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第十八話 JOKER

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「ふざけんな……

 そんなの通るわけねーだろっ!!!」

 書斎に響き渡った倉田の怒号は、本棚に長年降り積もっていたホコリを盛大に巻き上げた。汚染物質を吸い込んでしまったのか、カガミがこほこほと咳き込む。
 シマはといえば、耳を覆って明後日の方向を見つめていた。どうやら煩わしい説明はすべて天馬にさせる気らしい。
 怒りと困惑で顔を真っ赤に染め上げてしまった倉田に天馬は向かい合った。
「だからさ……さっきシマが言ってたろ?
 『次にこの席に座ったときに、目を潰す』って。
 つまり座らなきゃいい。
 代わりのやつが打てば、それで」
「あのな……屁理屈にも程があんだよ!
 第一、おまえ麻雀できねえって言ってただろうがっ!!」
 倉田の当然の疑問に、天馬は冷や汗をかきながら用意していた答えを返す。
「だからシマは長めの休憩を取ったわけで、つまりその、今まで俺に麻雀を一から教えてたってことだったわけで」
「冗談も休み休み言え!
 そんなのジャッジが許すわけねえっ!!」
「問題ありませんよ」
「ハアッ!?」
 顎と舌の間にリーチ棒が三本は入りそうなほど倉田の口が開いた。
「な、なんで!?」
 本棚を梯子代わりにして降りてきたカガミに倉田は口角泡を飛ばしながら食って掛かった。
「どう考えたってムチャクチャ言ってんのは向こうだろっ! 不公平だ!!」
 スーツの汚れをパンパンと払い落としながら、カガミはよどみなく答えた。
「どこが不公平なのか判断しかねます。
 今の休憩は、麻雀の基本ルールを教えるには充分な猶予がありました。天馬様側の説明に矛盾は見当たりません。
 次に、眼球の件についてですが、シマ様はさきほど雨宮様に念をお押しになられていました。
 次に席に座った時に目を潰す……
 本当にそれでいいのか、と。
 私は確かに拝聴いたしましたよ、『それでいい』という返答を」
「ぐっ……」
 感情がまったく拭い去られてしまっているカガミの声音と表情に、倉田は二の句を継げずに言い澱んだ。
 やつは問題ないだろう、と天馬は視線を倉田から外した。
 厄介なのは目を瞑って眉間にシワを寄せている、雨宮。やつにこちらの理を覆されてしまったら、すべてが終わりだ。
「あ、雨宮センパイからもなんか言ってくださいよ」
 八木からも反撃の催促があるが、雨宮は身じろぎもしない。
 長い沈黙が流れ……

「ふう。




 仕方ない、いいだろ」


「雨宮ッ!?」
「ま、一応理に適ってるしな。その代わり当然、打牌に関するアドバイスは一切禁止だ」
「でもよ……」
 腑に落ちない様子の倉田たちを雨宮は手で制した。
 雀卓に乗り出し、耳を覆っているシマに呼びかける。
「おい、シマ。聞けよ」
「アーアー聞こえナーイ」
「俺にはおまえがいま、なにを考えるかよーくわかるぜ。
 『迂闊な一言を逆手に取ってやったぞ、バカめ。やはりわたしの方が一枚も二枚も上手だ』
 そう思ってんだろ?
 けどな……

 おまえは、策に溺れたんだ」

 雨宮の言葉に倉田も八木も不審顔。それもそのはず、彼らにとってこの状況はシマにしてやられた形にしか思えないだろう。
 だが天馬には痛いほどわかっていた……この策の欠点が。
 シマの両手が耳から下ろされる。
 その眼光は鋭く厳しく……

 口元には、いつもの微笑み。
「つまり君はこう言いたいわけだ。
 天馬相手じゃ、話にならない……って」
「クク……そりゃそうだろ。
 おまえは会ったばかりでよく知らないんだろうが……
 こいつはそんじょそこらのクズじゃない。
 本物の、カスだ。
 大事なところで手が縮み、勝利を逃す。決断を先延ばしにし、チャンスを見送る。
 そういうヤツ。凡夫。三流どころじゃない、勝負の舞台にすらあがれねえ、チキン野郎なんだよ。
 おまえの策はただただ自分のお目々が惜しいだけ……臆病風さ。
 だったら狙い撃ちにしてやるよ、そんな弱気は」
 まさに言いたい放題だが、天馬は言い返せなかった。ただ俯くばかりだ。
 そんな天馬に一瞥もくれず、シマは問いかける。
「そうなの、天馬」
「…………」
「あんなこと言われてるけど」
「…………」
 天馬の拳が強くきつく握り締められた。
 が、それだけ。
 それを見て雨宮があざ笑う。
「な? こんだけ言われても文句の一つも言えやしねえんだ、そいつは」
「ふーん……」
 シマは天馬の顔を見上げた後、彼の丸められた右手をすっと手に取った。

