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第二十三話 闘う理由

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(勝つ)

 ぽつん、と休憩室に一人残された天馬は、壁に体を預けながら天井を仰いだ。古い建造物らしい木目の無秩序な渦巻きの中へと思考を飛翔させる。

(そのためには……なにを置いても、まずあのインチキ国士。
 あれをやられたら、どんなにツキが巡ってきたとしてもなんの意味もなさない。
 でも……わからねえ。
 どうして一瞬で手牌が変わっているんだ……)

 天馬は握り締めた拳を額に当てた。
 『考える』という誰もが当たり前に行っているはずの行動。
 しかし、辛いことから目を逸らしてきた人間にとって、これほど困難な行為は他にない。
 天馬はきつくきつく歯を食いしばった。

(ヤオチュウ牌を河から拾ったり、山とすり替えてるのか……?
 けど、さすがにそんな大きな動きが卓上で起こったら、オレだって気づく……。
 ありうるとしたら、あの自動卓がイカサマ卓で、最初から雨宮に国士の配牌を配っているとか。
 それじゃ打つ手なしだ。あの卓をカガミに調べてもらうか……?
 いや……ハッキリとした疑いの根拠を求められるだろう。
 なんか怪しいから……そんな理由じゃもし卓が潔白だった時、なにを言われるか……。
 保留になっているシマの眼球の件でも持ち出されたらたまらない。
 くそっ……!
 とにかく思い出すしかない、少しずつ……。
 まず、最初にあれをやられたのは一回戦の東ラス……。
 シマに確か好形の手が入っていて……それで……
 あー……それで……。
 畜生、ダメだ、あの時の雨宮の動きが思い出せない。
 完全に手牌にばっかり目がいっていて……)

 どうしてもっときちんと相手を見張っていなかったのか、悔やんでも悔やみきれなかった。
 誰かが代わりに打つとしても、自分にもやれることはあったのに。
 もし自分が目を皿にして雨宮を見張っていれば、その時にイカサマが判明していたかもしれないのに……!
 黒い気持ちが溢れそうになり、天馬は後頭部を壁に叩きつけた。鈍い音がし、一瞬ぼーっとしたがすぐに気を取り直す。

(もういい、東ラスは諦めよう。
 次は……一回戦の南ラスだったな……。
 そうだ、シマが四暗刻をアガった局だ……)

 あの時の熱気に満ちた空間を思い出し、今さらながら背筋が振動した。

(確か……雨宮が初っ端でダブルリーチし……
 て……)

 天馬は不意に、ある事実に気づいた。

(あの時は違ったんだ……)

 もし配牌で国士を作れるのなら、リーチなどかける必要はないし、そもそもシマは最初の方に一萬を整理をしている。それでアガっているはずだ。
 つまり、配牌操作ではありえない。
 闘牌中に、なんらかのトリックによって伏せられた雨宮の手牌はヤオチュウ牌に染め上げられたのだ。

(ということは……やっぱり河かヤマ……あるいは倉田か八木と牌を交換しているのか……
 でもそんな動きはなかった。それは確かなんだ。
 雨宮は時々タバコを吸う以外は常に卓上に手を置いていたし……。
 ……。
 …………。
 ……………………わかんねェ。
 魔法で牌を交換させてるとでも言うのかよ、クソッタレが!)

 ぐしゃぐしゃと髪をかき乱すが、そんなところに解答があれば誰も苦労はしない。
 うめきともため息ともつかぬ声を漏らしていると、唐突に休憩室の扉が開かれた。
 シマかと思い、慌てて居住まいを正した先には――
「……大丈夫ですか?」
 救急箱を片手にした黒服が立っていた。
 それを見てようやく、自分の額から一筋の血が流れていることに天馬は気づいた。


 *******


 シマに命じられて手当てをしにきたというカガミを、しかし天馬は拒絶した。
「いいよ。いいから。自分でやる。うん、いや、だからいいって!」
 処置しようと迫ってくるカガミの手から毟るようにして救急箱を奪ってしまうと、ベッドに腰かけてまず包帯を手に取ろうとする。
「まず消毒した方がいいです」
「え? あ、ああ今するとこだったんだよ」
 じっと見つめてくるカガミの瞳の中に「本当に?」という言葉が刻まれている気がした。
 なんとなく居心地が悪く感じられ、姿勢をずらしてカガミの顔が視界に入らないようにする。
 とりあえず、容器を傷口に添えて液を流してみた。目に入った。
「いってええええええ!!!!」
 恥も外聞もなく目を覆い、足をバタつかせて喚き散らした。
「…………」
 ごしごしと目を擦りながら、きっとこいつはいま自分のことをバカだと思っただろうと思うと、天馬の気分はさらに落ち込んだ。
 しかし、カガミは特に動じた様子は見せず、聞いてきた。
「なぜそんなことを?」
「事故だよ事故」
「いえ、目に液が入ったことではなく、どうして私にお任せくださらないのですか?」
 呆れているというよりも、合点がいかないという調子で尋ねられ、天馬は思わず目を逸らした。
「自分でやんなきゃ、ダメなんだよ、なんでも。
 もうシマに頼ってばっかじゃ、いられねぇんだ」
「ですが、別に手当てを自分でやったからといって、勝負に影響があるとは思えません。無意味です」
「……かもな。でも、いいんだよ、これで」
 まだ腑に落ちない様子のカガミを尻目に、天馬は包帯が入っている小さなタンス状のケースを開けた。


