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缶コーヒー

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10円玉が転がってきた。

「少年、すまないがそれを拾ってくれないかい」

そう言って声をかけてきたのは初老の男だった、それも頭に怪しいがつく。
何故ならロングコートを着、布地の厚い帽子を被っているのに汗1つ掻いてないからだ、こんなにもセミがうるさく鳴いているというのに。
10円玉を拾い上げ手渡すと男はそれを自販機に入れ1つボタンを押した。
ピッという機械音の後にガコンと缶が落ちる音がした。
どうして缶が出てきたのだろうか? 男は10円玉一枚しか入れていないのに。
男は取り出し口から缶を取り出すとこちらを見て言った。

「初めから110円入っていたんだ。初めからといっても私が入れたのだが
それからもう10円を入れようとして誤って落としてしまったのを少年が拾ってくれたのだ。
少年は10円を入れるところしか見てないから不思議に思ったかもしれないが、世界とは少年の視界の外にも存在し動いているのだよ」

考えてみれば当たり前なことだった。自販機が10円で物を売ってくれるわけがないのだから
頬の辺りが少し熱くなるのを感じた。
男はそんな僕を見て微笑んだ。優しい笑顔だった。

「ところで少年、この缶の中には何が入っていると思うかね?」

男が持っているのは男性の顔のロゴが入った有名な缶コーヒーの缶だった。
だから、僕がそう答えようとすると男は一本指を口の前に立てこう言った
「よおく考えてみてくれないか」
と。
僕は言われた通りにもう一度考えることにした。
もしかしたら同じロゴが入った別の商品なのかもしれない。
もしかしたらただコーヒーという答えを求めているのではなく種類や豆の産地を訊いてるのかもしれない。
しかし、このロゴの会社にも詳しくないし、コーヒーについても詳しくない僕はやはりコーヒーですと答えるしかなかった。

「その通りだ、少年。
この缶の中にはコーヒーが入っている」

僕は拍子抜けした。

「どうした? 少年。
だって見てみろ『コーヒー』って書いてあるだろう」

そう言って男は品名の所を指差した。
そんなことは僕だって分かっていた。
どうしてよおく考えさせられたのかが知りたかった。

「この缶の中にはコーヒーが入っている。
いや、入っているはずだ。だがしかし、空っぽかもしれない」

男はそう言った。
しかし、空っぽのはずがない。何故なら缶の封は閉じているのだから

「そう、封は閉じている。
ということはこの缶の中身を見たものはいないということだ。
つまり、缶の中身が空っぽだと言われても私も少年もそれを証明する術も否定する術も持ち得ないのだ」

男はこう付け加えた。

「例えこの中に世界の全てが詰まってると言われてもそれは同じことだ」

僕はただぼうと立ち尽くしていた。

「この缶コーヒーを少年にやろう。
なあに、年寄りの戯言に付き合ってくれたお礼だよ」

そう言って男は缶コーヒーを僕に渡して去っていった。


缶コーヒーは今も僕の机の上に置いてある。その中に世界の全てを詰め込んだまま
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