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うちのオーパーツ

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六.

「なんなんだよ…」
 茶の間に倒れていたところを克己に起こされた、それが秋一の第一声だった。
「……」
「いってーな、ちくしょう…」
 そう言って片目をつぶりながら、後頭部に手を伸ばす。克己はその様子を無言で眺めた。
「そうだ、おい」
 目が合う。
「静奈ちゃんは?」
「連れて行かれたわ」
 秋一の視線がゆっくりと、そちらに向かう。
 柱に背中を預けて立つ、零花の姿があった。
「連れて行かれた?」
 言葉の意味を探るような声音。
「私のせいよ」
「レイカさんの…?」
 返答はない。
 俯いた克己が、絞り出すように声を上げた。
「違う、俺のせいだ…」
 この状況をゲームの延長か何かのように考えていた、最悪の思い違いが生んだ事態。
「俺の、せいだ…」
「えっ、と…、待ってくれよ。なに、どういうことだよ?分かるように説明してくれよ」
 まだ事態が飲み込めていないものと分かる表情と声音で、秋一は二人に視線を交互させる。
「なぁ、おい。そうだ、クリスちゃんは?」
 向けられた言葉に、克己は首を左右に振った。
「……だから、なんだよそれ。説明してくれよ!!」
「私から、……っ!……説明します」
 その零花の表情に違和感を感じ、秋一は彼女が左手で押さえたままの右腕に視線を移した。
「って、ちょっとそれ、血じゃないっすか!」
「大丈夫、もう止めたから」
目を見開いた秋一を視線で静止し、零花はそのまま柱に寄りかけた身体を真っ直ぐに落とす。
「大丈夫って…、救急車呼ばないと!」
「いいから!」
 立ち上がろうとする秋一にそう叫んで、零花は一度顔をしかめた。
「聞いてください…」
 秋一が起こしかけた身体をゆっくりと戻して、零花に視線を向ける。
それきり、無音。
衣擦れの音すらしない。
克己は顔を上げ、零花の横顔を見た。目を閉じたまま、何かを考えている様子だった。
閉じられていた唇が開く。張り付いていた両のそれがはがれ、粘着質な音がわずかに聞こえた。
「彼ら―秋一くんを襲った男たちの狙いは、クリスです」
 はっきりとした発音で、そう告げる。
「私の役目は彼女を守ること。だけど、結果的にクリスはつかまり、静奈さんも彼らの逃走のために人質として連れて行かれました」
 秋一の視線が泳ぐ。言葉の意味を探ろうとしているものと分かった。
「私の認識の甘さが招いた。これは、私の失敗です」
 その表情がわずかに険しくなるのを合図にしたように、秋一が問いかける。
「なんで、クリスちゃんが?」
「彼女には、それだけの価値があるからです」
「価値?」
 その質問には答えないまま、零花は再びゆっくりと、柱を背もたれにしながら立ちあがり克己を見下ろした。
「克己くん、すみませんでした」
その言葉に、克己の肩がぴく、と震える。
「これはすべて、私が原因です」
 違う。
「私の甘さが、結果的にあなたの友達まで巻き込んでしまった」
 俺があんたに巻き込まれたんだとして、こいつらを巻き込んだのは、俺だ。
「だから、私には責任を負う必要がある」
 甘さ、責任、それらを反芻するたびに、胸を抉る不快な感触。
「静奈さんを助け出して、あなた達に当たり前の、平穏な日常を取り戻す責任です」
 そこで一度、零花は小さく息を吐き出した。
「三〇分経ったら、私は彼らを追います。」
 俯けたままの顔をあげ、零花と視線を絡める。
「静奈さんだけは、必ず助けますから」
 無理に作った笑顔と、すぐに分かった。右のえくぼが無い。
 無言で視線を逸らすと、零花は克己の視界から姿を消した。
廊下を歩く音が遠ざかり、襖が開く音、閉じる音。
「克己…」
「……」
「おい!」
 肩を揺さぶられる感覚。正面には秋一の強張った顔があった。
「なんで黙ってんだよ?」
 甘さ。
 零花の?
 違う。
 分かり切っている。
 俺自身の、甘さが招いた。
 秋一を、静奈を。
 いや、二人だけじゃない。クリスも、零花さんも、俺が巻きこんだ。
 あの石を、俺が拾ったせいで。
 石に選ばれた、ヒロイックな現実に浮かれて周囲を顧みなかった、全ては、俺の責任。
「……なあ、克己」
 肩に置かれた両の手に、ぐっ、と力が込められるのが分かり、克己は秋一の、数十センチ程の所にある目を眺めた。
「お前、どうするんだよ?」
「どうするって…?」
 力無い返答だった。
「危ないことになってんじゃねぇのかよ?」
 目を伏せる。
もう一度、肩が揺すられた。
「レイカさんを一人で行かせんのか?」
「何が言いたいんだよ…」
 二秒、間があった。
「俺には、まだよく分かんねぇよ、正直。いきなりぶん殴られて、目ぇ覚めたら静奈ちゃんもクリスちゃんもいなくて、レイカさんは血ぃ流してて」
肩に触れた手が離れる。
「さっき、レイカさんなんて言ってた?」
「さっき…」
「静奈ちゃんだけ(・・)は助けるって、そう言ったんだぞ?」
 フラッシュバック。
「静奈さんだけは、助けますから」
 笑顔。けれどそれは…。
「死んじまうよ」
 心臓がぎゅう、と締め付けられる感覚。
「あの人がどっかただ者じゃないのは分かるよ。にしたって、あれじゃあ…」
