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吸血鬼ユメちゃん大冒険

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 それは満月の夜だった。雲一片たりとも流れておらず、月の光がまぶしい夜だった。
 町の一角でそれは行われていた。近辺は何かが暴れまわったように激しく損壊している。コンクリートの地面はところどころえぐられ、立っていた街灯も折られて壊れている。
 街灯の明りが消え、月明かりだけにてらされた場で、それは行われていた。
 それは幻想的な光景だった。一つの所業を除けば、神秘的、と言ってもいい。
 月明かりが集結する1点で、二人の男が重なり合っている。
 地面にひれふしている男と、その男に上半身をかぶせて寄りかかっている男。
 ひれ伏している男は金髪碧眼の容姿端麗な男だった。身長も高く、伝承にある吸血鬼のような姿。それは月夜の晩によく合っていた。
 その男だけなら、それは一枚の絵画のようなものだった。
 問題の1点。
 ただただ、絵画を汚す灰色の絵の具のように、それは男に塗りかかっている。
 寄りかかっている男。
 それだけが、見たものにおぞましさを与える光景にしている。

 男は脳をかじっていた。
 
 見開いた青い目の上で、咀嚼される脳。割られた頭には金髪がへばりついており、血の赤と一緒にまじって異様な色をだしていた。
 そしてかぶさる男はただそれを啜る。
 異様、だった。
 それは数分の出来事だった。幸運なことに、それを発見したものは誰もいない。
 満月の月夜。数分の逢瀬。
 
 男は青色の瞳を片手で閉じさせ……そして夜空を見上げた。

 
 某ファーストフード店。典型的ハンバーガーショップの自動ドアが開くと、一人の男が僕を待っていた。
 まず驚いたのは身長。180を優に超えている。日本人離れしている、がまさに日本人ではなく、その外見は外人そのものだった。金髪に青い目。自分が想像する典型的な白人。こうして目の前にすると迫力がある。
 僕が驚いていると、さらにその人は驚くようなことをいった。
「どうも、レヴィンホールといいます。吸血鬼です」
 流暢な日本語に驚くまもなく、内容のインパクトにおされる。
「え?吸血鬼?」
「はい」
 にこやかに笑うレヴィンという人。僕はなんといっていいかわからず動揺しっぱなしだった。
 とりあえず席に着きましょう、というレヴィンさんに押され、僕たちはレジにいって注文をすませる。ちなみに僕はシェイクだけだったのだが、レヴィンさんはハンバーガーをこれでもかというほど頼んでいた。ちなみのちなみにお金は僕が出した。
 2階の奥にある目立たないテーブルまでやってくると、ようやく僕も落ち着いてきて彼に質問ができた。
「吸血鬼ってどういうことですか?」
 何かのジョークである、ということも考えられた。
「……そのままですよ、吸血鬼」
 彼はにかっと笑って口はしにちらりと見える牙を指差した。
 犬歯のようにみえるが、ただとがってるだけではないか、と思ったけど、彼が大真面目に言っているようなので突っ込まずに置いた。
「ほんとに吸血鬼?」
「ほんとです」
「…………」
「どうも疑ってますね」
 初対面の人間に吸血鬼です、といわれたら誰だって疑う。僕だって疑う。疑念が顔にでていたのか、彼はふーっと大げさに両手を開いてやれやれ、というようにジェスチャーをした。
「では証拠を見せましょう」
「え?」
「吸血鬼の証拠、と聞いて何が思い浮かびます? それを行ってみましょう」
 なんでもどうぞ、というレヴィンさんに僕は困惑する。
 まず吸血鬼と聞いて思いつくのはまんま吸血行為だがこんなところでそれをやられても困る。本物かどうかは置いておいて、誰かに噛み付かれると一緒にいる僕が困る。
「……ふむ、思いつかないようなら私があげていきましょう。まずは吸血鬼というからには、吸血」
 悩む僕を見かねてレヴィンさんは右手の人差し指を1というように出していった。
「ちょ、ちょっとまってください、こんなところで噛みつかれても……」
「おーけいおーけい。吸血鬼といえば吸血行為ですが、実をいうと私はそれを禁じられているので見せようにもできません」
 あわてる僕を尻目に彼はへらへら笑って右手の中指を立てて、ふたつめ、と言った。
「超人的な腕力」
 レヴィンは、右手の薬指を一度立てて、もう一度折り曲げる。
「三つ目の変身、といったわかりやすい力もあるんですが、それをここですると目立っちゃいますので、二つ目で我慢しときましょう」
 レヴィンさんはそういい、右手の二つたてた指をとん、とテーブルに置いた。
 そして、
 とん、とん、とん、とん、とん。
 まるで金槌で叩くような小気味のいい音をさせて、人差し指と中指を交互に机に落とす。それをゆっくり横に移動させていく。
 とん、とん、とん、とん、とん。
 合計10回。テーブルの端から端まで右手を移動させたレヴィンさんは再び僕を見据える。
 そんな、どや、とえばるような顔をされてもと僕が思ったとき、それに気づいた。
「な!ええ……」
 レヴィンさんが人差し指と中指で叩いた箇所が綺麗に丸くくりぬかれている。
 とととん、というようにいっせいにテーブルから円柱が10個落ちた。
「な、なにしてんですか!」
「まぁまぁ」
 店の人に怒られると真っ先に発想した頭も、これが人間にできる業ではないということを徐々に理解して血の気が引いていく。
「いわゆるレクリエーションです。わかってもらえました?」
 彼の右手をよくみると、二つの指は爪が異様に伸びていた。それは人間のものには見えない。
 付け爪だ、といわれても、この10個の穴があいたテーブルの説明はつかない。なんらかのトリックを仕組んでいたのかを疑ったりもしたが、それを言うとレヴィンさんは再び10個の穴を開けだしそうな気がする。そんな説得力が彼の笑顔にはあった。
「わかりました。いいです、あなたは吸血鬼です。問題ありません」
 僕はため息をつきながらそれを認め、背もたれによしかかった。実はまだ疑っているが、ポーズだけはとっておく。仮に彼が本物だとしたら凄いことだ。でも、だからこそ、僕とレヴィンさんは会わされたとも考えられる。
 この場をセッティングした彼女の事が頭によぎる。
「さて、私の説明をしたところで君の事を聞きたいんですが」
 レヴィンさんは穴の開いた机に頬杖をついて改めて僕の方をむく。
「ある程度彼女から聞いてますが、名前の方をいいですか?」
「……えっと僕は……」
 そこで店員が階段から上ってくるのが見えた。
「あっ」
 ふとテーブルの穴に気づく。
「ちょっ、どうするんですかその穴」
「ん、ああ」
 レヴィンさんも階段の店員に気づき、今気づいたというようにテーブルの下の机だった10個の円柱を見る。
「ちょっと拾うのを手伝ってくれませんか」
「え、ええ」
 テーブルの下で動き回る二人。シュールだ。
「なんで10個もあけたんですか……」
 穴一個でも十分証拠にはなったはずだ。
「勢いだね」
 勢いで穴をあけられてはどのテーブルも穴だらけだ。
 円柱を拾い終わると、レヴィンさんはその円柱を僕からも受け取り計10個の円柱が机の上に並べられた。
 どうするのだろう、と店員の様子をちらみしながら伺っていると、彼はほっと軽く声をあげながら円柱をすぽっと穴にはめた。
「…………」
 あまりに簡単な始末のつけ方に僕はあきれた表情を出さずにはいられなかった。。
 次々とはめていき、計10個はめおわる。
「ぬけないんですか、それ」
「試していいよ」
 彼は手をあげて穴のあった箇所を見せる。
 驚いたことに一見しただけでは穴が開いていたとはわからなかった。ぎりぎり、丸い跡が見えるかな、という程度。
 僕はそのあとにふれてみる。
 強く押しても全く動く様子がなかった。
「……どうなってるんですかこれ」
「空気が入らないようにはめれば元通りだ」
 それがどういう理屈なのかわからず、しばらく穴のあった箇所を触ってみる。本当に仕掛けがあったのかもしれない。だがそれらしきものは見つけられなかった。
 僕は諦めてレヴィンさんのテーブルから離れる。
 そこで店員が近づいてきてハンバーガーとシェイクをテーブルにおいていく。まさかこの人もテーブルに穴が開いていたとは思わないだろう。そのぐらい一見じゃ解からない出来だった。
 持ってこられたシェイクに口をつけると、ハンバーガーを大きな口で食べだしたレヴィンさんがこちらを見る。
「それだけでいいのかい?」
「ええ、あまり食欲もないので」
「ふむ」
 と、僕のシェイクを飲む手が止まる。ポケットの携帯が震えていることに気づいたからだ。
 この携帯の番号を知っているのは一人なので、自然に相手の想像がつく。
「どうやら来たみたいです」
 レヴィンさんに知らせるのは共通の知り合いだからである。というか、レヴィンさんと会うように仕向けたのがこの携帯の相手だ
 レヴィンさんはハンバーガーを食べる手を止めずに頷いた。
 僕は携帯に出ながら店内の様子を見る。そうすると、彼女が階段を登りながら携帯を耳につけているのが見えた。
 今回の主催の登場だ。
 

