閉塞的モラルからの一時的な離脱(仮)
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前略。
俺はイライラしている。
毎日朝早くに起きて、歯を磨いて、バスに揺られ学校に行って、そのまま帰ってくる日常に。
変わった事もなく、ただ淡々と順序付けられたかのように進む日常に。
少しでも未来だとか将来のことを考えると胃がきりきり痛みだしてしまう。
こんな生活がいつまでも続くと考えるだけで、気が狂ってしまいそうだ。
周りの人々は順応性も高く、その日常を楽しんでいるのかもしれない。
だが、俺は堪え切れなかったのだ。限界が近かった。
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前略では話も始まったもんじゃないから、学校での話をしよう。
学校。
正直教師は何を言っているのか訳が分からない。
ノートをとるくらいなら誰でも出来る。俺でも出来る。猿でも教えれば出来るだろう。しかし、その作業で頭に入らないのが俺だ。整理された本棚の如くきっちりと頭に入る連中も少なくないとは思うのだが。他人は他人。俺は俺。誰かは俺ではなくて、俺はその連中ではないように頭の中の整理が追い付かないのだ。というか、した覚えもないのだが。する余地もないというか。この状況で今さら何が出来る?一度逃げ出したらもはや選択肢は一つ。下りの道を突っ走るまでだ。落ちるのなんてあっという間なのだ。古い偉人の斜塔の実験のみたいに、まっ逆さまに落ちていく。落ちて行ってしまったのだ。
そりゃ俺だって初めから底辺にいた訳でもない。中学校の時は学校での常識に適応して普通通り全てこなしていた。友達と接して仲良くなり、毎時間ごとに変わる教師の授業を見聞きし、部活での大会では皆と協力して涙を流したりもしていた。していたんだけどね。
この時から俺は既に日常が嫌いだったのかもしれない。皆と協調性を高めて馴れ合うことに嫌悪感を抱いていたのかもしれない。だけど、俺はどうした? 人との繋がりを無くし孤独に中学校生活を過ごしたのか。
否。
俺は結局そのまま口実上友人達とつまらない馴れ合いを続けたのだ。理由は簡単だ。口で何を言っても、人間やはり一人は嫌いなのである。低脳な連中に詰られるは御免だったって事だ。
人と人との繋がりの質を簡単に上げれるか方法を考えて欲しい。共通の話題、共通の趣味、そして共通の敵。簡単な話、誰かと一緒に誰かを除外すれば人は仲良くなれるのだ。集団で太り気味の眼鏡君をみんなで苛めてみたら楽しいだろ? それと同じなのだ。ありがたいことに、その除外の対象とされる人間、言わば『生贄』になってくれる人材は俺のクラスにいた。一人を好んで、休み時間に本と睨めっこ。口数は少なく成績も決していい方ではない。そんな奴。そいつがどうもクラスの頭が悪い連中に評判が悪かったらしく、弄られたり遊ばれたりしていたことを俺は記憶している。俺はというと、得意のエアリーディングスキルを生かして、その場を友人と笑って誤魔化していた。その場の流れの多数派に付いたのだ。何故って? あいつの様に大勢に標的にされるのは嫌だったからだ。だって怖いじゃないか。クラス皆が敵になる。考えただけでも恐ろしい。俺には耐えられない。耐えたくもない。偽善者でもなんでもないので無視。変な感情を持ってはいけないのだ。
結局、いじめられっ子は苛められ続け、いじめっ子は苛め続けた。
一度決まった役割は消えなかったという訳だ。
俺はその光景を友人と見て談笑していた。「またやってるよ、飽きないね」といった感じで。
正直嫌な気分になった。両者とも幼稚な奴だなと思った。そう思う自分が死ぬほど嫌いだった。だけど、いじめっ子の事を俺は密かに羨ましいと思っていた。勿論誰にもそんなこと言っていないが。
そんな日常。そんな中学時代。
そんな日常は俺は徐々に大嫌いになってきた。
ぶっ壊したかった。全部。
授業中に本気でテロリストとか教室に攻めてきて俺以外全員撃ち殺して欲しかった。
武装集団が学校へ強行!迷うこともなく俺たちの教室やってきた!
