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退屈の理由(前)

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放課を知らせるチャイムが鳴った。
その音を合図に、クラス中の、もともとない緊張感がさらにほぐれ、教室にはふにゃふにゃした空気が充満した。
「おーい、学級委員~ もう終わるよー」
生物教師の米田が机に突っ伏して寝ている中嶋に声を投げかけた。
「むにゃ…きりーつぅ」
中島は机に突っ伏したまま号令をかけた。
数秒のラグがあって、中嶋以外、全員立った。
米田先生は少し困った顔をしたが、柔らかい口調でそう言った。
「ほらほら、中嶋も」
米田先生に促され、だるそうに立ち上がった中嶋は「ちゃくせーき」と言った直後に
「うぁ~っ 終わった終わったぁ~」
人一倍大きな声で唸った。
「全く……」
米田先生は苦笑いでそうこぼした後、教室を出て行った。
米田先生はひょろりと背が高く、それでいてちょっと渋い顔つきをしているのだが、性格や表情が温和で生徒からの人気は結構ある。
浅田いわく、「昼寝には最適」だそうだ。
浅田はもう鞄を抱えて俺のところに来ていた。
「早く行こうぜ…もう待ちきれねぇよ!」
今日は『少年VIP』の発売日。
浅田は生物の時間でもそわそわと落ち着いてなかったっけ。

俺達は校舎の壁に沿って走っていた。裏門に向かって。
微妙に、本当に微妙にだけど、裏門を使ったほうが本屋には早い、とは浅田の受け売りで、小学生でもないのに本当に早いのかも判らない道を選ぶあたり、成長しているのか、していないのか。
「ちょ、まっ…はやすっ、ぎ」
渡辺が息を切らして追いかけてきた。
「早く来いよー、お前の気になる奴も今週はあるかも知んないだろ」
浅田が声をなるべく殺して言った。
裏門は本当は使っちゃいけないから、コソコソしてるのは当然である。
しかし、そうは言って走っているのだけど俺を含め3人は姿勢を低くしていて、傍から見るとどう見ても怪しい。
「何やってるのコソコソと。潜入任務?」
と、西野が2階の校舎の窓から俺達を見下ろしているのが、その証拠だ。
「るせー。静かにしてろよ。やまもっさんに見つかるとやべぇから」
「やまもっさん」とは、あのおっかない指導部の山本先生のことだ。
浅田が下から西野を睨みつけた。
「大丈夫よ。山本先生ならいま後ろの教室にいるから」
「ばっ……おい、急げっ!!」
「ウソよ」
そう西野は言ったのだが、浅田はもう遠くに離れていた。
「裏門なんか使わなきゃいいのに」
西野は呆れ調子で溜息をついた。
「俺もそう思う」
「早く来いよぉー。本当に来たらどうすんだよ!!」
浅田に急かされ、俺は校舎伝いに走っていった。
「その走り方やめれば?」
西野の問いに、俺は答えた。
「怖いから」
これは俺の本心だった。が、
「だから正門通ればいいじゃん」
西野の正論がグサリと突き刺さり、俺は何も言えずに踵を返し正門から出て行った。