 僕たち3人はハンバーガーショップを出て通りを歩き始めた。多少レヴィンさんがハンバーガーを食べるのに時間がかかったが、今目の前を歩いている人物が急いでいるようなのですぐさま店をあとにした。
 今僕たちを先導してずんずん歩き進んでいるのが、小豆野弓。今日僕はこの人に呼ばれ街に出てきた。この人に対して僕は拒否権をもってなく、問答無用で連れ出された。小豆野さんはぱっと見OLと見分けのつかない格好をしている。20代後半らしいが、瑞々しいオーラがあって制服を着ていなければ大学生にも見える。性格も表情も少々きつめだが、それを除けば美人といえる。しかしそれを除いたら小豆野弓には見えないところが悲しいところか。
 そんな彼女の後ろ姿を追っていると隣のレヴィンさんが彼女に声をかけた。
「今回はあれかい?」
 小豆野さんが振り向くと、レヴィンさんがあごでビルに備え付けてあるディスプレイをさした。
 画面で連続猟奇殺人と見出しをうっている。
「ええ」
 小豆野さんはそっけなく頷く。その態度に何の感慨もなさそうにレヴィンさんも軽く頷き歩みを進める。
 僕は再びディスプレイに目を向ける。
『連続猟奇殺人。脳食い』
 たった1週間のうちに5人もの人間が殺される。そしてそれらの殺人にある共通点が頭をかちわられ、脳を取り出されていること。その脳になんらかの損傷があり、まるで『食べられている』ようなあとがあることから、この殺人事件のことを世間は脳食いと呼んでいた。
 画面で取りあつかわれている遺体の写真にはモザイクがかけられていて、その脳が食べられた様子がわかることはない。
 僕の脳裏に先ほど見た映像がフラッシュバックして胃の中のシェイクを戻しそうになった。
「なにしてるの、早くついてきて」
「……はい」
 小豆野さんにせっつかれ、僕も歩き出す。先ほど見た画像。そのモザイクをとりはずされたバージョンが彼女の持っているカバンの中にある。それを5枚。5人分。脳が食われている写真をさっき見せられたばかりであった。
 テーブルにつくなり彼女は写真をカバンから取り出して机に広げた。シェイクを飲んでいる僕はまだましな方で、レヴィンさんなんてハンバーガーを食べてるときに出すんだから、小豆野さんの常識も大概だった
 無造作にその5枚を広げた後、小豆野さんはこの事件を捜査するために貴方たち二人を呼んだと告げ、今から現場検証へいくと僕らを連れ出した。
 そうして僕たちは5つの殺人現場を回るため歩いているのだった。隣のレヴィンさんは文句一ついわずについていってる。先ほどのやり取りから考えると、慣れていると見て間違いないのだろう。
 これが彼女と、吸血鬼レヴィンの仕事なんだ。
 そうして僕は五つの殺人現場を歩きながら、その事件の詳細を小豆野さんから説明された。昼に出発し、全て回り終えたら夕方になっていた。それだけ長時間歩いて見回った結果わかったことが、資料に書いてある程度のことだからまさに無駄足といっていい。
 小豆野さんはレヴィンさんの吸血鬼としての能力に何かしら期待していたようだが、何もわからないとしるやすぐさま諦めて次の現場にいく、ということを繰り返した。終始話をするのはレヴィンさんと小豆野さんであり、僕が話を挟むことは期待されていないようである。計5回現場の白い線と赤黒い血の跡を見るだけで僕は現場をあとにした。その際に、小豆野さんとレヴィンさんの間の妙な雰囲気を感じたが、二人の話から察するに古い仕事仲間という感じなので何か訳があるのかもしれない。
 道中話された事件の概要は基本的にニュースで見たことをなぞるばかりで目新しい情報はなかった。しかし一応まとめてみる。
 被害者は5人。
 男3人に女2人。上は43歳下は15歳。職業は医師、大学教員、IT関連社員、高校の野球部エース、警官と見事にバラバラ。事件がおきた場所にも特に統一性はなく、道すがら適当に見かけたから襲った、というような道路での犯行がすべて。これらのことからおそらく無差別殺人事件である。
 僕がそこまでメモ張にまとめていると小豆野さんにそれを覗かれた。
「そんなこと書いてどうするの?」
 なぜか呆れたようにいわれる。
「どうって、僕たちこの犯人をつかまえるんじゃないんですか?」
「そうね、確かにそれがお仕事」
 彼女は僕のメモ帳を取り上げてぱんぱんと、被害者一覧を叩いた。
「でもこういうことは警察がやるわ。こういう『人間』が犯人と仮定して調べるべきことはね」
「…………」
「あなたたちに頼みたいことはもっと別のことよ」 
 こんなことはどこかの探偵にでも頼んどきなさい、と彼女は言ってメモ帳を僕のポケットにねじこんだ。
 僕が複雑そうな顔をしているとレヴィンさんが楽しそうに僕の肩を叩く。
「落ち込まない落ち込まない、向き不向きがあるといってるんだよユミは。君と私には君と私なりのやり方がある」
「そうよ、これが『人外』の事件であるときがあなたたちの出番」
 彼女はカバンから写真を取り出した。例の頭が割られ脳がはみでている写真。
 それを指で指す。
「この事件。世間では脳食いといわれているらしいわね。これは人外の仕業であると判断されたわ」
 小豆野さんは僕をじっと見つめそういった。わかってはいたが、これがそういうことであると突きつけられ、僕は衝撃をうけた。だからこそ吸血鬼であるレヴィンさんを呼んだということなんだろうけど。
「脳食い、ね。しかし長きを生きる吸血鬼もそんな生物はとんとして聞いたことがないね」
 レヴィンさんはその写真を見ながら言う。
「それでも人外の犯行と判断するからには、何かしらの根拠があるんだろうね」
 小豆野さんは頷く。
「あなたが知らないのも無理はないわ。たとえ1000年を生きて様々な化物と交友があろうと、新しく生まれた生き物なら知っているはずもない」
「あたらしく……」
 レヴィンさんはあごに手を当て、何かを思案するようにつぶやいた。
「脳食いは新しく確認された生物よ。こちらのほうでも存在はすでに確認されている。だからこそ、この犯行が脳食いの仕業である、と断言できた」
「なるほどね……それで、かな? 私を呼んだのは」
 レヴィンさんの青い瞳が睨むように挑発的に小豆野さんに向けられる。その瞳の鋭さに僕は生物的な恐怖を感じた。まるで蛇に睨まれた蛙のように。和やかな彼の仕草に忘れていたが、彼は吸血鬼。人間を食すものだ。
 その彼の眼光を小豆野さんは真っ向から受け止める。
「そうね、人間では対処しづらいので、あなたに任せるわ。……あなたも」
 今度はレヴィンさんの隣にいた僕に小豆野さんは顔を向ける。
「彼から学ぶことは多いでしょうし、彼についていなさい。……上司命令よ」彼女はちらりとレヴィンさんのほうをみて言う。「先輩に色々教えてもらいなさい、人外がどういうものかってことを」
 僕は頷くしかなかった。何か言ってやりたい、という気持ちが底のほうから生まれたが、それは表にでることはなかった。彼女の言うとおり、僕は従うしかない。
「おねがいします、レヴィンさん」
 僕はレヴィンさんに向き直り、頭を深くさげた。必要以上に深く下げた頭は、彼の目をみたくないという恐怖心からでもあった。
「おーけい、任されましょう。君のことも、事件のこともどちらも」
 ぽん、と僕の頭に手がおかれる。レヴィンさんの手だった。身長に見合わず彼の手は繊細だった。
「ほら、頭をあげて。ユミ、脳食いがどんな生き物かしりたいのですが情報はありますか」
「ええ、もちろんあるわ」
 小豆野さんはカバンを掲げてから、カバンごとレヴィンさんに押し付ける。
「生態から何から何まで、実際のところもう犯行の手口は微に入り細に入り解かっているのよ。ただその特徴が厄介でね。人間には手におえない生き物なのよ」
「なるほど、問題は出現場所と捕獲方法、というわけですか」
「あるいは、殺害方法、ね」
「…………おーけい。では受け取りました。ここからは私のやり方でやらせてもらいましょう」
 先ほどから、レヴィンさんの手は僕の頭にのせられたままだった。その乗せられた手に時計があるようで、彼はその体勢のまま右手を覗いた。頭をあげようにも上げれない。
「……もう6時ですか。私はちょっと寄るところがあるのですが……ユミはどうします?」
 そういわれた途端、小豆野さんは猛烈に顔をしかめた。普段のイメージと180度違う表情だ。きりっとした顔から年齢相応の感情がにじみ出ている。
「……私はいいわ。ええ、このまま社に戻るから」
 彼女の珍しい表情を見ていると彼女と目が合った。
「あなたも……しっかりね」
 ぼんやりとした言い方だったので何と答えればいいか迷っているうちに、彼女はくるりときびすを返してすたすたと歩いていった。戻ると決めたら振り返らないのが彼女らしかった。
「……では、いきましょうか」
 レヴィンさんが僕の頭に載せていた右手を僕の方に移動させて歩き出した。僕の身長は160半ばあたりなので、180を越えるレヴィンさんに肩を抱かれるとまるで子供扱いだ。
「ど、どこいくんですか」
 恥ずかしさに顔をしかめながら聞くと、レヴィンさんは笑うばかりで何もいってくれない。目的地につくまでの15分間、僕は羞恥に耐え続けた。
2, 1

  

