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デブシマ5話『美味なるモノ』

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 いつかこんな場所に彼女と来たいな――。
 そのレストランに足を踏み入れた時、黒瀬は遠い目で辺りを見回した。
 都内の一流ホテルのレストラン、一面に張られたガラス越しに見える地上八階からの夜景は写真もかくやという美しさだった。
 今日はここが勝負の舞台となる。GGS-NET名義で貸し切っており部外者が立ち入ってくる心配はない。
 それどころか雑誌で「おいしいけど貧乏人お断り!」などと紹介されている料理だって食べ放題である。
 しかし今、黒瀬の隣にいる、手ぶらでここに来ている遊び人は一度ちらっと夜景を一瞥すると退屈そうにアクビした。
 黒瀬は飼っている柴犬に安いドッグフードを出した時を思い出した。

 キョロキョロと周囲を見回す。
 どうやら相手はまだ来ていないらしい。
 シマは挑むのが好きだが、待ち構えるのも嫌ではないからあまり気にしなかった。
 どちらにせよ勝てばいいだけの話だ。
「これを使って今日は遊ぶのかな」
 レストランの中央に円卓が備え付けられている。
 周囲にあるものとは規格が違うことから、今回のために運び込まれたものであろう。
 目だった特徴は卓の中央に液晶ディスプレイが埋め込まれている点だ。今はそれは真っ黒な闇を映している。
「ああ、そうだ。ゲームの内容は相手が来てからしか言えないがな」
 数日前の晩、シマは黒瀬に会って勝負の段取りを組んでもらった。
 しかし急な申し込みであるがゆえに、ゲームの種目とレートは向こうが決めることになってしまった。
 そのことに対してやや黒瀬は責任を感じているようでバツが悪そうにもじもじしていた。
「わたしが知らないマイナーゲームとか選ばれちゃったかなぁ」
「いや、それはない。誰でも知ってるゲームになったよ。おまえが得意かどうかは知らんが」
「そう」
 円卓には差し向かいに椅子が置いてある。シマはその一方に腰掛け、手のひらを組んでその上に顎を乗せた。
 黒瀬は所在なげに液晶の画面を撫でたり、美容院に行ってきたばかりの髪型を整えたりしている。真新しい黒スーツが厳めしいが、童顔の彼が着ると子どもが背伸びしているように見えてしまう。
 と、おもむろに黒瀬の足が小突かれた。いくら鍛え抜かれた身体とはいえ弁慶の泣き所は痛い。
「いてっ。なにすん……うおっ!」
 間髪入れずにバシュッと白光が瞬いた。二の腕で覆ったものの少し目が眩み、口をすぼめて抗議した。
「なんだよ……写真か?」
 シマはニコニコしながらデジカメを顔の前からどけた。
 シマの手のひらより薄く、「がんばれば定期入れにも入る!」と評判の最新型だ。
「えへへ、黒瀬の初仕事記念ってことで!」
「やれやれ……おまえ、写真の趣味なんてあったのか?」
 なにげなく聞いた質問だったが、シマは薄く笑みながら視線を逸らせた。
「まァいつ死ぬか、わかんないしさ」
 黒瀬は一瞬目を見張って振り返ったが、それ以上のことは聞かなかった。
 黒瀬もギャンブルはするが、破滅まで賭けたことなどない。
 だから理不尽な死を常に隣に置いておく人間の気持ちを知ろうとは思わなかった。
 何を言われたって、きっと理解できないから。
 黒瀬がそんな感慨に耽っていると、シマはすいっと顔を入り口の方に向けた。
「今日は飲まなくていいのか?」
 しわがれた老人のようでいて、力強い声。
 デブチィがわき腹の肉をたぷんたぷん震わせながら、二人の前に現れた。
 シマは頭ひとつぶん以上離れたところにあるヒゲを注目しながら、にっと笑った。
「もっと別のもので酔いたくなったんだ」
 そうとも、この世でもっとも美味いもの。
 それを喰わずに、生きていられやしないのさ――




 デブチィはドカッとシマの対面にケツか腰かわからないものを下ろして、腹をさすった。
「腹減ったな、おいなんか頼んでくれ」
「畏まりました」
 営業用のスマイルを浮かべて仕事モードに入った黒瀬が厨房へと姿を消すと、デブチィは机に肩肘を乗せて身を乗り出してきた。
「こないだの雪辱戦ってわけか」
「まあ、そんなところ」
「引き際を知らんヤツは早死にすると教えてやればよかった」
「人の言うことを聞くのはキライ」
 卓上で二人の間に電流が走った。互いに一歩も退かない。
 黒瀬が戻ってきたとき、すでに場は触れただけで傷ついてしまいそうな緊張感に包まれていた。
 が、シマがふっと力を抜くとデブチィも肩を落とした。
 最初の睨み合いは引き分けに終わったというところだろうか。
 胸の内で激しくなり始めた鼓動を悟られぬよう注意を払いながら、黒瀬は二人から等距離になる場所に直立した。
「それでは今日の勝負を取り仕切らせて頂きます、黒瀬重樹です。お二方とも、よき勝負を堪能して頂けるよう祈っております」
 時々上ずりそうになる黒瀬の口上をシマはニヤニヤして聞いていた。
 顔が赤くなってやしないかとビクビクしながら、黒瀬は続けた。
「今宵、お二方の命運を決する勝負は――」
 円卓の中央、液晶ディスプレイが点灯し文字が浮かび上がった。
「――神経衰弱でございます」
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