 閉めた。


 そしてまた開け、閉める。ぱかぱか。
 包帯は無論、ケースの中のままである。
 その奇怪な行動から、ついに天馬の精神は過剰なストレスによって破綻してしまったのかと、カガミは一瞬だけ本気で心配してしまった。
「あの……むぐ」
 なにをしているのですか、と問おうとしたカガミの口を天馬の手がものすごい勢いで塞いでしまった。カガミは硬直した。
「静かに……」
 空いている方の手の人差し指を鼻先で立てながら、天馬の視線は空中の一点を見据えたまま微動だにしない。
 ダムに穴を開ければ、そこに水が集中するように。
「むう」
「ん? ああ悪い悪い」
 抗議の声を聞き、天馬は慌てて手を離した。
 カガミはポケットからハンカチを取り出すと(ハンカチまで真っ黒だった。個性などいらぬ、というかのように)口を拭った。天馬はちょっと傷ついた。
「いったい、なんなんですか?」
 いつもよりやや眉が釣り上げながら、カガミは不届き者に詰問した。
 天馬は口の端を緩ませながら、答えた。
「解けたんだよ。




 インチキ国士の魔法がな」




 自信満々の天馬に対して、カガミは一切の感情を排した声を返した。
「なんのことやら、私にはわかりかねます」
 会員の中には、このようにジャッジにカマを吹っかけて謎を解こう、あるいはそのまま難癖をつけて勝ってしまおうとする輩もいる。
 ゆえに告発者の言い分を最後まで聞くまでは、ジャッジはノータッチの姿勢を貫かねばならないのだ。
 しかし……
「くく……」
 天馬は笑っていた。おかしそうに。
「なにがおかしいんです」
「べつに。怒るなよ」
「怒ってません」
「でも、顔に出てるぞ」
「え?」
 カガミはとっさに自分の頬に手をやった。
「あんた、わかりやすい」
 そう言うと天馬は今度こそ包帯を取り出し、自分で巻き始めた。
 カガミは本棚のガラス戸に映る見慣れた顔を見つめる。
 その向こうから、氷のような無表情が見つめ返してきていた。