 人が死ぬ。俺が関わった人が、俺と関わったせいで死ぬ。
「……なぁ克己、俺はクリスちゃんとも、レイカさんとも、今日会ったばっかりだけど、二人ともすげぇいい人だと思う」
秋一はそこで一度、瞳を閉じた。
「レイカさんは、今日初めて会った静奈ちゃんを助けるって言ってくれた。クリスちゃんを、妹のことを差し置いてだぞ?」
「……ああ」
 そうだな。
 膝を握る掌に、力が入るのが分かった。
 相手は昨日の二人に加えて、ジエノと呼ばれていた、恐らくヒュームズ。傷を負った零花一人の手に負えるようには思えない。
 無論、そこにただくっついて行ったって、足手まといになるのは目に見えている。けれど、
 ひと際激しく胸を打った鼓動の感覚を思い出す。
 克己の意思に従ってその掌に収まった、オリジナル・キー。
 あの石を、クリスを取り戻すことが出来れば。
 立ち上がり、まだ震えの残る足で、けれど今度はしっかりと身体を支える。
「秋一」
「ん?」
「サンキューな」
 眼下の友人にそう告げて、一歩踏み出した、直後。
「なに言ってんだ」
 立ち上がる気配に振り返る。
「なんでお前一人だけ行こうとするんだよ」
 そう言って、幾分高い位置から見下ろす秋一。
「秋一、今回のことは全部俺に責任がある。だから―」
「あー、責任責任って、うるせーな!」
 遮ってそう口にした秋一に、克己は思わず閉口した。
「レイカさんも、んなこと言ってたし。でもさ、そうじゃねぇだろ?俺たちは友達。レイカさんだってそうだ。友達が友達を助けてくれようとしてんのを手伝うってことに、理由がいるか?」
 早口にそれだけ言って、秋一は部屋を出て行った。克己はその背中を追って廊下に出る。細く光の漏れ出た客間の襖を、秋一が勢いよく開くと、背中越しに、零花の後姿が目に入った。
「やっぱり見たことあると思ったら。クリスちゃんはシルヴィアで、レイカさんはイサミかよ」
 秋一の持ちキャラ、西城(さいじょう)イサミに酷似した黒衣のシルエット。
「ゲームじゃないぞ」
 自身を戒める言葉。
 ゆっくりと、零花が二人を振り返った。
「二人とも、ごめんなさい」
 視線をわずかに下へ落とす。
「そうじゃないっしょ」
秋一が微かに笑いながら、そう言った。
「なぁ、克己」
 零花が上げた目をしっかりと見据えながら、克己は小さく、けれど強い思いを込めて、頷いて見せた。
 零花が微笑む。
「……ありがとう」
 それは昨晩彼女が見せた、あの笑顔だった。

『どうかね、彼女の具合は』
「問題ありません」
『それは良かった。では、確保出来たんだね?』
 ガルシアは懐から掌に収まるサイズの球体を取り出して、向かい合ったモニターの上方にあるカメラに向けた。
『ヘリは、待機させておくんだったな』
「私としても、ここまで円滑にことが進むとは思っていませんでした。ヒュームズの方はエネルギー切れを起こしていますが」
『ああ、むしろ都合がいいだろう。持ち帰ってから、それも含めてじっくりと解析をさせよう』
「わかりました。それでは」
 そう言ってガルシアは姿の見えない男に向かって頭を下げて見せた。カメラに映らないところで顔が歪む。
 そうして通信スイッチに伸ばしかけた手が止まった。モニターの向こう、男の声に遮られたからである。
『ガルシアくん』
「はい…?」
 表情を戻し、顔を上げる。
『ウチに帰るまでが遠足、という言葉を知っているかね?』
 わずかに首を傾げる。
「……いえ、存じませんが」
『日本ではよく使われる言い回しでね』
 一度、男はそこで言葉を区切る。
『簡単に言えば、最後まで油断するな、ってことだ』
 寸前よりも低くなった男の声に、ガルシアは一拍置いて返事を返した。
「承知しました」
 スピーカーからふむ、と息の漏れる音。
『ジエノはお気に入りだ。くれぐれも、分かるな』
「はい」
『それでは、任せたよ』
 の表示が消えて、ブラックバックの画面が残る。ガルシアは唇の両端をつり上げると、椅子を回して声を上げた。
「ジエノ」
 しゅん、とドアが開く機械音に続いて、細身の女性が部屋に入ってきた。
ほとんど真っ暗な部屋。周囲のモニターからの明かりは微弱で、顔は判別できない。けれど、彼女に追従するブロンドの髪だけは、微かな光を受けて輝いていた。

「なんか、嘘みたいな展開だな!」
 隣に座る秋一が叫ぶ。それでも声はかろうじて聞き取れる程度だった。
 頷いて見せて、前席に座る零花を後ろから覗きこむ。左手に握られた大きめの端末のような物の画面に、青く光る光点が見て取れる。それは先ほど見たときよりも、画面の中央に近づいているようだった。
「そろそろ、降ります」
 零花が振り返った。直後、その隣で操縦桿を握る男が声を上げる。
「こんなところで、降りられませんよ!」
言われて眺めた窓の外は漆黒。遠くにかろうじて、ぽつぽつ、と街灯の明かりらしきものが見えた。
「これ以上近づいたってまともに降りられるところなんてありませんよ。ギリギリまで高度を落としてください!」
 わずかに間があった。ため息でもついたのかもしれない。
「知りませんからね!」
 わずかに身体が浮き上がる感覚。下降しているものと分かった。
「ちょっと高いけど、跳びますよ」
 振り返った零花が言う。
「跳ぶ!?」
 秋一が声を裏返らせた。直後、ドアがスライドした。強烈な風が吹き込み、克己は腕で顔を覆う。
