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イケメン野郎は嫌なヤツ!!

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 四.イケメン野郎は嫌なヤツ!!

「うわー、すっごいじゃん!」
 きょろきょろ、と物珍しげに辺りを見渡す紗弥の様子を見ると、橙也と金治は互いに顔を見合せて苦笑した。
 おおよそ、機嫌が直ってよかったね、という意味合いだろう。
「あー、オッケーオッケー。説明とか大丈夫、オンラインゲームみたいなもんでしょ?」
 左隣、何もない中空に向かってそう独り言のように話しかける紗弥から目を離し、橙也も自分の左隣に視線を移すと、そこにちょこん、と座った彼女が、にやにや笑いを浮かべていた。
「先パイ、昨日はなかなか、大胆だったっすねぇ」
 彼女の言葉に、またまおの体温を思い出し、橙也は顔が熱くなった。
「そ、それはもういいから!それより、アユガイ」
「なんっすか」
 空飛ぶ女子高生ことアユガイは、変わらず口の形を歪めたまま橙也の正面に移動すると、くい、と首を傾げてみせた。
「どうして、元通りなの…?」
 彼らが今立っているここは、昨日(さくじつ)大魔王マオの襲撃を受けたあの広場である。
 けれど、そこにはおびただしいまでの破壊の跡など微塵もなく、町人がそこらじゅうを歩き回る、いたって平和な風景があった。
「んっふっふ、それはっすねぇ…」
 なにやらもったいぶるような調子でそう前置きをすると、アユガイは両手を大きく広げて叫びだした。
「ダイゼンジの科学力はァァァァァァアアア、世界一ィィィイイイ!だからっす」
 妙に彫りの深い顔芸を交えながらそう言い終えると、アユガイは満足そうに「ふぅ」と息を吐きだした。橙也はひとまず「ふぅん」と言ってそれに応じる。
 意味は分からなかったが、結局のところゲームだからなんとでもなるのだろうと、橙也は認識した。
「ところでさ、その大善寺さんの家って―」
「えぇーっ!」
 質問の途中だったが、紗弥が大声を上げたことで、橙也の視線はそちらに向くことになった。
「なんで美少年タイプはないわけぇ?」
 アユガイのグラフィックタイプのことを言っているのだろう。
 それは本来女性がこのゲームに参加することが想定されていないからだと橙也は思ったが、余計なことは言わないことにする。
「じゃあ、これ。これでいいや。はい決定決定」
 彼女についたアユガイに若干の同情を覚えながらも、あれよあれよと進むこの様子に、橙也は初めて、紗弥がゲーム得意で良かった、と思ったのだった。

 あの後、「晴天ノ昼、オニノ血ニ狂フサヤ」となった彼女を、その昼の記憶の曖昧な金治とともにやっとの思いでいさめると、諸々の事情を説明した。
 昨日ゲーム内で彼女を抱きしめたことだけは、内緒にしていたが。
「ここここここ、告白!?」
 ニワトリみたいな声でそう言う紗弥に二人が頷くと、彼女はどこか動揺した様子を見せながら、無理やり話題を切り換えた。
「ふ、ふーん…。と、ところで、そのゲームっての面白そうじゃん。あたしもやりたい」
 ダメもとでまおの前に連れていき事情を説明すると、やはり数秒の後に頷いた彼女の温情によって、晴れて紗弥もゲットアスレイブに参戦することになったのである。
 ところであのとき、まおに向けた紗弥の目が、一瞬赤い光を帯びていたような…。
気のせいだったと思うことに、橙也はした。

 結果、その日の午後九時三分。柚代(ゆずしろ)橙也(とうや)、瀬良(せら)金(かね)治(はる)、武島(たけしま)紗(さ)弥(や)の三名は、ともにこの世界に立っているのだった。
「おー、なかなか可愛いじゃん」
 そう言い、目の前の空間に向かって何かを撫でるような動きをする紗弥。
「むっふっふ、下はどうなっているのじゃ?」
