トップに戻る

<< 前 次 >>

41.獣 (終)

単ページ   最大化   


 夕方近く、目を覚ますと誰もいなかった。
 館はもぬけの殻で見上げた空中を埃の粒子が重々しく旋回している。
 天馬はソファから身を起こしてしばらくぼう――っと時の流れに身を委ねていた。
 それから、なくなってもいいや、と制服のポケットに手を突っ込むと札の固い感触にぶつかった。
 どうやら寝ている間に回収しよう、なんて狡い輩はいなかったらしい。自分が言えた口ではないが。
 麻雀は博打よりもゲームと言うべきだ。本当に金のやり取りをしたいなら、点ゴや点ピンは小さすぎる。
 だから実際のところ、昨夜は気があまり入らないし負けてトントンかな、くらいに思っていたのだが自分の小手先芸に竜二があっさり引っかかったり、ぼうっとしていたのかカガミがらしくないチョンボをしたりと、負ける要素がほとんどなかった。
 どうやら皆、律儀に登校したらしい。
 起こしても眠りこけている阿呆は置いてけぼりということだ。
 貰い物の腕時計を見ると、割れた文字盤が皆、もうすぐ皆が帰ってくることを告げていたが、天馬は膝に手を当てて重い腰を上げた。
 金にはひとまず困らない。ひとりで食うラーメンも、まァそれほど悪くはない。
 こうして時折、ひとりに戻らなければ、自分の強さを失ってしまいそうな、そんな愚かしい不安もあった。
 鍵をかけずに館を出て、眩しい夕日から目を逸らした。