太った中年教師がさすまたを手に取り迎撃態勢をとるが、お約束といった感じで撃ち殺されて。クラス騒然。もの凄いパニック。ばっこんばっこん、爆音を教室内に響かせる拳銃から出た鋼鉄の弾丸が俺以外の全ての人を撃ち抜いて。俺以外皆死んだら警察の人たちがやってきて全て丸く収まったり。
起こりっこないよな、そんな事。俺も死ぬっての。
とにかく、妄想は誰でもすると思うが、俺はこんな妄想を日々していた。自分でも頭がおかしいと自覚していた。自覚していたからこそ日常に溶け込んだ。適応したんだ。こんなこと口に出したらどうなる? 試しに今度誰かやってみるといい。もれなく今日から変人だ。そう思いつつも学業を全うし俺は中学を卒業した。同時に当時俺と関係のあった全ての友人らとの連絡を絶った。
愛想笑いはもう懲り懲りだ。
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そして、適当に勉強して適当に入れたのが今いる高校。野球部に入ったが、名前だけの登録でまだ一回も部室に行ったことがない。適当に過ごした。適当に勉強した。適当にクラスの人々と接した。名前なんて覚えていない。いちいち覚えてられるか。名前なんて。その結果が現状。面白いくらい淡々と流れるなんの刺激もない日常。
日常?
そんなの誰かぶっ壊してくれ。
日常?
誰かがぶっ壊してくれる筈だろう。
日常。
妄想の中のテロリストがぶっ壊してくれる。
殴って蹴って、ぐしゃぐしゃにした後、誰かがゴミ箱へ投げ込んでくれるのだから。
ついでにゴミの始末も誰かしてくれるといい。焼却炉とかに放り込んでくれればいいからさ。
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とにかくだ。
俺は少ない脳を使って考えた。『この先どうなるのか』と。
テストも赤点しか取っていなく、教師からも両親からも嫌な眼を向けられているのが現状だ。今さら勉強したって、シーソーの様にぎったんばったんと何か唐突に変わることなんて絶対にないだろう。そんな俺の行きつく先は?就職か。この調子じゃ進学なんてできないだろうに。できないさ。俺みたいなのが就職したってどうせ安月給で働いて、何となく日々暮して、何となく病気を煩わせて、何となく人生終わってしまうのだろう。
そりゃそうだ。
適当に過ごしている俺と違って、まじめにやっている奴はいるのだから。そいつらこそ素敵で刺激的な人生を歩めばいいと思う。オフィスラヴとかしたり。刺激的な恋や愛でも何でもすればいい。妬みはしないさ。頑張ったなりの報酬という奴だと思う。
もっと考えた。
考えた結果この先俺は生きててもつまらないということが分かった。とっくに分かってたけども目を背けてたのだ。分かりたくもなかった。
嫌なことは学校だけじゃない。
自分を取り巻く様々な事が不快で不快で堪らないんだ。こんな事しか考えられない自分さえ嫌になってくる。
不景気に追いやられる現代社会。
なにかと学歴で決まる将来。
金の持ちようで人生が変わるかもしれないが、残念ながら俺の家は上流家庭でもなんでもない。
いっそ核戦争で滅べよ、世界。全部終わってまた始まればいい。
俺だけ核シェルターの中で生き残ればいいだろう。
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ある日俺の考えは終わりに行き着いた。
俺の日常を壊してくれる誰かなんて結局いない。
いないんだ。うん。
そんな都合のいい奴なんていないよな!いるはずない!
