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第二審『再会』

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 警官から聞いた話によると、俺はガードレールの横で仰向けに倒れていたらしい。
 ビニール傘が無造作に転がっていた事と、雨を全身に受けて顔が青白かったので、最初に発見したOLは死体だと思ったという。
 即座に110と119に通報したのは夜の十二時二十八分。俺が最後に時計を確認してから十五分ほどしか経っていなかった。
 「全く、幸運と言うべきでしょうね」
 加藤医師が、俺の横たわるベッドの脇で微笑みかけた。
 俺の外傷としては、左腕の骨折、右足首の軽い捻挫。覚醒後些か意識の混濁がみられるものの、概ね良好。
 命に別状は無し。全く、だ。
 …と、加藤医師に説明を受けている間も上の空だった。
 まずどうして自分が生きているのか知りたかった。必殺のスピードとタイミングだった筈なのに、何が起きて生き延びてしまったのか。しかし俺が意識を失った現場を目撃していた者は誰一人、車の運転手を除いては居なかった。
 俺が自殺を図った事は伏せて、突然車が飛び出してきたと伝えると、警官や看護婦はこう推理した。
 「きっと栗山さんは道路に出た瞬間に、いきなり車が現れてびっくりしちゃったのよ。その拍子に足を滑らせて捻挫、咄嗟に伸びた腕が無理に体重を支えようとして骨折、そして最後は石段に頭をぶつけて気絶。こんな感じだと思います」
 看護婦の言葉に、表面的には疑いの目を向けつつも、心では納得していた。
 俺らしいヘマだ。自分の身一つ滅ぼすことも出来ない。
 気が付けば誰もが俺の周りから居なくなっていた。皆、それぞれの仕事に戻ったのだろう。
 昼の病院の静けさが、誰かの死を欲しているようだった。


 家には連絡をしたそうだが、妻子は一度も来なかったと、加藤医師が教えてくれた。
 怪我は入院するほどのものではなかったので、俺は一日様子を看た後に退院する。足は湿布を貼っただけで普通に歩けた。腕はまあ、全治二、三週間程度らしい。
 俺は乾いたスーツに着替えて、身支度を整える。診察室に呼ばれていた。
 聴診器を外した加藤医師は腕や足の様子を診て、「これなら問題はありませんよ」とまた俺に微笑みかけた。
 「…あの、先生」
 「ああ、私は〝先生〟なんて呼ばなくていいですよ。患者さんには、皆そうしてもらっています」
 それには賛成だ。日頃から思っていたのだが、医者や弁護士なんてのは、人が〝先生〟なんて敬って呼ぶからつけ上がる。
 「じゃあ、加藤さん」
 「はい、何でしょう?」
 「いや何と言うか、ありがとうございました」
 「ははは…どういたしまして。お大事に」
 穏やかな所作の加藤さんに、俺はお辞儀をして診察室を後にした。死にたいと思っていたのに失敗して、あまつさえ治療されて、感謝する事などないと言うのに。
 病室の奥まった場所に眠っていたから分からなかったが、天気はあの夜から一転、青い空が広がっていた。よもやもう一度この雄大な青を見られるとは思ってなかったので、俺は軽い感動を味わう。
 病院を出て、とりあえず外に設置された喫煙所に入った。簡単な造りで、ベンチは錆びついていた。寝巻き姿の老人がプカプカと煙を浮かべている。俺は、失礼、と言って横に座った。
 「お?……と」
 指を出来るだけ器用に動かすが、うまく煙草が取り出せない。片手しか使えない事の不便さを早速感じつつ、火をつけた。一度煙を吐き出すと、どこか現実から乖離していた意識が頭の中に戻ってきた。それと同時に、煙草の煙の如く、不安が立ちのぼる。だけどそれは実際の煙のように、大空に消えてくれはしないのだった。
 これからどうしようか。保険はおりそうだが、治療費諸々を嬉しくない手土産に家に帰ることのなるのだろうか。事故と呼べるものにもならずに、大事に至らなかった、と連絡を受けた妻は何を思っているのだろうか。
 気分転換に老人に話しかけようと思い立ったのも束の間、彼は既に居なくなっていた。明らかに分煙された端のスペースに一人、四十過ぎの男が木枯らしに吹かれている。
 度を越えて気持ちが沈んでいく…。
 「………ハァ」
 煙草は旨いが、人生が不味かった。