 今度は何やら怪しげな顔で、下から覗きこむような姿勢になった彼女の頭に、金治が軽くチョップを入れた。
「おい、おっさん」
「うっさいわね。あんたに言われたくないわよこの変態」
「二人とも仲良しっすねぇ」
 橙也にとっては見なれたやり取りだが、アユガイにとっては珍しいようである。なぜか目を輝かせる彼女に、橙也は「そうだね」と曖昧な返事を返した。
「ところでさ、あんたらのアユガイはどんなのよ?」
「え、内緒」
「えー、なによそれー」
 金治のそっけない答えに、そう言って頬を膨らませる紗弥である。
「どうせアレでしょ。バニーちゃんとかその辺だ」
「あーあー、そういうことにしといてくれ」
 そう軽く受け流す金治。自然、次に話を振られるのは、
「んじゃ、橙也は?」
「え、僕!?」
 左肩に視線を落とすと、アユガイが満面の笑みを浮かべていた。
「先パイっ、びしっ!と言っちゃって下さいっす」
 そうは言われたものの、女子高生の姿をしているなんて言ったら、またあらぬ疑いをかけられそうなことは必至である。
 橙也はアユガイから視線を逸らし、不自然にならないように言った。
「よ、妖精さん…」
「なにそれ、フツー」
 いかにもつまらないといった様子で視線をそらした紗弥に気付かれぬよう、橙也はそっと胸を撫で下ろした。
「ちょっと、先パイっ!なーんでこんな可愛い女の子のことを隠そうとするんっすか!」
 飛び上がって目の前をうろちょろするアユガイを無視するようにするのが、今度は大変であったが。
「そういうお前はどうなんだよ」
「キンジが言わないから内緒ですー」
「何だよそれ」
「でもさぁ、せっかくたくさん種類あるんだし、絶対お互いに見えた方がコミュニケーションツールとしても面白いよね、そこんとこどうなのよ?」
 最後のは彼女のアユガイに対して向けたものである。けれど、返答はそれほど納得いくものではなかったらしい。「ふーん、ま、いいけど」と返して、紗弥は二人に向き直った。
「さてと、それじゃあ早速行ってみようか!」
そう叫んで、大きく拳を突き上げた。
「最初にも言ったけど、クリアするのは俺か、橙也だからな」
「わーかってるって」
 そういう紗弥であるが、やはりその目が何か企んでいるように見えるような…。
 けれど、ひとまずこれも、気のせいだと思うことにする。
 昨日は結局、ほとんどゲームを進行させることの出来なかった橙也である。さっそく出発できることはありがたいのだが、懸念材料が一つ。
 紗弥に対する周囲の視線である。
 無論、彼女に視線を向けるのはユーザーキャラクター。
それはそうだろう。このゲームはまおとの婚約をかけたものである。自然、どうして女性のユーザーがいるのかということになる。
 彼女の今の服装は、橙也のものと全く同じであるが、だからと言って彼女を男性と判断するものはいないはずである。
いくら紗弥が女性にしては背の高い方であっても。
いくら紗弥が女性にしては胸のふくらみが乏しいとは言っても。
 そういうわけで、昨日開始早々トラブルに巻き込まれることになった橙也としては、出来るならば目立たずに行動したいという気持ちがあったのだが、すでに半ばあきらめかけの様子だった。
「とりあえず、二人とも装備を揃えようぜ」
 この中でただ一人、それなりにいい格好をした金治の提案に、橙也は頷いた。
 しかし、紗弥はこれに同意しなかった。
「いらないいらない。あたしダンジョンの宝箱でまかなう人だから」
 ダンジョン、という言葉の意味はよく分からなかったが、ようは店で買うのではなく、フィールドに置いてあるものを探す、ということだろう。
 橙也にも何となくだが、ゲームの進行方法が分かってきたようである。
「あー、お前そういうタイプか」
「そ。というわけでちょっくら行ってくるね。二人は買い物しててー。終わる頃には戻るからっ!」