「先に行きます。克己くん、悪いけど、これ持ってもらえますか」
 突き出された端末を受け取ると、零花はペンライトを取り出して口に咥えた。性能のいいものらしい、わずかに腰を浮かせて下を見ると、地面に切り取られたような白い円が描かれる。
 土の地面だろうか。高さは五メートルほど。学校の三階と同じくらい。幾分開けた場所のようだが、揺れるライトの端に樹木も見て取れる。克己の家の庭程の広さは無いようだった。
 そこまで思考したところで、前席の零花が飛び下りた。着地は一瞬、一度地面に左手をついて屈むと、すぐに立ち上がる。咥えていたペンライトを持ち直し、地面に向けた。
「大丈夫、意外に柔らかい!」
 その言葉が引き金になった。揺れる機内で何とか態勢を整える。
「おい、マジかよ?」
 秋一が耳元で言い終わるよりも先に、克己は跳んでいた。
 強烈な落下。態勢を崩さないように、白い光だけに集中して垂直に身体を落とす。
 強い衝撃が、足を伝って体全体を駆け抜ける。「ぐっ…!」と声を上げて、目の前にいる零花の顔を睨みつけた。
「ね?」
「ね、じゃないっすよ…」
 強烈な音を巻き上げる上空のヘリを仰ぐ。暗闇にまぎれてその姿はほとんど見えなかった。
「秋一、全然痛くない!」
「ホントだな!?」
 微かに影が動いたものと分かった。みるみるうちに下降して、眼前にどっ、という音を伴って着地する。
 顔を上げた秋一は、克己が直前零花にそうしたものを同じ顔を向けていた。
「どこが痛くないって?」
「踏ん切りはついただろ」
「克己くん、それ、ありがとう」
 振り返り、端末を渡す。零花がそれに向かって「ありがとうございます」と告げると、ヘリの音は次第に遠ざかって行った。
「さへ、ほ。三〇分へほほはしら」
 端末に目を落とし、口にくわえなおしたライトを周辺に向ける。森のようなところであることが分かった。
「なんか、不気味っすけど…」
 辺りは先ほどまでとはうって変わって、静寂に包まれていた。いくらかの肌寒さと、けれどどこか張り付くようなねっとり、とした空気。
 ほぅ、と何かの鳴き声が一度して、またそれきり無音になる。
「行きましょう」ペンライトを克己に手渡す。「これ、お願い」
 照らした先の光円に向かって、零花が歩き出した。
 
「露骨だなぁ…」
 きっかり三〇分歩いて、立ち止まった先。崖と呼んでも差し支えない程の急斜面のほんの手前に、二本の木に阻まれた木製のドアを見つけて秋一が呟いた。
 それ自体は相応に古いものであるらしい。岩壁にぽっかり、と開いた穴を覆っている。防空壕の類ではないかと、克己は思った。
 足もとを照らす。入口の付近に向かうにつれて、周囲の雑草が踏み散らされているものと分かる。出入りしている者がいるらしい。
「秋一くん、これお願い」
「え、おっと!」
 放られた端末を秋一が態勢を崩しながらキャッチする。その様子を最後まで確認せずに、零花は左手でコートの背面から巨大な銃器を掴み取った。
 サブ・マシンガン。
 秋一が息を飲むのが背後に聞こえる。
「克己くん、明かり消して」
 スイッチに手をかける。秋一の手にした端末の画面だけが、背後からぼんやりとした光を放つ。
「目が慣れたら、行きます」
 徐々に周囲の景色が輪郭を露わにする。一分ほど、全員が無言だっただろうか。
「大丈夫?」
 呟いた零花に、二人の声が重なった。
「「はい」」
 ぎぃ、と軋んだドアを押して、零花が進む。壁を頼りにして、克己は後に続いた。
 天然の岩壁だろうか、ごつ、と手触りがある。足元は土らしい。わずかな音もこの空間にはよく反響した。自然と慎重な足取りになるのが分かる。
 五メートルほど進んだだろうか。大きめのカーブがあって、零花が一度立ち止まった。
「見えた」
 零花の背中越しに先を覗く。何かが薄く、ぼんやりとした緑の光を放っている。
 近づくと、通路の左側面に埋め込まれたそれは何かの端末であることが分かる。緑の光はディスプレイのもの。その下にはナンバーキー。正面にある扉は金属製であるらしかった。
「秋一くん、それを」
 位置を秋一と入れ替える。ほぼ二人が入れ替わるのでぎりぎりの横幅。
「どーするんすか?」
「ちょっとこれも、持ってて下さい」
 開いた方の手にマシンガンを握らせる。
「おう…」
「えっと…」
 緊張を露わにする秋一をよそに、彼がもつ端末のナンバーキーに指を這わせる。ほどなくして、壁に埋め込まれたほうの画面からビープ音。零花が舌打ちをするのが聞こえた。
「これは…」
 かかっ、という打鍵の音に続いて、今度はぴぃ、と軽い音が響いた。
「よし」軽く頷いて、零花は背後を振り返った。「開きます」
 目線で秋一からマシンガンを受け取って、零花が言う。克己も、秋一もそれに応じた。
 壁のナンバーキーの右下端を押しこむと、きゅぅぅぅん、という音に続いて正面の扉が開いた。重そうな見た目とは裏腹に、一瞬で右にスライドしたその扉は内部の光を吐き出す。
 それほど明るいわけではない。非常通路、という言葉が思い浮かんだ。緑の光が床の左右から漏れ出ている。吊られた照明は無く、天井の辺りは暗い。
 一歩踏み入れた零花の足元から、こちら側とは異なると分かる硬質な音。
 秋一に続いて境をくぐると、背後で静かにドアが閉じた。
 足もとが微かに振動している感覚。ぶぅん、という機械音も辺りから響く。
