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第五話 「それも、悪くない」

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「突破口なんて、見つからないじゃないかぁぁぁ!」

 結束さんとの関係が全く進展しないことで多少気が立っていた俺は、学園からの帰り道で思わず叫んでいた。

「ママー、変な人がいるー」
「しっ! 見ちゃ駄目」

 すれ違った親子が何か言っていたようだが、そんなことを気にする程、今の俺には余裕がなかった。おそらく、今のやり方ではこの先何も変わらないだろう。突破口なんて見つかる気配すらしない。かといって、他に良い方法があるのかと言えば、答えはノーだ。いや、探せばあるのかもしれないけど、少なくとも今の俺には全く思いつかない。
 ちくしょう、まさに八方塞がりな状態だ。
 
「……ちっ!」

 俺は後頭部を掻き、軽く舌打ちをする。
 このまま考えていても仕方ない。とりあえず、今はさっさと家に帰ろう。顔でも洗ってサッパリすれば、何か良い考えが浮かんでくるかもしれない。
 そうして、俺は多少足を速めて家路につくことにした。



「ただいま」

 癖で一応言うが、帰ってくる声は無い。なぜなら、この家には俺しか住んでいないからだ。
 両親は子供の頃に事故で亡くなってしまったし、俺には兄弟もいない。だから、この家には俺しかいない。

「よっと」

 俺は靴を脱ぎ捨て、居間へ向かう。
 食費、電気、ガス、水道などの生活費の方は親の遺産で十分間に合っているから問題は無い。でもそれを考えると、俺は結局親のお金で暮らしていけてるわけで、俺の両親は死してもなお、俺の面倒を見てくれてるってわけになるよな。何か久しぶりに目頭が熱くなってきた。ありがとう、父さん、母さん。そして、ごめんなさい、こんな駄目な人間に育ってしまって。
 そんなことを思いつつ、俺は居間に置いてある両親の遺影に合掌する。
 それが終わると、俺は洗面所で顔を洗い、再び居間に戻る。
 
「はぁ……」

 俺は制服のまま居間にあるソファーに倒れこみ、少し離れた所にあるピアノをぼんやりと眺める。

「…………」

 あれは、何にも興味を示さなかった俺が、初めて熱心に取り組んでいるからと大喜びして親が買ってくれたものだ。しかし、俺はあれ以来一度も触れていない。今では立派な親の形見となっている。

「…………」

 俺はおもむろに起き上がってピアノの所まで行き、椅子に座る。
 久々に弾いてみるか……。
 カバーを上げ、人差し指でドの音を鳴らしてみる。

「……はは」

 あの時と変わらない音に、俺は懐かしさを感じていた。

「そういえば、結束さんの歌……。あれは、良いメロディだったなぁ」

 初めて会った時に結束さんが口にしていたメロディを思い出してみる。
 全く聞いたことないし、あれは彼女のオリジナルのものだろうか。確か、こんな感じだったよな。
 あの時の記憶を思い出しつつ、俺は鍵盤に指を走らせていく。

「~~~~♪」

 室内に綺麗な音が響き渡る。
 うん、こんな感じだ。この、体の中に染み渡っていくようなメロディ、間違いない。
 大体のコード進行は分かったので、俺はそれに即興でベース音を入れて、もう一度弾いてみる。

「~~~~♪」

 お、これは中々良いんじゃないか?
 まあ、元が良いからなんだろうけどね。
 そして次の瞬間、唐突に俺の頭にある閃きがおこる。

「そうだ!」

 そうだ、そうだ。これを結束さんに聴かせたら、何か今までとは違った反応を得られるんじゃないのか?
 うん、きっと得られるはずだ。これは、彼女の曲なのだから。どんな反応を得られるかは分からないけど、他に良い考えも浮かばないし、とりあえずやってみるしかない。
 
「よし、そうと決まれば、もっとちゃんと曲らしく仕上げてみよう」

 俺は両手で頬を叩き、気合を入れる。自分なりのアレンジを加え、それを聴いては改良の繰り返しで、俺にしては久々に何か物事に熱中する時間を過ごした。そして、三日間をかけ、曲はようやく形になる。


                    *


「結束さん」

 翌日の放課後、さっさと帰宅しようとしている結束さんの肩を掴み、呼び止める。

「…………」

 お決まりの無言。かと思いきや、肩を掴んでいた手を無造作に払われる。
 そして、結束さんはそのまま再び歩き出す。

「ちょっと待ってくれ」
 
 俺はもう一度肩を掴み、彼女の動きを止める。

「……しつこい」

 結束さんはようやく俺の方を向き、そう言った。
 だけど、どんなに言われようとも今日だけは絶対に退くつもりはない。

「ちょっと、見せたいものがあるんだ。いや、聴かせたい、かな?」
「ああ、そう。私は別に見たくもないし聴きたくもないから。さよなら」

 結束さんは俺の手を解いて、また行こうとする。
 俺は、今度は彼女の手をしっかりと掴み、動きを止める。

「…………」

 結束さんは、見るものを震え上がらせるような鋭い目つきで俺を睨んでくる。
 しかし、今の俺はそんなことでは動じない。

「来てくれ!」
 
 彼女の手を掴んだまま、引っ張る形で俺は走り出す。

「え……ちょ、ちょっと!」

 先程とは打って変わって、結束さんは焦っているような表情をしていた。
 ごめん、強引に引っ張っちゃって。
 俺は走りつつ、心の中で謝った。


                    * 


「……で? こんな所に連れてきて、どうしようっていうのよ」

 場所は第一音楽室。
 結束さんはピアノのすぐ側に立たせている。

「うん。今からみせるよ」

 俺はそう言って、ピアノの席につく。
 カバーをあげると、室内のライトに反射し、てらてらと光る鍵盤が俺の前に現れる。

「…………」

 そんな様子を、結束さんは黙って見ている。

「……ふぅ」

 俺は肺の中に溜まっていた空気を吐き出し、気を落ち着ける。そして、鍵盤に手をおき、構える。
 ちゃんとできるかな、俺。こんな大事な場面でミスでもしたら情けなさ過ぎるぞ。

