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3・『一人』

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 規則的に揺れる電車の中。窓の外、引き伸ばされていく深緑色の森や、山などの景色とは対照的に、時間はゆっくりと過ぎていく。
 乗り始めのうちは半分ほど埋まっていた席も、時が経ち、辺りが薄暗くなった今は、もうほとんど誰も座っていない。
 その数少ない乗客も全て老人だ。
 皆、うつむき憂鬱そうな顔つきをしている。まるで通夜のようだ。
 彼らの中の一人が深いため息をついた。釣られてその周りの数人もため息をつく。誰も言葉を発することはない。誰も他の人と目線をあわそうとしない。ため息だけがそこにあった。

 何か、嫌だなあ。
 こちらまで憂鬱な気分になってしまいそうだ。
「不義村と聞いているんですけれど」
 彼らには、どこか薄ら寒いものを感る。、それをかき消すために口を開いた。
 向かい側で、流れていく景色を眺めていた大神さんが首だけをこちらに向けた。
 秋さんは席についたと思ったら、すぐに眠ってしまった。今は大神さんの隣で、規則正しい静かな寝息をたてている。
「そうだな。腕の良い薬師が多いことで有名な村だ。聞いたことくらいあるだろう」
 不義村というのは有名な村なのか。生まれてこのかた特に重い病気にも怪我にもかかったことがないからだろうか、聞いたこともなかった。
「はは。まあそれは良い事だ。健康だということだよ」
「そこで、殺人事件が起きたって本当ですか」
 正直に言うと、僕はまだ秋さんの言葉を疑っていた。殺人事件なんて普通に生きていたら、まず関わらない。彼女は僕をからかっているのではないか。と。
 賞味期限の切れた土産をよこして、お腹を壊して苦しんでいる僕を笑っていたときのように、今も怯える僕を見て、腹のそこで笑っているのではないか。と。
「俺もまだ向こうの奴に聞いただけだけな」
 向こうと言うのはその不義村を担当している警察の人だろう。
「それなら、もしかしたら事故や自殺ってことも」
 それならば、僕らがすることは特にないはずだ。向こうで適当にぶらぶらしたあとに帰れば良い。どうせなら緊急時に備えて薬をいくつか買っておくのもいいかもしれない。胃薬やら頭痛薬やら。風邪薬もいくつか買っていこうか。財布の中身を、少し多めに持ってきて良かったかもしれない。
だが、

「遺体がな、バラバラにされていたんだと」
 僕の小さな期待は、大神さんのあっけない一言によって、簡単に打ち砕かれた。
 事故で遺体がバラバラになるだろうか。自殺で遺体がバラバラになるだろうか。僕はバラバラ死体の定義を詳しく知っているわけではないが、それは他者の手で行われたということくらいは分かる。

「バラバラって、どうしてそんな」
 驚きのあまり、腰が少し浮いてしまった。辺りの老人の目がいっせいにこちらを向く。
よどんだ視線に包まれる。
「それを今から調べに行く」
 大神さんは大きくごつごつとした手で、僕を制した。
宙に浮いた腰を静かに戻す。
「でも、理由なんてあるんですか? ただの狂人の仕業って可能性が圧倒的に高い気がするんですけれど」
「まあ、そうだ。だが不義村は、いまどき珍しいくらいに閉鎖的な村でな。そんな狂気を持った人間がいたら、すぐに分かるさ。何しろ人を殺しているんだからな。何の変化もないとは考えにくい」
 本当にそうだろうか。判を押したような常人が殺人を犯す。毎日流れているニュースの中でも特に珍しくはない。
 モザイクを入れて、声を高くした自称友人たちが言っているではないか。
 彼はごく普通の人間で、何もおかしなところはありませんでした。

 だが、これが現役の警察官である彼の意見であるということが、僕の反論を封じた。
 実際、彼も回りの人間たちが自分たちの中の殺人鬼に気付いていない。という可能性を頭から排除しているわけではないのだろう。
 あくまでも、話を円滑に進めるための、仮の前提条件だ。村の住人が犯人という事も十分にありえる。
「外部犯の可能性は?」
「無理、だろうな。まず、逃げ場所がない。不義村はあたりを深い森に囲まれている。同じ景色の中を何時間も歩き続けないと外には出れないんだ。村の出入り口もあまり多くはなく、誰かが出入りをしたらすぐに分かるようになっている」
「では、僕らみたいな人間は他にいないんですか」
 大神さんは不適に笑った。
 良い質問だ。と前置きしてから、
「いないよ。一人を除いてはな。柊という若い女が数日前に訪れたが・・・・・・」
「それですよ。その柊が犯人でしょう」

 その人物ならば、つじつまが合う。犯人が村の人間ならば、他の村の人間が気付く。誰にも知られずに侵入した外部犯は実質なし。
ならば。堂々と外から入ってきたその女だけだ。

「それはない」
 やけに断定した口調だった。
「バラバラにされた被害者は・・・・・・」
 僕がなぜ、そう言いきれるのですか? という疑問を放つ前に大神さんは続ける。

「その柊千尋だからだ」
 息を呑む僕の隣で、熟睡している秋さんがフガッ、と間抜けな声を出した。

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