「すげぇな…」
 辺りを見回しながら、秋一が漏らす。
 克己は正面、五メートル先の行き止まりに視線を定めていた。ぼう、と照らされた鈍い金属の輝き。
「あの先か?」
 零花が応じる。
「そんなに広いとは思えないけど、まだ何部屋かはあるでしょうね」
 言って、零花が歩き出した。
「ここにいて。合図をしたら来て下さい」
 後ろを振り向かずにそう言われ、克己と秋一は出しかけた足を止めた。
 左手に握った銃を抱えながら、壁を背にして歩く。ドアと思しき場所の手前で一度立ち止まると、直後一息にそちらに近づいた。零花に反応したドアがしゅん、と微かな音を伴ってスライドする。踏み込んだ先で左右に銃口を向ける彼女の身体越しに、克己は室内の様子を確かめた。
 今度は幾分明るい部屋のようだった。弱めの白色光が漏れ出る。左右の壁は見えず、幅はこの通路よりもあるらしい。
 零花が動きを止め、銃を持った左手を掲げて見せる。入ってこいということのようだ。一度秋一と顔を見合せて、克己は進んだ。
 まぶしい、と感じるほどの光ではない。目はすでに順応している。
 天井ではなく、周囲の壁に設置された蛍光灯。二〇メートル四方程の広さの部屋は、だから中央部が最も暗かった。
 部屋の端の方にはいくつか乱雑に置かれた錆びたコンテナ。それらを目で追ううちに、正面にさらにドアがあることに気がつく。
「まわり込んで行きましょう」
 零花は既に、体勢を低くして右方向へと進んでいた。一メートル程の高さのコンテナに身を隠しながらすすむ。克己と秋一もそれに倣った。
 金属の床に靴底が立てた音が反響する。中ほどまで進んだところで、急に零花が振り返った。
「頭下げて!」
 対応するよりも早く、零花の左手のマシンガンが火を吹いた。強烈な音が耳元を通り過ぎる。彼女が引き金から指を離したのと同時に、ようやく身体が地面に落ちた。
 振り返ると、コンテナの陰に中腰になった人影。
「後ろ回って!」
 這いながら零花の後ろに進む。次に引き金が引かれるときには、秋一ともどもコンテナの陰に身を寄せていた。
 金属にはじかれるちゅちゅちゅちゅちゅん、という断続的な音。火花が散るのが見て取れた。
「よく気付いたな」
 男の声。
 鼓動が強く胸を打った。
 静奈を羽交い締めにしていた男のものだと分かる。
「殺気が消せてませんよ」
 克己たちよりも敵側に一つ分近いコンテナの陰に身を隠して、零花が言った。
「やっぱり、ただ者じゃないらしいな、ねーちゃん」
「それなりに、色々とくぐってきてますから」
 ふん、とどこか満足げに笑う男。
「ガルシアに撃たれたのは、たまたまだったと思いたいね」
 それには応えず、零花が叫ぶ。
「援護します。二人は先へ!」
「悪いが、それはダメだ!」
 男の放った拳銃の弾が、克己の顔の脇をかすめる。正面側のコンテナに当たり金属音を立てた。続いたのは再びの連射音。
「早く!」
「先行け!」
 零花が引き金を引くのを見て、克己と秋一は走りだした。ドアまでは一〇メートル。援護を信じて、直線距離で向かう。
 ドアの前に立つと、一瞬のタイムラグの後にスライド。体勢を低くしたまま、克己は先の通路に転がり込んだ。
 ちゅん、と背後に銃弾が弾ける音。振り返ると、後方を走る秋一が転がりこむよりも先に、ドアが閉じた。
「秋一!」
 立ち上がって駆け寄り、がん!と拳を叩きつけると、返答があった。
「変なとこに当たったらしい!開かねぇ!」
 厚い扉に閉ざされて、くぐもった秋一の声。続いて断続的な銃声。
 背後を振り返る。再び薄暗い通路が数メートル、続いていた。
「行け、克己。なんとかすっから」
 再度の銃撃音。
 クリスと、静奈を連れて帰る…。
「分かった…!」
 身を翻し、克己は走り出した。
 数メートルを一気に駆けると、再び開いたドアに態勢を低くして滑り込む。
 すぐに辺りを見渡すと、今度の部屋は先ほどよりも狭く、薄暗い。通路の延長のような、ほとんど明かりのない、八メートル四方ほどの空間である。
 しかし、部屋の左右には金属製の背の高いラックが入口の壁と平行にいくつも配置されており、先へ進むための通路は中央のみ。見通しは悪い。
 克己はぎっしり、と厚い本の並んだ手前のラックに背中を預けると、首だけを出して先を覗き込んだ。
 人の気配は…。
「……!」
 微かに、何かがこすれるような音がして、克己は身体を震わせた。
 続くがん、と金属に何かが強く当たる音。
 部屋の前方に目を凝らすと、動くものが見えた。
 三つ先のラック、再下段に並んだ本の上方の隙間に人の顔らしきもの。
「静奈…?」
 慎重に尋ねると、顔が動くのが分かった。隙間に見えた目。
 わずかにつり上がったその目は、静奈のものと分かる。
「静奈!」
 走り寄る。
 ラックとラックの間に、小さくなって見上げる静奈の姿が眼下にあった。
「ふふひー!」
 しゃがみ込み、口に貼られたガムテープを慎重に剥がす。今にも泣き出しそうな瞳と視線が絡んだ。
「悪い、変なことに巻きこん―」
「克己っ!」
 克己の名を叫ぶと、静奈は後ろに手を縛られたままの恰好で、彼の胸に勢いよく顔をうずめた。押された身体がわずかに後ろに下がる。
 すすり泣いているのが分かった。肩が小刻みに震えているのも見て取れた。
「―悪い」
 左右に首が振られる。
「来てくれたから、許す」