最寄の本屋に着くまで、浅田はすねっぱなしだった。
「何なんだよ、これ、結局俺だけこんな目に?」
浅田が言うには、裏門で待ち構えていた山本先生に(実際は、たまたま通りかかっただけなんだろうけど)生気を抜き取られ、「罰ゲームだ、これな」と手渡されたのは
大量の清涼菓子『ミンティオ』。
「いやな、こいつにこの前まで懸賞あったろ? だから買ったはいいんだけど、こいつ、なかなか辛ぇんだよ」
山本先生は頭を掻く。
「なんで『フリーズクラッシュ』なんだよ。もっと他の美味いもんがあったろ」
浅田は山本先生を睨んだ。
「るせぇよ。裏門使った奴が悪りーんだよとにかくこいつ全部持って帰って全部食え」
なぜかズッシリと重量感のあるビニール袋を持って、浅田は本屋の前で息を切らしていた。
「授業中寝なくて済むんじゃないか?」
俺は言った。
「馬鹿かお前。つまんねぇ授業は寝るためのもんだろーが」
こう言っているが、別につまらなくなくても、浅田は寝ているんだけど。
「そうでもしないと使いきれないだろ」
「お前、別に食うわけじゃねぇよ。少々勿体無ぇけど、捨てるよ。もちろん」
あ、そう。俺は心の中でため息を付いた。
「あ、あの」
渡辺が力なく声を出した。
「ん、なんだ? なんかあんの?」
「これ、なんか、書いてあるよ」
「……」
それを見るなり固まった浅田を見て、俺はその文字を覗き込んだ。
――『食ったら入れもん持って来い 山本』
「……マジかよ」
「……よかったな、これで寝れないな」
「だからバカかてめぇは!! こんなに食えるかよ!! お前らも食え!! 頼むからお願いします!!」
「……」
俺が黙っていると、渡辺がまた小さく零した。
「僕、それ、好きな人知ってる」
「え、なんて?」
「それ、大好きな人が、いるんだ」
「マジか! どこのどいつだ!」
「いま、ここには居な…」
「お、渡さんじゃん」
突然俺の背後から声が渡辺めがけて投げられた。そして、
「いた」
渡辺が小さく呟いた。
振り返ると、そこには短く切った髪に、無邪気な顔つきの、いかにも球児っぽい人がいた。
「よ、渡さん」
そう爽やかな表情で言う傍らで、
「や、やぁ」と渡辺は弱弱しく片手を挙げ、
「…何だ? 渡さんって」
浅田が微妙な表情をしていた。
渡辺の話によると、彼は隣の2-4の生徒で渡辺の中学からの親友で、野球部所属。
名前を喜多 秀俊(きた ひでとし)といった。
典型的な球児で、父親の影響で小学生のころから野球馬鹿だったらしい。
そんな喜多と渡辺がどうやって接点を持ったのかはナゾだが、そんなことは浅田にとって全くもってどうでもいい話なわけで。
「なぁ、喜多君、こいつ見てみろよ、どう思うよ」
すぐに自分の救世主になるであろう目の前の男子に向かって、ある種の希望のまなざしを向けていた。
「すごく……ってか、どうしたんすか、そんなに」と喜多はそのまなざしに答えるでもなく言った。
かくかくしかじか……
「…………。なんか、大変っすね」
そう言ってふいと向きを変えた喜多に、浅田はしがみつく。
「いやいや、そんな事言うなって。何他人事みたいな顔してんだよ」
「モロ他人事だよね。自分で起こした事だよね」
「おま、沢辺まで言うか? じゃあどーすんだよこれ。俺、こんなに食えるわけねーんだよ」
浅田がうなだれる。
それに追い討ちをかけるかのように、喜多も言った。
「つか、もう飽きちゃったし、そんなに沢山食うほど好きでもないんだよね~」
「お前、結構今時っぽいけど、結構ズバズバ物言うんだな」
浅田が横目で喜多を睨んだ。

