殺意と英雄 〜『戦争における「人殺し」の心理学』から考察する中世の戦闘〜
●はじめに
戦時中における人間の心理とはどのようなものだろうか。
勇敢な指揮官は、何を思って非情な命令を下すのか。はかなく命を散らす兵士たちは、何を思って戦いに参加するのか。平和な時代に生まれた私には、彼らの感情をただ想像することしかできない。
その疑問はおそらく一生尽きることはないだろう。しかし一冊の本との出会いによって、私はある程度自分を納得させる、自分なりの答えを得ることができた。
『戦争における「人殺し」の心理学』と題されたその本によって私が得た確信は、「現在も過去も、戦場であっても日常であっても、根本的には人間の感情の働きは変わらない」ということだ。
B級くさいタイトルとカバーデザインだが、原題は"On Killing:The Psychological Cost of Learning to Kill in War and Society" で、邦題は少し意訳が過ぎるかもしれない。直訳すると、『殺人のために―戦争と社会において、殺人を学習すことの心理的負担―』とでもなるだろうか。著者デーヴ・グロスマン氏は元米国陸軍の士官で、軍事社会学・心理学を研究する人物。自身の体験と多くの元兵士に対する取材に基づいて執筆された、ヒジョーに真面目な本だ。
この本は、邦題から想像するような殺人鬼の心理についてではなく、戦場に放り込まれたごく普通の、当たり前の人間の心理について述べている。細かいことは実際に買って読んでほしいところだが、私が特に衝撃を受けた内容は、要約すると以下のようなものだ。
いわく、
・人間は本能的に同族殺しに対する嫌悪感を持っている
・第二次世界大戦時の米軍の調査では、80~85%の兵士は敵に向かって発砲すらしていない
・敵から殺されることよりも自分が敵を殺すことに恐怖を感じる兵士が数多く存在する
・一般的な兵士は自分が発砲するより、一部の攻撃的な兵士を支援することを好む
・近年における兵士の発砲率の上昇は、兵士に殺意を感じさせない、条件反射を利用した射撃訓練の成果である
私は以前、兵士とは特別な人種だと思っていた。すなわち、人でありながら、人を殺すことができる人間。人に殺すこと、死ぬことを命じることができる人間。
それが仕事であるとはいえ、兵士とはそうした状況に適性のある者以外には勤まらないものだという偏見を持っていた。
しかしどうやら、実際は違ったようだ。
戦場にあっても多くの兵士は人間らしさを失わず、同族殺しの恐怖を常に抱えている。皆、自らの本能と矛盾する命令に苦しみ、それをなだめすかしながら戦っている。
一見信じ難い内容だったが、読み進めるうちに私はこの本の記述を信用するようになった。
これらの原則が、現代の戦闘だけでなく私の得意分野である西洋中世の戦闘にもあてはまる部分があることに気付いたからだ。以下、そのことについて述べたいと思う。
●中世における戦闘と殺意の介在
1.封建制下の槍騎兵の戦闘
封建制下における貴族とは、封土を経営する領主であると同時に、戦時には甲冑を着込み槍を携えて王のもとに参じる騎士だった。彼らは王からの庇護と領地安堵を受けるかわりに軍事力を提供する。
また、彼らは領民から税を徴収することによって収入を得るが、その見返りとして領民を保護する責務を負う。
この二つの契約関係を維持するために、貴族は軍事力を養わなければならない。
それには当然自己の鍛錬も含まれるが、税の徴収による経済的保障は、自己鍛錬を可能にする時間的余裕を彼らに与える。
つまり貴族とは戦士階級であり、職業軍人である。騎乗や刀槍の扱いといった戦闘技術に誰よりも長け、平時においては不労の特権を持つかわりに、戦時には率先して敵をうち倒すことを義務付けられた人間である。
あるいはそうした立場の人間でなくては、高額の武装を買い揃え、かつ使いこなすことはできなかったと言うべきかもしれない。
そうしてうまれた「槍騎兵」は、しかし、単独で戦場に赴くわけではない。槍や盾を運搬する従士2名、護衛役の軽騎兵と歩兵、馬丁などを含め、6人前後を一組として「戦闘単位としての槍騎兵」のチームを形成し、行動を共にするのが常だった。
彼らの中で最上位の貴族であり、優れた装備と戦闘技術を持つ槍騎兵を、複数の従士たちがサポートする。この「戦闘単位としての槍騎兵」のシステムは、現代戦において多数の兵士が一人の攻撃的な兵士を支援する現象とよく似ている。