 吐き出す吐息が胸に触れた。
「とりあえず、それ、ほどくから…」
 後ろ手に巻かれたガムテープを切り剥がす。抱きしめるような形になってしまっているのを意識して、多少手間取ってしまう。
十数秒かけて剥がし終えた頃には、静奈の震えは止まっているようだった。
「足も、な」
 このままの体勢では足に巻かれた方は剥がせない。横に折られ、後方に伸びている両足を見ながら、克己はゆっくりと、静奈の肩を押した。
 静奈は俯いたまま小さく頷き、自由になった両手を使って上半身を後ろへ下げる。代わりに両足を克己の方へと差し出した。
 スカートが床に擦れて、もともと膝よりも高い位置にある裾がさらに捲れ上がる。間近に露わになった太股から目を背けて、克己は差し出された足首に巻かれたテープをほどくことに集中することにした。
 勢いよくテープを破り、自身の鼓動の音をかき消す。
 自由になった両足が左右に分かれるのを見て、克己はゆっくりと立ち上がった。
「悪かった、ホント」
 応じるように、静奈も立ち上がる。
「今は、何も聞かない」
 俯けていた顔が上がった。
「帰ろ、クリスも助けて」
 その笑顔は、いつもの静奈のものだった。

 克己が先に進んだのを確認した直後、マシンガンの弾が底をついた。あとは荷物にしかならないそれを放り、胸元にしまっていたハンドガンを零花は取り出した。
 右手は使えない。遊底を口で挟み、左手の動きと合わせて一気に引き切る。がしん、と確かな音がして、薬室(チェンバー)に銃弾が送り込まれた。
 距離は六メートル。相手は足音を消して歩く敵、一瞬も油断はできないと言い聞かせる。
「秋一くん!」
 先に進むドアの手前、コンテナに身を寄せた秋一に呼びかける。
「そこから動かないで!」
 返答はないが、それでいい。撃たれた様子は無かったはずである。
 二拍数えて、身体を出す。相手の隠れた位置に向かって二度引き金を引き牽制。その隙に距離を離す。
 が、零花はそこで一度目を見開いた。
 先ほどまでの位置にすでに男の姿はなく、さらに一つ手前、四メートル先のコンテナの陰に横顔があった。出しかけた身体に制動をかけ、その場に留まらせる。
 その硬直を狙って銃弾が降り注ぐ。
 わずかに隣をかすめたそれが、先のコンテナに当たって火花を散らした。反応が少しでも遅れていれば、間違いなく身体の中央を打ち抜かれていたはずである。
「どーした?びっくりした、って顔してるぜ」
 その通り、そしてそれは二重の驚きだった。
 一つは無論、移動を全く相手に悟らせないサイレントステップ。そしてもう一つは、一瞬見えた男の顔に見覚えがあったこと。
「顔を見せちゃっていいんですか?木下さん」
 多少の牽制を込めたつもりのその言葉は、けれど男には効き目は無いようだった。
「こりゃ、覆面を取ったのは失敗だったか」
 極めて軽い様子で返答する。
「まだ五年は出てこないと思ってましたけど」
「残念。模範囚ってやつだ、俺は」
 零花は皮肉を込めて鼻で笑う。
「節穴ですね」
 木下義文(きのしたよしふみ)。元陸上自衛隊二等陸曹。歩兵戦闘のエキスパートと呼ばれた男。
一二年前、非番時に自衛隊の装備を持ち出したことで、銃刀法違反、窃盗、機密保護等から懲役刑二〇年。
その男がまさか、こんなところにいるとは。
「シグザウアー、どうやって持ち出したんです?」
 陸上自衛隊正式採用の、九ミリメートル拳銃。
「色々と、つてがあってな。ねーちゃんも陸自かい?」
「さぁ、どうでしょうか」
「じゃあ、武器マニアか?俺と一緒で!」
 声が近い…!
 またコンテナ一つ分の距離を近づいて、木下が銃撃する。止んだところで牽制の銃撃を放ちながら、零花はコンテナから飛び出した。
 緩急をつけて撃ちながら反対側の壁へと向かう。
 が、またしても狙った場所に木下の姿は無く、たった今まで自らがいた場所にその姿を見つけて、零花はそちらに照準を移す。
 当然、早かったのは木下である。
 慣れない走りながらの左撃ち。右腕でのバランスが取れない不利。木下の銃弾が容赦なく襲う。
 前方の跳弾にわずかに気を取られ、焦りも手伝って体勢が崩れた。
「しまっ…!」
 懐にしまった予備の弾倉(マガジン)が地面を滑る。
 けれどそれを追うよりも、体勢を立て直すことを優先。
 銃を握ったままの左手で地面を押し返すと、その反動を利用して立ち上がり、後方に向けて二発。ほとんど前傾姿勢のまま、正面のコンテナの陰に転がりこんだ。
「っう…!」
撃たれた右腕に衝撃が走る。
「ベレッタ。一五発だったな」
 どこか楽しげな、木下の声。
距離は一〇メートル。
「撃って来ないところをみると、予備はあれ一つか?」
 首を伸ばす。しかしこの位置からでは滑って行った弾倉を視界に捉える事は出来なかった。
「少し、甘かったな」
 足音無く近づいてくる木下の気配。今度は消す必要が無いからか、零花の鋭敏な感覚に、先ほど以上の殺気が絡む。
 八メートル。
 無防備に身を晒す木下を撃ち抜くには十分な距離。
 零花は一五発の銃弾を撃ったベレッタに視線を落とし、強く握りしめた。
 遊底(スライド)はコッキング状態。
 すなわち、まだ弾が入っているということ(・・・・・・・・・・・・)。
 イメージ。
 振り向いて、確実に当てるイメージ。
 二秒。
 勢いよく立ちあがりコンテナの上部に身体を晒す。振り向きざま、零花は引き金を引いた。