「ところで、今日の部活はどうしたの?」
渡辺が何を言うでもなく聞いた。
なんとなく、喜多に話すときは、言葉がはきはきしている…気がする。
その渡辺の問いに、喜多は隠すでもなく言った。
「まぁ、今日はサボりっつーかね」
「あーいるいる。サボりがちな野球部。どーせつまんねーとかそう言う理屈だろ?」
先ほどのやり取りで、完全にスネていた浅田が口を開いた。
そしてそれはさらに続いた。
「そーいう奴に限って、やたら言い訳がましくなったりするんだろ。お前はどっかの胡散臭い政治家か、見たいな奴な」
「…………」喜多は突然の言葉の殴打に動揺しているのか、言葉を失っている。
まるで、説教されている時の小学生のようだ。
「それによ、そーいう奴は知らず知らずの内に自分の株下げてることが多いから、あんま女にはモテねーんだよな。お前、今までにバレンタインチョコいくつ貰ったよ」
「もうやめろてやれよ。それに、今の半分以上お前のことだったぞ」
俺は我慢できずに二人の間に割って入った。
喜多はもう、慰めを必要とするような顔だった。
「る、るせーよ。俺だってチョコの一つくらい貰ってんだよ!! ……小学校の頃に」
何の話をしているんだコイツは。
「……自慢になってないんだけど」
「何なんだよ!! じゃあお前は貰ったことあんのか!?」
「一応、部活の人から義理貰ったりするんだけど、それはアリなのか?」
「ま、マジで?」
どうもこれはアリらしい。
それにしても、だ。
不毛だ。
やり取りが不毛すぎる。
しかも、ここは割とでかい本屋の中。
大多数の人が俺たちに向かって視線を向けている。
そのことに気づいた浅田は、小さく咳払いをした後、言った。
「……まぁとにかく、あれだ、そういう時は、部活のこと忘れて息抜きするのがいーんじゃねーの? 俺が色々場所教えてやるから、野球のことは一旦忘れて、遊んだらどうだ?」
「……あ、ありがとな」
先の浅田の暴言がよほど堪えたのか、喜多の顔は暗い。
それなのに、浅田は心無い言葉を浴びせる。
「おい、どーしたそんな浮かねー顔して。俺なんか悪い事言ったか?」
……喜多、もう怒っていいぞ。
24, 23

  

渡辺は浅田にこっそり言った。
「喜多君、この頃、スランプ気味……なんだ。この前も、2年だけの練習試合、喜多君のエラーで……負けたんだ」
「なーる、あいつの野球がつまんなくなった理由ってのは、そー言うことか。じゃ、どーんと遊ぶか! 部活のこと、忘れる位にさ」
浅田はそう言ったのだが、なかなかそうもいかないもので。
まずはカラオケ。
遊びの定番、のはずだったんだけど、
「……あの、浅田君」
「何だ、何かマズイのか」
「俺、実はさ、カラオケ苦手なんだよね」
「……」
 絶句。
「おい喜多おめー、何でそんな今風なノリしてんのにそこんとこダメ男なんだよ」
一瞬で不機嫌になった浅田だった。

次はボウリング場。
こちらも王道。
だが。
『本日調整により、休業します』
という張り紙。
「馬鹿な……」
浅田はがっくり肩からうなだれた。
休業は仕方の無いこととはいえ、ふざけんなよぉ、と言いたくもなった。
俺は喜多の隣で喜多と渡辺が醸し出す気まずい空気を吸っていたのだから。

この後もゲーセンで喜多のあまりの不器用さに呆れたり、
フットサルではボロ負けし(喜多と渡辺のサッカーの出来なささに呆れた)、
なぜか駄菓子屋ではやけに(喜多と渡辺だけが)盛り上がり、
さらには浅田が、
「てめぇら揃いも揃ってダメ野郎じゃねーか!! 昔に生きてないで、もっと今を生きろよ!!」
などと訳の分からないことをのたまいながら
「よーし、じゃ行くぞ」
そういった先には大きな看板が。
《パチンコニート》
「お前は未来に生きてるんじゃねーかよ!!」
俺は浅田に何処かの映画にでてきたような、跳び膝蹴りを浅田に繰り出した。

午後6時半。
学校を出てから、二時間が過ぎた。
暗くなった空に、街頭の光が白くぼやけて、綺麗とも汚いとも取れない色合いをかもし出していた。
先刻、跳び膝蹴りをもろに受けた浅田はわき腹を押さえながら、立ち止まった。
「じゃあよ、ここしかねーだろ」
そう言った先には、バッティングセンターの看板があった。
「大丈夫か? ここで」
心配する俺に、浅田は真剣に言った。
「10年以上やってる事が、つまんねぇはずがねーんだよ」
浅田のその言葉は、見事に的中した。
喜多の振るうバットの先に、ボールが吸い込まれ、心地よい音と共に、白い影が高く飛び上がった。
何度も何度も、ボールは宙を舞う。
それを見ながら、浅田は言った。
「ほらな。あいつはやっぱ、野球バカなんだよ。それ以外に出来ることなんて無いんだよ」
浅田は、さらにこうも言った。
「つまんねぇとか言ってるけど、やっぱ楽しいんじゃねーか」
「だよな」
ボールがバットに当たる音に囲まれながら、俺は相槌を打った。
そのとき、喜多が戻ってきた。
浅田がだるそうに手を上げ、俺に向かって言った。
「じゃ、そろそろ行くか」
「どこに?」
「駅前だよ、駅前。俺はもう歩き疲れたよ」
そう言って、浅田は大きく背伸びをした。

