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華麗なるメシウマ -前篇-

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 寂れた海水浴場に面した小さな町で生まれ育った僕と、同じように隣の家で育った幼馴染の美紀の話。隣の家と言っても、実質20メートル程度離れている。美紀への20メートル程度の距離感が、もっと遠く離れ、永遠に手が届かなくなることを覚悟していた。それでも大丈夫だと自分に言い聞かせていた、そんな頃。僕達がこの町に生まれついて24年を過ぎた頃の話。

 美紀が婚約した。僕の父も母も妹も、楽しそうにこの話を口にする。

 「淋しくなるなあ。お前は美紀ちゃんのこと好きだったんだろ」

 「本当に綺麗になったね。美紀ちゃん。ウェディングドレス、似合うんでしょうね」

 「お父さんもお母さんも、本当は美紀お姉ちゃん、お兄ちゃんに貰って欲しかったんじゃないの?まあ無理だよね。お兄ちゃんは美紀お姉ちゃんの家族に気持ち悪いって嫌われてるからwwww」

 うるさい。特に最後のは余計だ。気にするぞ。僕は喜ぶでもなく、悲しむでもなく、ただ何を思えばいいのか分からないでいただけだ。特に、今日の昼間の出来事を思い返していた。

 昼過ぎのこと。たまたま本屋の帰りがけ、家から10メートルの砂利道で自転車を降りたところで、式を2週間後に迎えたアベックと見られる二つの影が、前方から近づいて来るのが見えた。美紀と、婚約相手だろう。駐車場がこの砂利道を戻った先にあるから、そっちへ向っているんだろう。悲しくなるくらいに見慣れた笑顔が、手を振っている。できることなら透明になって擦れ違いたかった。

 式には参列するが、婚約相手は初対面だった。

 「おいっす裕ちゃん」

 「よっ」

 他愛ない挨拶を、平静を装って交わした。ついでに婚約相手の方にも挨拶しておこうと思った。

 「初めまして。この度は、おめでとうございます」

 下げた頭を上げ、何となく相手の表情を確かめた。長髪で色黒で細見のスーツを着飾っているこの男、顔をしかめている。そして発した言葉。

 「美紀、何こいつ?きもくね?」

 「え?幼馴染の裕ちゃんだよ。話したでしょ。きもくなんてないよ」

 「きもすぎじゃねーか。ほら行くぞ」

 美紀が手を引かれて連れていかれた。後ろ目に

 「ごめんね、裕ちゃん。ごめんね」

 何故か謝っている。
 
 美紀が謝る理由が分からない。容姿を侮辱されることくらいなら笑って済ませられる。ただ、美紀の生涯に一人の相手が、初対面の相手の容姿を侮辱する人間だったことへの衝撃が頭から離れなかった。

 唖然茫然と数時間、ひたすら髭を抜いていた。気付けば夜の11時、何を目的に設定したのか分からない携帯のアラームが鳴りだし、我にかえった。携帯のアラームを解除しようとしたところで、新着メールが届いた。美紀からだった。

 『今、家の前。おでん持ってきたの。食べようよ。出てこれる?』

 寒い冬は、温かいストーブや、温かいおでんが恋しくなる。そんな温かい何かにも、僕の町に滅多に降らない冷たい雪の降った嬉しさにも似てる。どう表現していいのか分からない。こんな美紀だから、僕にとってたった一人の───

 『おk!ビールもってく』

 返信して半纏を羽織り、直ぐに玄関を出た。昼間は高そうな白いコートを着ていた美紀が、上下紺色のスウェットの上に黒いダウンジャケットを羽織って、コンビニ袋をぶらさげて微笑んでる。僕らは海水浴場まで5分程歩いて、"いつもの"ベンチに腰かけ、缶ビールの蓋を開け、軽い乾杯を交わした。

 「ドレスとか着るから、ダイエットとか大変なのに大丈夫なの?」

 「今日はいいの」

 会話が少しばかり余所余所しい。大根を箸で4つに分割する作業の傍らの会話だと思えば、それでいい。

 「今日はごめんね」

 やはり強がっていても、動揺してしまった。とりあえず一切れの大根を口に含み、言ってみた。相手の顔を直視できない代わりに、頼りない波を眺めながら。

 「べつに何も気にしてないし。そんなふうに関係ないミキペンに謝られる方がずっとやだ」

 美紀は下を向いた。でも思った通りのリアクションをくれた。

 「ん、ご、ごめんだけど、ミキペンってwwwwww小学校じゃんwwwww」

 ミキペンというのは美紀の小学校時代のあだ名。本人はあまり気に入っていなかった気がする。

 僕は次に食べるのは白滝だと決めた。美紀のおでんのセレクトが僕好みすぎて感服する。でもそれより、今日だけは美紀ともっともっと話し合いたかった。きっと最後だから。

 「そう、ちょっと思い出した小学校の頃wwwww」

 「あは」

 突然、美紀は上を向いた。空を眺めてるわけでもない。ただ上を向いた。

 「戻りたいね。小学校の頃。たった一日だけでも戻れたらきっと、すっごく楽しいよ、あたしね、実はあの頃から何年も───」

 僕は知ってる。これは美紀のSOSのサイン。これだけは見逃すわけにはいかない。

 「そんな話はいい。今誰かに聞いて欲しい話があったりするのじゃないかと気になる」

 感傷に浸っているぶっている表情が、突如驚いた表情に変わった。そして、真っ直ぐに僕の目を見つめる、ただ僕も絶対に目を逸らさない。その美紀の目に涙が溜まり始めた。何度も、何度も、何年もこんな顔を見てきた。

 「うん。どうしてそういうこと気が付いちゃうの。裕ちゃん、ごめんね、ほんとごめんね、あのね、これ見て欲しいの。なんて思うか分からないけど、誰にも言えないの、ごめんね」

 謝るなよ。でも、次の瞬間に僕は言葉を失った。おでんを容器ごと落とした。まだ十分に熱を持っている汁が足元にかかったことさえ気付く余地もなかった。

 上のスウェットの裾をまくり上げた美紀の白い素肌、腹部に3つの青痣が浮かんでいた。

 美紀は、少なからず3回以上の暴力を受けていた。
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