では、率先して敵を攻撃する役割を担う「個人としての槍騎兵」は、一体どのような意思をもって戦ったのだろうか。
異教徒との戦闘や敵の殲滅を目的とした大規模な会戦といった極端な事例を除けば、西洋中世の戦闘における死傷率は非常に低い。もちろん兵器発達の程度は考慮しなければならないにしても、である。
その原因の一端は明確で、率先して戦うべき騎士たち自身が、特別な理由がない限り「なるべく敵を殺さないように」戦っていたからだ。
彼らがそうした行動をとる具体的な要因としては、無制限の殺戮を禁じる慣習法と騎士道文化、戦争の商業化(敵を殺さず捕虜とすることで多額の身代金を得ることができた)がまず挙げられる。社会規範にもとる殺戮は彼らの立場を危うくし、また収入を得る機会を逸することにもなったのだ。
しかし、はたしてそうした実利的側面だけをもってこの慣習を理解していいものだろうか。
近世にかけて廷臣化していった頃の貴族と違い、封建時代全盛の貴族は未だ軍人としての性格を色濃く残している。階級も近世以降ほど硬直化しておらず、武功によって成り上がる貴族もいまだ存在した。
そうした武骨な、多分に荒っぽい人間を多く含む集団の中でも、こうした根拠や罰則のはっきりしないゆるやかなルールがおおむね守られていた(少なくともキリスト教徒の騎士階級どうしの争いでは)という事実には、多少の違和感をおぼえる。
現代の兵士の多くが戦時中も人間らしさを失わないように、武張った中世の騎士たちもまた、殺人に抵抗感を持っていたとは考えられないだろうか。引き金を引くだけで人を殺せる銃でさえ、特殊な訓練無しでは人に向けて撃つのは難しい。ましてや、躊躇なく槍で人を突き刺すことのできる人間が、どれほどいただろうか。
私は、そうした殺人を忌避する本能の存在が「殺さない戦闘」という慣習を存続させる要因となったのではないかと推測している。
一方で、騎士たちはキリスト教徒に対する優しさとは裏腹に、イスラムやスラヴの異教徒に対しては時に信じ難い程残虐になった。
しかしこれを、異教徒を同等の人間として扱わない当時の価値観を強く反映した結果であるととらえれば、逆説的に、たとえ敵であっても「同じ人間」と見なした者に対しては強い抑制が働いていた事を示すと言えるのかもしれない。
2.殺意なき戦闘教義
英仏百年戦争において、初期~中期のイングランド優位を決定づけた戦術として名高いモード・アングレ。いわゆる長弓戦術は、中世の戦闘としては例外的な大損害を、幾度にもわたってフランス軍に与えることに成功した。
特筆すべきは、この長弓隊の担い手が職業軍人ではなく、徴募された農民であったことだ。
当時のイングランドでは、自由農民の男子に幼少時から長弓の訓練をさせていた。イングランド式の長弓は張力が高いため、誰にでもすぐに扱える代物ではなく、部隊の質を維持するためには長期にわたる訓練計画が必要だったからだ。
しかしいくら日常的に訓練を受けていたとはいえ、彼らは農民である。普段戦争とは無縁の日々を暮らし、人を殺す覚悟など持ちようもない人々だ。その彼らが、なぜ多くの名のあるフランス騎士たちを殺しえたのか。
その理由は、長弓戦術という戦闘教義の特性にあると私は考える。
第二次世界大戦時の米軍の調査では、80~85%の兵士は敵に向かって発砲すらしていない、という研究については先に述べた。このことは、敵に向かって引き金を引く行為、つまり「殺意」に対して、人は大きな抵抗感を持っていることを示している。
現代の兵士は、この抵抗感を克服するために特殊な訓練を受ける。詳しい手法については割愛するが、要は敵を射殺する一連の行為を、「敵を狙って、殺意をもって、敵を殺す」のではなく、「敵を見たら引き金を引く」という単純な反射行動として体に染み込ませるのだ。
イングランドの長弓兵は、殺意を持たずとも人が殺せるという点で、この現代の兵士と共通している。
長弓は相手を直接狙わずに、斜め上に向かって矢を連射して弾幕を張って運用する兵器だ。
つまりイングランドの長弓兵たちは、戦闘中にも相手を殺すという明確な殺意を持たずとも、一心不乱にいつもの射撃を繰り返すだけでよかった。周囲の兵士が、自分とまったく同じ動きをしていることもまた、兵士たちに殺人の意識を忘れさせる要因となっただろう。
長弓兵たちがその練習通りのルーチンを繰り返すだけで、無策に突撃するフランス騎士は、雨の如くふりそそぐ矢を受けて壊乱することになった。