夜の色がいっそう濃くなった。
駅前はそれに反比例するかのようにきらめいて、帰路を急ぐ人々でにぎわっていた。
俺達はその一角、ある屋台の前にいて、そこでは店主と浅田が対峙していた。
「もんじゃ焼き」
「アホ」
店主の言葉に、浅田がチッと舌打ちした。
「じゃあ、3人分頼む」
「はいよ」
浅田の言葉に、俺は反応した。
「おい、1人足りないんじゃないか?」
「お前におごる義理はねぇよ」
「……大野さん、俺にも一つ」
その屋台の店主、大野さんはニヤニヤしながらアイアイサー、と楽しそうに言った。

15分程すると、俺たち4人はたこ焼きに噛り付いていた。
「美味いじゃん。祭りのやつより美味いんじゃない?」
喜多が口を開いた。
「当たり前だよ。だってこのオッサン、3代目だぜ」
「誰がオッサンや。俺まだ27やで」
大野さんが口を尖らせた。
「しかも、3代目言うても、そんな大層なもんやあらへん。でっかい夢見て大都会に行って、失敗して帰ってきて、この様や。胸張れるようなもんやない」
「そうなんすか」
そう言って最後の一個を口の中に放り込むと、喜多は立ち上がった。
「じゃ、俺、帰るね」
「あ、僕も」
渡辺が慌ててたこ焼きを食べるが、次の瞬間、
「あぢぢぢぢぢぢぢぢ」
そう喚きながら喜多の後を追いかけて行った。
俺の隣で、浅田が笑った。
「あれで良かったのかな」
俺がそうつぶやくと、聞こえていたのか、
「いーんだよ、楽しけりゃ。息抜きってそんなもんじゃねーの?」
浅田も呟いた。
「なんや知らんけど、こんなんで息抜けるんか? めっちゃ疲れてるように見えんねんけど」
大野さんの言葉に、浅田はむっとした。
「お前は黙ってろ。黙ってもう1人分焼いてろ」
「おい、どうしたんだ?」
俺が聞くと、俺の方を見て浅田はニヤリとした。
「気付かねーのか?」
え?
そう思った瞬間、脇腹に電撃が走り、直後に聞きなれた明るい声。
「わ――――っ!!」
「わ――――!?」
目の前では浅田が今度は笑いながらのた打ち回っていた。
翌日。梅雨もそろそろ終わりを告げる頃なのに、空は今日もどんよりとした色をしている。
「昨日はごちそーさま。おいしかったよー」
 中嶋が浅田に言う。
「なんであたしは呼ばなかったのよ」
 西野がむくれている。
「いや、呼ぶってか、来なかったからじゃ」
「うるさい。今度私にもおごりなさい」
いつに無く不機嫌だ。それに気付かず浅田は食らいつく。
「何で俺が。てめーで買えばいいじゃ……」
 その瞬間、西野の右ストレートが浅田の右耳を掠めた。
 ブォン、という、空気を切る音。
「……ま、まぁ、お、ごってもいいかもな」
 浅田の顔に、汗が滴る。
「ありがとね」
 西野の言葉の後で、俺は、てめーはジャイ○ンかよ!! という浅田の心の声を聞いた気がした。
 俺がその声に苦笑いで応えていると、視界の端に渡辺の姿を見た。
 皆の視線が渡辺に集まる。
「あ、あの……ちょっと……」
「もっとハキハキ喋る」
 ほとんど渡辺に言わせずに西野は言う。
 その言葉に、渡辺が震えるように小刻みに頷く。
「頼み、があるんだけど」
「は?」
 みんなが渡辺の顔を覗き込んだ。
「昨日の事なんだけど……」