 ガード下のラーメン屋は潰れているかと思いきや、案外しぶとく渡世を続けていた。
 最後に来たのはいつだったかな、と思い出しながら端がほつれた暖簾を腕で跳ね上げ、天馬は戸をくぐった。
 開店時刻を過ぎたばかりだからか、客は誰もおらず、カウンター内に帽子を被った若い女が暇そうに立っているだけだった。
 そしてその店員が、イブキだったのである。
 お互いに顔を見合わせ、一瞬硬直した後、天馬は破顔一笑した。
「なんだおまえ、ついに身売りか」
「この店はひどいぞ。ラーメン一杯で夏まで働かねばならなくなった」
「ふうん――踏み倒せばいいのに」
 何が喰いたい、とイブキがメニューを放り投げてきた。
 迷わず醤油ラーメンにんにく多目を頼むと、眉根に深い皺を刻まれた。
「口がにんにく臭くなるぞ」
「にんにく入ってねえラーメンなんてラーメンじゃねえ。いいから早く作れ、昨夜から何も喰ってねえんだ」
「阿呆。身体を壊すぞ」
「徹夜でこれでさ、もう壊れそうだよ」
 お手元を卓にパシンと打ちつけた。
「おまえの姉貴と鴉羽の娘からむしってやったぜ」
「最低だな。これだから男は嫌いなんだ。勝った負けたで一喜一憂して疲れないか?」
「疲れない生き方なんて退屈なだけだ」
 割り箸を口で割った天馬は行儀悪く一本ずつ握って卓をぺしぺし叩いた。
「ねえラーメンまだー? ラーメンラーメン」
「うるさい。今やっている」
 柄のついた笊を振って、麺から湯を切るイブキを天馬は頬杖をついて眺めていた。
 割烹着を着て動き回るイブキは、部屋に飾っておきたいほど美少女であることは認めるけれど、とてもカガミには似ていない。
 カガミを日本人形と例えるなら、イブキはフランス辺りの女兵士のような雰囲気だ。しかも新米の。
「何か失礼なことを考えてはいないか?」
「何のことやら皆目見当もつかないなァ」
「ふん――生意気な」
 どっちがだと言いたかったが、その前に丼が出てきたので天馬は大人しく手を合わせた。
「よしきた、いただきます」
「召し上がるがいい」
 なんだそりゃ、金払わないぞと憎まれ口を利きながら天馬は麺に箸を突っ込んだ。卵を真っ二つに切断し、黄身が汁に流れる。
「さっき、鴉羽の娘と言っていたな」
「ああ」
「結局、おまえはあいつに何を命じたんだ」
「命じるって?」蓮華で麺にたっぷりと汁をかける。
「あの賭けで、おまえはやつにひとつだけ言うことを聞かせたいと言っていただろう」
「ああ――」天馬は天井の隅を見上げた。
「そんなこともあったかな。気になるのか。案外、情が深いやつなんだな、おまえ」
「別に。どうでもいい」
「――長生きしろよって言っただけだ」
 イブキはそれ以上何も聞かず、お冷を渡してきた。
 受け取って飲むと、冷たい水が喉から肉に伝わっていく気がした。徹夜明けは何を摂っても美味い。
「姉さんは」
「おい、そんなに話しかけられちゃ食えないぜ」
「うるさい。姉さんは、その、元気か」
「元気一杯で困ってら。妹から何とか言ってやってくれよ。もう少しお淑やかになれってな」
「姉さんは十分すぎるほど大人しいと思うがな。あの人は逆らうということをほとんどしない人だから」
「そうかもな」荒っぽい仕草で天馬が柔らかそうなチャーシューを噛み千切った。
「だからオレがあいつの分も逆らってやるのさ。いろんなものにな」
「言ってろ。せいぜい、夢が醒めるまで楽しむんだな。――天馬、できれば、あまり姉さんに期待させるな」
「なぜ」
「別れる時が辛くなる――いい思い出を姉さんにくれてやって欲しい」
 ごくん、と啜ったラーメンを天馬が飲み込んだ。お冷をがぶ飲みし、息をつく。
「ふう。ところでイブキ、おまえ、恋したことあるか」
 イブキが何もないところで躓いた。打って赤くなった鼻をさすりながら起き上がる。
「何を急に言い出すんだ。バカかおまえ」
「ふっふっふ、初恋って実らないらしいぜ。おまえはどうだった?」
「え、いや、その――」
「だがそんなもの糞喰らえだ。オレは昔から、意味のわからんジンクスや習慣ってのが大嫌いでな。従ってやる気はこれっぽっちもない」
「――この世には、どうしようもないことだってあるんだ」
「たとえば、あいつがいつまでも黒服を捨てられんようにか?
 知ってるかよイブキ。あいつ、エプロンがめちゃくちゃ似合うんだよ。
 オレはあいつに、喪服みてえな黒いスーツなんて着て欲しくないんだ」
「それは、つまり――本気なのか? 何かアテがあるのか?」
「ない」天馬は胸を張って答えた。
「じゃあどうやって」
「そのことだけをずっと考えているんだ、最近は」
 どん、と空の丼を天馬はカウンターに置いた。
「カガミが喜んでくれるなら、オレは今度こそ、鬼になるよ。
 何かのために、別の何かを壊せる鬼に」
「もっと楽な道があるのに、か。本当にどいつもこいつも――」
「それが人間らしい生き方さ」
「ひとつ、おまえを安心させるならば」
 イブキは少し間を置いてから、やはりこれしかない、と確信したように頷いた。
「姉さんはきっとそれを望んでいると思う」
「姉妹の勘か」
「私の勘だ」
「そうかい。そりゃ頼りになる。信じてやろう」
「――――」
「ん、おまえいま、笑ったか?」
「いや。ただ、やはりお似合いだなと思ってな」
「あ?」
「姉さんは身体が化け物だが、おまえはきっと、心が化け物なんだな――」
「そうとも。二人合わせてようやく一人前ってことさ」
 天馬は嬉しそうに胸を叩いた。
「シャレてるだろ?」




【賭博天空録バカラス 完    The End Of Monster's Birth】
60

顎男 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る