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プロローグ

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暗い部屋のなか、神野空はひたすら手淫を続けた。込みあがる吐き気に身悶えをしながらも、それでもその行為を止めようとはしなかった。

カーテンと雨戸を締め切っていたため、時間の感覚など当の昔に無くなっていた。部屋に広がるのは漆黒の闇と、テレビが発する怪しく揺らめく光だけだった。テレビの砂嵐の音が部屋中に響き渡り、風に揺れる雨戸がガタガタと音を立てる。

しかし、神野空はそんなことにはまったく関心が無かった。今はただ、その込み上がってくる感情を処理しようと一心不乱に自分のペニスを扱き続けた。

喉の奥から胃液が出てくるのと当時に神野空は果てた。果てると同時に再び強烈な吐き気に襲われ、そのまま吐き続けた。
堪え難い苦痛のなか、神野空は笑った。吐瀉物にまみれながらも、その顔は確かに笑っていた。







気持ち悪い………。こうなってしまったのはいつからだろう。

自分で言うのも何だが、一ヵ月前まで僕は理想的な高校生活を送っていた。友達だって沢山いたし、勉強だって人よりも随分とできた。部活だって勉強の邪魔にならないように楽しくやっていたし、先生ともうまくやっていたはずだ。
順風満帆というような言葉が相応しいような学校生活だった。
それに、何よりも彼女がいた。

……そうだ。僕には彼女がいたんだ。

幼なじみの良子。子供の頃からずっと一緒にいて家族のような存在だった。腐れ縁って奴で、小中高とすべて同じ学校に通っていたっけ。

良子……。あいつは危なっかしいやつで、いつもどこか遠くの空を眺めているようだったな。よく何もないところで躓いていたっけ。
だから僕が守ってやらなきゃって、そう思っていたんだ。


一ヵ月前、何が起こったんだっけ。

……ダメだ、急に思い出そうとすると頭の奥が痛くなる。気持ち悪い。吐きそうだ。順序立てて思い出してみよう。

あれは確かいつも通りの学校帰りだったはずだ。良子は「今日はカレーだよ」と僕に話し掛けてきた。
良子の家族と僕の家族は仲が良くて、ここ数日あの人たちは僕達を置いて一緒に旅行へ行っていた。だからその日は良子が僕の家に来てご飯を食べることになっていた。

そうだ。だから僕達はスーパーによるために、いつもと違う帰り道で帰ったんだ。

別に帰り道は変わったことなんて無かった。スーパーに入って人参とジャガイモとカレールーを買った。良子は甘口がいいと言っていたが僕はこっそりと中辛に変えてみた。後で可愛い顔でプンプンするであろう良子のことを思うと、少しだけ顔がにやけた。

スーパーから出ると僕らは家に向かって歩き始めた。近道をするために公園を横切って帰ることにしたんだ。

……そうだ、この辺りだ。
痛い。頭が痛い。気持ち悪い。また吐きそうだ。

その帰り道で僕らは強盗に襲われたんだ。

ガツンと鈍い衝撃が僕の頭に響き渡った。痛い、と思う前にもう一回僕の頭が弾け飛んだ。世界が揺れて、僕は地面に吸い付けられた。体に力は入らない。僕はそこに力なく倒れこんだ。
妙に意識だけははっきりして頭だけが冷め切っていた。誰かに襲われたということは分かったし、なんとかしなくては、とも思った。でも、体がまったく動かなかったんだ。

気持ち悪い。

そうだ。そこで僕は見たんだ。良子が殺されるところを。泣き喚く良子を強盗は何度も何度もバットで殴り続けた。良子が動かなくなっても、何度も何度も。
やめろ。気持ち悪い。もう良子は琴切れているのは見ていて明らかだった。それでも強盗はその行為を止めようとしなかった。僕は何もできなかった。ただその行為を見続けることしかできなかった。つぶれてひしゃげる良子の顔を僕は近くで眺め続けた。それは永遠とも思える時間のように感じた。嫌だ。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。良子。いやだ。嫌だ。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。


しばらくして僕の意識はプツリと途絶えた。次に目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。
その時にはもう、すでに良子はこの世界のどこにもいなくなっていた。





親に聞いた話なのだか、犯人はあっけないほどすぐに捕まったらしい。動機はくだらないものだった。目の前を歩いている幸せそうなカップルを見て腹が立ったといったものだ。
実にくだらない。そんな理由で良子は死んだのか。

報道機関は最初の頃は少し騒いだが、数日経つともう僕らへの関心を失っていた。所詮女子高生が一人殺された程度の事件なんて大したインパクトはなかったのだろう。最近起こっている連続殺人事件に紙面を奪われ、僕らの事件は新聞の片隅に少し乗っただけだった。

幸い頭の傷は数針縫う程度だったので、僕は比較的早く退院することができた。そして僕は退院するとすぐに部屋へ引きこもった。


………どれだけ僕は部屋に引きこもったのだろう。全く覚えていない。僕は部屋に鍵をかけて随分と長い間引きこもった。
親もあの事件のことがあってか僕に強くは言えなかったのだろう。飯だけは僕の部屋の前においていって、それ以外は何も言わなかった。僕は学校にも行かず、部屋の暗闇の中、何もせずにただ時間が過ぎるのを待っていた。

たまに、あの時のことが僕の脳裏をよぎった。僕はそのたびに強烈な吐き気に襲われ嘔吐した。

良子。良子。良子。良子。良子。良子。良子。良子。良子。

消えてしまった。僕の目の前で。何もできずに良子は撲殺された。
良子の顔の形が歪む。僕はそれをずっと見ていた。良子の腕が有り得ない方向に曲がる。ずっと、ずっと見ていた。良子の足が折れる音がする。ずっと聞いていた。良子の脳漿が飛び散り、顔の肉が抉れる。それも見ていた。良子が死に、良子は『良子だった物体』に変わった。

僕は見ていた。すべてを見ていた。そうだ。これが僕が見てきたすべてだ。







過去のことを思い返している最中、不意に神野空の下腹部に違和感が走った。彼はその違和感の元を確かめようと下腹部に手を伸ばした。

彼は勃起していた。
良子の死んでいく姿を思い返して勃起していた。

意味が分からぬまま、彼はそれを扱き始めた。
それと同時に彼は強烈な吐き気に襲われた。耐えがたい苦痛だったが彼は自慰を続けた。テレビの砂嵐の音が部屋中に響き渡り、風に揺れる雨戸がガタガタと音を立てる。しかし、そんなことなど気にも止めずに彼は一心不乱に扱き続けた。そして彼は吐きながら果てた。

その後、彼は笑った。吐きながら笑った。そして呟いた。

「良子のいない世界なんて意味がない。殺そう。みんな殺してしまおう。世界一の殺人犯になり、みんな殺したあとに僕も死のう」


彼はそのまま笑い続けた。もう吐き気は無くなっていた。

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