 渡辺が喜多と一緒に歩いている帰り道、喜多がおもむろに口を開いた。
「なんかさ、やっぱりつまんねぇんだよな」
「何が?」
「部活」
 その言葉を聞いて、渡辺は首をかしげた。
 渡辺が持っている疑問に喜多が答えた。
「なんつーかさ、頑張ってもそれがものになってる気がしねーっつーかさ」
「レギュラー落ち?」
「……当たり」そう言って喜多はため息をつく「人並みに頑張っても、それ以上頑張っても、レギュラーどころか、補欠にさえなれないんだから」
 そして、もう一度ため息をついた「笑っちゃうよね。人が必死になっても、どうしようもないことってあるよね」
「でも……」まだ、3年もいるんだし……と言い切れない内に、喜多は言った「もうさ、いっそ、才能ないの分かってんだからいつまでもいる必要ないよねって、思うわけよ」
 こういうときは大抵、自分を肯定して欲しい、と暗に言っている、らしい。喜多は渡辺に、今の自分に行動を起こさせる、きっかけが欲しいと言っているのだ。
「でもさ、他に何か、当てがあるの?」
 渡辺が問うと、
「なんもねぇな」
と言って笑った。
渡辺は何も言えずに、そのまま無言で別れた。


「あの野球馬鹿がよく言うねぇ」
浅田が呆れ調子で言う。
「あいつには野球しかねーんだよ、どーせ。暇人になるのが関の山だよ」
「だったら、その暇人になるんじゃない?」
西野が言う。
みんなが黙り込む。つかの間の沈黙、そして、浅田と中嶋が口を開いた。
「いーんじゃね?」
「いーよね、別に」
「ちょ、ちょっと待てよ」
その発言に、俺は食って掛かった。
「あのな、大人になって思い返してみるとするだろ。青春したなぁ、てしみじみ思うか、何やってたんだろ俺は、見たいに後悔するか、どっちがいいんだ?」
さらに沈黙。
目を閉じて考え込む浅田と中嶋は、「ぴーん」という効果音が聞こえてきそうな感じで目を見開くと、突然同時に叫んだ。
「今から部活入ってくる!!」
「待て待て待てぇぇ!!」
俺は教室を出ようとする二人の襟を掴んだ。
「何やってんだよお前ら!! 他人より自分かよ!!」
「るせー、せっかく人が青春に目覚めたってのに、それを無駄にするってのか」
「そうだー!! 思い立ったが百年目、やるなら今しかない!!」
「思い立ったが吉日ね。じゃなくて、いまその青春やめようとしてる人がいるの!! 青春に目覚めたお前ならそれはもったいないと思わないのか?」
「青春青春うるせーなー。お前は熱血スポ魂漫画の先生か」
言ってる自分でも口うるさい奴だな、と多少自己嫌悪に陥った。
こうして浅田は早くも冷める訳だが、火の付いた人が若干1名。
「うん、もったいない!!」
「え?」
真剣な眼差しでみんなを見渡す中嶋。
その目に宿っている輝きは、有無を言わせぬ勢いがあった。
俺を含め全員その眼差しに戸惑う。
「そうだよ! まだチャンスが残ってるのに、それをムダにしちゃうのは、やっぱり、もったいない気がする!! ね!!」
「そ、そう……そうね」
西野は中嶋の勢いに圧倒されかけていた。
「でしょ!? だったら、やっぱりどうにかしないと!!」
「……どうしてこうなるの?」
浅田が隣でつぶやいた。
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「ようし、今から行くぞう!!」中嶋が意気込む。
「おま、他人の事情に首突っ込むのか!?」
「それ、ちょっとマズいんじゃ、ない!?」
 必死の顔で止めに入る浅田と渡辺だが、それをものともしない中嶋が風のように走り抜けていった。
「さ、さすが陸上部……じゃねぇ、追いかけねぇと」浅田が息を切らして走り出した。
「お、おい、お前まで!!」
 俺も追いかけるが、そうなるとみんなが駆け出す。
「これ、いろいろ面倒なんじゃない?」西野が走りながら言う。
「うるせぇ!! あの馬鹿、なんか余計なことしそうな気がするんだよ!!」浅田がほえる。
「……何も言えないのが辛いな」
走りながら、そんな事を話していたような気がする。
「おぃ、中……嶋……」
 浅田の声がどんどん小さくなっていく。
 見てみると、中嶋が明らかに落ち込んだ顔をして立っている。
「はは、も、もう、部活辞めたって……」
「え」
 ……早ぇ。