 そう早口に言ってから、しゅた、と右手を上げると、紗弥は町の外に向かって駆け出して行った。
「男らしいっすねぇ…」
 目の上を両手で覆いながら、走り去る彼女の背中を見送って、アユガイはそう呟いた。
「そうだね」「そうだな」
 金治と目が合う。
 どうやら、同じことをアユガイに言われたようだった。

「へい!らっしゃい!」
 二人を出迎えたのは、やけにガタイのいい禿頭(とくとう)の男だった。上半身は裸で、下は厚手のレザーパンツである。
 どことなく昨日のリュウジを彷彿とさせたが、けれどこれはノンプレイヤーキャラクターであるということを理解していたので、橙也は特に驚きはしなかった。
「レベル1でも装備できる一番強い装備一式」
 慣れた様子で金治がそう告げると、禿頭の男―武具屋の主人―は、暑苦しい笑顔で「あいよぅ!」と威勢よく叫び、カウンターの奥に姿を消した。
「最初から強い装備にしてれば、モンスターにやられることはそうそうないから」
「サヤは、大丈夫かな?」
「んー、大丈夫なんじゃないの?ダメだったらダメだったで、反省するだろうよ」
 そんな話をしながら金治と笑い合っているうちに、主人が大きな木箱を抱えて奥から戻ってきた。
「はいよっ!武器はショートソードにしといた。それから、レザーアーマーにレザーパンツ、レザーブーツとレザーグリーブ。兄さんたち気前いいから、レザーハットはおまけにしとくぜ!」
 暑苦しい笑顔に「どうも…」と応じて、橙也は装備一式を受け取った。
「まいどっ!」
 役目を終え、熱した金属に槌を振り下ろす作業を再開した主人をよそに、橙也たちは店の隅に移動した。
「お金、後で返すよ」
「ああ、そのうちでいいから。とりあえず着てみろよ」
 礼を言って頷いたものの、ブーツとパンツ、剣や帽子や手甲はともかく、橙也にはこの鎧の着方が分からなかった。
 持ち上げて眺めてみてから、金治に視線を向けた。
「これ、どうやって着るの」
 対する金治は一度ため息をつくと、おおよその見当をつけて叫んだ。
「おい、アユガイ。お前仕事をしろよ」
「ひぃ!なんでわたしの場所、分かったんっすかね…」
「大体君がいつもそこに座っているのを、僕が眺めてるからだと思うよ」
 金治の視線の先、橙也の左肩の上に、ちょこん、とアユガイは座っていた。
 じとーっ、という視線を金治から向けられ続け、彼女はとうとう居心地悪そうに肩から飛び上がると、橙也の正面に移動して説明をし始めた。
「…えーっと、装備箇所にアイテムを触れれば、それだけで装備は完了っす。簡単っすよ!」
「じゃあ、こうでいいのかな…」
 言われた通りに鎧を抱えて、抱きかかえるようにしながら胸のあたりにくっつける。すると、手に抱えていた重みが消え、代わりに身体にかかる重さがわずかに増した。
「おー、すごい」
 見下ろした身体には、確かに先ほどまで抱えていた革の鎧が、しっかりと身につけられていた。
「最初に入った部屋で、黒いスーツを着てたの、覚えてるっすか?」
「ああ、うん」
「あれをもとに、上からグラフィックを張り付けてるんっすね。簡単に言えば」
 アユガイの説明に相槌を打ちながら残りの装備も身につけると、先ほどまでの格好よりも断然強くなったように、橙也には感じられた。
 ただ、見た目は全身真っ茶色で、特に鎧の丸っこいフォルムなどは、どことなく人類の敵であるアレを彷彿とさせなくもない。
「よ、よし、これで一旦はオッケーだな…」
 金治の視線も、何かを言いたげであった。
 店を出た直後、橙也は正面から人とぶつかった。
「うわっ…!」
 やけに当たりが強く、体勢を崩したが、背後にいた金治が受け止めてくれたおかげで倒れずに済む。
「す、すいません」
 視線を上げて見上げると、メガネをかけた男が橙也を見下ろしていた。右の頬が赤く、わずかに腫れているように見えた。
 身長は橙也よりも大きいだろうか。恐らく金治と同じかやや小さいくらいだろう。