 だん!と強烈な音が空間に反響し、最後の弾を撃ち出した遊底が後方で静止した。

 昨夜と同じ感覚だった。
 鼓動が激しく脈を打つ。
 前方に閉じたドアの先、この先に、クリスがいる。
「克己…」
 背後で身を寄せる静奈に一度頷いて見せて、克己は足を踏み出した。
 しゅん、と音がしてドアがスライドする。今度の部屋も通路同様に薄暗い。光源は周囲の壁に埋め込まれたモニターからの光のようである。
 その中に、ぼんやりと見える人影が、二つ。
 そのうちの一つ、こちらを向いて立つ男が声を上げた。
「ようこそ」
 克己は一歩、ガルシアに近づいた。
「クリスを返してくれ」
「お断りします」
 そう言ってガルシアが向けた視線の先、彼の隣に人影。彼女たち(・・)の髪だけが、この部屋の中で唯一はっきりと見える。
 ブロンドとシルバー。
 よく見れば、それはクリスとジエノ。二人は抱き合う格好でそこに立っていた。
「せっかくお越しいただいたところ申し訳ないが、お引き取りいただこうか。ジエノ、クリス」
 ポケットから二つ、光る石を取り出す。
 右手は赤。左手は青。
 ジエノがクリスの身体を離し、こちら側に向き直る。瞳に宿った赤い光。
 どさ、と倒れ込む音。
「クリス…?」
 ガルシアの視線がそちらへ向いた。
「どうした、なぜ動かない!エネルギー供給は出来ているはずだ!!」
 徐々に強い輝きを纏い、青く光る石を握りしめる。
 けれどそれが意味を為さないことを、克己は知っていた。あの石が輝きを増すたびに強くなる、自らの鼓動。
「悪いな、そいつちょっと偏食でね―」
 克己の背後に光る何か。
 ガルシアが振り向いた先には、光る球体を振りかぶった静奈の姿があった。
「―うちのオーパーツ(・・・・・・・・)しか、口に合わないってよ!!」
「こん、のぉーっ!!」
 風が起こった。
 ハンドボール部のエースが放った剛速球は、ぶれることなくガルシアの顔に向かって直進する。
「なっ―」
 がん、と鈍い音が鳴って倒れ込み、左手の青い石が転がった。
 ひと際強く鳴った鼓動の感覚に任せ、叫ぶ。
「来いっっっ!!」
 強い光の軌跡が、ぱし、と音を立てて掌に収まった。
「何してる、ジエノ!」
 瞳の赤が輝きを増し、ジエノが体勢を低くした、そのときだった。
 倒れていたクリスの瞳が開くと、その腕がジエノの足首を掴む。そのままの体勢から後方に向けてジエノを投げ飛ばすと、クリスはそばに転がっていた球体をつかみながら立ちあがった。口に運ぶと、がり、と硬い音が一度して、
「かふひさん、はいがほうごはいまふ」
「あんまりゆっくり食ってる暇無いぞ!」
「ふぁい!」
 ごくり、と飲みこんだらしい挙動の後で、クリスは背後を振り返った。くだけた壁のモニターからショートの光。
 そして依然強く輝く、赤。
「もういいジエノ!破壊しろ!!」
 狂気をはらんだ声音で叫んだガルシアに従うように、ジエノの身体が弾丸のように飛び出した。受け止めたクリスの身体がその勢いに数メートル後退する。
「ジエノ!どうしたんです!!」
 対峙するジエノに向かって、クリスが叫んだ。けれどジエノがそれに答える様子はない。瞳の輝きが増すとともに、クリスの身体が押されていく。
「…ぐぅっ!」
 体重移動。
 限界まで押しきられた後に力を緩められたことによって、クリスの身体が前方につんのめる。そのままクリスの勢いを利用して、ジエノは彼女を天井に向かって放り投げた。
「クリス!」
「君も仲良く、死にたまえ!」
 声に視線を向けるのが精一杯だった。
ガルシアの構えた銃口が火を吹く。それを確認した直後には、すでに前方にクリスが立っていた。
「大丈夫ですか」
 克己には見えなかったが―いや、この場にはジエノしか彼女の動きを追えた者はいなかったが―その動きは単純にして豪快。天井に向かって飛ばされたクリスは、ガルシアが克己を狙って発砲するのを確認するなり、その天井を蹴って跳躍。克己の眼前でブレーキをかけ、身を呈して弾丸を止めたのである。
「なかなか、楽しませてくれるがいつまでもつ?ジエノの方が性能は上だぞ」
 唇をつり上げたガルシアと、依然戦闘態勢を崩さないジエノ。
 こちらの戦力はクリスのみ。
 克己は一歩、身体を下げた。
「静奈、俺たちは邪魔になる。外へ―」
「そうはいかない!」
 がん、と激しい音がした。ガルシアがコンソールに向かって拳を叩きつけた音。背後の扉からぴぴっ、と音がして、克己は首だけで振り返った。
「克己、開かないよ!」
 ドアに寄りかかった静奈が叫ぶ。
 くっくっ、と押し殺したような笑いが、次第に激しいものへと変わる。
「悪いですが、ここで死んで貰うことにしますよ。そのヒュームズも一緒にねぇっ!!」
 直後、ぐぉん!と激しい揺れが起きた。身体が横に揺さぶられ、立っていることが出来ず、克己も、静奈も、そしてガルシアも腰を落とす。
 ぶん、と低い音が鳴って、正面、最も大きなモニターに変化が起きた。
 浮かび上がったのはという赤い文字。続いて、部屋の上部に取り付けられたスピーカーから漏れだしたのは、低い老齢の声。
「それは、ルール違反ではないのかな、ガルシア君」
 その声を耳にするなり、ガルシアの顔に張り付いていた笑みが消える。そして、大きく目を見開くと、彼は背後を振り返った。

 いない…!
