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自演についての考察(山優)

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「自演」
 この言葉は新都社にいるものならよく聞く言葉だろう。やってみようと思った人もたくさんいるのではないか。が、実際にやっている人がどのくらいいるかは私には分からない。

 なぜ作者は自演をするのだろうか。答えは簡単だ。
 新都社の作品は膨大だ。全部読むことは困難。そこで読者はこれまでの評判に頼ることとなる。その評判を上げる。そうすればたくさんの読者が自作品を読んでくれるのだ。つまり人気を上げるために自演をするのだ。
 他の考えでは見栄のためにやる人もいるかも知れない。たくさんの賞賛のコメントを付けて自分の立場を偉くするのである。なんとも虚しいが。また、自己満足という人もいるかも知れない。

 次に自演の種類について分けてみよう。

1コメント自演
2レス自演
3レビュー自演

 などが、挙げられるのではないか。最も有名なのはコメント自演だろう。これは自作品に自分でコメントを付けるのである。
 レス自演は2ちゃんねるでの自演だ。自作品のほうに話を持っていくのである。
 レビュー自演は自作品のレビューをする自演だ。最速新都ではレビュー機能がある。そこで自作品のレビューをするのだ。これは某先生がやったことが分かっている。(作品は削除され先生は現在新都社にはいない)これは自演を認めた数少ない例だ。また2chのレビュースレでの自演もある。
 
 次に自演の方法について考えよう。ここでは単独でやる場合について考える。複数人数を集めるのは困難だし、裏切りが出るかもしれない。現実的ではない。

 まずはコメント自演だ。バレないことを考えると一日一、ないし二コメントが限界だ。なぜなら一日の間はIDが一緒なのだ。つまりコメントを二回したとバレるのだ。普通の人間は一日二回も同作品のコメントをするだろうか。自演ではないかと怪しまれるのだ。
 他の回線を使えば別人がコメントしているように見せかけられる。会社の回線を使う方法がある。というか他の方法はない。毎日ネットカフェに行ってせっせと自演をする人間はいないだろう。毎日学校のパソコンで自演をするのは無理だろう。
 
 では仮に私が現在連載中の反社会同盟のコメント自演をしたとしよう。一日一回だ。連載開始から約百五十日が経っている。なので百五十ものコメントが増えることになる。
 現在のランキングは四一位で一五票。が、自演をしたとすると一六五票で一気にコ・リズムに次ぐ二位だ。自演恐るべし。
 が、一日一コメはだいぶ不自然さが出てしまう。なぜなら普通は更新時に大量のコメが付きそれ以外はあまりつかないものだ。毎日更新もないのにコメントが付くのは不自然だ。
 それに内容がコメント数に比べて面白くないのだ。
 こんな誹謗中傷(というより事実)コメントが送られてくるだろう。
「山優は自演野郎。つまんねえよ」
「自分で自分にコメ返して楽しいの」
 などなど。

 続いてレス自演について考える。例えば文芸スレにてこんな質問があったとする。
「面白い作品ありますか」
 そこで自作品をプッシュするのだ。
「反社会同盟です。最高です」
 など。が、あまり自分の作品だけを挙げる人はいないだろう。自演だと思われるからだ。いくつかの作品と一緒に挙げるのだ。
 また自分で質問をする場合もある。そして他人に答えさせたあと。
「自分は反社会同盟が好きだ」
 とレスするのである。あるいは自分で自作品スレを作る方法もある。例えば
「反社会同盟スレ」
 などだ。が、これはずいぶんと目立つことだ。それに独自スレが立つ作品は人気作品ばかり。どうしても浮き出てしまう。やる人は少ないだろう。
 他にはレビュースレでの自演が挙げられるがこれは次と同じ内容なので省略する。

 つぎはレビュー自演について考える。レビュー自演では作者は自作品を完全に賞賛するとは限らない。例えば某先生の自演レビューは評価☆三つ。
褒める部分もあったが、批判する部分もある。
 というものだった。北朝鮮のようなプロパガンダをするわけではないのだ。最後には自分で自分のことをウザいと言っている。これはどういう事なのだろうか。
 答えは難しい。その一つはバレないためと言えよう。例えば私が反社会同盟のレビューをしたとする。それがこのようなものだったらどうだろう。

「反社会同盟最高です!文章から溢れ出る才能に圧倒されそうになりました。構成も見事で、私の人生の中で一番の小説です。本屋に並んでいても全くおかしくないと思います。いや並んでない方がおかしいと思います。先生は賞に応募した方がいいと思います。受賞はこの私が保証します」

 多くの人がこのレビューは自演だろうと感じるだろう。あまりにも褒めすぎだ。
 自演をする作品は人気がない。当然だろう。毎回大量のコメントが付きfaがくるような作者は自演までして人気を上げる必要がないのだ。
 人気がない作品はたいていつまらない。異論はあるだろう。芸術は評価できるものではないと。が、つまらない作品と見られているのは事実である。良くも悪くも。
 そんなつまらない作品が美辞麗句のレビューを受ける。不自然にも程がある。
 そういうわけであるていど批判も入れなくてはならないのだ。
 また自演に関する罪悪感も影響しているのかもしれない。あまりに賞賛レビューをするのは良心が痛むのだ。

 考えてみると自演を成功させるのは相当難しいことだ。それをする努力をするくらいなら少しでも作品の質を上げた方がよほど生産的だろう。そしてそれは読者の利益にもつながるのだ。
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