 服装は着物をイメージさせるが、作りが異なる。大きな一枚の布を、首元の部分だけ逆三角形に折り込んだような形。着物というよりは巨大なマントと呼ぶのが分かりやすいだろうか。袖はなく、腕を出しづらそうだなと、橙也は思った。
ふちには延々と金色の刺繍が施され、高価な印象を抱かせる。
内側に着ているこれまた足まで隠すほど裾の長い服も、同じ素材だろうか。全体に濃い緑色をした布地自体も、質の良いものだとうかがえた。
 道を開けた橙也に謝罪をするでもなく、小さく「ふん」と鼻を鳴らして店内に入ろうとした男を、金治は呼びとめた。
「おい、謝ってるのにその態度はないんじゃないのか?」
 そう言われて、男は振り返り、金治に冷たい視線を向けた。
 切れ長の鋭い眼から放たれる眼光。メタルフレームのメガネと相まって、それはさらに鋭さを増す。トゲのように固められた前髪といい、スーツを着ていれば、やり手のビジネスマンのように見えるに違いない。
 笑えば甘いマスクと言えそうな顔だったが、目つきのせいで、ひどく高圧的な印象を受ける。
「金治…、もうい―」
 橙也が言い終わるよりも先に、男は口を開いた。
「悪いが、僕は今非常に機嫌が悪い。これでもやるから、さっさと消えてくれないか?」
 誰が聞いても見下しているようにしか聞こえないであろう声音(こわね)でそう言うと、男は衣装から手を出して、何かを床に投げ捨てた。
 ちゃりん、と響く硬質な音。金色に輝くそれは、この世界で言うところの一〇〇〇ゴールド硬貨。
 すでに背を向けていた男に、今にも殴りかからんとする気配を金治から感じ取って、橙也は彼の腕をつかんだ。
 金治は橙也を見下ろすと、小さく舌打ちをして、もう一度男の背中を睨みつけた。そして、足元の硬貨を思いっきり蹴り飛ばすと、足早に通りを戻って行った。
 男の後姿に向かってあかんべーをするアユガイに、「行こう」と促して、橙也も金治を追った。

 広場に戻ると、金治はすでに、不機嫌そうな顔で道の端に腰を下ろしていた。
 橙也もその隣に腰を下ろすと、ほぼ同時に、左肩にちょこん、と腰掛けたアユガイが口を開いた。
「先パイ、どうして黙ってるんっすか!」
 珍しく、彼女が怒っていることに気がついて、橙也はアユガイに視線を向けた。
「あーんな感じ悪いの、一発ぶん殴っちまえば良かったんっすよ!」
 未だ腹の虫が収まらないといった様子で、シャドウボクシングを始めるアユガイに、普段と変わらぬ様子で橙也は語りかけた。
「僕は大丈夫だからさ」
「ふんっだ!先パイの意気地なしっ!」
 そう言って、彼女は橙也の帽子の上にあぐらをかいて座り込んだ。
 視線を一度上に向けて、小さく鼻で息をはいた橙也は、隣の金治に視線をやった。
「かねは―」
「あああああああああああああああああああああああああっっっっっ!!」
 急に立ち上がり、大声を上げる友人を、橙也は目を丸くしながら眺めた。
 最初は直立だった姿勢から、次第に身体を丸めて声を絞り出す。
 辺りを歩く人たちの視線も気になり始めたところで、ようやく空気が足りなくなったのか、叫び声は止まった。
 一度大きく深呼吸をして座りなおす。
「あー、すっきりしたっ!」
 そう言って、金治は両腕を枕にして、ごろん、と仰向けに寝転がると、厳しい表情を一転、破顔させ、橙也に向き直った。
「しっかし、分かりやすい悪役ってのはいるもんだな」
 幾分唐突な友人の変化に、多少の戸惑いは感じたものの、彼が笑顔に戻ったことに安堵して、橙也も笑いながら「そうだね」と返した。
「今どき落ちた金拾わせるとか、ねーだろ!」
「そっすよそっすよ!」
「なぁ」
 頭の上から、アユガイが金治に同意したが、当然彼には聞こえるはずもない。だから、今の返答は、彼のアユガイに対してのものであろう。
