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第一話

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第一話




その日は、まるで自分は砂漠に居るんじゃないかと思うような、猛暑日だった。
勿論実際の砂漠の方が暑いに決まっているけれど、そう錯覚せずにはいられない、茹だる様な暑さ。
地上の私達を嬲るかのように、ギラギラと照りつける太陽はとても眩しくて、空を見上げてられないくらい。
美しく澄み渡った青空には、饅頭かマシュマロかソフトクリームみたいに膨らんだ、真っ白い雲が浮かんでいる。
そんな美しい空の下、私は普段から使っている大型バイクに跨り、車通りの少ない道路を疾走している。
バイクは私が大型バイクの免許を取得して直ぐ、父がプレゼントしてくれた愛車だ。
幼い頃から寡黙で、一時は私の事が嫌いなんじゃないかとまで思うほど無愛想な父が、だ。
そんな父が恐らく、一世一代の、最初で最後の、娘へ送るビッグプレゼント。
プレゼントされてもらって以来、私を色々な場所へ連れてってくれる最高の相棒である。
ただ、未だに後ろの席に誰も座ってもらっていない事は、自分にも父にも相棒にも、申し訳ないのだが。
だが、照付ける太陽の下、猛暑こそ、相棒を走らせるに此れほど適した日はない。
流石にヘルメットの中は暑いが、それでも、車通りの少ない道路を疾走する際の、身体を撫ぜる風は心地良い。
車と違って渋滞なんて滅多にしないし、車よりもずっと周りの景色を感じられるのは、バイクの最大の利点だろう。
渋滞している車の横をさっさと走り抜けるあの快感は、矢張りバイクでしか味わえないものだ。
こんな風に、バイク大好きな私の趣味は、休日にバイクでちょっとした日帰り旅行をする事である。
何処に行くか決める事もあれば、勝手気侭に道順だけ覚えながらバイクを走らせる時もある。
今は、後者だ。
名も知らない道をバイクで疾走していると、物語に出てくるような旅人にでもなった気分になる。
当てもなく、私は岬をバイクで疾走するが、其処に不安は無く、ただこの道の先に何があるのかという期待だけ。
だが、微かに鼻腔を擽る潮風の匂いに、この道の先に何があるのかを、知らせてくれる。
やがて、道は下り始め、左を見れば白い砂浜と青い海原が広がっていく。
更に道を下ると、道路はやがて平坦になって、ガードレールの向こうに桜並木が続く。
その向こうは、先程よりもずっとずっと近くなった、砂浜と海原が広がっている。
私は道路の端にバイクを停めれば、確りとキーを回し、ヘルメットを外しながらバイクから降りる。
真っ黒いライダースーツのジャケットを脱ぎ、白いシャツを露にしては、袖部分でジャケットを腰に結びつける。
ヘルメットは邪魔だから、適当にミラーの辺りに引っ掛けておく。
ポニーテールに纏めた髪を揺らし、コツコツとブーツの硬い靴底でコンクリートを叩きながら、私は歩き始める。
「うっわぁ…立派な桜の木…」
道沿いに並ぶ桜の木々は、どれも大きく立派な大樹で、気持ちいいほどに緑青色の葉を茂らせている。
風が吹く度に、ざざぁと葉が擦れあう音をたてて、潮と木の匂いが私の鼻腔を擽る。
きっと、春になったら其れは壮大な景観になるに違いないと思いながら、私は桜並木を抜け砂浜へと出る。
其処は、とても日本とは思えないような素敵な景色が広がる場所だった。
こんなに桜の大樹が並んでいるのに、こんなにサラサラと細かく白い砂浜があるのに。
その海はゴミ一つ無い、透き通った碧色をしていて、私は思わず息をするのも忘れて見入った。
こんなにも壮大で、こんなにも美しくて、こんなにも鮮やかな色をしているのに、私の心は重い鈍色に染まっている。
そうだ、私は海が嫌いなのだ。
こんなにも綺麗で雄大な海を眺めながら、私は思い出す。
私は海から逃げるように、海の方に背を向けて、少し離れてしまった桜並木を見上げる。
すると、ざざざぁっと今までより強い潮風が吹いて、私は思わず目を閉じた。
その時、私は何故か、脳が蕩けるような甘ったるい花の香りを、潮風とともに感じた。
風が止み、私はゆっくりと閉じていた目を開き、前髪を整えようとした。
だが、私の手は前髪を整える前に、目の前に広がる有り得ない光景に止まってしまう。
先ほど感じた甘ったるい花の香りは今も続いていて、潮風と一緒になって私を擽っている。
そしてその花の香りは、目の前の桜並木から漂っていて、そしてその大樹はいま、桜色に染まっていた。
(…有り得ない)
分かっているけれど、目の前の光景は変わらない。
先ほどまで緑青色の葉で覆われていた筈の大樹は、今は鮮やかなピンク色の花に覆われている。
春になれば何処にでも見られるような光景を目の前にしつつ、私の体は相変わらず夏の猛暑に汗ばんでいる。
「…佐倉?」
そして不意に、私は苗字を呼ばれた。
聞こえる訳無いのに。
だって、先ほどまで人は私一人だった筈だから。
それでも、その声はとても懐かしい響きと音色をしていて、私は思わず声のした方を見る。
声の主は、波打ち際に佇んでいた。
サラサラと潮風に遊ばれている、目や耳に掛かる程の柔らかな栗色の髪も。
半袖のワイシャツと白い半ズボンに包まれた、透き通るように白くて、女の子みたいに華奢な体躯も。
私を不思議そうに見詰めるその、栗色の大きな瞳も。
怖いほどに懐かしくて、優しくて、悲しくなるその姿を、私は知っている。
忘れられないその姿を、私は覚えている。
白く細い足首まで海に浸かっているその少年を、私は誰だか理解している。
理解しているけれど、私は受け入れる事が出来ないでいる。
だって、いる筈の無い人なんだから。
「……佐倉、だよな?」
耳障りの良い、幼さの残る変声期の少年の声が、確かめるようにまた私を呼ぶ。
「………芦屋、君」
如何して、如何しているの?
だって、だって、だってだってだって。

