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第一話  その名は超人X

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第一話「その名は超人X」


起 ”佐伯泰彦先生について”

 養父の元を離れ、僕が働き出したのは十歳になったばかりの春であった。
 
 大正十四年、経済、文化共に花開き
 短い期間で先進国とまで上り詰めた我が国、日本
 僕が佐伯泰彦先生に出会ったのは、桜吹雪が美しい四月の上旬の事であった。

 一口に佐伯先生の事を言うなれば、”ハイカラさん”という言葉が良く似合う。
 西欧で作られた高価な懐中時計を首からぶら下げ、銀縁の眼鏡が良く似合い、沢山の砂糖を入れた珈琲を愛飲している姿を今でもよく覚えている。
 一目見れば几帳面なお人であると勘違いしてしまいそうだが、良く見れば上着のボタンを掛け間違えていたり、左右の靴が別々と言うのは良くある話で、僕が女房の様に細かい所まで面倒を見なければ成らない程にだらしなかった。
 
 佐伯先生は梅田の繁華街にある”びるでぃんぐ”の二階に事務所を構えている。
 ”佐伯探偵事務所”と自筆で書かれた看板は傾き、今にも落ちそうになっているのが此処の特徴である。
 その名の通り、佐伯先生は探偵と言う仕事を行っており、軍警の方々から大阪署の警部さんまで良く相談に来られます。
 佐伯先生は軍警を嫌っていたが、大阪署の警部さん(大森さんと申します)とは非常に仲が良かった。

 この話は、僕”岩倉正太郎”と佐伯先生とが巻きこまれた大変な事件に関しての物語です。



承 ”超人Xについて”

「正チャン見てよ、この事件。”超人X 再び現る”だってさ」
 佐伯先生は癖毛の酷い髪の毛をボリボリと掻きながら僕に新聞を見せてくれた。
 正チャンと言うのは僕の愛称で、朝日新聞の朝刊に掲載されている漫画”正チャンの冒険”に因んで、そう呼ばれていた。
 僕は新聞を見ても活字に疎く、正チャンの冒険以外には興味が無いのだが、佐伯先生はそれを僕に見せてニッコリほほ笑んだ。
「超人Xだってさ、洒落ているよなぁ。新聞記者の感性には頭が下がるね」
 そう言い、熱い珈琲の中に角砂糖を二個摘まんで落とす。
「この人が何か悪い事をしたのですか?」
 角砂糖の入った瓶の蓋を閉めながら佐伯先生の傍に座り新聞を横から覗き込む。
「三越百貨店で展示していた巨大な黒ダイヤが予告状通り見事に盗み、軍警察の顔に泥を塗ったという話さ」
 本当に屈託の無い笑顔で彼は笑い、記事の続きに目を走らせる。
 
 超人Xと言う名称が世に広まるのは今朝の新聞からであった。
 それまでは関西を中心に盗みを働き、犯行前には必ず予告状を警察に送る変わり者の犯罪者として思われていた。
「超人とはその名の通り”人を超えた者”を意味し、Xは”未知”を意味する。それを掛け合わせる処に今の時代を感じるんだ。”和”と”洋”、二つの文化の融合と言う奴だね」
 佐伯先生は、何度も何度も超人Xの記事を読み返し、目を閉じてブツブツと独り言を始めた。これは何かを考えている時の佐伯先生の癖で、僕はただただ、彼の姿を眺め、次の言葉に注目する。
 おおよそ二分程夢想を行い、目を開いた佐伯先生が言った言葉。

「今日はコロッケが食べたいなぁ」



転 ”大森警部の依頼”

 僕が夕食のコロッケを流行りの洋食屋から帰って来た時の話になる。
 辺りは日が沈み、次々と店の暖簾(のれん)を外している光景が映る。
 活動写真館のみが”ナイトシヨウ”をする為に看板の電球に光を灯すが、人通りも無くなり、実に静かな街並みであった。
 僕が事務所の”びるでぃんぐ”の元に到着すると、そこには見慣れたオートモービルが一台停まっており、二人の若い警官がそこに立っていた。
(ああ、大森警部が来たのだな)
 若い警官に軽く会釈をして、僕は階段を駆け上がる。
「只今戻りました」
 扉を開けると中年太りの大男が佐伯先生と向かい合い珈琲を啜り(すすり)ながら何かを喋っていた。
(あっ!!!)
 驚いたのは何も、大森警部が居たからでは無く、高価な砂糖が瓶の中から一つ残らずに無くなっていたからだ。
(酷いよ先生…)
 僕が少ししょんぼりした顔をした事に気が付いた佐伯先生は苦笑いを返し、(ゴメンネ)とでも言う様に両手で拝んで見せた。
「正チャンすまんね。お邪魔しているよ」
「い、いえ。申し訳ありません、買出しに出ていた為に何も用意出来ませんでして」
「なぁに、佐伯君に依頼をしに来ただけだから無理に構わんでも良いのだよ」
 大森警部はニコリと笑顔を見せ、僕の頭を撫でた。
 僕はそれが嬉しくて、ついつい彼の傍によってしまうが、これがいけなかった。
「ふむ…この匂いはコロッケかね?」
「ええ、そうです。私が正チャンに頼んで晩御飯を買って来て貰いました。もし良かったら大森警部もどうですか?」
「良いのかね?いやぁ、私はコロッケが大好物でね、何個でも胃の中に入るくらいなんだよ」
 それは困るよぉ、四つしか買ってないのに…


 結局、大森警部はコロッケ三つを蟒(うわばみ)の様に次々と口の中に入れ、満腹になると残った珈琲を喉に流し込み笑顔で帰って行った。
 当然残ったコロッケは一つ。
 僕と佐伯先生は半分ずつに分け、寂しい夕食を過ごした。



結 ”佐伯先生と僕”

 事務所の中には二人の寝床がある。
 僕は養父の元を離れ、住み込みで佐伯先生の元で働いている。
 佐伯先生は僕を養子にするつもりで引き取ったらしいが、僕はそれに対し”働きます”と言い返した。
 二人の寝室は非常に狭く、布団を敷いて二人が寝るには狭すぎた。
「じゃあ、こうしよう」
 佐伯先生は、西欧の絵で見たというベッドを二つ、縦に組み合わせ、狭い空間に二人で眠れる様に工夫を凝らした寝床を発明した。
「その名も”組みベッド”」
 佐伯先生はそう名を付けた。今で言う二段ベッドであるがこの時代にはその名称も無く、ある意味この形状の発明者とも言えよう。ただ、とにかく名称に関して感性は無い様である。

 その組みベッドの上で二人は横になる。上段には僕が寝て、下段には佐伯先生が寝た。
「大森警部から依頼が来たよ」
 下で寝ている佐伯先生が僕に声を掛けて来た。
「なんの依頼ですか?」
「今朝話していた超人Xについてだよ」
 佐伯先生の声は非常に明るく、楽しげである。
「超人Xの捜査に私も参加出来るんだよ」
 ガバッっと布団がめくれる音がした。
 佐伯先生の興奮が僕の元まで届く。
 目を輝かせ、多分本当に笑顔でいるんだろうな。
「探偵冥利に尽きるじゃあないか!そう思わないか正チャン」
「はい!僕も一緒に行っていいですか?」
「当然だろ、正チャンは私の助手じゃあないか!」
 そう言うと、佐伯先生も、僕も堪え切れずに笑い出してしまう。

 春の香りがまだ漂う梅田の夜。
 例え、どんなに大変であっても、僕は大好きな佐伯先生の為にがんばろう。
 そう思った夜だった。

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