 笑いながら悪態をつく金治だったが、けれど次の一言は神妙な調子で、ぽつり、と漏らした。
「あいつも、まおのこと狙って来てるんだよな」
「あ…」
 途端に、周囲の温度が下がったような気がして、橙也は今の金治の言葉をもう一度、胸の内で復唱した。
「もしかしたら、どっかでぶつかることもあるかもな。そしたら、今度は遠慮なしでぶっ飛ばしてやる」
「ほら、トウヤ先パイも、カネハル先パイくらい強気にいかないとダメっすよ!」
 帽子のつばに身体を乗せて、逆向きの姿勢で橙也の視界に現れた彼女に、橙也は小さく頷くことしか出来なかった。
「ところでさ、橙也?」
「……ん?」
 寝転がった金治に応じる。
「あいつ、どっかで見たことねーか?」
「え、いや、分かんないけど…」
「どっかで聞いた覚えのある名前なんだよなー…」
 そう言って目を閉じる金治である。
 橙也もボイスウインドウを確認してみることにする。が、そこはすでに金治との会話で埋め尽くされており、あの男の発言を読むことは出来なかった。
「アユガイ、古い発言を読むことは出来ないの?」
 視線を帽子のつばに向けると、アユガイは再びぴょこん、と逆向きになって現れた。
「もち、出来るっすよー!ボイスウインドウに二秒以上注目すると、視線の移動でウインドウをスクロール出来るようになるっす。視線を外せば、最新の発言のところまで勝手に戻るっすから」
「ありがとう」
 礼を告げて、言われた通りのことを試みる。ほどなくして先ほどの会話が見つかった。
 発言者は「ムネタカ」とあった。
「ムネタカ…」
 呟いて金治に視線を落とすと、首を回しながら思考を続けている様子であった。
 残念ながら、橙也には全くといって心当たりがなかった。金治が見たことがあると言うくらいだから、テレビにでも出ているのだろうか。
 彼の風貌を思い返し、コメンテーターか何かだろうかと想像した次の瞬間だった。
 大きな物体が猛スピードで風を切るような低い音が頭上から聞こえ、橙也はそちらを見上げた。何やら、白い大きな塊が降ってくるのが見える。
慌てて立ち上がろうとしたが、それよりも早く、物体は二人の目の前一メートル程の所に、ぎゅおん!という音を伴って着地した。そう、激突ではなく、着地である。
砂ぼこりがわずかに立ち上がったそちらを橙也は眺める。金治も何事かといった様子で起き上がり、正面に目をこらし、視界が晴れるのを待った。
 ほどなくして煙は晴れ、そこに立っている人物の姿が明らかになる。
「「サヤ…?」」
 これには二つの驚きの意味があったのではないだろうか。
 そこに立っていたのは、紛れもなく紗弥であったが、つい二〇分ほど前とは装いが全くと言っていいほど異なっていた。
 上半身は女性用のインナーを短くしたようなもの。胸からへその上あたりまでしか覆われていないので、彼女の適度に引き締まった腹筋が露わになっている。剛性のある革で出来ているらしく、体に密着していない部分がところどころ浮いていた。
 首にはかなり長めのマフラーをゆったりと何重かに巻き付けていた。それでも背中側に、腰のあたりまで垂れるほど残っている。
 頭には太めのバンダナをハチマキのように巻いており、それがよく見えるようにか、髪は大きくセンターから両サイドに。黒の生地に、陽光に照らされた亜麻色の髪がよく映えていた。
 下半身は動きやすさ重視といったところか。短めのホットパンツに、いたって普通のブーツである。
 トータルで見ればかなり肌面積が広く、刺激的な格好であると言えた。
 彼女は二人の呼びかけには応えずに、いかにも不機嫌です、と言った様子で橙也の左隣、金治の反対側にどすん、と腰を下ろすと、膝に乗せた両手の上に顔を乗せ、大きく頬を膨らませた。
「あー、ムカツク!もうぜったいヨリーの商品買ってやんないっ!」
