってくれるんだよ」
「死ぬ……死ぬのかなあ……あー、悔しいなあ」
 涼子さんの下には、既に大きな血溜まりが出来ていた。人が死ぬ失血量って、どうだろう。ああ、でも、ダメだ。抑えてても止まらない。
「……光史、ごめんね」
「なんだよ、いきなり」
「周りなんてどうでもよくて、ただ、たった二人が幸せなだけでよかったのに。これじゃあ、どっちも……」
「おい、なんか死にそうな感じだからやめろよ」
「私、どこで間違ったんだろ」
 腕の先から、力が抜けていくような感触が返ってくる。それが俺の腕の力なのか、涼子さんなのか。
「やめろよ……死んじゃったみたいじゃん、これ……」
 軽く揺さぶるも、涼子さんが口を開くことはなかった。
 ああ、なにこれ。ほんとなんなの。せっかく目が覚めたと思ったら、なにこれ。何が望んだ通りの結果だよ。全然だよ。全然凄くない。涼子さんも涼子さんだ。散々俺のことを振り回しておいて、何も教えてくれないまま、これだよ。クソッタレだ。
 涼子さんを床に下ろす。目が開いてたから、閉じる。映画とかで、なんだこれって思ってた動作だけどさ、実際にこうなるとね、結構アレだよね。
「相羽光史、それに、相羽主任……」
 誰かが駆け寄ってきたから目を向ければ、開道寺兄。俺と涼子さんを見て、何かを察したような表情を浮かべると、口を開いた。
「そうか」
「そうかじゃないでしょ、ねえ! 死んだんだぞ、何やってたんだよ! さっきみたく、あの変な氷、全部消してくれりゃ良かったのにさ!」
 たまらず立ち上がると、開道寺兄に掴みかかる。俺としてはこのまま吹っ飛ばされた方が割とスッキリしたと思うんだけど、予想に反して、襟元を締める俺の手を振り払うわけでもなく、苦々しい表情を浮かべる。
「出来なかった」
「なんで」
「あの規模を蒸発させるには、もっと大規模な炎が必要だった。あの場でそれを行えば、相羽主任どころか、相羽光史だって、殺してしまっていただろう」
「じゃあ他に、もっとやりようが……」
「万能、じゃない」
 言って、開道寺は俺の手を振り払う。
「妹が死んだ」
「え?」
「妹だけじゃない、他にも多くの仲間を失ってきた。能力というのは、万能じゃない。それは、相羽光史、お前も今、わかったはずだろう?」
 それだけ言うと、開道寺兄は俺に背を向けて、穴に向かう。けど、開道寺兄が穴に辿り着く前に、そこには一人の男が立っていた。
「ああ、なんだ。一人死んだと思えば、相羽光史じゃなかったらしいな。……どうした? もしかして、“大切な人”だったか?」
 ゆらりと穴からこちらの廊下に出てきた男は、辺りを見渡しながら口を開く。
「ああ、本当に、残酷な世界だ。なあ、元凶」
 空気が凍る音が聞こえた。比喩なんかじゃなくて、実際に、耳に聞こえてくる音。見れば空中には既に見慣れた氷の槍が作られていく。
「安心しろ、お前を殺した後、“他”も全て殺しといてやる。だから、今死ね」
 飛んでくる氷の槍。頭の中では、何人もの俺が死んでいく。けど、なんでだろう。動く気になれなかった俺は、そのまま目を閉じていた。



次回:第十話『Aさん「全員死ね」Bさん「許さん死ね」Cさん「死ねェ!」』
45

人大甲 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る