「すぅー……ふぅー……」

 俺は深呼吸をし、もう一度気を落ち着けようとする。
 大丈夫、できるさ。何せ俺は、天才なんだ。
 自分を信じろ。駄目だと考えるから、迷いが生じて本当に駄目になるんだ。自分を鼓舞しろ。
 大丈夫、大丈夫。いける!
 さぁ、いくぞ。見ててくれよ、聴いててくれよ、結束さん! 
 そうして俺は、鍵盤につけていた指を走らせ始める。

「~~~~♪」

 綺麗なピアノの旋律が音楽室内に響き渡る。
 その瞬間、目の前の少女の表情が弾けた。

「え……嘘……」

 結束さんは唖然とした表情で呟いていた。

「これ……何で……? あの時の、私の、歌……」

 その通り。これは君が歌っていたものだ。
 どうだ、とてもいい曲だろう? 綺麗なメロディだろう?
 でも、これは君が歌っていたものだ。結束さんは、それだけ素晴らしいものを持っているんだ。

「どうして……どうして……」

 結束さんは俯き、わなわなと震えていた。
 そして俺は曲を弾き終え、彼女の方を見やる。

「どうだった? 中々良かっただろ。でも、もう一つだけあるんだ」

 結束さんは依然として俯いているため、その表情はハッキリと見えない。しかし、俺の話しはちゃんと聞いてくれているはずだ。

「じゃあ、いくよ」

 先程弾いたのは、いわゆるピアノソロというやつだ。そして、これから弾くのはメロディを引き立てるための伴奏。ある期待を込めて、俺は再び鍵盤に向けて指を走らせる。

「~~~~♪」

 少し経った所で、今まで俯いていた結束さんの顔が勢いよくあがり、その視線が俺の方に向けられているのを感じる。

「これ、って……」

 先程の曲と同じコード進行で、メロディは弾いていない。とすれば、これが何を意味しているかは結束さんなら分かるだろう。
 俺は横目で結束さんを見る。すると、彼女もこちらを見ていたので、お互いの視線が重なる。俺は意味ありげに頷いてみせる。

「…………」

 しかし、結束さんは再び俯いてしまった。それでも俺は、弾くのをやめない。

「…………」

 最後まで弾いてしまったら、また最初から弾けばいい。彼女が再び顔をあげるまで、何度でも、何度でも弾いてやるさ。もし、このまま俺を残して音楽室を出て行くならば、それも仕方ない。でも、出て行く最後の瞬間まで弾いてやる。

「……ララぁ……♪」
「……!」

 それはとても小さく、か弱いもので、ピアノの音に負けて消え入りそうなものであったが、確かに俺は聴いた。俺の伴奏に合わせて歌う、彼女の歌声を。

「――――♪♪」

 結束さんの声は次第に大きく、そして、何よりとても力強いものになっていく。初めて会ったときに聴いたような優美さ、繊細さを兼ね備え、そして、一切の淀みのない清水のような澄み切った歌声。先程までは俺の伴奏でかき消されてしまいそうな声だったというのに、今では立場が逆転し、彼女の圧倒的な歌声の前に、俺の伴奏の方が掠れてしまいそうになっている。

「……良かった」

 俺は心底そう思った。そして、俺の行為に対して結束さんが答えてくれた。その事実がとても嬉しかった。



                    *


「ふぅ」

 伴奏を弾き終わり、俺は一息つく。
 結束さんの顔をちらりと見ると、表面上は無表情で目を瞑っているだけだが、内に溜め込んでいたものを吐き出したかのような、すっきりとした表情をしているようにも俺には見えた。

「結束さん」

 俺の声に反応し、結束さんはゆっくりと目を開き、こちらに視線をむける。そんな彼女に、俺は再び言ってみせる。


「今のを聴いて、やっぱり思ったよ。結束さんの歌声は本物だってさ。それに曲だって素晴らしい。これ、結束さんが考えたんだろ?」

 結束さんは視線をずらし、無言で僅かに頷く。その仕草が俺には恥らっているように見えて、何故か可笑しい。

「だからさ、諦めるなよ。もう一度、夢見ようよ」
「…………」

 結束さんは再び目を閉じ、押し黙る。
 やっぱり、駄目か。ここまでか。
 いや、でも歌ってくれたことに関しては本当に嬉しかった。それだけでも頑張ってきた甲斐があるってもんだ。

「強弱をつける部分がはっきりしていない」
「へ?」

 かなりいきなりな発言に、俺はひどく素っ頓狂な声で答える。

「ハシったかと思えば、急にモタつく。テンポが全くもって不安定」
「…………」

 な、何だ。結束さんは何が言いたいんだ。

「サビの前はもっと盛り上げる」

 だから、だから何だ!

「全体的に、全然ダメ」
「ぐはっ!」

 ち、ちくしょう! 単に馬鹿にしたいだけかよ!
 ていうか、俺だってこれでも結構頑張ったんだぞ! そこまで言うか!

「でも……」
「……でも?」

 次の瞬間、結束さんは目を開き、そしてその表情が、とても穏やかな笑顔に変わる。

「それも、悪くない」
 
 俺は見た。確かに見た。
 彼女の笑顔を。
 春の日差しのような、暖かなその笑顔を。


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