考えるだけで悲しくなる。虚しくなる。
だが、もう考えるのは止めた。なんせ俺は答えに辿り着いたからだ。
『誰もやらないなら俺がやれば良い』
結局は刺激が欲しかったのだと俺は思う。暇で暇で退屈過ぎたんだと思う。このまま起こりもしない日常の破壊を待ち続けたって、結局は退屈な人生を歩んでいただろう。花も実も何もなかったこの人生。幸せも何もないこの先に希望すら求められないのならこの一瞬だけでも輝いて見せようじゃないか。俺だって行動できる。なにかが出来るはずなんだ。
世界をぶっ壊そう。
太く、短く。
誰かがそう言っていた。
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準備は整っている。
時は昼飯時も近い11時頃。度重なる板書の嵐で俺のイライラはピークに達していた。不安定な気持ちが自分の内面に積もる中、俺は心の中で今までにない大きな決心を抱えていたのだ。
俺の世界をぶっ壊してやる。
俺の世界。つまり学校だ。いつの日にか夢見た日常の崩壊。昔は誰かがきっと壊してくれるものだと思っていた儚い夢。だけれど、夢を己の内に抱くと同時にはっきりと分かってしまったんだ。そんな望みを叶えてくれる都合の良い存在なんていないことを。落胆。幾度かの落胆。社会に絶望しつつ、自らの人生、そして日常に絶望。全て壊れてしまえばいい。無くなればいいと思う。昔の俺は破壊を望んでいなかったと記憶している。しかし、誰も分かっていない。最初の欲求こそが全ての思考の始まりなんだと。他人に関心を持って間もない小学校時代も俺の心の中にはある激しい欲求があった。
「何か楽しいこと起きないかな」と。
一直線に進む日常。山も谷もなく、一直線を進むだけの生活。そんな日常に俺は子供心ながらイライラしていたのだろう。結局、俺の他愛のない欲求は満たされることは無かった。それが原因なのかは分からないが、欲求は形を大きく変えて歪んでしまい、手に付けられないほどの願望へと変わってしまったのだ。日常なんて無くなればいい。誰かが全て壊してしまえばいい。幼い頃、俺は確かにそう祈った。しかしそう昔に祈ってしまったために俺は未だ待ち続けていたのだ。
日常を終わらせてくれる人間を。
それは誰だ。
俺だ。
誰でもない。俺しか出来ないんだ。
結局は誰かがやってくれる訳でもない。自分の世界を生かすも殺すも自分次第ってことなんだ。結果、俺は自分の世界を殺すことを選んだ。証拠として、俺の机の右にかけてあるデイバッグがある。
世界をぶっ壊す為の準備は想像よりずっと安易なものだった。
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授業中。
皆が教師の話をつまらなそうに聞く中、俺は改めて考えていた。『準備はすべて整った。だが、俺にこんな大層なことが出来るのだろうか』と。現状のモチベーションを下げる最悪の自問自答だと思う。しかし俺は考えてしまった。頭に思い浮かべてしまったのだ。
さて。
クラスの中心を気取る、髪をワックスかスプレーか何かで盛った頭の悪い連中に正面から喧嘩をしてみたとしよう。どうなるだろう。どうなるだろうか。
圧勝。
負けるわけがない。
香水臭く口うるさい顔面崩壊者共に本気で挑んだらどうなるだろうか。
決まっている。圧勝だ。
モゴモゴと教科書を読むしがない老教師。
圧勝。
眼鏡をかけたガリ勉モヤシ野郎。
圧勝。
いつも寝息がうるさい隣の馬鹿。
圧勝。
休み時間になると俺のことを見ながらケラケラ笑うアイツ。
圧勝。
この前の体育の時間に俺の足を踏んできた坊主頭。
圧勝。
最近彼女ができたと皆に公表する五月蠅い女ったらし。
圧勝。
いつも本ばかり読んでいる肥満眼鏡。
圧勝。
アイツも。圧勝。
コイツだって。圧勝。
圧勝。圧勝。圧勝。
ハハハ。
なんだ。