「中嶋も中嶋だけど、喜多も喜多だな」浅田が溜め息混じりに言った「あのバカ、思い立ったら止まんねーのな」
「ど、どうするの? 部活辞めちゃったけど、どうすればいいの?」
「黙ってなさい」
 西野が慌てている渡辺を制した。
「まぁ、どうにかして連れ戻すしかねーんじゃねーの?」
 浅田の言葉に、皆が頷いた。

 放課後の図書室には、俺と中嶋、渡辺、浅田が、一つのテーブルを囲んで座っていた。
「じゃ、直人、仕切ってくれ」
 いつものことだが、浅田は面倒臭い事はいつも誰かに押し付ける。
 その言葉に批難の目をむけてから、俺は言った。
「まぁ、何がいい考えが浮かんだら」
「はい先生っ!!」
 ……ノリがどうもおかしいが、俺は中嶋のアイデアに耳を傾ける事にした。
「やっぱり、野球すればいいと思う!!」
「うん、ま、そうなんだけど」
 俺は対応に困った。
「あのな、つまんない、って言ってる奴に、野球やろうぜっても、拒否られんのがオチだろーが」
「じゃあ、どーすんのよ」
 むっとした中嶋の言葉に、浅田が反応した。
「……まぁ、他に才能ないから、それが分かりゃすぐ戻って来んだろ」
 実に消極的だな。
「……でも、そのまま帰宅部になっちゃうかもよ?」
 俺が言うと、浅田がいやな顔をした。
「あ……あの」
「お前は暫く自分の考えをもうちょっと練ってから言え」
「うぅ……」
 渡辺の考えは口に出すことも出来なかった。
「……ただつまんねぇだけなら、サボってりゃいいのに、どうして止めたかが分かんねぇんだよ」
「うーん……いじめとか?」中嶋が言う。
「あいつはそんな目にあう奴じゃない。野球部の奴に聞いてきた」
 浅田が言うんだから間違いない。
「あ…あの」
 渡辺だ。
 図書室がしんと静まり返る。
 いや、普通はそういうものなのだけど。
「やっぱり、スランプ気味なのが……」
「それだ!! いやー、なんで気付かなかったんだ」
 浅田の顔に電気がともった。
「……でも待てよ。スランプで、つまんなくなって、それで退部。面白くねーな……いいか、どうでもいいや。あんな奴」
「……飽きるの早っ」
 中嶋が呆れるが、それに浅田が続けた。
「なんか深刻な理由でもあんなら『助けてやろうかな』って気にもなるけどよ、フツーのありきたりな理由で困ってんなら『勝手にやってろ』って気分になるんだよ」
「そうなのかな……」
「そういうもんなの」
 浅田が言い切った。
「つーことで、もうやめ。じゃな、俺、用事あるから」
 さっさと帰ってしまった。
「……」
「全く、静かにしてって、何度も言ってるんだけどなー」
 園山さんだ。
「優実、あたし今困ってるんだ」
「聞いてたよ、ていうか聞こえてたよ。喜多君でしょ? うちのクラスの」
 そういえばそうだった。同じクラスなら、この人も一緒にやれば良かったかも。
「まぁ、あの人にも飽き性なとこあるから、そんなことだろうって思ってるよ」
「ふーん……そうなのかぁ」
 中嶋も、何とも言えない顔になっている。
「……ま、何か理由があっても、私には分かんないよ。本人に聞いてみれば?……あと、もう閉館だから、早く出てよね」
 そう言って、園山さんは図書室を出て行った。
「さて、あたしも帰ろ」
「どうすんの?」
「何が?」
「喜多君の事」
 中嶋は、何言ってるの、と言う顔をして、言った。
「もちろん、何とかしたい、って思ってるよ」
 そう言って中嶋も出て行った。
「頑張ってね。原因なんて、すぐ分かるものじゃないのよ」
 後ろで、声がした。
 近藤さんだ。
「だけど、浅田君も喜多君も、そんなにさっぱり諦めるような人じゃないと、思うんだけどなぁ」
 そう呟いて、近藤さんも部屋を出ていった。
「……僕、何か出来るかな」
 渡辺が呟いた。
「探せばあるよ」
 俺は言った。
 本人に会って聞け……か。
 考えても、そんな望みはあるはずも無く、まずもって接点が無いのだ。
 出会ったとしても、聞き出すことなど、出来ないだろう。
 そう思っていたのだが、しかし、俺は思いがけず喜多と出会った。
 その日の夕方。
 俺は、コンビニで最後の一冊となっていた《少年VIP》を取ろうと手を伸ばした時、同じく手を伸ばしている喜多と遭遇した。
「……」
 変に殺伐とした空気が、2人の間に広がっていた。
 顔見知りとは言え、駄目男(多分)同士、なかなか簡単に声など掛けられない。
「……」
 睨み合いが続く。
 お互いに何か意地の様なものがぶつかり合い、《少年VIP》を手に取ることも手を引っ込めることも許さない。
 そんな静かな戦いを繰り広げていると、頭がツルピカに禿げた背の低いおじさんが、何も言わずむすりとした顔で《少年VIP》を気まずい空間から抜き取り、足早にレジに向かっていった。
 そこに残ったのは、変な沈黙だけになった。
 それから少し時間を空けて、俺達は顔を見合せ、そして、吹き出した。