 
 ついた場所は小学校だった。
「…………」
 吸血鬼の用事がある場所としては縁がなさそうベスト10にも入りそうなところだ。
 レヴィンさんは校門が見える箇所までくるとようやく僕の肩を開放する。そして通行の邪魔にならない箇所で壁にもたれかけカバンの資料を取り出した。
 何の説明もなし。
「あの、なんでここにきたんですか」
「ん……」
 僕が尋ねても彼は資料から目を離さず生返事しかしてくれない。
 しょうがないので僕も壁に体重を預けて休むことにする。半日歩きっぱなしだったので地味に足が痛い。車もタクシーも使わない小豆野さんとレヴィンさんに付き合ったせいだ。せめて自転車などを使えばいいのにと考えてみるも、どちらにも死ぬほど似合わなかった。小豆野さんはぎりぎりセーフだが、レヴィンさんにいたっては吸血鬼がサイクリングだ。せめてロードバイクなら救いがあるか。
「君は脳食いについてどうおもう?」
 僕がよく駅前などで見かけるロードバイクにのった外人の姿をレヴィンさんに当てはめていると、ちょうどレヴィンさんから声をかけられた。急な質問に心臓が飛び上がった。
「……え?」
 急な質問に頭が回転せずまぬけな返事をしてしまう。
「脳食いだよ。どう思う?」
「……ひどいな、としか」
 頭の中では昼間みた写真がぐるぐるとまわっていた。今レヴィンさんが見ている資料の中にそれはあるはずだ。
「ふむ。ひどい、か」
 ぱら、ぱら、とレヴィンさんは資料を捲る。
「確かにひどい、が、……私は少し羨ましいね」
「……え?」
 最後の一言が何を意図しているのかわからず、聞き返した。
「この脳食いというのは新しい生物だったか。吸血鬼に合うのも私が初めてなんだから驚いただろうね」
「いえ、まぁ……小豆野さんからぼんやりとは聞いていたので」
 実物を目にするとさすがに驚いたけど。
「……君に色々教えろというユミの言葉に従って一つレクチャーしとこうか。この世界の人外の存在について。これはこの仕事にも深く関わることなんでね。……君はどれぐらい知っているかな?」
「え……っと。そう言われてもレヴィンさんに合ったのが始めてぐらいなんで…ちょっとよくわかりません」
「では、大雑把に説明しようか。吸血鬼、魔女、狼男、そのほか様々な魔性。伝承に伝わる生き物。それら全て、実際にあると思って構わない」
「…………は?」
 あまりの言い方に僕の喉から言葉がでない。吸血鬼、魔女、狼男、そのほかもろもろ、全部実際に存在する?
 そんなばかな。ありえない。そんなことがあるわけが……。僕は目の前に吸血鬼、という存在がいることに気づく。
 いやしかし、吸血鬼がいるからその他まとめて存在するなんて乱暴な帰納論は……。
 黙りこくった僕の反応を見ながらレヴィンさんはにやつく。
「そう驚かないでくれ。そして僕たちの仕事というのはその人外という生き物に大きく携わったことだ」
「な………」
 そんな生き物たちを相手に仕事する?
 僕が?
「そんなの、できるわけが……」
 存在さえ未だ信じれないのに。未だレヴィンさんが吸血鬼だということすら実は疑ってるのに。そんな仕事できるわけが。
「そう慌てなくていい。例えば魔女たちと戦争を繰り広げる、なんてことやるわけじゃない。はたまた、妖怪大戦争でも繰り広げようかというわけでもない。そんなことはね、もうすでに終わっているんだ。僕たちの仕事はただの後片付けさ」
「おわってる? 終わってるって何がですか」
「文字通り。人間と、吸血鬼とか魔女とか狼男とか、そのほかもろもろの生き物の戦いさ。それら全て人間の勝利で終わってる。見てごらんよこの世界を」
 レヴィンさんは腕を広げる。目の前の小学校、通りのスーパー、通学路をいく小学生。順々に見ていく。
「これらのどこに人外の住む余地がある? これが結果だよ。人間がこの世界を支配してる」
「…………」
「君は知っておくべきだね。人間という生き物の強さを。あらゆる生物を駆逐してきたシステムの優を。魔女だって、狼男だって、竜だって、超能力者だって、なんだって」
 レヴィンさんは自分の口の端に指をつっこんで、ぐいっと頬をあげた。
「吸血鬼だって」
 昼間ハンバーガーショップで見た犬歯。吸血鬼の牙。その牙の根元に丸い円にかこまれた英数字が刻んである。VP-32。
 僕はそれが何を意味するのか数秒考えて気づいた。
 夕日の赤にそまった数字。
「すでにあらゆる生物が負けたあとさ。だからこそ、私たちに回ってくる事件なんて限られている」
 レヴィンさんは引っ張っていた指を取り外し、片方の手にもっていた資料を叩く。
「このような、新しい人間の敵、のような限られたものだ」
 そしてその資料をまぶしいものでも見るように彼は見た。
「負けてしまったものからすれば、人間に喧嘩を売れる、とういのは少々羨ましいものだがね」
「…………」
 何もいえない。
 話の内容がぐちゃぐちゃと回り続ける。人間と人外について。
 無言の時間が少々続いた後、レヴィンさんは僕に資料をいれたカバンを押し付けた。
「私はもう全て読んだから、君も目を通しておいたらいい」
 先ほどまでのレヴィンさんの話が濃すぎたせいか、頭が働かず僕は生返事をしてそれをうけとった。すぐに中身を読んだ方がいいのかもしれないが、それをする気力は起こらなかった。
 そうやって自分の手元のカバンを見ていると、校門から一人の少女がでてくるのに気づく。
 小学校2年生か3年生ぐらいの女の子。それが走ってこちらに近づいてくる。赤いランドセルを背負っていて走るごとにどたどたやっている。非常にほほえましいのだが今はそんなことを考えている場合ではない。
 今思えば不審すぎる二人組みだ。特にレヴィンさんなんて外人だ。
 どうすりゃいいか考えている間に少女はてってく走ってくる。ちらりとレヴィンさんのほうに視線をやれば、ニコニコしながら落ち着いている。
 そうしているうちに少女は二人の前まできて、そのままの勢いでレヴィンさんに抱きついた。
「ぱぱ!」
 え?
「おかえり」
「ただいま!」
 ぽかんと口をあけてレヴィンさんを見る僕。
「娘だ」
 は?

 レヴィンさんの娘、ユメ・ホールと合流した後、僕はレヴィンさんの家にお邪魔することになった。
 スーパーで夕食の材料を買い込んだ後、まるで家族のように僕たちは夕日に染まる街中を歩く。レヴィンさんの娘、ユメ・ホールは父親に全く外見が似ていなかった。黒い髪に黒い瞳、身体も日本人小学生の幅を超えず何一つレヴィンさんと似ている箇所はない。似ている部分といえば親子そろって美形といったところか。レヴィンさんと種類が違う美形だが、ユメちゃんがかわいらしいことに違いはなかった。 
 聞きたいことがいくつかあったが、それを喉の奥に押し込めて楽しそうな二人の親子についていく。
 手をつないで歩く二人は、レヴィンさんが吸血鬼であるということを忘れ去らせるに値する何かをもっていた。
 ちなみにユメちゃんは人見知りしないほうらしく、僕のことも邪険に扱ったりはしなかった。急に家族の食卓に邪魔するというのにできた子だった。
 レヴィンさんが振舞う夕飯は、物凄い典型的な日本料理であり、味付けも日本的だった。何がでるのかと不安だったのもあって思わず突っ込むと、これまた日本らしく郷ににいっては郷に従うということわざが帰ってくる。あんたほんとにヴァンパイアか。
 お腹いっぱいになったあとは、ユメちゃんの宿題に付き合うことになった。二部屋のアパートなので、客人である僕が居間にいると必然的にそうなった。
 最初は恐縮していたのだが、娘を前にしたレヴィンさんの親ばかっぷりとユメちゃんのあどけなさに感化され、次第に僕も楽しくなっていた。
 そうやって過ごす間に飛ぶように時間がすぎ、風呂に入り、レヴィンさんの大きいパジャマを借りて布団に入るころにはすっかり夜だった。
 そして。
 はしゃぐ二人を間近に見ていた僕だからわかる。
 レヴィン・ホールとユメ・ホール。二人はまさしく親子だった。

 浅い眠りに落ちていた僕は体が揺すられた振動で目を覚ました。
 体を揺すっていたのはレヴィンさん。目を開けると同時に彼の顔が飛び込んでくる。口を開こうとすると彼の大きな手に塞がれる。彼は僕の口を塞いでいないほうの手を使って、口の手前で指をいっぽんたてて静かにという仕草をした。
 彼の視線を追うと、ユメちゃんが布団ですやすやと寝ている。そうだ、このアパートには寝室が一つしかなく、僕も同じ部屋で寝ていたのだった。
 僕は了解したというように頷いてみせる。レヴィンさんも頷いて扉のほうを指差す。
 事前に聞いていたわけではないが、これから何をするのかわかった。
 僕とレヴィンさんは音を立てないように居間を抜け、外にでた。
 思わず空を見上げると、雲ひとつなく月がやけに目立っていた。
「満月の一日前、といったところかな」
「なんていうんでしたっけ、それって」
「日本語では小望月、十四日月。日本語には細かい呼び方があって面白いね」
「詳しいですね」
「これでも夜を生きる吸血鬼でね。私たちは特に月の影響を受けるので詳しくもなるさ」
「へぇ」
「ではいこうか」
 どこに、とは聞かなかった。僕がここに何をしに来ているのか考えれば当然思い当たる。
 脳食いが今まで起こした事件の犯行時刻はいずれも深夜。
「あてはあるんですか? 犯行現場に法則性はないっていってましたけど」
「正直ないよ。しかし今は夜だ。この時間の私なら探ろうと思えばいくらでもやり方はあるさ」
 そういうもんなのか、と納得するほかない。なにせ夜の覇王とでもいうべき吸血鬼の意見だ。レヴィンさんについていくほかない。
 すたすたと歩くレヴィンさんは黒いタキシードのような服を着ていてまさに吸血鬼というなりである。聞いてみるといわゆる勝負服(対決的な意味で)らしく、これだけは譲れないと言っていた。その姿は夜に解けて消えてしまいそうで一目話せば見失ってしまいそうだ。というか単純に見づらい。
 アパートをでてから十数分、当てもなく(少なくとも僕から見たら)僕たちは歩いていた。
 最初の5分くらいは、5人を殺した連続殺人犯と対峙するという緊張感があったが、歩いているうちにその気持ちも霧散していく。風が気持ちよく散歩にはうってつけの夜だったせいかもしれない。先導するレヴィンさんの顔にも緊張感は見られず、つられるように僕も気楽な散歩を続けていた。
 会話もぽつぽつと続けられた。静かな夜を尊ぶようにお互い小さな声だったが、辺りが静かなせいもあり聞きづらいということはなかった。
「渡した資料は見たのかい?」
「いえ、まだです。そんな暇ありませんでしたよ」
 夕飯から就寝まで暇という暇はないし、ユメちゃんがいるまえであんなCERO30はいきそうなぐろい写真を広げるわけにもいかない。
「そうか、では明日あたり目を通しておくといい」
「今夜のうちに終わらせればその必要もなさそうですが」
「ふむ、だが私の勘によると今日は会いそうもないな」
 飄々と彼は言う。勘という言葉を使ってるが、彼の表情には確信がありそうに見えた。
「どうして? 僕たち脳食いに合うために歩いてるんでしょう?」
「会おうと思っていても会えない。そんな日もある」
 そういうものだろうか。僕には解からない。なんせ経験がない。
 しかし会えないならば、こうして現在進行形の夜歩きも無駄なのではないだろうか。
 歩き始めて30分。駅前など少しは人通りのある場所や、電気がついてる場所を見回り、僕たちは全く人気のない公園についた。昼間もここを通った、事件が起こった箇所の近くでもある。
「ちょっと休もうか」
 そういってレヴィンさんは公園の自販機にコインをいれた。
 僕も何か暖かいものが飲みたかった。今夜はよく冷える。夏から秋へという時期を考えれば、例外的な冷え込みだ。雲ひとつないせいか、すでに放射冷却が始まっているのだろうか。
「なんだかんだいって夜に出歩く人は少ないですね。事件の影響かな」
 人をあまり見かけないというのも、視覚的に寒い光景だ。
 レヴィンさんが緑茶を購入すると、僕もコーンポタージュを買う。しかしほんとに吸血鬼なのだろうかこの人は……。
「1週間で5件だ。人間が危機感をもってもしょうがないさ」
 あち、あちち、といいながら緑茶をすすりながらレヴィンさんはいった。
「人間、か……」
 僕はコーンポタージュを飲みながら手近なベンチへと座った。暖かい飲み物が喉を通っていくのを感覚しながら、息を吐く。吐いた息は白く水蒸気になって、夜へととけていった。
「……一つ聞きたいことがあるんですけど」
「……なんだい」
「…………吸血鬼って子供作れるんですか?」
 ずっと考えていたことを白い息とともに吐き出した。聞かない方がいいと、理性ではブレーキをかけていた。
 レヴィンさんは一拍置いてから、首を横にふった。
「いや、作れない。吸血鬼という生物に生殖方法はない」
「…………」
 僕は聞いたことを後悔した。
「吸血鬼が同属を増やす場合、吸血行為でしか増やせない。そういう生き物だ」
「じゃあ……」
 僕はベンチにこしかけたまま俯く。
 では、ユメ・ホールという子は何なのだろう。あの子も吸血鬼だろうか。しかし一緒にいた限りそうは見えない。彼女は人間だろう。おそらく間違いない。
「じゃあ、ユメちゃんは……」
「あの子は人間だ。しかし、ただの人間というわけでもない」
 何時の間にか、レヴィンさんもベンチに腰掛けていた。僕の隣から声が聞こえる。瞳だけで隣を伺うと、空になった緑茶をもっている彼の手が見えた。
「吸血鬼になるために生まれた人間だ」
「……え?」
「小豆野弓の役職を覚えているかな?」
「あ、え……っと、管理官、でしたっけ?」
 唐突な質問にあせって質問で返してしまう。
「そう、管理官。では何を管理してるのかな?」
 管理官というもの。それは僕が身をもって知っていることだった。
「そうだよ、人外の生物を管理してるのさ。ユメはそんな管理官から渡された、吸血鬼になるための子だ」
「そんな……」
「吸血鬼は人間にその吸血行為を禁じられている。その誓いが牙につけられたあのしるしだ。現存するほとんどの吸血鬼があのしるしで管理されている。しかし、先にも言ったとおり、吸血鬼は血を吸うことでしか同胞を増やせない。
 そんな吸血鬼に対する、……「情状酌量の余地」があの子だ。
 むやみやたらと吸血され吸血鬼を増やされるのは当然困るが、吸血鬼に絶滅されてもそれはそれで後味が悪い。だから……吸血鬼になるための人間を提供する、というわけだ。
 しかもそれは、まっさらな人間でないといけない。既存の人間には当然コミュニティに属しており人権もある。吸血鬼なんかに渡すことはできない。だからこそ、無垢な赤ん坊を渡す。何にも属してない、これからどうなろうと人間には関係ない赤ん坊を。
 勝手に育てて吸血鬼にしてくれ、ってね」
 血の気が引いてくのを感じる。どんな顔をすればいいかわからなかった。
「現在、子供をもらってる吸血鬼は私を含めて数人しかいないみたいだ。吸血鬼ってのはプライドが高いからね。そうだね……、気持ちとしてはおもちゃをもらってそれで我慢しなさい、といわれる子供のような気分なのかな」
「そんな……でもユメちゃんは……」
 あなたにとってのユメちゃんは違うだろう、といいたかった。僕から見た彼らは間違いなく親子だったから。でもその言葉さえも、口に出せばて否定されそうなきがして、僕はいえない。
 そんな僕を察したのか、レヴィンさんはふっとわらった。
「私にとってユメはれっきとした娘だよ。可愛い可愛い愛娘だ」
 
