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第九話

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 今日もまた俺は完全に外界と隔絶されたこのネットカフェの一室で目覚めた。椅子に座りながら寝るのは辛い。
 今日もまた昨日にように工場に行き、仕事をして帰ってこなければならないのか。その事を考えるのは憂鬱だった。
 幸いにも俺は時間通り起きる事が出来た。昨日帰ってきたら疲れですぐ寝てしまったせいだろう。

 ガタンゴトン。今日もまた俺は電車で工場へと向かう。電車の中の会社員達を見て思った。何故彼らはずっと会社に通い続けられるのだろうと。俺は一日行っただけでもうへとへとだというのに……。
 工場に入り、着替えて作業場へと向かう。

 作業場には吉田班長がいた。挨拶する。
「おはようございます」
「ああおはよう。今朝は早いな」
 昨日よりも余裕を持ってネットカフェから出たので後十五分ほど作業開始まで時間がある。
 彼は俺に色々聞いてきた。
「杉山はどこに住んでるの」
 力なく答える
「ネットカフェです」
 彼は苦々しい顔で言った。
「そうか……。最近そう言う奴が多いんだよな。ま、好きでしてる訳じゃないだろうけど」
「班長はどこに住んでるんですか」
「俺はアパートだよ。偉そうな事言えないな」
 班長は暗い顔で言った。俺は慌ててフォローする。
「そんなことありませんって」
 長く重い沈黙が流れた。班長が低い声でうなるように呟いた。
「どうしてかな。若い頃はこんな年になってたら、家立てて子供もいるもんだとおもってた。別の道を歩んでたら俺も君ぐらいの子供がいたかもよ……」
 そういって班長は俺を遠い目でみた。

「おはようございます」
 有島が入ってきた。この一言が陰鬱な雰囲気を追っ払ってくれた。
「おはよう」
「おはよう」
 俺と班長は挨拶を返した。そのうち時間が来た。際限がないのではないかと思うほど商品が流れてくる時間が。

 時間を見ては駄目だ。分かりきっている事なのだが、見てしまう。そしてその度に絶望する。やっと休憩の時間が来た。
 有島は誰かとメールをしていた。特にやる事が無い俺は有島にちょっかいを出してみた。
「彼女とメールしてるの」
 有島は顔を真っ赤にした。あれ、まさか当たりか一瞬そう思った。
「せ、先輩ですよ。暴走族の先輩」
 有島は吃りながら答えた。そのとき、俺の嫉妬心ははじけた。
 が、今度は好奇心が芽生えてきた。
「どんな内容なの」
 有島は少し、迷いながら答えた。
「いろいろありますけど……。暴走族の話とか、先輩がつとめてる組の話とかっすね」
「そうなの」
 少しがっかりした。
 休憩はすぐに終わり、また作業が始まった。延々と単純作業を続け、飯を食べて俺はくたくたになって、ネットカフェに戻った。

 俺はビールを飲んだ。これのおかげで働けているようなものだ。一週間も働けるのか。そんな不安も無くもない。だが、今は働くしか無いのだ。

 俺の心配は杞憂に終わった。なんだかんだで俺は最終日を迎える事が出来た。
 作業にも慣れ、休憩時間に入った。やる事の無い俺は、有島にメールの内容を聞くのが習慣になっていた。
「有島。今日はどんな話してんの」
「とちくるっちまった元ヤン女の話しすかね。なんでも息子が死んでヤクにハマったらしいっすね」
「なんだよ。その話」
 俺は興味をそそられた。
「だから、元ヤンの女が十五歳の時に産んで一人で育てた最愛の息子が死んでヤクにはまったんですよ。今は売春婦してるらしいですよ」
「ふーん」
 俺はうなずいた。