「君、渡さんの知り合いだったよね」
 駄目男(多分)とは言え、根っこは気さくなノリの良い人のようで、なかなか話せない俺にとって、物凄く有難い。
「名前、沢辺だっけ?」
「なんで知ってるの?」
「渡さんも浅田も《沢辺》って呼んでたじゃん」
「あぁ」
 俺が軽く相槌を打つと、喜多は既に暗くなった周りを見回して、言った。
「このままってのも何だし、どっか行こうぜ」
返事をしないで、俺は喜多に付いて行った。

 駅前に着いた。
「お? 気に入ったのか」
「まぁ、美味しかったしさ」
 俺達は屋台の前に立っていた。
 屋台の向こう側で忙しなく手を動かしている大野さんが、こちらに向かってニカッとはにかんだ。
「どーすか、景気の方は」
「いや、まだそんな年じゃないからな」
 大野の言葉を、俺は一蹴した。
「ほんで、喜多くんやったかな、今日も来たんか」
「美味しかったもんで」
「嬉しいこと言ってくれるやないか」
 嬉しそうにそう言うと、大野さんは二人前のたこ焼きを差し出した。
「ほんで、なんかあった顔してるけど、何かあったんか」
 一瞬、俺の事かと思ったけど、大野さんは、喜多に顔を向けていた。
「どうして分かったんすか」
 てっきり、黙ってしまうと思っていたたが、喜多は興奮気味だった。
「そら、昨日と雰囲気違ったら、フツーは疑うで」
 俺には分からない。
「……部活辞めちゃったんだ」
 ……その事か、と俺は思った。
 どうやら、さっぱり辞めてきた訳ではないらしい。
 大野さんは、面倒くさそうに頭を掻いた後、言った。
「で?」
「……え」
「で、どうなん、それで?」
 いきなり大野さんが切り出した。
「どうって……」
「辞めて、なんかあったんか」
「……」
「そんなん、フツーやん、どこにでもおるフツーのダメ男やん」
 キッパリ言い放たれた言葉に、喜多は非難の目を向ける。
「違います。そんなんじゃないんです」
「そんなもん、辞めたら理由どうこうは関係あらへん。辞めたんやろ? 頑張っとったもん、辞めたんやろ?」
 大野さんの言葉には、何か重たいものを感じた。
 その迫力に押され、喜多は何も言えない。
「……なんも残らんのや。努力言うもんは、諦めたらそこで終いや。積み上げたもんなんて、ちょっとは残るかも知れんけど、そんなもん、たかが知れとる」
 大野さんなおも言った。
「ざまぁみろ。俺が言えるのはそんだけや」
 喜多の目に、悔しさが灯った。
 だが、俺達には反論すらできない。
「……」
 喜多は、1人で立ち上がり、そのまま歩き出した。
「おい……どこ」
「トイレ」
 そう言うと、喜多は駅の方へ歩いて行った。
「言い過ぎたんじゃ……」
 俺は大野さんに訴えてみた。
「さあな」
 その第一声に俺は少し失望した。
「……けど、言い過ぎってことはないかもしれん。俺も同じこと言われたし」
「え?」
 もう、大野さんの目はある種の弱さを見せていた。
「ちょっと昔話に付き合うてくれる?」
「え、あぁ、良いですけど」
 その言葉を聞いて、大野さんは話し出した。
「もう、7年も前になるけど、俺、都会の大学に入ったんや」
 ここまでは浅田から何度も聞いていた。