出来るじゃないか。簡単じゃないか。出来るじゃないか。
俺は出来るんだ。
そうだ。出来るんだ。俺は出来る。
やってやる。
俺は出来るんだ。
俺は出来るんだ。
やってやるぞ。
俺は出来るんだ。
俺は出来る。
俺は出来る。
俺は出来る。
俺は出来る。
俺は出来る。
俺は出来る。
俺は出来る。
俺は出来る。
俺は出来る。
俺は出来る。出来るんだ。やってやる、やってやるぞ。
「先生、お腹が痛いのでトイレに行ってきます」
言ってやった。
授業中特有のざわめきが教室で蠢く中、俺はそう言ってやった。
どうにでもなれ。どうにでもなってしまえ。
もう知らん。
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「なんだ、西村。 大丈夫か?」
「大丈夫です」
モゴモゴと唇を動かし喋る老教師。不快で堪らない。
「そうか、なら行ってきなさい」
「はい」
返事をしつつ椅子を引きく。そして、腰を上げて立ち上がり、ドアの前まで足を進める。その間にも再開する授業。また老教師を含むクラスの連中が奏でる不快な雑音が俺の耳を通り抜ける。
ドアの前まで歩けばする事は一つ。
ガチャリ。
ドアの端にある銀色の鍵に指先を誘う。
少し錆ついて力を入れないと回らない鍵は、僅かな音を立ててドアを閉ざした。
「…………?」
ドアの目の前の生徒が不思議そうに俺を見ている……がしかし、今は構っている場合じゃない。無視だ。俺にはすべきことがあるのだから。そのまま教室後方部にある、二つ目のドアに俺はゆっくりとした足取りで歩を進める。一歩一歩、予想以上に軽い両足を踏みしめながら。俺の異常な行動に気づいたのか、老教師はチョークを握る左手を止め唖然として俺のことを凝視していた。教師だけではない。他の生徒共々俺を見ている。何かある度に騒ぎ出すクラスのお調子者でさえ、あっけにとられて見ていた。
ガチャリ。
一つ目のドアと似たような音を立てて鍵が掛る。
簡単だ。とても簡単だ。これで準備が整った。実に順序良く行った。完璧だ。
ざわつき始める教室の中、俺は自分の席へと戻った。
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「西村、お前なにやってんだ?」
最初に口を動かしたのは老教師だった。
同時に火蓋を落としたように教室が雑音と騒音に包まれた。
「に、西村?」
「……?」
「西村くん、どうしたの?」
「なんだアイツ」
「おい、西村。なんだそりゃ! 新手のギャグか!?」
「うるせーぞー」
「そういやさ」
「なに? 鍵かけたのか?」
「つまんね」
「ちょーウケるんですけど」
「鍵か?」
「は? なになになに?」
「ハハハ、あいつパネェな!」
「は」
「ん。西村トイレじゃなかったのか」
「なんだ?」
「意味分かんね」
「反抗期か」
「授業妨害キタコレ」
「ちょっと男子静かにして!」
「はははは」
「そういや昨日のテレビ見た?」
「西村なにしたんだ?」
「あーうん」
「……え」
「違うのか」
「さっき鍵かけたのか」
「知らねえよ」
「…………」
「西村」
「あん?」
「あいつ、トイレはどうしたんだ」
「ここのドア閉めたのか」
「なにそれ、ウケるー」
「ギャハハハハ」
「そういや、昨日の夜さ……」
「?」
「ギャグか!ギャグなのか!?だったら結構笑えた!」
「五月蠅い」
「西村……だっけ。あいつ」
「西村くん?」
俺の日常が騒ぎ出した。
俺の日常がが騒がしくなった。
俺の世界が不快になった。
だが、ここで感情的になっては駄目だ。落ち着け。落ち着け。
深呼吸。そうだ深呼吸をして気を楽にしよう。うろたえるな。
すう、はあ。すう、はあ。
落ち着け。落ち着くんだ。落ち着けば周りがよく見えるようになる。つまりやる事が増えるのだ。