 口端が伸びて、牙が見える。依然彼は笑顔のまま。
 
「しかし、吸血鬼が人間に管理されているという動かしようのない印でもある。
 時々自分でもおかしくなるよ。あの子と一緒にいて身のうちにある父性を感じれば感じるほど、自分が人間じゃないのかと錯覚してしまうんだ。おかしな話だ。私はすでに人間をやめた吸血鬼だというのに」
 ぱきぱきぱき、と彼の手から音がする。
 緑茶の空き缶が一点に圧縮された音だった。スチール缶であったそれは、ものすごい力をかけられて1cmほどの球体になっている。
 レヴィンさんはそれをゴミ箱へと放り投げた。

 
 その夜はそれで終わりだった。その後レヴィンさんが帰るかと言い出す数十分後まで僕たちはベンチに座り続けた。
 もちろん脳食いに会うわけもなかった。
 冷たい空気に触れながらの数十分間、僕はずっと考え続けた。
 彼の話を聞いてから、自分の仕事がどういうものなのか深く悩んだ。まるでレヴィンさんに叱られたような気持ちになっていた。僕は流されるまま今こうしてこのベンチに座っている。
 本当はその前に何か選ぶことがあったんじゃなかろうか? 
 戦わなきゃいけないんではないだろうか? 
 まるで大きな鉛を呑んだような気分でアパートまでの道を歩いた。布団につくとき思わずユメちゃんの顔を見てしまう。彼女は出かけるときと変わらずすやすやと寝ていた。
 僕は布団に入ってじっと考えた。
 今の自分はなんなのか。
 管理官と人外のこと。

 起きると時計の短針はすでに10を回っていた。
 ユメちゃんやレヴィンさんの姿はなく、居間にでてみると朝ごはんと書置きがおいてあった。ユメちゃんは当然小学校だろうが、レヴィンさんは?と疑問に思っていたのが、書置きを読むと氷解した。
 どうやらあの人は普通にサラリーマンをやっているらしい。今回のようなことは副職みたいな位置、あるいは義務、なのだろうか。それにしてもサラリーマンますます吸血鬼らし(ry
 この手紙の表現を使うならねぼすけである僕は、申し訳なさを感じながらもしっかりと朝ごはんを平らげて出かける準備をした。
 このアパートは居心地の悪い空間ではないが客人が一人でいるのもどうかと思う。僕は資料の入ってるカバンを引っつかんで外に繰り出した。
4, 3

  


 被験体A。

 身体的特徴、なし。外見は人間と変わらず区別つかず。血液検査、DNA鑑定などの細胞単位の検査からも人間との差異はなし。遺伝子情報に誤差はあれど通常の人間にもありえることなので判断つかず。体内もレントゲンなどでは差異みられず、要解剖。食事、排泄、代謝の様子から体機能も人間と同レベルであると見られる。
 知的レベル、男子高校生の標準と同等。言語理解は可能。人間とのコミュニケーションも確認。しかし第二次検査における変化を確認、後述。
 学習能力、男子高校生の標準と同等。一般高校生と同等の教育を施す。理解を確認。これも変化を確認、後述。
 運動能力、男子高校生の標準と同等。体力測定における人間との差異も誤差レベル。標準よりも高い数値をマークするが人間外には越えず。同じく後述。
 
 脳食について。
 これが被験体Aを検査する最大の要因である。
 数回の検査によって被験体Aは脳を食べることによって特殊な事象を起こすことを確認された。
 脳を食べたことによって被験体Aの知的レベルが上昇したのである。知識、経験ともに増加を確認。IQも上昇を確認。
 いくどの検査により、被験体Aが脳を食べたことで脳の持ち主の記憶を得たという仮説ができる。
 脳の持ち主、仮にBとする。Bの生前の知り合いとの会話テストから、被験体AがBと誤認されることを確認。被験体AがB自身でしか知りえぬことを知っていたことから生前の知り合いが誤認したとみられる。このことから、脳を食べることによって記憶を取り出したと見られる。
 更に、被験体Aの能力に変化がみられる。知りえなかったコンピュータの知識や操作をできるようになる。運動能力の若干の上昇も確認。おそらく、脳を食べることで体験や経験を得ることもでき、それらを得ることで総合能力の上昇を経たのではないかと考えれる。

 脳を食べることで記憶を得ることの論理的説明はできず、原因も調査中である。
 いくどかの実験を経て、被験体Aを人間外と判断。
 以下、被験体Aを新生物として認可。名称は現在懸案中である。

 そこで気分が悪くなって資料を机においた。個室をでてトイレに駆け込み、胃の中のものを吐き出した。未消化のものが吐き出されるが、まだ腹の中に異物があるようなきがして吐き気がとまらない。何度か強引に吐き出そうとしてみるものの、でるのは胃液ばかりで気持ち悪さがとれない。
 そのままトイレにこもっていると、異常を感じた店員さんが入ってきた。気分が悪いと伝えると、心配そうに救急車を呼ぶかといってくれたが遠慮しておいた。救急車を呼ばれるほど今の僕は体調が悪そうなのだろうか。
 もう大丈夫だと伝えトイレをでると、何かあったらお申し付けください、と店員さんはいってくれた。漫画喫茶の店員というのはもうちょっといい加減な人間だと思っていたけど認識を改めなくてはいけない。
 多少が足がふらつくものの、僕は自分が借りた個室に戻った。
 どこか落ち着ける場所をと考えて、思いついた場所が漫画喫茶だった。入ってみると全く落ち着かなくて失敗したと思ったけど、いい店員さんがいるし結果的にはよかったのかもしれない。あのまま誰もトイレにこなかったら、たぶん僕は気絶するまで吐き続けていた気がする。
 借りた部屋は和室でパソコン付き。縦長の2畳ほどの部屋だった。テーブルの前の座椅子に座って一息つくとずいぶん気持ちが落ち着いてきた。しばらく上をむいて呼吸を整えていると、先ほどの店員さんがよかったらどうぞとドリンクバーをごちそうしてくれた。ありがたく頂戴して、体調もずっとよくなった。逆にお腹がすいてきたぐらいで、ちょっと現金すぎるなと自分で苦笑した。
 そして、再び僕は資料を手に取る。
 気分が悪いからとこのままにはしておけない。自分に必要な情報がここに記載されている。
 先ほど見たページを再び捲る。被験体Aとかかれたページには写真と詳細の文章が載せられていた。
 また胃に黒い渦がたまりだすが、今度は我慢した。ページを捲っていく。今必要なのはここじゃない、もっと先のことだった。