「もうその頃は野心で目をギラギラさせとったな。なんでも出来る思ってたからな」
「何か夢があったんですか」
 俺がそう聞いた時、屋台に女子高生が何人か物珍しそうに近寄ってきた。
 その女子高生達になんか注文ある?と聞きながら、大野さんは続けた。
「まぁ、弁護士になりたかったんや。その為に一生懸命勉強して、高校じゃトップの成績やった」
 大野さんは一瞬手を止めた。
「で、都会に行ったはええんやけど、見事に落ちぶれてもうて……そん時の話は話すと長くなるから言わんけど、司法試験も落ちっぱなしで……昔のダチは高校時代に何も頑張ってない癖にもう立派に社会人やっとんのに、俺は何をやってるねんって思って……そっからはもうニートやな。もう、なんもやる気になれんかった」
「それから、どうして三代目に?」
「夢破れて、ぼーっとしとった時、たまたま、屋台のたこ焼き屋見つけたんや。で、気付いたら、買っとった」
 女子高生達に出来たばかりのたこ焼きを渡しながら、さらに言った。
「あれは、美味かった。今までで一番やったかもしれん。そんとき、俺はそこの店主と話したんやけど、多分、それがきっかけやな」
「どんな話?」
 横から誰かが問いかけた。
 気付いたら、隣に女子高生が座っていた。
「まぁ、しょーもない話ばっかりやったな……けど、最後に『お前はまだ何もやってないだけ。たこ焼き焼くでもいい、何かやってみれば、もっと違う自分が見えるかもよ』って言っとった。実家がたこ焼き屋やったから、一番身近なんがたこ焼き焼くってことやったから……それでたこ焼きやっみよう、て事になった」
「それで……」
「そう、さっき喜多に言ったような事、親父に言われて、門前払いやな。俺も意地になって、別に親父の所やなくてもええと思って、他の所に弟子入りしたんや」
「弟子入りか……」
「そ、何年くらいやったかな……で、ある時、店長がもう、看板貰ってもええんちゃうか、って言い出したころ、自分は違う看板がほしいって頼み込んで、親父の所に行って、腕前で……まぁ、道場破り見たいな感じやったな、親父から看板譲って貰ったんや……ごめんな、しょーもない昔話に付き合わせてもうて」
「いや、気にしなくても良いですから」
「さよか。まぁ、俺が言いたいことは、説教ごときにくよくよしとらんと、なんか新しい事してみたらどうなん、って事や」
「……それにしても、喜多遅いな……もしかして、もう帰ったとか?」
「いや、鞄置いてるし、それはないやろ。ま、人の事情にやたら首突っ込むもんやない。ちょっと元気付けるだけでええねん。もしへこんどったら、説教なんて、ただの屁理屈やし、聞き流せばええ、とでも言ったれ」
 そういうものなのかな。
 そう思っていると、喜多が帰ってきた。
「よっ、ただいま」
 彼の顔には、曇りらしきものはなかった。
「ほら、食え」
 たこ焼きを差し出す大野さんに一瞬、ためらいを見せた喜多だが、その数分後には、
「やっぱ、美味しいなぁ」
と本当に美味しそうにたこ焼きを食べていた。
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