だって貴方は、死んでしまった筈なのに。
春の海、溺れた私を助けて、死んでしまった筈なのに。

「成長、したんだな…」
「…そんな……嘘、よ。だって、貴方は…」
「死んだ、よな…」
甦るのは色褪せた筈の記憶の風景で、其処には桜の大樹があった。
私が海を嫌うのは、海で溺れて、そして其れが原因で彼を死なせてしまったからだと、今更になって思い出す。
悲しそうな彼の瞳を見詰めながら、私は白い砂浜に崩れるように座り込む。
「幽霊、なの…?」
「…幽霊は波に当たれるんだな。それに、暑さも感じる…今、夏なんだな…」
彼の言葉に、私は四つん這いで彼に近付いていく。
汗ばんだ両手に砂浜の砂がこびり付くけれど、もうお構いなしだった。
立てないからもう、その格好で近付くしかないのだ。
彼はゆっくりと、歩きながら私へと近付いて来る。
その際に、水を蹴る音が、私の耳に確りと届いていた。
漸く目の前まで辿り着けば、私は縋るように、恐る恐る、彼へと手を伸ばす。
幼く華奢な彼の手が、私の手と重なって、指が優しく絡み合った。
「あたた、かい…」
私は信じられなかったけれど、けれど確かに、彼には体温があった。
けれど確かに、彼はもう、この世に存在しない筈の人間なのだ。
幽霊なのか、妖怪なのか、それとももっと別の存在なのか分からないけれど、でも、彼である事は確かだった。
根拠も証拠も無いのに、私には何故か其れが分かっていた。
そして、彼の手に触れて、熱に触れて、私は其処で漸く、涙を流した。
「…佐倉?」
「…ごめん、なさい…ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ」
私は俯き、泣き崩れながら、必死に彼へと謝った。
「私が、溺れなきゃ…貴方は、死ななかったのに……恨んでる、よね…憎いよね…」
きっと彼は私を呪い殺すために来たんだ。
彼を死なせて置いて忘れていた私への復讐を、遂げる為に現れた。
生きている人間のように振舞うのもきっと、私を絶望へ導くためだ。
そう思っていたのに、彼は優しく私の頭を撫でから、私をそのか細い腕で抱きしめる。
「…ばっかだな、佐倉は。俺、そんな奴じゃねぇし…それに、好きな奴を助けるのは、男として当然だろ」
見た目に似合わない彼の強気な言葉に、私はまた涙を流す。
「ごめんなさい」
「謝るなよ」
「…ありがとう」
「…あぁ」
彼は、優しく、けれど強く、私を抱きしめる。
「……もう、一人にしねぇから」
その声を最後に、私の体は暗い暗い海の底へと沈んだ。
彼と、一緒に。




「……ホラー、かよ」
芦屋涼は自分以外には誰も居ない部屋で、パソコンの画面を凝視しながら呟いた。
画面には、テキストエディタが開いており、中には小説らしきものが打ち込まれている。
勿論、そんな感想を呟く位であるから、彼が打った物で無い事は明白だ。
それどころか、この部屋自体彼の部屋ではない。
何せ、部屋の内装はいかにも女性的であるし、置かれている物もそうだ。
パソコンのマウスを握れば、すかさずウィンドウを消そうとする。
だがクリックするよりも早く、部屋の扉が開かれ、部屋の主である佐倉朋音が入ってくる。
自分の部屋であるから勿論ノックはしておらず、唐突に開かれた扉に涼は思わず大きく肩を揺らす。
「…」
「…」
暫し沈黙が部屋を支配する。
「…あぁぁぁぁぁ!!!何勝手に人のパソコン覗いてんのよ!このエロユーレイ!!」
耳を劈かんばかりの声量で、朋音は大声で叫んだ。
そして、エロユーレイこと、幽霊の涼は、眉をヒクつかせながら、クリックしてテキストエディタのウィンドウを消す。
それに再び朋音が叫んだ事は、言うまでも無いだろう。

芦屋涼は正真正銘の幽霊である。
然も、見える触れる聞こえる喋れると、なんとも至れり尽くせりの、幽霊らしくない幽霊である。
本人曰く、幽霊というよりは妖怪に近い存在らしく、その為に物質の世界にも干渉出来るとの事だが、真実かは不明。
見た目は普通の小学生に見える為、幽霊と言われても全く信用できない存在である。
一方、佐倉朋音は正真正銘の人間である。
但し、人並より若干外れた強い霊感の持ち主だ。
ひょんな事から至れり尽くせりの生物幽霊、涼と出会い、今では共同生活までしている。
近所の喫茶店に勤めており、趣味はバイクと妄想と絵描きと物書き。
尚、泳ぎは得意であるし、生まれてこの方溺れた事は幼少期を除いて無い。


この物語は、そんな生物幽霊少年と、妄想で生きている女性の物語である。





「消した!消しやがったわね!!もう今日の夕飯、アンタの嫌いな肉詰めピーマンにしてやるから!!」
「勝手に人の事を小説にするお前が悪いんだろうが!妄想も大概にしやがれ!!でもピーマンは止めて下さい!!」




ユーレイ日和   第一話 こんな感じ。
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