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華麗なるメシウマ -中篇-

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 目の当たりにした現実の痛さ。これから幸せになるんじゃなかったのかよ。何でそんな痛みに耐えなくちゃならない。

 「こういうことがたまにあるの。どう思うかな。裕ちゃん、何か言って欲しい」

 美紀がスウェットの裾を戻し、傷が僕の視界から消えた。ただ傷が瞼に焼き付いた。自分の傷以上に痛いのは言うまでもない。

 「おれが何か言う前に、お前が言いたいことたくさんあるだろ。痛いだろ、辛いだろ。怖かっただろ。」

 感情のコントロールができなくて、傷心の相手に声を荒げてしまった。しかも続けた。

 「お前が幸せになる嬉しいことだとばっかり思ってたよ。畜生、あああああああああああ。今からでも遅くないから、結婚なんて止めろ、止めてくれ」

 「あのね」

 美紀の声に制された。僕は止まった。そうだ、聞かなきゃ。

 「ずっとこうなわけじゃないよ。2ヵ月前に大喧嘩しちゃって、その時初めてぶたれたの。それからかなあ、何かあるとぶたれるようになったのは。でもね」

 ぶたれたという表現を、暴力を受けたという表現に置換し、全ての感情を押し殺して美紀の言葉に耳を傾け続けた。

 「あたしの結婚を、本当に沢山の人が喜んでくれてるの。お父さんもお母さんも友達も、みんなすごい喜んでくれてるの。あたしね、お父さんが泣いたところ初めてみた。裕ちゃんのおじさんもおばさんも、ちいちゃんも会う度にその話ばっかり。あのね、あたしが我慢さえしてれば、みんなを裏切らなくて済むの。こんなこと知ったらとんでもないことになっちゃうよ。あの人だって優しい人だし、きっといつか分かってくれる」

 違う。

 美紀が我慢する理由は分かった。それがどんなに美紀らしい理由であっても僕は否定する。例えばこの件を知った人間が傷付いたところで、それは美紀の裏切りでも何でもない。そして、あいつは優しい人なんかじゃない。人の痛みを知らない汚物だ。殺してやりたい。

 「だけど誰かに助けて欲しくて、おれに話したんだろ」

 「あ、うん、あの」

 涙目。言葉を詰まらせている。肯定と受け取る。でも、もう大丈夫だから。守るって決めたから。

 「おでんこぼしちゃった。せっかくもってきてくれたのに。ごめんな。とりあえず帰ろっか」

 「うん。いいよ。今日はありがとう」

 それから、たった5分の帰路は、とにかく思い出話で持ち切りだった。僕から投げかけてみた。いつか、そこの海水浴場で美紀が溺れそうになったこと。いつか、夏休みの宿題に美紀が作ったエプロンが市の賞を貰ったけど、本当は美紀のお母さんが作ってたってこと。美紀は牛乳が飲めなくて、牛乳大好きだった僕がいつも給食の牛乳を貰っていたこと。僕が避難訓練で校庭へ走る途中にあった廊下の非常ベルを押してとんでもないことになったこと。僕が机の中で子亀を飼育していたこと。

 全部、今思えば楽しかった出来事。こんなふうに、あんなに昔の思い出を共有できる相手と出会うことは、もう二度と無いだろう。今日、美紀がおでんを買ってきてくれた最寄りのコンビニができて5年。便利にはなったけど、今この5分の方が大切にさえ思えた。辛い思いしてたことに何一つ気付かったこと。本当にごめん。だからこそ絶対に、美紀が笑顔を絶やさないようにしなきゃ。いつも笑っていて。悲しみを隠して笑っているなら、今度こそ僕から気付いてみせるから。

 一つの決意の犠牲になっってしまった美紀の選んでくれたおでん。お前達にも申し訳ないことをしてしまった。なあ、白滝、はんぺん、ちくわ。お前達の仇もきっと僕の仇と同じだろ。

 僕は、大好きなお前達を僕の為に選んでくれたこの人のことが、本当に、大好きなんだ。
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