 俺は商品を素早く梱包していく。もうお手の物だ。
 お昼の食事時間に有島が語りかけてきた。
「杉山君は今日で契約終わりなんでしょ」
 有島が聞いてきた。俺は答える。
「ああそうだよ。明日からはまたニートだ」
 有島が笑顔でこういった。
「じゃあ。ちょっと一緒に行きませんか」
 俺にはその言葉が理解できなかった。
「はあ?どこへ行くの」
「例の地元のとち狂ちまった女ヤンキーのところですよ」
 俺は断固拒否する。
「何でそんなところ行く必要があるんだよ」
 有島は真剣な顔になって答える。
「見たいんですよ。本当に狂ちまった。人間が。どんなもんかなってね。俺今まで見た事無いっすよ。本当に狂ちまったのは。せいぜい常軌を逸してるぐらいです」
 俺はうんざりしながら答える。
「常軌を逸してるぐらいで十分だと思うけど」
「先輩によると俺がいままで見てきたヤク中のなかでもこんな奴は見た事無いらしいんすよ」
 俺が嫌だと言っても、有島はしつこく行こうと言ってきた。ついに一人で行くのが怖いと白状した、有島に俺は折れた。
 
 やっと作業が終わった。これで契約終了だ。
 俺は現金で報酬を受け取った。封筒に入っている。俺はその封筒に分けておいたティッシュ配りの報酬を入れた。自分で稼いだ金は当面使わないでおきたいのだ。
 有島と二人で工場から出ようとする俺に対し、班長が声を変えた。
「がんばれよ」
 と

 有島が連れて行った先は、いかにも怪しい風俗店だった。
 そこに彼女はいた。焦点が定まらずよだれをだらだらたらしていた。
 有島は俺を先輩に丁重に紹介した。
「なんて名前でしたっけ。この女」
 有島が先輩に聞く。
「戸倉だよ。戸倉鈴」
 俺ははっとした。まさか、この人は……。俺はおそるおそる聞いた。
「この人の息子は殺されたんですか」
 と有島の先輩はこう軽く答えた。
「ああ。そうだよ。何で知ってんだ。メールで言ってたかな。ビックリさせようと思ってたのに」

 その後、有島が何か語りかけてきたようだったが、俺の耳には入らなかった。そうか。そうか。なんてことだ。
 俺の後悔はあまりにも遅すぎた。

 そのうち、有島の先輩が笑いながらこう言った。
「かわいそうにな。もうまともな人生は送れんだろうな。ま、こっちは金が入るからいいけど」
 俺は右腕でそいつの顔面を殴った。気が付いたら殴っていた。
「いってえ。何しやがる」
 俺は一心不乱に逃げた。人生最高時速で逃げた。怖かったが逃げた。適当な方向に逃げる。追いかけてくるヤクザ達はなんとかまけた。
「はあはあ」
 俺は急な運動をしたせいで汗はだらだら、呼吸は困難になってしまった。幸い近くに駅があった。
 駅のトイレの洗面所で顔を洗う。鏡には自分が、つまりは人を二人殺して、逃げた極悪人が映っていた。いや、二人ではない。三人。少なくとも三人殺した。俺が処刑される光景が強烈に鮮明に脳内に浮かんできた。
 そうだ。分かりきってるんだ。頭では。俺は死ぬべき人間なんだ。それは分かってる。この数日でその事は嫌というほど分かりきってる。でも、でも死にたくない。心は死にたくないと叫んでいる。嫌だ。嫌だ。
 気が付くとまた、顔は汗でびっしょりになっていた。手で拭う。呼吸も乱れてきた。
 
 俺はおぼつかない足でトイレから出た。これからどうするか。そう考えた。東京にはいたくなかった。どこか遠くへ、遠くへ行きたくなってきた。
 目の前に自販機があった。喉が渇いていた俺は財布を取り出す。財布の中のあるものを見て俺に考えが浮かんだ。
 それは名刺だった。樹海で俺が助けた石田順二さんの名刺だ。名刺には旅館の住所が書かれてあった。ここに行く。
「別府か」
 俺は一人で呟いた。石田さんの旅館は別府にあるのだった。
13

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