 いきなり国内最大手の家電メーカーに向かって不買宣言をする紗弥だったが、当然橙也には彼女が何を怒っているのか分からない。表情に疑問を浮かべた金治と顔を見合わせたが、ほどなくして彼の方は何かに気がついたようである。目を大きく広げて「あ」と呟いた。
「思い出した。依(より)井(い)宗(むね)貴(たか)」
「なに、超能力!?」
 頬を膨らませていた紗弥だったが、金治の呟いた名前に過剰な反応を見せ、彼の方に首を回す。
「お前も会ったんだな?」
「え、うん。お前もってことは、二人も?」
 これには金治だけが頷いた。
「ほんっと、あったま来るわっ!何あれ。お金持ちだからって知らないけどさ。あたし、あーいうタイプ一番キライっ!」
 依井宗貴というのがどうやら先ほどのムネタカのことであるということ、紗弥も橙也たち同様彼に出会い、何やら不快な思いをしたらしいということは、これで理解が出来た。
「それで、やっぱり有名な人なの?」
 のんびりとした様子で自分を挟む二人に問いかける。これを聞いて、二人は同時に橙也に視線を向けた。
「お前さぁ…」
「なに聞いてたわけ…」
 そう言って、二人はこれまた同時にため息をついた。
「依井宗貴。聞いたことないか?」
「うーん…」
「お前んち、ヨリーの家電一個ぐらい無いの?」
「え、テレビとか?」
「じゃあ、そこを結びつけろよ…」
「……ああ」
 ようやくつながった瞬間であった。
「社長さん?」
「んー、惜しいけど…。トーヤ、あんたもうちょっとニュースとか見た方がいいよ?」
「ま、近いうちに社長になるんだろうけどな」
 依井宗貴。日本最大の家電メーカー、株式会社YORY(ヨリー)の副社長である。
 その甘いマスクで広告塔としての各種メディアへの出演も多く、いまやそこかしこに彼の顔を見る機会が転がっている。
 彼が父親の立ち上げた会社に入社してからわずか五年。その間に彼の成し遂げた功績は大きく、会社規模は著しく拡大した。
 若干二八歳にして、もう間もなく社長の座を引き継ぐと目されている英傑である。
 ひと通りの説明を二人から受けて、橙也は先ほど会った彼のことを思い出していた。
 なるほど、ビジネスマンのように見える、というのは外れてはいなかったらしい。笑えば甘いマスク、というのもどうやらその通り。ただし、先ほどの彼から受けた印象は、冷血漢の一言に尽きるものだったが。
「それで、何があったんだ?」
「あー、そうそう。とりあえず、これね」
 金治の問いかけにそう答えると、紗弥は腰に巻いた袋から、拳大の透明な玉を取り出した。
「なんだ、それ?」
「大魔王の城に入るために必要なアイテム」
 けろり、とそんなことを言ってのける紗弥に、さすがに橙也も目を丸くした。
「そんな簡単に手に入っちゃうの!?」
ひょい、と放り投げてもてあそばれるそれを目で追いかける。なにしろ彼女と別れてからものの二〇分である。
「なに言ってんの、簡単だったわけないでしょ。ボス三体倒してようやくなんだからね」
 そうは言うが、語調だけ聞く分には、ちょっとお使いに行ってきた、くらいの軽い響き。
「いや、俺ボスなんてお目にかかったことないんだけど…」
「あ、そうなん?まぁいいじゃん。とにかく、ゴブリンのでっかいやつと、ガイコツの剣士と、ドラゴンの子供?頑張って倒してきたわけなのよ」
 金治の嘆息にもさらり、と返す紗弥であった。
「そしたら後ろから急に声掛けられてさ。それ、譲っていただけませんか?って。まぁ、確かに渡しちゃってもあたしとしてはオッケーだったんだけど―」
 じろり、と向けられた橙也と金治の視線に、紗弥は何か誤魔化すように、一度咳払いをした。
「―ってのは、ははっ。もちろん冗談で。あたしすぐ依井宗貴だって分かったから、逆に声掛けたのね。依井さんですよねって。
そんで、最初は結構和やかだったのよ?テレビよく見てます、とかさ。
そしたら途中で急に、急いでるんだからさっさとよこせ!なんて言い出して。地面にお金まき散らしたりすんのよ?