 *******


 不恰好ながら天馬が包帯を巻き終えると、カガミはぼそっと呟いた。どこか不満そうに。
「やはり、私がやって差し上げた方がよかったのに。ガーゼをしないでそのままお巻きなさるから、血が滲んでいます」
「あー……。いいよ、べつに。勝負の時に気にならなければいい。それにちょっとなんかヒーローっぽくてかっこ」
「よくない」
「ですよねー」
 思わず苦笑しながら顔をかく天馬を見ていると、思わずいつもは閉ざされるはずの口が滑っていた。
「なぜ、今日ここに来ようとお思いになられたのですか」
 言ってしまってからハッと気づいた。
 会員の私情に許可なく踏み込むのは、褒められたことではないと父から幾度となく言われていたのに。
 けれど天馬は気を悪くした様子もなく、聞き返してきた。
「なんだと思う?」
「……家族愛、ですか」
 天馬はちょっと黙った。まるでいまここにはいない誰かに、心の中で質問しているように。
「違うかな。そういうことじゃないんだ。
 なんていうか……オレの妹はさ、結構かわいいし、なんでもそつなくこなすから学校でも人気者なんだ」
「……あなたとは、少しも似ていないですね」
「ははは……よく言われるよ。
 ま……そういうヤツだからなのかな、異常に周りの目ってのを気にするんだ。
 オレはもう、どう思われたっていいやって思ってるけど、あいつはきっと、耐えられない。
 自殺か……まぁそれはないにしても、二度と学校にゃ行けないだろうな。
 ダメだと思ったんだよ。それは」
 カガミは天馬の言葉を内心で反芻し、問うた。
「やはりそれは、家族愛なのでは?」
「いや、違う……。
 これは、オレがそうしたいから、してることなんだ。
 オレが、オレのために、やることなんだ。
 やらなきゃいけない……こと」
 カガミはこの話題を続けるべきか少々逡巡したものの、結局は喋ってしまった。
「私には……よくわかりません。なぜそういう結論になるのか。
 逃げてもいいと思います。それで命が繋がるなら」
「そう、オレもそう思ってた。
 でも……気づいた。
 逃げた先に、なにもないって」
 天馬の口から押し出される声は、地獄の底からこだまする死者の怨嗟のように掠れていた。
 逃げた先になにもない。
 その言葉が、カガミの胸に刺さったまま、抜けなくなった。
「どうした」
「え……?」
「なんかオレ、変なこと言っちゃったか?」
「いえ、べつに……なぜ?」
「いや、なんとなく」
 それきり、ちょっと無言になった。天馬はしきりに時計を見たり、テーブルの上の雀牌をいじったりしている。
「……先ほどのことは、本当ですか」
 突然破られた沈黙に驚き、天馬が牌を落っことした。情け無さそうな顔をしながらそれを拾いあげる。
「あー、さっきって、なんだっけ」
「私の気持ちが、顔に出やすいって」
 ああ、と天馬は言った。
「うん、わかりやすい。なんか顔っつーか、雰囲気?」
「今も、私の雰囲気は変わってましたか」
「ああ」
「……」
「それがどうかしたか」
「……嫌な気分です」
「は?」
 なにか怒らせるようなことを言っちまったか、でもこれってちょっとばかし理不尽じゃないか、と天馬の脳裏で様々な心理が交錯した。
 今度目を逸らしたのは、珍しくカガミの方だった。
「みんな、私は無表情だって言います」
「ふうん。そうか? 人よりちょっと暗いだけだろ」
 天馬がそう言うと、スッとカガミは腰をあげた。背を向けて部屋を出ようとする。
「……時間になったら、卓にお戻りください」
「あ、ああ……」
「それと……」
 扉の隙間から、カガミの耳が見えた。
「もう私の顔は見ないで下さい。
 見えないはずのものを見られるのは、もう嫌です」
 そう言い残して、カガミは去った。
 天馬はぽかん、とアホのように口を開け放しにしたまましばらく呆然としていた。
「顔を見るなって……無理だろ」
 釈然としないが、しかし今はそんなことを考えている場合ではない。
 パン! と天馬は自らの頬を打った。
 もうすぐ勝負が始まる。和むのはそれが終わってからで充分だ。
 次の半荘の闘い方について、思考を巡らせた。
 あのイカサマ国士がなくなったとしても、三対一の不利は依然として残っている。
(なにか策が欲しい……。
 シマからもらったやつじゃない。
 オレの策。オレの罠。
 オレの……一撃。
 それがきっと、雨宮を追い詰めるハズ……。
 カガミは、こんな勝負をしなければよかったのにって言ってたけど、いまさらそんなこと言ってどうなる?
 そこはもう通り過ぎた。
 闘うしか、道はないんだ)

 黒服の少女の顔が脳裏に浮かび、そして先ほどの言葉が思い出された。

『見えないはずのものを見られるのは、もう嫌です』

(見えない……ハズ……?)

 そして、天馬は辿り着いた。

(見つけた――





 ――オレの『牙』)


 *******


(ぐっ……ダメかっ……)

 焦って震えそうになる手を、天馬は頬を噛むことによってなんとか抑えていた。

(あともう少しやれば……)

 そしてもう一度チャンレジしようとしたとき、不意に時計が視界に入った。
 最初はスルーし、数瞬後、バッと時計を仰ぐ。
 勝負開始時刻を、十分回っていた。
 扉を蹴破るようにして跳ね除けると、天馬は書斎目がけて駆け出していた。
 ある一つの、嫌な、そして決定的な確信を抱えながら。


 *******


 バンッ!
 天馬が扉を開けた。カガミが振り向くよりも前に、彼女の前を通り過ぎ、掴んだ。



 卓に座ろうとしていた、嶋あやめの手を。



「遅いよ、ダメヒーロー」
 ぜぇぜぇと息を切らしながら手を握り締めてくる天馬に、シマはそう言って笑いかけた。
 いま、目を潰して麻雀しようとしていた人間の笑顔だった。
「なん……で……」
「だって君、来ないんだもん」
「呼びに……来い……」
「めんどい」
「おま……え……な……」
「ま、いいじゃん! かっこよかったよ、珍しく」
「……どけ……」
 天馬はシマをうしろに追いやり、卓にどっかと腰かけた。
 憎悪と殺意を向けてくる三人の眼光を、跳ね返す。


「これは、オレの勝負だ。
 誰にも邪魔は、させない……!」


 最後の半荘。
 その賽が投げられた。
 果たして勝つのは雨宮か、天馬か……






 それとも――。
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