 脳食いは、脳を食べることで記憶をえることができる。

 知りたいのはもっと先のことだった。
 なぜ、小豆野さんが脳食いは人の手に負えないと判断したか? 
 先ほど資料を読んでいくうちにわかった。
 4人目、5人目と連続で殺された事件。野球部の高校生が殺されたところを発見した二人組みの警官。頭を割り脳をすする人を見た二人の警官は連続殺人鬼脳食いであると判断し拳銃を取り出し威嚇。脳食いは食事を邪魔されたとばかりに二人の警官に襲い掛かる。当然警官らは発砲するが、なんと銃弾をよけ、更にははじきとばしたという。そうして接触を許した二人組みの片方が捕まり、もう片方は必死に逃亡。なんとか逃げおおせ、翌朝確保された二人組みの生き残りは、がたがた震えながら半ば茫然自失のまま今回起こったことを話したという。
 銃弾をよける、はじきとばす、と聞くとただの冗談か、錯乱した警官の見間違いだったのではと警察も判断したようだが、翌日見間違いではないとわかる。事件の起こった箇所には防犯カメラが設置されており映像としてその証拠は残っていたのだ。そこには確かに銃弾をよけ、はじきとばす怪物の姿があった。さっきパソコンで僕も見てみた。暗くて判断しづらいが、確かにありえない動きをしている。普通にみたら特撮だと思ってしまうだろう。これが現実の光景だとは到底思えない。
 この映像と景観の話には報道規制が引かれ世間には公開されていない。
 以降、警察は連続殺人鬼脳食いを人外と判断し、小豆野さんにお鉢が回ってきたというわけである。
 この脳食いが人外の力を持っているのは映像でわかる。
 しかし、脳を食べて記憶を得るだけの力であるはずなのに、なぜこの脳食いはこんな人並み外れた力を行使できるのだろう。僕の知らない何かがあるのだろうか。
 それがわかれば……と資料を読んでいると一つ興味深いページにたどり着いた。
 それは管理官の脳食いへの考察だった。……さきほど被験体Aという項目を書いた人物が書いたらしい。
 
 脳食い(仮称)への考察
 脳食いと被験体Aが同じ生物であることは特性を見る限り明らかだが、なぜ被験体Aにはない力が脳食いには存在するのか。それはおそらく、食している脳の部位の差ではないだろうか。被験体Aは好んで側頭葉などの記憶につかさどる部位を食べていたが、脳食いが殺した遺体の損壊部位を見てみると頭頂葉、後頭葉、小脳など様々な運動につかさどる部位が失われている。つまり食す部位によって反映される能力がかわるということである。
 おそらく脳食いは運動につかさどる部分を食していき、脳にある体の情報を書き換えたのだろう。書き換えられた体の情報に従い、身体は再構成され脳食いが人外の力を得たと推察される。
 おそらくこの生物の本来の機能とは、他の脳を食べることで、その肉体の情報を得て自らの肉体をより強固にすることなのだろう。生物が進化という過程をえてやってきたことを一代でやってしまう恐ろしい生き物だ。
 
 あらかた読み終え、僕は資料を置いた。しばらく机に寝そべって見たり、ドリンクバーをお代わりしにいったり(ご好意でもらったものをお代わりするずうずうしさ)して時間をつぶしていた後、ふと思いつき吸血鬼のことを調べることにした。といっても漫画喫茶なので漫画しかない。ずいぶん偏った知識になりそうだが、もしかしたらこの漫画にも事実が多く含まれてるかもしれない。昨日レヴィンさんがいっていたではないか。想像上の生物は全て存在する、というようなことを。
 店員さんに吸血鬼が出る漫画を聞いてみるとHELLSINGとジョジョを薦められた。
 ジョジョ全巻を読み終わり、店員と何部が一番いいか話し合っているころには5時をすぎていた。あまりに時間が飛びすぎていた。後半吸血鬼関係なかったが面白かったので読んでよかったことにする。
 何時ごろアパートに戻っていろとは置手紙には書いてなかったがそろそろ戻った方がいい気がする。店員に別れを告げ、漫画喫茶を出た。
 

 アパートに戻る最中、ふと思いつき小学校によってみることにした。
 思いつきの行動だったので道を覚えているわけじゃなく、かなり迷った。しかし歩いているうちに覚えのある道があり、辿っていくうちに小学校にたどり着く。 
 不審者に見られないよう人通りのない箇所から学校のほうを眺めると、ユメちゃんが校庭で遊んでいるのが見えた。友達と鉄棒にぶらさがって元気に笑っている。その笑顔は昨晩一緒に過ごしたときと変わりないものだ。
 どうやら友達と遊んでいるらしく、僕のことに気づく様子はない。
 僕はユメちゃんを見ながら昨日のレヴィンさんの会話を思い出していた。
 
『吸血鬼になるために生まれた人間だ』
 
 そうだろうか?
 僕にはそう見えない。見る限り彼女は普通の人間と変わりない。何の違いもない。
 彼女は吸血鬼になるために生まれたと言っていた。
 吸血鬼に渡す人間はまっさらでなくてはならない。
 誰からも必要とされてない、人間社会には関係ない人間でなければいけない。
 昨日の彼の言葉を思い出す。
 おそらく生みの親はいただろう。だがその親でさえ、自分の子として生んだのではなく、吸血鬼に謙譲するために生んだのだ。人間ながらに人間というコミュニティから関係性を全て絶たれ、吸血鬼に預けられた天涯孤独の身。
 僕は赤ん坊のユメちゃんがレヴィンさんに渡されたところを想像した。
 どういう気持ちで彼が、後継者としての赤ん坊を受け取ったか。
 どういう気持ちで彼が、ユメちゃんを育てたか。
 吸血鬼は子供を生めない。子供も育てたことがないだろう。
 そんなレヴィンさんがユメちゃんをここまで大きく育てた。
 彼がどういう気持ちでユメちゃんを育てたか。その当時の気持ちはわからないが、一つ結果としてそこにある。
 ユメちゃんは元気に笑っていた。
 あれが全てではないか。
 あれでレヴィンさんの気持ちというのがすべてわかる。
 どういう経緯であろうとユメちゃんは笑ってる。
 僕は一つ心の中で整理をつけた。
 そして自分の中でも一つ決めたことがあった。レヴィンさんの昨晩の話。今日何度も何度も頭の中で繰り返した。
 彼の言葉には僕に向けたメッセージがあった。
 君はどうするんだ?と。
 僕は答えなくてはいけない。アパートに向かって歩き出す。

 
 行きを散々迷ったせいでこの街の地理についてはそれなりに詳しくなっていた。アパートへ一直線に帰って扉をあけるとそこにはレヴィンさんがいた。
「うわ」
 何かパックのようなものを、ビールを飲む中年親父のような体勢でのんでいる。びっくりした。
「うわ、ってなんだい。うわって。君、自分の家のように堂々と扉あけておいて」
「いえ、すみません。びっくりしたのでつい……なんですか、それ」
 僕は彼のもっているパックを指差していった。実はにおいでなんとなくわかっていたが一応聞いた。
「ああ、血だよ。輸血パック」
「いいんですか、吸血行為は禁止されてるっていってましたが」
「吸血はね。これは飲血とでもいうべきかね。吸血鬼が血飲まないでどうする。これは人間から配付されたものだよ。吸血はやめてください。飲むならこれを、ってね」
「ああ、なるほど……」
「今夜戦うことになるかもしれないし、一発気合をいれとかないとね」
 まるでサラリーマンの栄養ドリンクのような扱いだ。あ、レヴィンさんって実際にサラリーマンだっけ。
「そんなのどこにあったんですか」
 昨日冷蔵庫を覗いたときにはなかった。輸血パックが入っている冷蔵庫というのも嫌だけど、保管するにも冷やしておかなければ腐ってしまうんじゃないだろうか。
「ああ、ここだよ」
 彼は台所にある戸棚を開く。洗面台の上に取り付けてある観音開きの戸棚を開くとそこに小型の冷蔵庫が入っていた。中には輸血パックがつまっているんだろう。
 彼はパックをぎゅっと握って全て飲むと、換気扇のスイッチを押した。そのあとパックをビニール袋にいれ、小型冷蔵庫の隣に押し込む。
 慣れた様子でそれをこなすレヴィンさんを眺めていると彼は首をまわして僕を見る。
「どうした、玄関にたちっぱなしで。中にはいったらどうだい?」
「あ、お邪魔します」
 今度はうがいを始めるレヴィンさんの後ろを通り抜け、居間へ入る。
「……ユメちゃんには内緒なんですか、それって」
 がらがらがら、と口をゆすぎながら目だけを泳がしてレヴィンさんは言う。
「……っぺ。うん、まぁ、そうかな」
「もしかして吸血鬼ってことも知らないんですか」
「いや、それは知っているよ。どういうものか理解していないかもしれないがね。何分それを教えたのは2歳ごろだから」
「そう、ですか……」
 2歳児が吸血鬼がどういう生き物か知っているとは思えない。ユメちゃんにとってレヴィンさんは吸血鬼である前に父親であったはずだ。
「ちゃんと言わないんですか、ユメちゃんに」
「…………」
 レヴィンさんは冷蔵庫から紙パックのオレンジジュースを取り出し、コップを二つ取り出して机においた。そしてオレンジジュースをコップにそそぎ、片方を僕の前においた。
「……ありがとうございます」
 あまり喉は渇いていなかったが、ちびちびと口に運ぶ。レヴィンさんもちびちびと飲みだす。
「そうだね、教えなくてはいけないだろう。遅かれ早かれ一緒に暮らしていればユメも気づく」
「そ、う、ですか……」
 レヴィンさんの落ち着いたトーンに声がでなくなり、僕は必死に喉から声をだした。
 なんていえばいい? 
 言いたいことは溢れるほどあったが、僕のようなやつが言うべきではない。
 ユメちゃんとレヴィンさんの関係を僕が壊していいはずもない。
 だけど。
 だけど一つだけ聞いておきたかった。レヴィンさんの口から。
「ユ、メちゃんを、吸血鬼にするんですか?」
 吸血鬼にするために生まれた子。
 でも僕はそうは思えない。
 レヴィンさんはコップを掲げた。コップにはオレンジジュースが半分ほど注がれている。黄色い液体をゆらりゆらりと揺らす。
「……ユメはこれがすきなんだ。100%オレンジジュース」
 レヴィンさんはコップをくい、とあおって一口含む。
 ごくっと喉が振るえ嚥下される。先ほど血を飲んでいた喉で、オレンジジュースを。
「ユメが好きなものを与えたい。このオレンジジュースのように。ユメがこれを飲んでいるとき、本当に楽しそうに飲む。私はそれが好きだ。そんなユメの口に、血が似合うと思うかい?」
 喉がふるえるように熱く声がでなかった。
 自然と目からなみだがでた。
 レヴィンさんはゆっくりと微笑んでいる。
「なんで君が泣くんだ。なきたいのは私のほうだ」
「だっ゛で……」
 