中世末期から近世にかけて、重装騎兵を没落させたもう一つの戦闘教義であるパイク方陣も同様だった。皆と一緒に隊伍を組み、行進し、決められた動作で槍を構えることは、すなわち敵を殺すことと同義となる。
1477年のナンシーの戦いで、パイクをもってブルゴーニュ公とその騎士たちを殺害したのはスイスの貧しい農民からなる傭兵部隊だった。また遠く遡れば、古代ギリシャの重装歩兵の隊列も、職業軍人の仕事ではなく自由市民の義務によるものだった。
これらの優秀な戦闘教義は、本来なら殺人に対し強い抵抗感を示すであろう兵士たちに、殺意を意識させない事で効率的な殺人を可能にするシステムだった。
3.英雄の存在、一騎討ちの必然性
西洋の騎士道物語や日本の軍記を含め、世界中の歴史書や戦記物語には一騎当千の英雄がたびたび登場する。彼らは強力無比の戦闘技術を持ち、並みいる雑兵をなぎ倒し、敵方の勇者と死闘を繰り広げる。
それらは所詮は古くさいフィクションの産物であり、戦争の本質は兵隊同士のぶつかりあいである、という解釈が、近年の歴史創作の流行であると言えるだろう。
しかし私はここであえて、英雄の存在と一騎討ちの必然性を肯定したい。
大多数の人間の心理は、戦場においてさえ殺人を忌避する。ライフルを持った第二次大戦の兵士の発砲率が2割に満たないのであれば、刀や槍で武装した、特別な戦闘教義にも組み込まれていない一般兵士が、およそものの役に立たなかったであろうことは容易に推察できる。彼らの多くは、効果的に人を殺す術さえ持ち合わせていなかっただろう。
そうした中で、西洋中世の槍騎兵や日本の武士、つまり兵士たちの指揮官たる職業軍人は、戦闘技術を磨き、それをもって戦うことを生業とする者である。格闘技経験者と未経験者の間に埋め難い差があるように、指揮官と兵士の間にも大きな戦闘能力の差があったはずである。
加えて、このような興味深い研究が存在する。
「スウォンクとマーシャンによる第二次世界大戦研究はあちこちで引用されているが、戦闘が六日間ぶっ通しで続くと全生残兵の98パーセントが何らかの精神的被害を受けている。また、継続的な戦闘に耐えられる二パーセントの兵士に共通する特性として、〈攻撃的精神病質人格〉の素因をもつという点があげられる」『戦争における「人殺し」の心理学』(p101-102)
この研究は、第二次大戦に参加した兵士の98パーセントを占める、ごく普通の、あたりまえの人間の脆さを示すと同時に、2パーセントの例外の存在を認めている。
多くの兵士が人殺しの苦悩に神経をすり減らす中で、平然として戦闘行為を続けられる人間が、ごくわずかながら存在する。彼らが一般社会から〈攻撃的精神病質人格〉と見なされようと、戦場にあっては優秀な兵士である事には変わりない。
もし、戦闘技術に優れた職業軍人の中に、この2パーセントに該当する人格を持つ者がいればどうだろうか。
ろくに戦う術ももたず、敵を殺す意志ももたない兵士たちの中に、鍛え上げられた戦闘技術と明確な殺意を持つ人間を放り込めば、そこに一騎当千の英雄が完成するのではないか。
仮にそうした英雄が存在した場合、敵方がそれを止めうる手段を考えるなら、弁慶の最期のごとく遠巻きに矢を射かけるか、あるいは同等の戦闘技術を持つ人物が相手をするしかなくなるだろう。そしてそれは必然的に、同じ職業軍人たる指揮官の仕事になるはずだ。
いずれにせよ、軍記物語の世界がそこに再現されることになる。
●おわりに
「レパントの海戦は、歴史上の一事件である。〔中略〕他のすべての戦闘と同じく、男たちはいかに闘ったかの一事に、所詮は帰される戦いである。この視点に立つならば、キリスト教徒であろうとイスラムであろうとちがいは消えてなくなり、四百年の歳月も消えてなくなるように思われる」塩野七生『レパントの海戦』序文より
人間の考えることというのは、おそらく古今東西大して変わることはないのだろうと思う。そこが現在でも中世でも、家でも戦場でも。
だからこそ私たちは、歴史や戦争、その当事者たちの心情を推測し、時に寄り添い、時に批判し、このように考察や創作のタネとすることができる。
『戦争における「人殺し」の心理学』は、私にそのことを改めて思い起こさせた。戦争を経験していない私が戦争当事者の心情を推測することも、彼らが私と同じ人間である以上は、決して無駄な行為ではないと思えるようになった。
もしこの文章を読んだ人の中に、今後歴史や戦争を題材に創作をしようと思う人がいるなら、その前にこの本を一読することを是非お勧めしたい。