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「どうかこの子を預かってくれはしないでしょうか?」
 呆然と、そこに立っていた。
「なぜ、私に?」
 当然と言えば、当然の疑問だろうか。お互い、ほぼ初対面でしかないというのに唐突に子を預かれと男性は言う。
「貴方が、いい人だと思ったからです」
 それでは答えにはならないだろう。勝手な認識で決められた事ほど、それほどアテにならない情報はないと言うのに。
「当然ですが、それなりの用意はさせて頂きます。どうか、受けていただきたい」
 どうにか押し切ろうと、男性は彼にすがる。ゆっくりとした口調だが、言葉は強い感情を表していた。
 預かったところで、自分にはこの子のことをまったく知りはしない。それ以前に、男性のこともまったくわからない。
 だというのに、彼は自分の孫を預けようとしている。これは一体どういう事なのだろうか?
 彼は、少し混乱した。
「少し時間をいただく事はできませんか」
 そう、言葉を言ったときだった。唐突に、強い風が吹いた。
 男性と、テシトと言われた子のマントが、煽られた。彼女は白い肌だった。

――……一瞬だが、その肌に青い筋のようなものも、同時に見えた。
 
 彼は、それが傷だということが分かった。そして、男性がこの子を預けようとしている理由が、ほんの少しだけ理解できた。
「その子は、もしかして」
 男性は、マントをばさりと位置直しをすると、目を閉じた。
「ええ。貴方が思ったことのその通りだと思います。……この子は、私の息子に虐待を受けていまして」
 似たような境遇なのだろう。恐らくは、ということぐらいしか言えないが。
「不出来な息子です。私は息子に罰を与えなければならない。……その前に、この子にその姿を見せたくは無い」
 テシトと言う子は、感情を表さなかった。どこを見ているのかすら分からない。何も見ていないのかもしれない。
 何を見ようとしているのかもわからない。……見ることを拒否しているのかもしれない。
 ただ、その場に言われたから立っている。そんな感じがする。
「お願いします。この場所ならば息子が見つけるにも時間がかかるはず。それまでに片付けてみせます」
 男性は目を開き、再度彼の目を見た。
「……」
 似たような境遇。まったく同じではないが、似ている。そんな自分から見ても、テシトという子の状況は酷いものなのだろうと理解できた。
 仮に、自分と同じだとしても、彼は耐えることができた。この子はそれに耐えることが出来なかったのだろう。
 テシトの目は、どこを見ているかわからない。

「私が危ないと思った場合、場所を移動するかもしれません。それでも大丈夫でしょうか」
 彼は、決した。
「受けていただけるのでしょうか?」
 男性がそう問うと、今度は彼が目を閉じて言葉を出した。
「多少、余分なことをしてしまうかもしれません」
「余分なこと……とは?」
 彼は、瞼を開きテシトの前に移動して、顔をあわせるようにしゃがんだ。
 それを見て、男性はテシトの頭から手を離すと、彼を見下ろした。
 
「私が出来るかどうかはわかりませんが、この子に友達とはどういうものかを教えることです」
 ……彼にも友達はいなかった。友達と言えるヒトはいなかった。だから、友達とはどういうものかわからない。
 それでも、言葉だけは知っている。一緒にいることができるヒトだという意味で。
 彼はテシトと目を合わせるが、テシトは呆然と瞬きをしているだけだった。恐らく、彼の言葉は届いていないのだろう。
「何をどうすればいいかは正直のところまったくわかりません。でも、自分に出来ることはしてやりたいです」
「この子を預かりましょう。この子は自分と似ている。気に入ったという言い方は悪い気がしますが、同じ境遇同士ならば……」
 
――それを聞いて、男性はすっと踵を返して歩いていった。街の方向へ、ゆっくりと進んでいく。

「近いうちに必要なものを持ってこさせます」
 オアシスから砂漠へ。砂の世界へ男性は戻っていく。
「テシトのことをよろしくお願いします。事が終わったらすべてを話しましょう。その時までどうかお元気で」
 熱で空気が揺らいでいた。男性は蜃気楼へ向かうように、まっすぐ歩いていった。
 
 ……………。
 
 夜がきた。暗くはなったが、月の明かりのおかげで薄暗いといったほうがいいだろう。
「テシト、ご飯だよ」
 とりあえずありあわせのものを取り出し、調理してテシトに差し出す。
 テシトはそれを見ても、どうすればいいか分からないのか、動こうとはしない。
「食べていいんだ、君が食べるものなんだ」
 反応は、ない。顔の角度で食べ物の方向を見ているのはわかるが、手をつけようという仕草はしない。
「食べ方がわからないのか? 好きなように口に運んで、よく噛んで、味わって、飲み込むんだ」
 

 彼は思いつくことは全て実行した。テシトのことは、まだわからない。
 彼女を預かって、オアシスで二人の生活が始まった。自分ひとりであれば、たいしたことを考えなくてもいいのだが、今は違う。
 人の子の世話をしなくてはならないのだ。彼は生まれてきて今まで、生き物の世話をしたことなどない。人間の世話は、最初の父親に無理やりやらされた子守の仕事ぐらいしかない。
 それでもまだ、人の子供を世話したことがある。そのことだけは強みではあるのだろうが。
 意志の疎通が出来ないのは赤ん坊でも同じだが、彼が受け持った子供は何かしらの反応はした。腹が減れば泣きわめき、おしめを代えろという意志も、赤ん坊は曝け出した。