 泣き終わると妙に気恥ずかしくてレヴィンさんのほうを見れなかった。
「泣いて減った水分を補給するといい」 
 そういいレヴィンさんはコップにオレンジジュースを注いでくれた。
 ありがたく頂いた。今日2度目のおごりだ。
 そうやってジュースを飲んでいると、急にくるっぽーくるっぽーと音が鳴った。
「ぶっ」
 びっくりしすぎてジュースを吹き出してしまった。
 居間に掲げてある時計から、鳩がとびだして賑やかな音をだしている。鳩時計だったのか……。
「びっくりしたー、なんですかこれ」
「みたまんま鳩時計だよ。6時になるんだが、今朝の君は深く眠ってたみたいだから気づかなかったようだね」
 ぽっぽー、ぽっぽーと時計は鳴り続ける。
 レヴィンさんはその時計を心配そうな顔で見る。
「ユメはなにをやっているのかな。今日はもう授業は終わっているはずだが」
「あ、さっき小学校をよってみたら友達と遊んでましたよ」
「ふむ……、例の事件で物騒だし迎えにいったほうがいいかもしれないな」
 レヴィンさんは立ち上がってスーツを手にする。
「僕もいきます」
 立ち上がって、自分も外にでる準備をする。
「君は別に待っててもいいよ。迎えにいって戻ってくるだけだ」
「……いえ、外の空気を吸いたいし、自分もいきます。それと……話したいことがあるんです。それは夜でもいいんですけど」
「ふむ、そうか、じゃあ取り合えずユメを迎えに行こうか」
 と、レヴィンさんが上着の袖に腕をいれたとき、ぴるると電子音が鳴る。
 思わず自分の携帯をさぐってみるが、自分のではない。レヴィンさんのほうを見ると、ちょうど自分の上着から携帯を取り出していた。どうやら彼の携帯がなっているようだ。
 彼は僕のほうをちらりと見てから携帯にでた。
「どうした、弓? ……なんだと」
 一言二言会話した後、レヴィンさんの表情が急激に険しくなる。
 どうしたのか、と僕が思った瞬間彼はばっと玄関に駆け出す。進行方向には僕が突っ立っていたのだが、おかまいなしに弾き飛ばしていく。
「なっ……、どうしたんですか!レヴィンさん!」
 僕の叫び声に対する返事はなく、すでにレヴィンさんは外にでていってしまったようだ。
 呆気にとられた僕だったが、レヴィンさんの様子に嫌な予感を覚えた。自分も外に、と思ったが彼がどこに向かったのかわからない。
 彼が先ほど着ようとしていた上着が放ってあるのに気づく。着かけていた上着さえ放り出していくほどのことがあったんだ。僕はそれをハンガーにかけながら先ほどのレヴィンさんの会話を再生する。
 そこで思い当たる。
 携帯を取り出して小豆野さんの番号を呼び出す。
 数回呼び出し音がなるが出ない。
 呼び出し音を聞いていると自分の中に感じたことのない焦りがわいてくるのがわかる。
 今頃、ことの重大さを理解してきたのだ。レヴィンさんがあれほど狼狽して飛び出していくこととは何なのか?
 永遠とも思える時間が流れ、小豆野さんが呼び出しに応じた。
 そして理解する。

「ユメ・ホールが脳食いに襲われたわ」
6, 5

  


 その言葉を聴いた瞬間自分も飛び出す。
 携帯を握り締めたまま玄関をでる。
「どこですか!」
「小学校をでてすぐの通学路よ」
「なんでそんな!」
「あなたはそこにいなさい!すぐにレヴィンがくるわ!」
「じっとしてられるわけないでしょ!」
 学校までの最短ルートを走りながら小豆野さんと会話する。学校まで半ばまで来たころ、会話していた小豆野さんから大きな声が聞こえる。
「……レヴィン! ………」
 ぶつっと音がして携帯がきれる。最後にレヴィンと呼んでいたからすでにレヴィンさんは向こうについたのだろう。飛び出して3分もかかっていない。早すぎる。これが吸血鬼の力なのか。
 僕も両手を思いっきり振り全力で走る。
 走って走って走って、肺がはちきれそうなほど走ると学校がようやく見えてくる。
 近づくと小豆野さんとレヴィンさんらしき人影が見える。
 校門をでてすぐ左の通学路。あたりは開けていて見通しもいい。すぐに見つかった。
「レヴィンさん!小豆野さん!」
 僕は大声を出しながら近づく。小豆野さんがちらりとこちらを見る。レヴィンさんは反応がない。こちらからはレヴィンさんの背中しか見えないが、彼の格好から何かを抱いているのがわかる。
 右腕のほうからだらんとした足が伸びている。動物がプリントされた靴。
「ユメちゃん!」
 たどり着き、レヴィンさんの腕の中を見る。
 頭が血だらけのユメちゃんがぐったりとしていた。頭の中が真っ白になり何も考えられなくなる。
 小豆野さんはいらいらと携帯を握り締め、時計をちらちら見ている。
「き、救急車は?」
「もう呼んだわ!到着まであと20分……最悪よ! ……どうしろっての、この子こんなに血を流してるのよ!」
 道路にはおびただしいほどの血液がまかれ、血だまりができていた。これが幼いユメちゃんの体からでたものと想像してぞっとする。
 ユメちゃんをだくレヴィンさんの体も血まみれだ。
 どうやら頭に大きな傷をおっているらしく、止血用に布があてられているがそれも真っ赤だ。その布に見覚えがあると思ったらどうやらユメさんのYシャツのようだった。
 さらにユメちゃんはレヴィンさんの来ていた服でくるまれている。あまりの出血量に体温が落ちているんだ。唇が真っ青になりふるふると震えている。そんなユメちゃんをぎゅっと抱きしめ、レヴィンさんは自分の唇をかみ締めていた。
「これを!」
 僕も自分の上着をぬぎレヴィンさんに渡す。
 その声にようやく、僕がいることに気づきレヴィンさんははっとした表情を見せる。
「あ、ああ、ありがとう……」
 受け取った服で更にユメちゃんをくるむ。
 だけどユメちゃんに血の気が戻ることはない。
 なんてことだ、こんなのはない。あまりにひどい。ユメちゃんの表情には死相さえ感じられ、いてもたってもいられない。
 そのユメちゃんを抱くレヴィンさんこそそれを感じているだろう。明らかに鼓動が小さくなってる一つの命を。
 小豆野さんもその様子をみていらいらしながら再び携帯を操作する。
「まだなの! はやくきて! 輸血の用意もわすれないで! いい? A型の女の子が大量に出血してるのよ! わかってる!?」
 いいから早く来て!とヒステリックに小豆野さんは叫ぶ。自分も叫んでしまいたいが、その対象がなかった。自分にやることはないのか、と自問自答しつづけるが、体を動かす先がない。
 幼い命がいままさに消えようとしている。僕にできることがなんでないのだ。
「ユミ」
 ヒステリックに叫ぶ小豆野さんにレヴィンは声をかける。
 その声は妙に落ち着いていた。
「ユミ」
 小豆野さんもレヴィンさんの様子に気づく。
「ユメを吸血鬼にする」
「な……」
 驚いて声をだすと、レヴィンさんは小豆野さんを真っ直ぐ見た後ユメちゃんのほうを見る。
「……っ……わかったわ」
 小豆野さんは静かに言った。彼女もユメちゃんをじっと見た後、レヴィンさんにいう。
「いいのね?」
「ああ」
 レヴィンさんは頷いて、ユメちゃんの頭にまいた布をほどく。
「そうしなければ死んでしまう」
 やめてくれ、と言おうと開きかけた僕の口がとまる。
 レヴィンさんは愛しそうにユメちゃんの頭をなでる。
「ユメ……」
 そしてレヴィンさんはユメちゃんの首筋に顔をよせ、噛み付いた。
 人間を吸血鬼にする儀式。おそらく今それが行われている。
 それが仕方がないことだとわかりつつ、そうしなければユメちゃんが死んでしまうとわかりつつ、僕は叫びだしたかった。あまりに辛い光景に涙がでそうだった。
 でも泣けない。
 なぜなら、今まさに泣いている人物が目の前にいる。
 レヴィンさんはユメちゃんに噛み付いたままなみだをながしていた。
 そうだ、本当にユメちゃんのことを思い、ユメちゃんを大事にしていたのはレヴィンさんだ。
 
 数十秒噛み付いていたまま時間がたつ。
 レヴィンさんはゆっくりと顔を離す。
 ユメちゃんの顔はいまだ白く、血の気が戻らない。
 すっとレヴィンさんは自分の手を口元にやる。そしてそのまま手首を深く噛み千切った。多量の血がでるのを自分で抑えたが、大きな血管を傷つけているのだろう。手首から血がでつづける。その血にまみれた右手を口から離し、ユメちゃんの首元につける。
 首につけた手を離すと手首の出血はとまっていた。レヴィンさんは傷つけた右手をぐいっとぬぐう。あれほど激しく噛み切った手首は元通りになっており傷跡がない。
 レヴィンさんは両手でユメちゃんを抱きなおしてから、彼女の顔をじっとながめる。
 見てみるとユメちゃんの顔に血の気が戻っている。乱れながらも呼吸が回復していた。
「もう大丈夫だ……」 
 その声で僕も正気にかえる。これでユメちゃんの命は救われた? そして彼女は吸血鬼になった? 
 何もかも実感がわかない。ただ前者のほうは、ユメちゃんの表情を見ているとじわじわと沸いてくる。
 生きてる。
 脱力して、地面にひざをついてしまう。
「ユメ……」
 レヴィンさんはユメちゃんを見ながら、小豆野さんのほうに近づいていく。
「ありがとう……さよなら」
 そして小豆野さんにユメちゃんをわたした。
 小豆野さんはユメちゃんを受け取ると、ゆっくり抱きしめた。
「……わかってるのね?」
「ああ」
「…………なら……いいわ」
「ああ、ユメを頼む」
 辺りは6時半を迎え、すっかり暗くなっていた。
 たった15分の間にユメちゃんが一命をとりとめ、日が落ちる。 
 レヴィンさんはその闇に歩き出す。
「けじめをつけなくてはいけない」
 彼の声は氷のように冷たかった
 声がかけられない。その顔には決意がみなぎっていた。
 だん、と一足で飛び立ち、闇にとけていった。