「うん、大丈夫」
「え?」
 なにが、と聞き返そうとした天馬の手にシマは力をこめた。



「拳を握り締めるだけの意地が残ってれば――



 ――それで充分だよ」



 その言葉を聞いたとき、天馬の心に震えが走った……
 心に巣食っていた茨のようなものが、スッと消えていくような……


「気楽に打っていい。失敗してもいい。
 ただ最後まで諦めないで……。
 それは奇麗事でも夢物語でもなくて……
 細くて長い……勝利へのたったひとつの道のりなのだから……」


 卓を囲む最後の椅子に、最後の勝負士の手が置かれた。
 震えながらも、しっかりと。


<南一局 親:雨宮 ドラ:三萬>


 ついに始められた天馬の麻雀……その初めての配牌。
 慣れないながらも天馬は理牌を終えた。

<天馬 配牌>
149, 148

  

 一一三三六八八九②②25西 ツモ:1ソウ

 典型的な染め手気配だ。しかし今、トップの雨宮との点差はわずか。
 ここは親を流せるような軽い牌姿が理想だったのだが、来てしまったものは仕方ない。
 それにもし、この手をチンイツに仕上げればドラ2も絡めてハネ満は確定……
 天馬はごくりと生唾を飲み込んだ。
 もう南場……アガれば恐らく、逃げ切れる。
 しかし、焦ってはダメだ。ここは5ソウを切り飛ばしてチートイやピンフイーペーコも見るべき……。

 天馬:打5ソウ

 この時、天馬はまだ懸命でいようとしていた。
 しかし次の順……

151, 150

  


 一一三三六八八九②②12西
 ツモ:三萬

(うっ……)
 天馬、ドラ暗刻……!
 チートイツに向かうなら切らねばならない牌だ。しかしこの手、リャンシャンテン。チートイはイーシャンテンまでは割りと簡単にできる役だが、そこからテンパイまでが案外に遠い。
 無理してトイツを追うよりも、やはり横の伸びを期待した方がいいのか……?
 二打目にして長考した挙句、天馬は西を切り飛ばした。
 まさかここで西をツモり直すとか、そんなベタなことはないだろう。
 そんな不安を抱えながらの、三順目……
153, 152

  

 一一三三三②②12六八八九 ツモ:九

(チートイか染め手かは、ソーズの1と2を切り飛ばしてからでも遅くない……)

 打:2ソウ

 しかし天馬の思惑をよそに、決断の時は早くも訪れてしまう。

 倉田:打八萬

 染めるなら鳴いた方がよい牌だ。
 九萬や一萬と違い、八萬は鳴いてもタンヤオの線が残る。残ったマンズが他家からこぼれる公算は悪くない。
 それに見逃した場合、八萬を他家がメンツにしてしまったら永遠にこぼれなくなってしまう。
(どうする……どうする……
 ああ、くそっ……!)
 雨宮がヤマに触れる寸前、

 ばらっ

「ポン……!」

 結局、天馬は八萬をさらし打1ソウ。染め手へ。





「…………」

 その順の対面・雨宮の手……

<雨宮 手牌>
155, 154

  

 一一二三②⑤⑥235白白中
 ツモ:北

 通常ならば北か中を落とすというところ。ホンイツを警戒して牌を絞るなら、②ピンあたり。
 しかし……

 打:一萬

 雨宮の目は、天馬の額から滴り落ちる汗を見逃さなかった。
(この状況、タンヤオ手でポンなんか誰がするもんかよ……
 あるとするなら、ドラの三萬をドラとして抱えてる場合か……染め手。
 ま、十中八九ドラ抱えの染め手だろ、あの焦りまくってる顔は……。
 八木と倉田に変な牌打たれるよりも、ここは早めにヤツの手を晒しちまう方が無難だ……)

 相手の心理を読みきった、雨宮の打牌。
 その釣り針に、天馬はあっさりとかかってしまう。

「……ポン」

 天馬、二鳴き。もう染め手かトイトイしかありえないという状況。

<天馬 手牌>
 
157, 156

  

 三三三六②②九九 (八八八)(一一一)

 六萬を切ればテンパイだが、待ちは②ピンと九萬。
 しかし②ピンは倉田が一枚、一巡目に切り飛ばしている……残りの一枚は恐らく他家の手牌の中だろう。
 九萬も、この鳴き晒した形で出されるとは思えない。張子の虎だ。
(目先のテンパイに流されるな……ここは②ピントイツを落とし、四萬か七萬を引き入れて、そこから多面待ちに移行すべきだ……。
 ツモれば倉田は飛ぶし、仮に八木や雨宮から出アガれれば、チンイツドラ3。倍満……。
 高目を狙う……!)

