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「罪のない比喩としての御伽噺」作:つばき

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「罪のない比喩としての御伽噺」作:つばき


 ファンタジーだと思えばいいのよ、と彼女は言った。

「要するに、ファンタジーだと思えばいいのよ。全部を空想世界のものに置き換えるの。
 あなたは可憐で無力な囚われの少女。傍らには大きな獣がいる。少女は特別な力を持った巫女か何かで、生贄にされてしまった。獣は聖なる乙女を食べることで命を維持しているのだけれど、何かの拍子に少女に情が芽生えてしまう。獣は空腹に耐えながら、少女を食べてしまおうかどうしようか、欲望と戦い続けている。そんなおとぎ話」
 彼女は口の中でゆっくりとチョコレートを溶かしながら、舌っ足らずな調子で一気にそこまで喋った。
 ぼんやりと聴いていたその言葉から、私は出来るだけ具体的な情景を思い浮かべようとする。可憐な少女。きっと髪が長くてすらりと細い。無力で、だからこそどこまでも純粋だ。そしてその傍らに、とてつもなく巨大な獣がいる。鉄のように固い皮膚がごつごつといかつくて、あちこちから角が生えている。長い年月を経た瞳は醜く濁り、沢山の乙女の皮膚を切り裂いてきた牙の根元はどす黒く変色し、小鳥が立ち寄ることもないその口からは耐え切れないような腐臭がする。
「なるほど。それで?」
 私は頬杖をついて、彼女の言葉の続きを促した。
「それで…そうね。私がそのおとぎ話の作者なら、」
 彼女は遠くを見るようなとろんとした目つきのまま、2つ目のチョコレートを口に放り込んで、しばらく目を閉じていた。それからマグカップの紅茶を飲んで、口を開く。
「やがて、獣はとうとう衰弱しきってしまう。でも死を避けるには、その少女を口に放り込んでしまうしかない。だからもう、獣は死ぬことを決めている。愛に殉死するつもりなの。
 でもそのことを知った少女は、その獣を助けたいと思う。何よりも強く願う。少女の方も獣を深く愛していたの。
 だからある日、少女は自分で命を絶つ。もう動くことも出来なくなった獣の傍らで」
「獣を救うために」
「そう。でも獣にはもう、顔を上げるための力さえ残されていない。少女が目の前で命を絶つことさえ止められなかった。でもそのことをどこかで喜ばしくさえ思う。だってもしも少しでも力が残っていれば、自分は空腹に耐えかねて、少女の亡骸を食べてしまったかもしれないから。
 そして獣は、自分に死の瞬間が訪れようとしていることを悟る。その時彼は、最後の力を振り絞って涙を流す。今まで長く生きてきた中で、最初で最後の、最も美しく透明な感情から生まれた涙を。
 …それが、私の理想のラスト」
 喋り終えて、彼女は小さく溜め息をついた。
 私は話を聞きながら用意していた感想を口にする。
「うーん、ちょっとご都合主義に過ぎるかな。まず巫女とか生贄とかそういう設定がいかにもありがちだし、少女と獣がなぜ愛し合うようになったか、っていう肝心なところがちゃんと語られてないし」
「うるさいな。即興だからいいじゃない。
 大体、愛し合うことに理由なんかないの。それが恋なのよ」
「ふむ。理由なき墜落」
「わかってるじゃない」
「それにしても、ちょっと美しすぎる結末だよね」
 私は彼女の目の前の袋からチョコレートを一つつまみあげて、口に入れた。
「で、そんなおとぎ話まで用意して、一体何が言いたいの?」
「…わかってるんでしょ?」
「大体は。でも説明してよ」
 私の要求に彼女は少し不満げに唇を尖らせて、それでも口を開く。
「少女はあなたで、獣が父親。ろくでなしで手が早くてどうしようもない、関わる人間全員を食いつぶすように生きてきた男が、生まれて初めて自分よりも愛しいと思える存在を発見した。問題は相手が実の娘で、しかも単なる親子愛なんかじゃないってこと。そこには理不尽な恋愛感情が存在する。それも、インセスト・タブーとかって口を挟むのが馬鹿らしくなるくらいの純愛。まさしく『理由なき墜落』」
「そして娘の方も、父親を男性として愛している」と、私は補足する。
「そう。それが何よりの問題。明らかにマトモじゃない」
 彼女は机の上に置いている両手を組んで、じっと指先を眺めていた。
 私たちはどちらも決して目をあわさない。目に見えない埃が積もっていくみたいに、ゆっくりとぎこちなさが増していくことに、気づいていないフリをするために。緩慢で生ぬるい時間の流れが私たちを囲んでいる。
「そう、確かにマトモじゃない。でもそこには、どうしようもなく抗いがたい引力があるの。世間的にはタブーなんだってわかってる。でも私にすれば、本当に自然な選択の結果なの。あなたには理解できないかもしれないけど」
 淡々と言葉を並べるように、私は呟いた。
 本当は気づいている。目の前の彼女が、私に対して恋愛に近い感情を抱いていることに。いつからか少しずつ、彼女は私に友情を超えた関心を抱くようになった。同性という壁を超えて。
 だから彼女だって知っているはずなのだ。例え倫理的に問題があったとしても、絶対に留めることなんかできない、その理不尽なまでに圧倒的な引力のことを。
 私たちはどちらもマトモじゃなかったし、お互いにもう戻ることの出来ないところまで進んでしまっていた。私は自分が「彼」に食い尽くされてしまうことなんかなんとも思っていなかったし(寧ろそれは悦ばしいことですらあった)、彼女はそんな狂信的で過剰に犠牲的な私のことを強く求めていた。
 その事実に少しも気づかないフリをしながら、私たちはチョコレートがなくなってしまうまでの間、静かに向かい合っていた。
 
 
 獣自身だってきっとわかってる。自分が清らかな存在を破滅させることでしか命を保てない、醜く浅ましい生き物だってことを。そしてそのことを深く恥じている。だからこそ、少女は彼に恋をした。恐らくは彼女自身も、よく似た恥の感情を自分の中に抱えていたから。
 獣の隣で息絶えている少女。彼女はきっと、幸福で甘やかな死に包まれているはずだ。そして獣が最期の瞬間に流す一筋の涙の、イノセントなきらめきは、誰にも知られることはない。きっと彼らはこの先誰にも邪魔されることなく、ゆっくりと朽ち果てていくはずだ。
 それは紛れもないファンタジーだった。遠い世界のおとぎ話だ。こことは違う匂いの風が渡り、色合いの違う光で満たされた世界の出来事だ。
 きっとこの世界に住む私には、少女のような平穏な死を迎えることはできないと思う。
 私はそっと目を閉じる。
 そして、少女と獣の姿を強く脳に焼き付けた。


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