「まちなさい」
 後を追おうとしかけた体が止まる。
「あなたがいって何になるの?
 冷静な声だった。それは抑止でも制止でもない。純粋な事実を告げる声。
 小豆野さんはユメちゃんの様子を見ながら言う。
「行っても何もできないわ、何にもならないわ」
 止まる、体が止まる。
「できることをしなさい。あなたが今できることは、救急車を待ちながら私を補佐すること、それだけよ」
 足がとまり、手が震え、一歩も踏み出せない。頭は俯き進むべき道さえ見えない。
 小豆野さんは、そんな僕を一目見て、携帯で警察に連絡し緊急体制を敷かせている。おそらくレヴィンさんと脳食いが戦うことででる二次被害を防ぐため。
 彼女は自分のできることをやっている。
 じゃあ僕のできることは何なんだ。先ほど彼女がいったように待つだけなのか?
「う…う…」
 声が聞こえ僕の顔があがる。
 ユメちゃんの声だ。苦しそうな声。
 手の震えが止まる。いや、止めた。握り締めることで、己の意思で止める。足が動き出そうとする。今の自分にはその原動力がある。前に進むだけの。
 それにしたがって足を繰り出す。
「…………」
 今度は小豆野さんも何もいわなかった。
「……できることがなくても……」
 小豆野さんの無言に答えるように声をしぼりあげる。
「殴られたら……殴り返したい」
 ユメちゃんをあんなふうにした奴を許せない。
「僕だってきっとやれることがある」
 最初の一歩は小さく。どんどん歩幅をあげていく。
「戦える」
 足は勢いを取り戻し、走り出す。
「戦う、向き合う」
 腕を振り、今度は全力で。
 レヴィンさんの後を走って追い出す。
 
 
 走って走って走って、がむしゃらに走る。
 大声をはりあげながら。レヴィンさんが気づいてくれればそれでいい。
 雲ひとつない黒い空には、満月が浮かび上がり下界を照らしていた。
 街灯が少ない区間にはいり、世界は闇に支配される。
 その時、大きな音が響く。ずしん、と重量のあるものが倒れる音。
 直感的にその音の方向へと駆け出す。
 息がきれる、すでに10数分走り続けている。心肺は限界まで酷使されていた。
 その音の発信地までたどり着く。
 辺りは暗い。満月のスポットだけが光源だった。
 二人の人影があった。
 一つは倒れている長身の人物。もう一人は……。
 こちらをぎろりと睨む、倒れている人物にのしかかっている男。

 脳食い。

「うあああああああああああああああ」
 自分のものとは思えない声が口からでる。
 まるで遠吠え。自分の意思ではない声に自分でも驚いた。まるで魂が勝手にしぼりだしているかのようだ。
 僕はそのまま、のしかかっている男に突撃する。
 中肉中背。スウェットにジーンズという姿の男は僕をみてざっと引く。倒れている人物から身を引くと、飛び上がった。すさまじい跳躍力で民家に飛び乗ると屋根伝いにはねていく。
 突撃すべき標的を見失った途端、足元がおろそかになり、何かに躓いて転んでしまう。
「っぐ」
 派手に転んだことであちこちすりむく。コンクリートの地面などがえぐれ凄い様相になっていた。
 転んだ先に倒れている人物がいた。
 レヴィンさんだった。
 近づくとその姿が明確に見えて、僕は悲鳴をあげる。
「ああああああ」
 レヴィンさんは頭が血で真っ赤によごれていた。金髪が金に見えないほどの血が流れでている。
 ずりずりと体を引きずって近づかせるほど、彼の姿が露になる。ぼろぼろな彼の姿が。
「れ、レヴィンさん……」
 

「なんだい?」
「れ、れヴぃ……あ?」
「ん?」
「え?」
 泣き出しかけた声が驚きで止まる。でかけた涙も驚いた拍子にとまる。
 血で真っ赤にそまったレヴィンさんの顔に突然青い光が宿る。
 とじていた瞳が開かれ、目が合う。
「え、あ……なんで生きてるんですか!?」
「割としぶといんだよ、吸血鬼って」
 めちゃくちゃ冷静に答えられる。
「だ、大丈夫なんですか、その体で」
 僕は彼に寄り添い、体を起こそうとする。
「いたたた、無理無理、ちょっとそっとしといてくれるかな」
「無理じゃないですよ。僕てっきり、あなたが死んでしまったのかと思って……」
 彼の上半身を起こす。体は血まみれだった。ユメちゃんのときにかぶった血もあるだろうが、それだけではないだろう。近づいてわかったが、額がわられていてそこから血がどくどくとでている。そこが主な出血箇所のようで……人間なら即死ではないだろうか。頭蓋骨がちょっぴり見えている。下手したら頭蓋骨もわれているほど深い。
「ちょ……今止血します。動かないでください」
「あーいいよ」
「な……」
 ばかなこといわないでください、と言おうとした。言おうとしたが彼の目にとめられた。後から考えれば何かしらの効果がその瞳にあったのかもしれない。何せ吸血鬼、その程度の力あったとしても不思議ではない。でもそのときの僕は急に体が動かなくなったことに戸惑うばかりで何もできない。
「それよりちょっと話をしよう」
「そんな……そんな怪我で……」
「まぁ最後のわがままさ、いいだろう?」
「最後、だなんて……そんな……」
「いやしかしね、今夜が満月でよかった。満月じゃなかったら死んでしまっていてこんな話もできなかっただろう」
 レヴィンさんは僕に身を任せたまま空を仰いだ。
「そ……んな……」
「いやぁ、強いなぁあいつ……。千年を生きた吸血鬼がこのザマだ。やっぱり新世代のほうが強いってのが世の常なのかねぇ。まぁそれでも……意地で片手はもらったがね、はは」
 彼は顔を横に向けると、隣に落ちている長い棒のようなもの。よくみると、腕。暗いから気づかなかったが、あの時あいつは片腕を失った状態だったのだ。
「命を切らせて、腕を絶つってところかな」
「何言ってるんですか!今から、今からなんとかすれば助かります!」
「みてわかんないのかい、致命傷だよこれ」
 青い瞳が自らの額をしめす。
「それは人間の場合でしょう!レヴィンさんなら、吸血鬼なら大丈夫ですよ、だから諦めずに治療をうけましょう。……ユメちゃんだってまってるでしょうが」
「……そうだな、ユメが待ってるか……」
 レヴィンさんは遠くを見るような目になる。
「そうです、だから……」
「……だから、死なないといけない」
 その一言は先ほどまでの彼の状態と違い、はっきりと吐き出された。
 自分の息がとまるのを感じる。
「な、んですか、それ」
「吸血鬼は管理されてるといっただろう。その個体数の上限は決まっており、増やすことはできない。吸血鬼を恐れる人間が作った制限さ。だから……ユメが吸血鬼になった、から……私は死ななくてはならない」
「そんな……」
「後継者をとる、というのは元々そういうことになってるんだ。後継者を吸血鬼にするとき、自分は死ななければいけない。決まりだよ。人間が作った決まりだ」
「……そ、んな……」
 ではまさに彼は、死ぬ気で戦いを挑んでいたというのか……?
「同士討ちになればかっこよかったんだろうが、まぁ後は他のものに任せるさ」
 レヴィンさんは、僕を見ながらいう。
「でも、そんなの。そんなの関係ないですよ。ユメちゃんはどうなるんですか。一緒に逃げればいいじゃないですか、人間が決めたことなんて関係ないでしょ!一緒に逃げたらいいじゃないですか!」
 レヴィンさんに言葉を叩きつけるように矢継ぎ早に言う。だがレヴィンさんは穏やかな顔のまま視線は僕からはずさない。
「逃げて、どうする?」
「っ…………」
「追ってくるぞ、人間は」
「……追って来たって、レヴィンさんなら……」
「殺すか? 管理官を、ユミを」
「……う…」
「いいさ、仮に殺したとしよう。次は10人押し寄せてくるぞ。それを殺しても100人。100人殺しても1000人
 そういう光景を何度見ただろうな。殺しても殺してもやってきて、ついには倒される。何人も同胞がしんだよ。
 自分に害をなす存在に殺され、学習し、対応し、強くなっていく。それが人間。
 残念だがね、吸血鬼はもう敗れてるんだよ。だから、ダメだ。
 ユメを守り通せない。だから、ダメだ」
「うあ……」
「人間は強い。人間というシステムは……。
 一つの命を重くすることで、種族全体を重くしているシステムには……。
 吸血鬼程度じゃかなうわけもない。
 それでもあいつは挑む気なんだろうな。人間に。
 あいつも強かった……。
 だが、人間はもっと、もっと強い。
 
 ああ、人間よりも強くなりたくて人間をやめて、人間を食って、人間に倒されて、人間に管理されて、そして……ユメと一緒にいきて……。ああ……私は、人間が、羨ましかったのか、なぁ。
 人間に、なりたかったのか……。
 なぁ、君は、どうするんだい?」
 支えるレヴィンさんの体から力が抜けていく。
「ユメ……」
 そして、レヴィンさんは事切れる。
 最後に一言こういって。
「頼んだ」
 がくん、と頭が下がり、僕の目の前に突き出される。
 彼の体から熱がきえていく。
 最後の一言が僕の脳髄を焼く。
 どうすればいいのか、もう、解かっていた。
 決意はいらない。あるのは戦うという意思だけ。
 そうして、僕は。彼のあたまを抱え、脳を食べた。

