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或る日の夕暮れ

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どれ程の時間が経つたのだらうか。

アノ人の晴れ姿を見て、私は茫然自失だつた。

現実に繋がれた儘、彼の地に旅立つた。

首に縄を括り付け、誇らしげに哂ひ乍。

解き放たれた其の姿はまるで晴れ姿。

嗚呼、私の望む姿だつたのに、

アノ人が先に旅立つてしまつた。

小高ひ丘の上、アノ人が首吊つて哂つて居る。

だらしなく垂れた舌から涎が零れ、

夕暮れに煌き、其れは酷く美しい。


――其れはどんな気分だい?


一切の苦悩から断ち切られたアノ人は、

到底手の届かない場所へ行つて仕舞つた。





私はアノ人を愛して居た。

他の総てを超越し、何をしても一流で、

まさか最後迄他を凌駕する等。

もう、何も、言へない。


――現世より、其方は美しいかい?


嗚呼、もう届かない。

私の言葉等如何しても届かない。

故に、行きたい。

私も其方に行きたい。

そして、又アノ頃の様に、

哂つてアナタを愛したい。

追ひ駆けて行けば、アナタは哂ふカシラ?


――馬鹿ダナァ。


そんな声が、もう一度、聞きたい。


空に、空襲の合図が響く。

其処で死ねば、私は皆と同じ場所に逝く。

アノ人とは違ふ場所。

其処は決して寂しく等は無ひだらう。

然し、アナタが居ない。

其れだけで、私の世界は酷く暗く、

手も目も口も総て腐つて仕舞ふ。

アナタに見られては困る。

私の無様な末路等。



故に、私も逝くと決めた。

帯を木の枝に括り付け、

選んだ場所はアナタの隣。

其処が私の特等席。

私だけの特等席。

誰にも、譲りは、しない。


帯を首に繋ぎ、

アノ人の元へ旅立つ道は出来た。

笑顔が絶へない。

漸く、アナタに追ひ付く事が出来た。

今迄何をしても届かなかつたアナタの場所まで、

行く為の切符を手に入れたのだ。



足を滑らすだけで行くと言ふ時になつて漸く、

アノ人が逝く時に見た景色を観た。

其処は未だ空襲を受けず、

其の儘の姿が夕焼けに照らされ、

何時か観たルネッサンスの絵画を思ひ出した。



――嗚呼、アナタが見せて呉れましたね。



此れが現世の最後なんて、美し過ぎる。



――アナタも同じですね。



アノ人は、決して哂わない。

傀儡の様に只、其処に居るだけ。

故に。


――私も、直ぐ、其処に逝きます。




少し高ひ岩を飛び、

首の締め付けを感じて幾許の時が流れ、

意識は現世を離れた。



嗚呼、此処は暗ひ。

でも暖かいよ。アナタの隣だから。

ねぇ、もう一度哂つて見せてよ。

嗚呼、もうアノ人が見える。

哂つて、呉れ、た。



――馬鹿ダナァ。





「おい、何をやつて居るんだ!」


酷く大きい声を聞き、私は戻つて来た。

涙と鼻水、唾液で酷ひ顔をしていた。

首の壓迫から開放される。


目を開けると、二人の男と

一人の女が居た。


「馬鹿! こんな処で死んで如何する!」

「考へ直して。何か辛ひ事が有るなら、

私が聞くから。」


殻々。


「大丈夫か。余り時間が経つて居ない様だから、

別状は無ひと思ふが…」


殻々。殻々。


「其れ拠り早く! 此処も長く無ひ。

米軍が直ぐ其処迄来て居る。」

「さぁ、早く!」

「早く!」

「早く!」


―――――

――――

―――

――



………ァ



アアアァァァァァァァアアァァァァァアァァァァ

ァァアアアアアアアアァアァァアアアアアアアア

アアアァァァァァァァアアァァァァァアァァァァ

ァァアアアアアアアアァアァァアアアアアアアア

アアアァァァァァァァアアァァァァァアァァァァ

ァァアアアアアアアアァアァァアアアアアアアア!!



「何故! 何故引き戻した!」

「アノ人は哂つて呉れた! 出迎へて呉れた!」

「漸く、アノ人の元へ行けたのに、何故!」

「もう行けない! もう二度と逢へない!」

「何故! 何故! 何故!」

「何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故
何故何故何故何故何故何故何故何故何故」




――木霊する。

――木々が揺れる。

――空気がざわめく。

――遠くから聞こえる爆音。


――終わりが、近付ひて居る。
2, 1

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