 しかし、テシトに関しては反応がない。
 先ほど渡した夕食は、時間がかかってはいたが出したものは全て食べた。皿に盛った食物に手を伸ばしたときに見えた腕は、やせ細っていたように見えた。
 物を自分から食べたことがなかったのだろうか。それは彼にはわからない。
 声をかけても、彼の声にテシトは反応しなかった。名前を呼ぼうが、軽く触れて反応を試してみたりもしたが、彼には何かしらの反応を示さなかった。
 男性がこの子の頭に手を置いた時ですら、反応がなかったのだから、赤の他人である彼にはもっと反応はしないのだろうか、と思った。
 もしかしたら耳が悪いのかもしれないと思ったが、何をしても反応を示さないものだから、そう言える材料はない。
 テシトが何を考えているかはわからない。何を見ているのかわからない。何を感じているのかはわからない。
 扱いにくい子だと決め付けてしまえば、その通りで終了してしまうのだが。
 彼女が何を想っているのかはわからない。飯を食らうということ以外の反応を見せないとなると、恐らくはそれらに関する事以外の行動はしないようにしているのかもしれない。
 
 食べ物を食べる以外のことに、テシトは何を感じているのだろうか? 仮に、食べ物を食べるとしても、それをおいしい、まずいと感じることはあるのだろうか?
 試してみたい気はするが、彼はそれを実行に移すことはなかった。彼が一番、人間は玩具じゃないということがわかっているからだ。

 彼には、あまりにも露骨すぎる事は全て玩具のように扱っていると思ってしまうのだ。
 例えれば実験をして、試して、物が壊れたとしたら。
「これは玩具だったんだ」
 と、フォローができない以上のことをしてしまうことを恐れているのだ。
 それに、テシトのことは、まだまったくわからない。食べさせる飯に異常な事をしたとして、その後のフォローができるかどうかはわからない。
 無反応であればそれでいいのかもしれない。かといって、反応したとしても苦しませてはいけない。
 テシトがどういう人かを知ることができたとしても、やらないのだろうが。
 
 空には薄い雲がかかっていた。その奥には月。そして周りには星が散らばっていた。
 しかしテシトの顔は下を向いていた。
  
 ………………。
  
 朝が来た。まだ空は薄暗いが、太陽が上の部分だけ出ているのが砂漠の奥から見える。
 テシトとは隣通しで寝たが、彼にはまるで無関心のようで座った状態から唐突に背中から地面に倒れると、そのまま寝入ったようだ。
 彼はテシトの様子を確かめることにした。まだ、彼女は眠りについている状態だから、寝言なり寝返りなり、反応を示すだろうと思ったのだ。
 息はしっかりとしている。穏やかに、一定の間隔で。
 彼女の顔を覗き込んだが、ところどころ汚れていた。白い肌だからか、酷くわかりやすく傷跡もあった。
 刃物で切りつけられたような傷、殴られたような傷、火傷の痕。薬や何かでもあれば隠したり、治るに近い場合までいけるのだろうか。
 見えたのは顔だけだが、体の状態はもっと酷いことになっているのだろうか。
 テシトが起きたら、水浴びをさせることにしよう。昨日、ここに来るまでの汚れがあるだろう。酷く気分が悪いはずだと思う。
 彼女は静かに寝入っていた。


 ………………

 テシトが起きた。もぞもぞと体を動かしたあと、地面に手をついて体を起こす。
 きょろきょろと周りを見渡すかのように、頭を動かして、そのあとは変わらなかった。
 
 彼女が起きてから気がついたが、日中の日陰の確保の場所は、彼がいる場所ぐらいしかなかった。
 昨日はすぐに夜がきたからいいものの、いつまで過ごすかわからない彼女がいるため、彼は新しい日陰の場所を作った。
 それは簡易的なもので、草の葉や自分の持っていた大きな布や紐で作った小さな影が作れるようなものだった。ないよりはマシ、とはまさにこのことだが。
 もちろん彼がそれを使うことにする。体が大きい彼にとっては少々小さい気はするが、子供のテシトでも十分な大きさとはいえ、あまり狭くては負担が大きいだろう。
 彼なりの、心遣いだった。もちろん、あとでこの小さな影の場所は、テシトを居させる場所とくっつけて大きなものにするつもりではいた。
 あまり離れていても意味がないだろう。彼は、テシトの世話をするために傍にいなければならないのだ。
「テシト、こっちへおいで」
 声をかける。テシトの反応はない。彼はテシトの後ろ側に回ると、彼女の脇に手を入れて、持ち上げた。
 ……軽い。第一の印象はそれだった。
 テシトの体は、恐ろしく軽く感じた。これが人の子供の体重なのか、と言いたくなるほどに。
 持ち上げても、テシトの反応はなかった。ただ、その小さな体に触れてわかったことはある。
 
 ――こんな体でも、テシトは生きている。

 血液の流れが、心臓の脈が。彼がテシトを触れたときに、感じることができた。
 そのままテシトを彼が居た影の場所に運ぶと、食事の準備を始めることにした。
7, 6

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