 打:②ピン



 一順後……
 ツモ山からやってきたのは、はたして女神か死神か。
 天馬はもってきた牌を隠す指を少しずつずらした。

<天馬 手牌>
159, 158

  

 三三三六②九九 (八八八) (一一一)
 ツモ……七萬

(来た……最高の牌……!
 テンパイ、五八萬待ちっ……!!
 もしかして来ているのか……?
 波が……この俺に……!
 そうだ、雨宮も言っていた。
 シマは衰運……ってことは、そのたゆたった運は、意外と俺に流れてくる……?
 考えてみれば、さっきの盲牌ゲームだって常識じゃ考えられない確率だった。
 きっとシマはそれを見越して、俺に任せたんだ……
 五萬はションパイ……いまなら引きあがれる……!)

 打:②ピン




「シマ様」
 カガミはシマの耳に口を寄せ、囁きかけた。本棚に寄りかかったまま、こっくりこっくりとうたた寝していたシマはハッと目を開ける。
「うん?」
 ごしごしと目をこすった。相当眠そうだ。見ると目が少し充血していた。
 もしかして、夜に弱いのだろうか、と想像しカガミは少し呆れた。徹夜できない博打打ちなど馬に乗れない武将のようなものだ。
「よろしいのですか、ご覧にならなくて。勝負が決まりそうだというのに」
「は……?」
 シマは天馬の手牌と河を一瞥すると、小首を傾げてカガミを見つめ返した。
「なんで?」
「なぜと申されてましても……五萬か八萬を引きあがれば、馬場様の勝利ではありませんか」
 ここでの会話は雨宮たちには届かないゆえの発言である。
 それを聞いたシマの口から「あー」と不明瞭な声がこぼれた。
「そうかなあ……」



 気のないシマとはまったく対照的に、天馬は背筋が震えるのを感じていた。
 一打一打が切られるたび、その牌を確認するごとに鼓動が跳ねる。
 なにせ賭けられているのは、二人の身柄と妹の名誉。負けましたでは済まされない。
 勝たねばならない……。
 が……


 ⑨ピン

 北

 中

 7ソウ

 1ソウ


 引けない。肝心のただ一牌が、






 2ソウ

 引けない。
 ただただガラクタのような牌が積み重ねられていく……。
 そして勝負の時、相手はただこちらの停滞を黙って見てくれているわけではない。
「リーチ」
 雨宮は牌を伏せ、3ソウを横にする。それに対して上家の八木は9ソウ打。
 天馬のツモ番である。
(頼むぞ……もういいだろ……来てくれ……
 来てくれよっ……!)

 ツモ:




 ①ピン

(うわっ……)
 雨宮のリーチに対して、最高に危ない牌。

<雨宮捨て牌>
161, 160

  

 さすがにこれは切りにくい……かといって、天馬の手はチンイツ。ファンパイ使いのホンイツと違い、回せばアガリ放棄に等しい。
 この手をこんな形で終わらせてしまったいいのか……
 ①ピンは危ないが、確定というわけではない。3-6ソウや③-⑥ピンだって等しく危ないのだ。
 ここは勝負の行くべきに思える。
 勝負に……。

(けど……なんなんだよ……
 この悪寒は……)

 牌が指に張り付いてしまったかのように離れてくれない。
(怯えてるだけだ、シマが打ってるときだって、俺の勘は外れたじゃねえか。
 いくしかないんだ、いくしかっ……!
 でも……さすがにこれは……)

 もう天馬にはわからない。
 その心の中の声が自分のモノなのか、あるいは別のなにかなのか……。
 精神は大樹の枝葉のように細かく際限なくひび割れていき、やがて瓦解。

(……)

 思考停止。

 タン……
 ①ピンは、とうとう河に放たれた。

(通っていてくれ……!)

 雨宮は動かない。
 
(やっ……)

「ロン。
163, 162

  

 ②③⑤⑥⑦123一二三白白
 
 リーチ一発三色ドラ1、親マンだ」

(た…………………)




 勝つための一打ではなく、闘うことから逃げるための暴牌……。
 それで勝てるときもある。しかし、こと真剣勝負において、そんないい加減に闘って勝てるほど……


 天馬は『天』に愛されてはいなかった。




 天馬:40300→28300
 倉田:3700
 雨宮:41200→53200
 八木:14800
165, 164

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