 完全に捉えたと思った先に木下の姿は無く、そこにあるのは殺気の残り香とでもいうべきものだった。すでに彼自身は―
「改造銃か。やっぱり、マニアだな」
 ―九時方向。ほぼ九〇度の真横からかけられた声に、身体が反応する。ゆっくりとそちらを振り返ると、五メートルの距離で拳銃を構える、木下の姿があった。
「まるで、忍者ね…」
「よく言われたよ」
 薄く唇を持ち上げて見せる。
「これだけの技量があるなら、こんなところ以外にも働き口はあるんじゃないですか」
「ぬるいんだ、どこも」
 そう言って、どこか遠くを見るように、目を細めた。
「ウチに来てくれれば、優遇しますけど」
 身体ごと向き直り、そう告げると、木下は一度、声を上げて笑った。
「ねーちゃんはなかなか肝が据わってるな」
 ちゃき、と拳銃を握り直す音。
「せっかくの誘いだが、お断りしよう」
 視線を木下の背後に。
 そちらから、微かな物音。
「……っ!」
 反応した木下が振り返り、一発撃ちこむ。けれどすでにそこに人の姿はない。代わりに彼が視界の端に捉えたのは、回転を伴って飛ぶ黒い物体。
 かん、と高い音が響いた。それは空になったベレッタの弾倉(マガジン)が地面を打つ音。それに反応し、木下が再度零花に向き直るときには、予備の弾倉(・・・・・)はすでに彼女の手の届く位置まで辿り着いていた。
 飛来する弾倉の回転するタイミングを見計らい、構えたベレッタを左から右へなぎ払うように滑らせる。
 かしん、という音と確かな振動。新たな弾倉が収まったことを確認し、振り抜いた勢いのまま銃を口へと運ぶ。歯が折れても構わないと言わんばかりのスピードで左腕を突き出すと、遊底(スライド)が前進、新たな弾丸が薬室(チェンバー)に込められた。
 引き金を引く指。
 五発、激しい音が鳴って、木下の身体がぐらり、と揺れた。鮮血が地面を濡らすのと同時に、彼はその場に倒れ込んだ。
 呼吸が荒い。
 突き出した左手が、まるで拳銃の重さに負けたかのようにだらり、と落ちた。
 命中したのは二発。右の太股と左の脛。右の太股の方を押さえながら、木下は苦しげに歪んだ視線を零花に向けた。
「やられたよ…」
 視線の先で、秋一が立ち上がる。
「助かりました」
 秋一は零花に向かってピースサインを作ってみせた。
 直後、ぐぉん、と強烈な横揺れに、零花と秋一は腰を落とした。
「うぉあっ!」
「何?」
「こいつは…」
 木下が呟き、天井に向かって視線を滑らせた。
「まずいな…」

「どうして…」
 くぐもったガルシアの声。応じる声は天井から降ってくる。
『君の考えくらい、読めないと思ったかな?』
 言われてわずかに逡巡する様子を見せたものの、すぐにガルシアは先ほどそうしたように、激しい笑いを男に返した。
「だったら?ダミー・キーとジエノは私の手の内にある―」
 握りしめた赤い石をカメラに向けて高く掲げる。
「―今は私が、彼女のマスターなんですよ!」
 会話は英語。背後で聞く克己と静奈には、せいぜいが固有名詞を認識できる程度だった。
『だから、それがお見通しだと言っている。ジエノのコントロールを、君が完全に掌握していると思っているのがそもそもの間違いなんだよ』
 ジエノ、コントロール、二つの単語。ガルシアが動きを止めたのを見て、克己にもうっすらとではあるがその会話の意味が理解できた。
「まさか…」
『残念だよ、ガルシアくん。無事家に帰りついて欲しかった』
 ずっ、と何か鋭いものが刺し貫く音。
「……っ!」
 背後に静奈が息を飲む気配があって、克己が気付いたときには、ジエノの右の手刀がガルシアの胴を貫き、背中に貫通していた。
「ジ、エノ…」
 右の掌からこぼれおちた赤い石にひびが入る。そして間もなく、石は光を失った。
 腕が抜き取られた身体から、血は流れない。ぽっかり、と開いた穴からはケーブルのようなものがはみ出し、電気のショートする青白い光が閃いていた。
 腕を伸ばしたままの姿勢で、ガルシアが仰向けに崩れ落ちた。視線は、彼を見おろすジエノへ。
「やめろ…」
『ジエノ、やるんだ』
 先ほどまで従っていた声ではなく、降り注ぐ声に応じて、ジエノは拳を、ガルシアの頭部に叩き下ろした。
 ごしゃあ、と硬いものが砕け散る音。先ほどと違ったのは、大量の血がガルシアの頭があった場所を中心にまき散らされたことである。
 静奈が無言でぺたり、と再び地面に腰を落とした、そのときだった。先ほどよりも弱くはあったが、断続的な振動が起こる。
『さて』
 先ほどまでとは異なり、日本語の発音でスピーカーから声が漏れる。
『君たちには申し訳ないが、そのヒュームズはこちらで預からせてもらうことにするよ』
 有無を言わせない、そんな声音であった。
「嫌だと言ったら?」
『強情にならない方がいい。そこは間もなく崩れるぞ?』
 なるほど、この振動はそういうことか。
『それに、そのヒュームズではジエノには勝てない。本人が一番よく分かっていると思うが?』
 その声に、克己はクリスを見た。
 確かに、クリスはこのジエノというヒュームズのことを知っているらしい。
 その視線に応えるようにして、クリスが口を開く。
「ジエノは、私の妹にあたります」
『すなわち、後継機だ』
 男の声に、ジエノの目が先ほどよりも輝きを増した。
『どうする?私がやれ、と一声かければ、君たちは死ぬ。オリジナル・キーとそのヒュームズを置いて立ち去ることと、残ること、どちらが賢明だ?』
 震動が強くなる。
「クリス…」
 克己が呟く。
「はい」
「お前は、ジエノをどうしたい」
 わずかに間があって、
「可能ならば、助けたいと思っています。今の彼女には自我がない。完全に抑制された状態であると判断します」
「出来るか」
「二分下さい」