俺は出来る。出来るのだ。出来る子なのだ。頑張れば何でもできるとは言わないが、多少は……、そう多少は出来る子なのだ。自分の席に着くことが困難だった事が今まであったか? ……無いだろう。そう。無いのなら焦らなくてもいい。自分の席に戻って椅子に腰かける事ぐらい『多少』に分類されることだろう?一歩、二歩。騒がしくなった輩の話題の矛先になっているのは確かに俺だ。三歩、四歩。しかし、ここはスパルタのスの字も出て来ない生ぬるい教育方針の公立学校。五歩、六歩、七歩。故に授業中に異常行動をとったからって生徒指導者による鞭や鉄拳などによる制裁はされないのが現状。八歩、九歩、十歩、十一歩。老教師が俺に下らない説教を垂れてくるか、老教師が生徒指導員にチクりでもして、長時間下らない説教を聞かされるかのどちらかだろう。十二歩、十三歩。大丈夫だ。次は自分の席に戻ればいいのだから。自分の席戻れば。
周りの視線が突き刺す中、俺はゆっくりと椅子を引く。残るは僅か一手順。
唖然とする輩を無視し、音を立てて自分のすぐ手前まで引かれた椅子にへ腰を落とした。
よし。
これでいい。
周りの連中のがやけに五月蠅いが、気にしてはならない。余計な感傷はいらない。躊躇しては駄目だ。来る場所まで来たなら。昇る所まで登ってしまったのなら。……そう。
後は落ちるだけ。今までの人生のように落ちるだけだ。それにもう俺は引き返せるか引き返せないかの場所の境目に立っているのだ。あともう少し行動を起こせば後者の方へ足を踏み入れてしまう。だがもう迷ってはいられない。機会を逃せば全てを失ってしまう。頭の中で理性と本能のがいい感じにカオスっているが、今は若干本能の方が優勢みたいだ。勢いが変わる前に一歩を踏み出せ。つまらない日常に終止符を打て。一度の人生派手に楽しもう。誰が為の俺の人生か。馬鹿言っちゃいけない。俺の為の人生だろうが。そう、俺はこの日の為に生れてきたのだ。輝ける瞬間なら機会を逃すなんて馬鹿がする事だ。いや、一時の快楽の為に全てを捨てるのも馬鹿のやることだろう。だが、それでもいい。馬鹿になってしまえば良いのだ。何も考えないでやりたいことをするまでだ。俺は出来る。出来るんだ。一歩を踏み出せ。全てを壊せ。俺の世界よ。俺の手によって全て壊してやる。全てを壊せ。淡々と進む日常と共に壊れてしまえ。そして――――
―――――さよなら、俺の日常。
机のフックに掛けられていたデイバッグから手際良く取り出されたのは、一本の赤いレンチ。
「あああああああああああああああああああああ」
俺は前方の女子生徒の脳天目掛けて躊躇なく右手に手にした『それ』を力いっぱい振り下ろした。
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「ぎぃ……っ」
女子生徒から変な声が漏れた。同時に掌に伝わる重い感触。レンチによる打撃でで陥没しつつある頭からは大量の血が噴き出る。そして俺の顔を生暖かく濡らした。痛恨の打撃をもろに受けた女子生徒は、何を思ったのか此方へと振り返り見てきたのだがその瞳は既に俺の事を捕えてはいなく、床に倒れてすぐに動かなくなった。
「きゃああああああああ!」
教室中の『ざわめき』が『悲鳴』へと変わった瞬間であった。返り血をに浴びた顔面を見て皆が恐怖する。さあ、後戻りはできない。存分に楽しもうじゃないか。例えこれが一時の快楽であろうと分かっていても、恐怖は無い。俺の輝きを見せてやるのだ。見せてやるのだ。見せてやるのだ。
「ふぐうっ」
放心状態になっていた後ろの席の小柄な男子生徒へと体重を乗せた蹴りを喰らわす。やはり変な声だ。不快だ。不快だ。不快だ。気持ち悪い。ガシャンと倒れる椅子の音さえ今は絶叫でかき消される。苦しげに床を転がり回るチビの顔面目掛けて俺はもう一度蹴りをいれた。
「げあっ、……はぁっ」
さらにもう一度。
もう一度。
もう一度。