ほんっと頭来て、言ってやったわよ。この―自主規制―野郎っ!とか、おウチ帰って―自主規制―でもしてろ!とか、お前の母ちゃん―自主規制―!とか」
「ちょっと、サヤ、人見てるから…!」
 ピー音なしには語れないような卑猥な単語のオンパレードに、橙也は慌てて紗弥の口を押さえつけにかかった。
 さすがの金治もこれにはいささか心中穏やかでない様子である。
「最後には強引に奪い取ろうとして来たから、蹴り入れてやったわ」
 そう言って豪快に笑う紗弥。これが宗貴の右頬が赤くなっていた理由らしい。
「いやー、ヒロイックボイスエフェクト?なかなか面白いじゃん」
 どこがヒロイックなのかという突っ込みは心の中にしまい込む。
橙也と金治、それからさすがにこれには頭上のアユガイも、同時にため息をついた。
「よしっ、思いだしたらすっきりしたし、冒険再開と行きますか」
 そう言って立ち上がった紗弥を見上げて、最初に口を開いたのは金治である。
「あのさ、お前今レベルいくつなの…?」
「ん、アユガイ、いくつだっけ?………48だって」
「はぁ!?」
 立ち上がって叫んだ金治に続いて、橙也も立ちあがった。
「それってすごいの?」
 純粋な疑問からのその問いは、金治のハートのガラス部分に触れてしまったらしい。
「俺、今22だよ…」
 黒い影を背中に背負ってうなだれる金治に、橙也はかける言葉が見つからなかった。
「ま、ま、パーティ組めばさっくり上がるらしいからさ。敵強いとこ行って、ぱぱーっ、と上げちゃおうぜっ」
 そういって紗弥は橙也に近づくと、肩に触れた。
「な、なに?」
 紗弥の胸から上、大きく肌が露出した部分に目が行って、橙也は慌てて目をそらす。
「パーティ組むの。右上、Pって出た?」
 視線を右上に。アルファベットのPが表示されているのを確認して頷く。
それを確認した紗弥が、「なに落ち込んでんのよキンジぃ」と言いながら、金治にも同様のことを試みているうちに、頭の上のアユガイにこっそりと声をかけた。
「パーティって、何?」
「簡単に言っちゃえばチームみたいなもんっすかね」
「なんでそう呼ばないの?」
「さぁ~、古今東西昔からRPGの常識といいますか。アユガイにはちっと分かりかねるっす」
「よっし、準備オッケー」
 どうやら準備は整ったらしい。振り返ると、紗弥が何か小さな白い羽根のような物を取り出しているところだった。
「じゃじゃーん!こいつを使えば、一度行ったことのある場所に移動できます!」
「ああ、さっきはそれで来たわけか」
「そゆこと。そんじゃ行くよ。トーヤのゴキブリみたいな装備もさっさと変えないとね」
 気にしていたことをさらりと言われ、橙也は小さく「そうだね…」と返した。
「お前な、思っててもそういうこと言うなよ…」
「金治、聞こえてるよ…」
「え、あ、すまん…!」
「では、いざ出発!同行(アカンパ)―」
「それはちがうっ!!」
 なぜか金治の素早い突っ込みが入った。
「おっといけねぇ。ついつい言ってみたくなっちゃったわけよ」
「いや、気持ちは分かるけどな…」
 橙也には分からないやり取りを交えた後、紗弥が先ほどの羽を空に向かって放り投げた。
「そんじゃ、改めて。舌噛むんじゃないわよっ、野郎ども~っ!」
 次の瞬間、橙也たちの身体は宙高く舞い、町並みは一瞬にして眼下を流れていった。
5

ローソン先生 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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