 結局、街中をあても無くうろついて、家に帰ったのは夕方の六時前だった。
 閑静ではあるが何処か俗っぽい雰囲気の住宅街に、栗山邸はある。
 新婚当初に建てた夢の一戸建てマイホーム、だった、筈。当然、社会人として半人前だった俺の力だけでは無理だった。妻の親にも出資してもらい、ようやく出来上がった二人の愛の巣、だった、筈。
 今となっては蝙蝠でも飛んでいそうな魔城に見える。二階の窓なんか特に危険だ。 
 「ってか、なんで我が家に入るのにこんなビクビクしなきゃなんないんだ」
 自らを奮い立たせてガレージの横の、門扉に右手をかける。キイィィ…ヵチャン、と可能な限りミュートを意識して門扉を閉めた。
 ガチャ。
 後ろから勢い良く扉の開かれる音がして、肩が跳ね上がる。振り返って見てみると、そこには玄関から出てきた娘の姿があった。
 彼女は俺を発見し、一瞬目を丸くして、すぐさま石像のような表情になる。いつもの不機嫌そうなそれとは違って、薄ら寒いものを感じた。
 「憂梨…ど、どこ行くんだ?」
 母親に似て、目鼻立ちのすっきりした美人の娘は、現在高校一年生。父親に対する反抗期は未だ抜ける気配がない。
 「…別に。お父さんには関係ないでしょ」
 低い声で言って、憂梨はガレージから赤い自転車を引いて跨った。華美な服装はしていないものの、これから暗くなると言うのに娘が出かけるとなるとどうしても心配だ。変な男に関わりでもしたら個人的にプ○トーンである。そんな俺の親心は伝わらず、憂梨は最後に俺のギプスで固められて三角巾で吊るし上げられた左腕を一瞥して、「ダサいよそれ」と残して駅の方角に自転車を漕ぎ出した。
 「お、おい。早めに帰って来るんだぞ」
 俺の言葉は娘の背中に追いつけずに、夕闇に消えてしまった。



 「ただいまぁー…?」
 恐る恐る玄関で革靴を脱いで、リビングに忍び込んだ。
 居間で夕方のアニメを熱心に見ていた、九才になる息子の修太がこちらに気付いて立ち上がった。
 「おとうさん、おかえり!ケガしたって大丈夫?」
 俺の自殺未遂の事情を知らない修太は俺の心の安らぎになった。ただ純粋に俺に父親として接してくれる、彼の屈託のない笑顔に心洗われる。
 調子に乗って真っ白な左腕を勲章のように掲げてみせた。
 「おおー!すごい、ロボットみたいだ!」
 息子は大喜びである。俺も久しぶりに笑った。実際には三日も経っていないのだが、随分と長い間この感覚を忘れていたように思えた。
 「お父さん」
 「ガチュイーン。うっはっはっは、は…は……」
 曙の湖面を思わせる静かな声が俺の動きを止めた。声の主はダイニングから視線を送ってきている。無地のエプロンを細い肩にかけた妻の顔は、憂梨と同類で石像のようだった。下手に表情を作らないと、整った顔がより美しく表れるが、今はときめいている場合じゃない。俺はひとまず何も飾らずに接してみることにした。
 「や、やあ、奥さん」
 彼女は俺の背後(きっとテレビの前に戻った修太)をチラリと見た。
 「…ねぇ、あなた」
 「…なんだい?」
 実を言うと俺はこの時「やっぱ貴方なしじゃ生きられない!」だとか「ごめんなさい!これから家族皆で頑張りましょう!愛してる!」だとか言う、安っぽい昔の昼メロドラマみたいな台詞を期待していた。

 「これから一体、どうするって言うんですか」

 妻の口から零れたのは、とても現実的なお叱りだった。
 俺の全機能は一斉に停止した。

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