もう一度。
もう一度。
もう一度。
「ぐぅ、……んっ、がっ、……あが! うぅあっ、うぐ」
「…………」
「うっ、うあぁ。にしっ、西村君……一体何をっ」
「飽きた」
「え?」
苦痛に顔を歪ませていたチビの左目に、俺はポケットから取り出したマイナスドライバーを予告無しに突き立てた。
「ああああああああああああああああああああッ! ぐぅあッ! いぁあ、あああぁああ!」
深く刺さるドライバー。流血は意外と少ない。がっかりとする俺に耳に悲鳴に悲鳴が重なった。目の前からの悲鳴、そして後ろからの悲鳴。ああ、五月蠅い。今すぐにでも全員黙らせたい。……いや、黙らそう。この声を全て無くしてしまおう。無くしてしまおう。壊してしまえ。ぶち殺してやる。
仰向けになり、周りに助けを求めるチビ。しかし、誰一人としてチビの悲痛の声に手を差し伸べてやる輩はいない。いたところでそんな偽善者野郎はすぐにでも殺す訳なのだが。現状変わらずとも鳴りやまないチビの声。その声があまりにも五月蠅かったので、俺は眼球から生えるドライバーを軽く踏みつけてやった。足に伝わるのは硬くも柔らかい感触。ドライバーはごりごりと深度をあげる。
チビの声はあっけなく止んだ。
「ハハハハハ」
不思議と笑いが込上げてきていた。脆い。あまりにも脆い。脆すぎる。俺はこんな脆い奴らとの日常に踊らされていたのか。下らない。実に下らない。同じくらい不快だ。堪え切れないそうもない笑いを止めようと努力しながら俺はデイバックの中を漁る。そして、手にしたものは中学校時代に部活で使っていた金属のバットだ。コイツにお世話になった。本当にお世話になった。もともと運動神経の良い方だったからか、中学の頃の部活は度々4番を任されていたりした俺だ。迫りくる白球に向かい力いっぱいバットを振るだけで一時の英雄になれたあの日々。あの日々を振り返れば何もかも輝いていたのかもしれない。今となっては取り戻すこともできない思い出――いや、記憶だろう。あの頃に戻ることはできない。あの頃の輝きはもう戻っては来ないと分かっている。今の自分に白球はもう打てないのだ。
ならば頭をかっ飛ばそう。ボールの代わりに。あの記憶への償いに。
「ぅらあッ!」
綺麗な一線を描き男子生徒の顔面へと向かうバット。よける気配もなくそのまま直撃。鼻の骨をメキメキと粉砕し、顔面の形すら変形させていく。
「―――ッ!!」
振り切って後には、教室を放物線上に飛んでいく男子生徒の姿。黒板に衝突、そして近くにあった教卓を派手な音を立てて倒した。大丈夫だ。バットはまだ振り切れる。鈍ってこそはいるが感覚はつかめている。ヒットした時の心地い具合さえ何一つ変わってはいない。
「――ぁぁああッ!」
一番近くにいた女子生徒へとバットを振る。
……ナイススイング。フォームこそ無茶苦茶だが、いい当たりだ。
俺は振りかぶって、力いっぱいバットを振った。うめき声と共に机を倒す轟音。
俺は振りかぶって、力いっぱいバットを振った。真一文字状の打撃が頭骨を破壊する。
俺は振りかぶって、力いっぱいバットを振る。悲鳴と断末魔が混合する。
しかし皆似たようなものばかりだ。
死んでいるのか死んでいないのかは今はどうでもいい。欲しいのは充実感だけ。頭を叩き割る心地いい感覚だけだ。力をこめて振る度に誰かが叫ぶ。振り切る度に誰かが倒れる。……最高だ。望んでいた破壊がこれほど快感だとは思いもしなかった。現実に今は酔いしれたい。自分を束縛してきたこの世界が崩壊する音を耳に残しておきたい。全てを壊して全てをこの目に焼き付けておこう。
バットの軌道が壁際で腰を抜かしている老教師を捕えた。ヒット。老眼鏡の割れたレンズが宙を舞う。飛び散る破片はカーテンの隙間から突き刺す太陽光線のおかげで眩く光り、雪のように綺麗だった。