 まだ、クリスは全力を出し切っていない。
 それが分かった。
 その為に、彼女の力を完全に引き出すために、必要なもの。
『仕方がない…。ジエノ』
 応じてジエノが直立不動の姿勢を崩し、低い体勢を作る。
 また、鼓動が強く鳴った。
 それと同時に流れ込む、膨大で確かなイメージ。
 オリジナル・キーの所有者たる、それは資格の記憶。
 クリスたちヒュームズを、古代の遺産、オーパーツを作り出した者たちから脈々と受け継がれるもの。
 それが、血のプログラム。
 彼の周りに集まった球体。集まるべくして集まった、球体。
 そしてもう一つ、クリスの覚醒と共に現れた、彼女の最後のピース。 
 左のポケットから、強烈な青い光が漏れ出した。
 疑問は無かった。
そこにある。
確信。
 握りしめた感触は硬質。取り出したそれは克己の掌の上で浮き上がった。
 ヒトの形を模した、水晶のような石。
 青く光を放ちながら、ゆっくりとクリスに近づいて、まるで同化するように、それは彼女の身体へと触れて消えた。
 強烈な光が止んで、辺りは先ほどの薄暗さを取り戻す。
「クリス…?」
「あと、一分半」
 姿が消えた。直後激しい衝突音。ジエノの身体が側面の壁にめり込んでいた。
『まさか!』
 降り注ぐ声が動揺を露わにする。
 ジエノの前に立って、クリスは彼女に語りかけた。
「あなたのマスターは、彼じゃない」
瞳をぎら、と輝かせて、めり込んだ腕を強引に抜き取る。
「彼女を解放してください」
 視線はジエノに向けたまま。けれどその声は、上方に向けたものと分かる。
『冗談じゃない。ジエノ、お前がそいつよりも劣るはずはない!』
 両手が抜き取られ、クリスへと掴みかかる。けれど、先ほどまでとはまるで異なり、クリスは涼しい顔で彼女の拳を受け止めた。
 ぐらり、とひと際大きな振動。天井の破片が崩れ落ちる。
「きゃっ…!」
 静奈をかばいながら、克己は壁に手を当てた。
「静奈、大丈夫だ」
 見上げた視線が見下ろすそれと絡み、静奈は頷いた。
『止めろジエノ!何をしている』
「ジエノ」
 掴みかかる彼女を止めたまま、クリスも動かない。ただ語りかけるのみ。
 けれど、依然彼女の瞳の輝きは止む様子を見せない。
 クリスは一度目を閉じた。そして、次に開いた瞳は、決意をたたえた強い光を宿していた。
「あなたを破壊します」
 掴まれた腕を弾き、ジエノの身体に接触する。そのまま、先ほどジエノにそうされていたように、今度はクリスが彼女を抱きしめると、強く、その両腕に力を込めた。
 みし、と軋む音がして、ジエノの挙動が一瞬弱まる。そのまま、クリスはさらに力を込めた。
 硬い、剛性のあるものが曲がる音。ゆっくりと、ジエノの身体が地面に落ちる。
「ク、リス…」
「ジエノ、ごめん」
 クリスの肩に乗せられたジエノの顔。それが一度笑顔に変わって、彼女は瞳を閉じた。
 ゆっくりと、彼女の身体を横たえてから、クリスは立ち上がった。
「良かったのか…?」
「はい」
 振り返ったクリスの瞳が、何かで輝いているように見えたのは、気のせいだっただろうか。

「レイカさん!あいつら来ないよ!!」
「……」
 すでに振動は絶え間ないものに変わっている。いつここが崩れてもおかしくは無い状況だった。
 零花は部屋の中央に立ち、空(・)を見上げた。間もなく、来るはず。
 振動の音にまぎれて、別の音が近づいてきた。ライトを確認し、零花はその場所―円の中にHと表記された場所―から離れた。
「どうして教えてくれたんです?」
「貧乏くじ引かされるのはごめんだからな」
 足もとに横たわる木下が答えた。
 この部屋は天井が解放される仕組みになっていた。揺れが大きくなる前に作動させたのが幸いだったらしい。全開になったそこに、今まさにヘリコプターが着陸しようとしている。
 そこに、腹に響くような衝撃があった。克己が進んだ先のドアがはじけ飛び、そこから克己、静奈、クリスの三人が飛び出してきた。
「克己ぃ!静奈ちゃんも、クリスちゃんも良かった!」
「ヘリコプター!?」
「急いで、乗って!」
 今まさに着陸したばかりのヘリのドアが開く。
「クリス、ちょっとこの人抱えるの手伝ってね」
「そいつ…!」
 克己がにらむ視線を木下に向ける。
「克己くん、気持ちは分かるけど、今は、ね」
 零花の諭すような表情に、克己は続く言葉を飲みこんだ。
 壁の振動すら目で認識できる程の巨大な揺れ。壁面には多数のひびが走っている。
「きっついな…」
 秋一が言う。その後ろに克己が続いた。
「飛びます!」
 操縦席から声が上がり、ドアを閉めるよりも先に、機体が浮き上がった。
「克己くん、危ないからもっと中に」
「ちょっと、秋一もうちょっと奥に…!」
 ステップに足を乗せた状態。まだ座席にはついていなかった。
「んなこと言ったって…、ごめんよ静奈ちゃん!」
「ちょっと!どこ触ってんのよっ!」
 数メートルほど浮き上がったところで、ようやく身体が完全に乗り込む。その直前、克己の右のポケットから何かが零れ落ちた。
 視界の端に捉えたそれは、
「ああっ!!」
 オリジナル・キー。
 ポケットをまさぐる。ちょうどあの球体が通りぬける程度の大きさの穴が、そこには開いていた。
 直後、落下したオリジナル・キーを覆い隠すようにして、ヘリポートの周囲の壁が一気に崩れ落ちた。
 眼下を眺める。
 巻き上がった粉塵の中にほんの一瞬だけ、青い輝きが見えたような気がした。
6

ローソン先生 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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