 最初に知覚したのは、熱。次に記憶。
 流れてくるのは1000年の知識と体験。僕の脳があまりの過負荷に焼かれる。
 脳停止寸前のところで、流れる知識を制御することに成功する。
 今ほしいものはこれではない。自分の意思で取捨選択を。
 今必要なものは、力。
 純粋なる力。
 吸血鬼の力。
 後頭部が発熱する。次に体のあちこちが痛む。
 あまりの激痛に体がきしんだ。
 これは作りかえられてる痛みだ。 
 脳内に敷かれたあらたな設計図に従い、体が作り変えられる。
 人間を基礎にしたものから、吸血鬼の体へと。
 急速に。
 本来時間をかけて行うものを急ピッチで行使したことで、あちこちから激痛を引き起こす。
 体が引き裂かれるような感覚。
 おそらく時間にしては10数秒。しかし僕の体は急速に作り変えられることによって体感時間を大幅に引き延ばされ、まるで永遠のように地獄の苦しみを味わった。
 その永遠ともいえる時間を抜けた後、世界はかわっていた。
 夜が夜でない吸血鬼の瞳。 
 追うべき存在を感じ、僕は跳躍する。
 一歩で数十メートル。
 まさに飛ぶというにふさわしい。
 力をこめるごとに距離はのびていく。
 相手が向かう場所がわかり、怒りがほとばしる。
 自分の怒りとレヴィンさんの怒り、両方だ。
 屋根や地面を陥没させながら夜の闇を駆ける。
 目標が、救急車に飛び掛る寸前。
 僕は思いっきり奴の体にとびげりをあびせた。


「がっ」
 足が肉に埋まる感覚がしたあと、僕の蹴りを食らった相手は消えるようにふっとんでいく。
 コンクリートの壁に激しくぶつかった脳食いから目を離さずに救急車を認識する。どうやら無事。中にいる小豆野さんとユメちゃんの鼓動も確認。
「ひどい挨拶だな」
 瓦礫をかぶりながら脳食いは起き上がるとそういった。
 脳食いには左腕がなく、スウェットのそでだけがぷらぷらとぶらさがっていた。
「……ひどい挨拶だといっているんだよ、同胞よ」
「……気にするな、これからもっと挨拶しあう仲だ」
 ふー、と息をはきながら、相手の鼓動を確認する。自分の状態は万全とはいえない、いまだ節々が痛み、自分の限界もわからない。レヴィンさんが負けた相手、単純な足し算で考えるなら自分が負けてもおかしくはない。
「……同胞か、始めて会った同属なのにね。いきなり殺しあうとは」
 脳食いはなくした腕をあげる仕草をする。
「……僕も初めてだよ、自分以外にあうのは」
「同じ脳食いだ、仲良くしようぜ?」
「脳食いは……」
 相手との距離は10メートル。
 一足飛びで相手の間合いまで飛ぶ。
「おまえだろ!」
 拳を突き出し、突きを相手の腹にうめこむ。
「勝手に僕たちの総称にするな!殺人鬼はお前一人で十分なんだよ!」
 クリーンヒットした、と思ったが瞬時に気づく、腕に手ごたえが感じられない。
 脳食いは僕の突きにあわせ、同時に後ろに飛んでいた。
「く、くく」
 まずい、と悟る。空中にとんだことで地面につくまでのタイムラグがうまれる。
 後ろに飛んだ脳食いのほうがすばやく地面につく。
「おまえだって脳食べてんだろうがああ!」
 僕が地面につく瞬間、今度は脳食いの突きが炸裂する。カウンター気味にはいり、力を受け流しきれない。
 今度は僕がふっとぶ。コンクリートの地面を削りながら勢いに引きずられる。血反吐が喉まで押し寄せる。
 明らかに脳食いは戦いなれている。戦いなんてやったことのない自分とでは比べようにならない。
「同じ人類の敵だろう? なんで仲良くやれないんだ、兄弟?」
 脳食いは親しげに話かける。顔には余裕の笑みがはりついている。一連の僕の動きで、自分の有利を悟ったのだろう。片腕のハンデ込みですら僕を下せるとみたようだ。体を引きずって起こす僕に、文字通り上から目線で語りかける。
「なぁ、わかるだろう? お前の中にもあるだろう。わかるよなぁ、人間じゃないんだぜ俺たちは」 
 脳食いの言葉はあやふやなものだったが、僕には伝わっていた。
「だから、俺たちは、戦わなくちゃいけないだろ?」
 それは存在意義と同意。新しく生まれた、それまでになかった自分たちがどう生きればいいか。この世は生存競争。すでに居場所がないなら、「戦う」しかない。
 vs人間。
 新しい生き物である僕たちが生き残るには既存の世界を支配する人間と戦わなくてはいけない。
「だから殺したのか?」
「ああ、そうだよ」
 脳食いはぷらぷら、となくした左腕の袖をぶらさげながらいう。
「殺して食うためだ。そして強くなるためだ。強くなって勝つためだ」
「ユメちゃんを襲ったのもか」
「ユメ?」
 脳食いは先ほど救急車が通っていった道を見てから頷く。
「ああ、あれは吸血鬼を呼び起こすための餌だ。より強いものの脳を食べるための撒き餌だ」
「…………」
 あいつはレヴィンさんの存在を知っていたのか。
「思ったより強くて腕一本失っちまったが……しかも、お食事を邪魔されちまったしな」
 右腕で、左肩を叩いてから脳食いは続ける。
「びっくりしたよ、初めての同胞にあってさ……いや正直びびったよ。腕を失って自信喪失してたのもあるが、吠えるってのは効果あるんだな、初体験だ。あそこでびびってなきゃ、あの吸血鬼を食べれたのにな。どうだ? おいしかったか?」
「もういい」
 僕は立ち上がる。
「終わりにしよう」
 距離は先ほどと同じ10メートル。
「お前じゃなかったら、僕だって喜んでただろうよ。お前の初印象最悪だったよ、テレビで連続殺人鬼としてうつるなんてさ」
「ふん」
 脳食いは鼻をならすと面白くなさそうに構えた。
「勝てると思ってるのか?」
「お前こそ忘れてないか?」

「僕はお前とおなじだってことを」
 だん、と跳躍する。先ほどと同じように。
 そして同じように拳を突き出す。
 相手も同じように後方に飛ぶ。
 そして、突き刺さる、奴の左胸に。
 僕の右手が。
 
「な、に」
 
 勢いのまま奴を押し倒し、胸に深く突き入れたあと右腕を引き上げる。
 僕の右腕は、まるで変形したように爪と指が伸び槍のようになっていた。
 吸血鬼の爪。
 記憶から引き出した一撃必殺の技だった。
 脳食いも気づいて反応したようだが、奴には左腕がない。それが命を分けた。
「なるほどな、はは」
 笑って口から血を吐き出す。
 僕は間髪いれず、その頭に右手を叩き込む。
 脳みそがつぶされる音がした。
 それで終わりだった。
 
 僕は遺体を引きずる。人通りのない場所まで運んで、地面にうめた。念入りに、深く。
 これが警察に見つかるのは自分としてもまずい。
 なぜなら、脳食いが解剖されることで、自分のことも知られてしまう危険性がある。それだけは避けなくてはいけない。これから先、手の内がばれるというのは最も避けたいことだ。
 
 人間と、戦うことを考えれば。

 
 その後走って救急車の後を追った。病院についてから小豆野さんとユメちゃんの場所を探っていくと、その病院がおかしなことに気づいた。人の気配がほとんどない。あとから知ることだが、人外専門の研究機関の一部ということらしい。普通の救急車に偽装した人外専門便といったところか。
 ユメちゃんの病室に入ると、ベッドに横になっているユメちゃんと隣の椅子に腰掛けている小豆野さんの姿があった。小豆野さんは右手で携帯を操作しながら、左手でユメちゃんの手を握っていた。
 音もなく進入した僕に小豆野さんは気づいていない。ユメちゃんは寝ているようだった。遠目から見ても頭に傷跡は見当たらず、ふさがっているようだ。吸血鬼の力といったところなのか。未だに見た目では違いがわからない。
 小豆野さんは携帯の画面から時々目を離してユメちゃんを見てから、携帯の画面に目を戻すということを繰り返していた。
「あの」
 盗み見してることが気まずくなり声をかけると。
 ぎゃあ、と想像以上に小豆野さんはびっくりしてくれてかなり狼狽していた。
「あああ、ユメちゃんが起きちゃう」
「……言われなくても解かってるわよ! びっくりさせないで、ほんとにもう」
 頬を赤くした小豆野さんは声を小さめにしぼりながら言う。
「開いてたので…つい音もなく進入しちゃいました」
「なにが、ついなの……まぁいいわ……さっきは助かったわ」
「見てたんですか」
 素直に驚いた。あの時脳食いは後ろから襲い掛かっていたので、見えたとしても一瞬だったはずだ。
「おわったのね?」
「……ええ、終わりました」
「そう」
 彼女はユメちゃんを見つめて黙った。
「レヴィンさんは……」
「解かってるわ、彼の遺体は発見されている。あなたがどういったことを行ったのかもわかっています」
 ならば言うことは何もなかった。
 しばらく黙っていると、ふと思いついたというように小豆野さんがいう。
 彼女は携帯を掲げて僕に見せる。
「そういえば、決まったわよ。あなたの名前」
「え?」
「名前というより、種族名とでもいうのかしら。獏人、だそうよ。夢を食う生き物『獏』にかけてるらしいわ。脳食いなんて物騒な名前じゃなくてよかったわね。バクマンとかのほうがかっこよくていいと思うけど、私は」
 それは色々まずいのでやめてください。
「名前なんて、そんなの……」
 どう反応していいかわからない。そんな勝手に決められたものに何か意味があるのだろうか、被験体Aとか脳食いとか獏人とか。どれも違いがあるとは思えない。
「そう? 呼びやすいほうがいいと思うけど」
「僕はどうなるんですか?」
 彼女は右手に持った携帯を置いてため息を吐く。
「……上が審議中よ」
「そうですか」
 再び、静寂が訪れる。僕はベッドに近づいて、ユメちゃんの顔を眺める。父親がなくなったとしった彼女はどう思うのだろうか。それを思うと胸が痛くなった。
「ユメちゃんは、どうなるんですか?」
「……さぁ、ね」
 ユメちゃんが苦しそうに息を吐く。辛い夢でも見ているのだろうか。
 小豆野さんはユメちゃんの頬に右手を寄せ、ゆっくりとなでる。なでるごとに、まるで辛い夢を吸い取っているように、食ってるように、ユメちゃんの表情がやわらかくなっていく。
 あなたこそ。
 声にならない声。
 あなたこそ夢食いではないのだろうか。
 ユメちゃんにとっての悪い夢を食べて平穏を取り戻す、夢食い。

 その時気づいた。
 なぜ今まで気づかなかったのだろう。
 小豆野さんの表情は母親のそれだった。
 ユメちゃんは落ち着きを取り戻す。
 
 僕は改めて噛み締める。
 レヴィンさんの言葉を。

 人間は、強い。

 第一話完
8, 7

あああう 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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