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殺戮という名の世界の破壊は終わらない。アルマゲドンの役割を齎すのは俺だ。俺でしかない。何故なら俺の世界だからだ。不規則に凹んだ金属バットは赤く紅く染まり、元々の据えた銀色も目を凝らさなければ分からない。先から手元にかけて所々豆粒ほどの白や赤の塊――脂肪だろうか――が付着しており血液と共に日に照らされぬらぬらと妖しく光っていた。
「…………」
「い、いや……、お願いだから止めて……」
目の前の女子生徒が俺の姿を見て怯えている。『ヤマカワ』だか『ヤマザワ』だか名前は忘れたが背は低く華奢で大人しい印象をもつ女子生徒だ。女子生徒の一対の眼球が捉えて離さない物、それは俺の左手に持たれたサバイバルナイフだ。鈍く光る刃は中学生の頃に好奇心で買った模造刀の刀身とは笑える程違う禍々しさがあった。
「や、いやぁ。 西村くん……、ねえ、止めて…………」
手には汗。……いや、ナイフか。
「ねえ、西村くん! お願いだから、お願いだから止めてよ!」
「一体どうしちゃったのよ……、意味分らないよ!」
「……」
「なんで……。ほら、滝沢だって今なら生きてるかもしれないし、森田さんだって救急車呼べば……まだ!」
「……」
「まだ……。 ……まだ、助かるかもしれないじゃない。……助かるかもしれないじゃない!」
「……」
「だから……、もう止めよう……? こんなこと……さ。」
だからどうしたって言うんだ。
だからどうしたって言うんだよ。
意味なんてない。俺は一度の人生を楽しみたいだけなんだよ。誰かに縛られるのなんてもう沢山なんだ。お前らが俺にしてきた事がどれだけ苦痛に感じていたかなんて分かる筈もないだろう。
憎いんだ。楽しいんだ。
「私だってまだ死にたく――
言い終える前にナイフが彼女の首を優しく撫でた。
「いやあああああああああああああああああああああああああ!」
同時に今まで以上の恐怖色の絶叫が教室内に木霊す。飛び散る血潮。彼女のぱっくりと割れた首部から赤黒い液体が止めどなく流れる。勢いも弱まる事もなく。ただ淡々と。俺を苦しませていた日常の如く。
ああ、ヤマカワさん。若しくはヤマザワさん。気が狂う前にあなたと少し話がしたかった。図書館や小奇麗な喫茶店でゆっくりと。
「さよなら」
ビクビクと痙攣している彼女の体は広がる血の池の床へと倒
違う。違う違う違うちがうちがついあちがうちがうt
違う違うちがいちあ
冬の寒さで悴む指を擦り合わせながらゆっくりと熊の様に立ち上がる。
「ふう」
思い返してみれば今まで色々な事が沢山あった。楽しい事。辛い事。沢山あったはずだ。だけど俺は全て見落としてきてしまったのだろう。今までの日常の確かな幸せも、見て見ぬ振りをしてしまっていたのかも知れない。
違う。していたのだ。
「…………」
散らかった部屋の中央に陣取る炬燵。そしてその上には数枚の原稿用紙とボールペンが無造作に置かれていた。ついでにマグカップに注がれたビールも一緒に。
こんな事をしている場合じゃない。空想の自分を戦わせる場合じゃないんだ。幸せは目と鼻の先にあったのだ。
幸せの青い鳥の話なんて子供の頃は気にも留めなかった。だけど今では心に何故か残っている。
そうだ。幸せは案外近くにあるのだ。ある筈だ。
だから、
こんなことをしている場合じゃないんだ。
マグカップを手に取り残っていた少しのビールを一気に体へ流し込む。多少の躊躇いはあったが、俺は文字で埋まった原稿用紙を破った後ぐしゃぐしゃと丸め、屑籠の中へと投げ捨てた。
そうだ。俺にしか出来ないことは沢山ある。弱虫になるのはもう止めよう。過去を考えるのももう止めよう。俺には幸せが付いているのだから。
俺は会社用の大きめのカバンに赤く錆びた金属バットを詰めながら少しの間笑った。
明日はきっと幸せな一日になるだろう。
そんな事を考えながら笑っていた。