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「Mrs.Autumnの常秋の庭」作:家探熊猫

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   「Mrs.Autumnの常秋の庭」



   ⅰ

 夏が終わり次の季節が来れば葉は色づき始め、やがて一面が赤と黄色の鮮やかな世界になっていくものです。
 私の住むお屋敷から真っ直ぐに伸びる道沿いには鮮やかな斑な赤に染まった銀杏並木があるのですが、その葉の色は年中通して変わることが無く、ましてやその葉が落ちて物寂しい景色になることもありません。
 そこはいつまでも季節の変わらない、秋で時間の止まった空間でした。
「常秋の庭園」
 私のお屋敷は、そう呼ばれていました。
 お屋敷の景色が赤に彩られた状態から変わらないことに疑問を抱く事もなく、十数年の時を庭園に住む猫さんや兎さん、鳥さん達と過ごしてきました。
 私――皆からはMrs.Autumnと呼ばれてはいますが――には名前がありません。いえ、実際のところはないのではなく、私自身がそれを知らないですし、知ろうともしていなかったのです。
 物心ついた時には私はこの常秋の庭園で皆からMrs.Autumnと呼ばれる存在で、自分がどのような存在かということにも疑問を抱かず、ゆるりとこの世界での生活を過ごしてきたのです。
 

   ⅱ

 お屋敷の傍を東西に流れる小川を上流へと行くと、そこには一本の大きな楓の樹があります。そこは静かに一人になれるお気に入りの場所で、私はその下でお茶をするのが好きでした。
 ミルクもレモンも加えないで、甘いお砂糖をほんの少しだけ入れて、紅葉のように赤いダージリンを飲むのが一日の終わりの日課。
 その日も月の淡い光に照らされる紅に染まった葉を見上げながらお茶を嗜んでいたのですが、普段は誰も現れないその場所に珍しくお客さんが来たのです。
 チリン……と、楓の樹の裏から鈴の音が鳴るのが聞こえました。
「どなた様ですか?」と、私が楓の向こうにいらしてた方に尋ねました。
 すると、太くて大きな樹の幹から、グレーの被毛をした緑色の瞳をした雄の猫さんが顔を覗かせました。
「おや、見つかってしまいましたか。まさか、あなたに見つかってしまうとは思っていなかった。迂闊でしたね、首に鈴がついているのを忘れて、うっかり鳴らしてしまった」と、猫さんは目を細めて前足で顔を擦って言いました。
 このあたりでは見ない顔の猫さんでしたので、私は「はじめまして、ですか?」と聞き返すと、猫さんはその小さなお顔を左右に振りました。
「いいえ、はじめましてではありませんよ。この常秋の庭に辿り着いたのはごく最近のことですが、その昔はあなたの傍に居た者なのです。あなたは覚えておいでではないでしょうが、お久しぶりと言うべきでしょうか」と猫さんが言うので、「失礼ですけれど、すっかりお顔を忘れていたのかしら。お名前をお聞きしても良いでしょうか」と私は聞きました。
「私はブルー。ロシアンブルーという品種の猫だから、ブルーと名づけられました」
「可愛らしいお名前ですね」と思わず私は微笑み、言いました。
 ブルーと名乗った猫さんは、私を見上げて、口をつぐんでいました。
 しばらく、私の顔をじっと見上げ、彼は「なるほど」と一言呟きました。
「Mrs.Autumn、あなたはご自身の存在に疑問を持たれた事はないですか?」
「疑問、ですか」と私が紅葉を仰いで考える素振りを見せると、ブルーさんはまるで禅問答のように私に問いてきました。
「我々はどこから生まれて来たか」
「――愛から?」
 と、どこかの詩人が言っていた歌の文句を私は返しました。
 ブルーさんは私の言葉に、緑色の瞳を細めました。それは私の言った言葉が冗談めいたやり取りのように思って微笑っているようでした。
「では、我々はいかにして滅ぶか」
「……愛なきため、ですか?」
「そう、愛。人生の全ては愛によって生かされている。しかしながら、この世界における私達に用意された愛は酷く悲しいものなのです」
「どういうことですか?」
 ブルーさんの言っている事の意味がわからなくて、私は首を傾げました。彼は瞳を閉じて「ふむ」と唸り、
「あなたはその愛がどのような物であるかを考えてはいけませんよ。できれば、あなたはご自身の存在に疑問を持たれる事もない方が良い。あなたは純粋な心をお持ちだ。いつまでも、そのままの気持ちを忘れないでいてください」
 と言い残してブルーさんは小川の下流の方へと走り去っていきました。
 思えば、その時から私は自分の存在に疑問を抱き始めたのかもしれません。


   ⅲ

 ある日、秋ウサギでお屋敷の執事をして頂いてる秋兎《あきと》さんにその疑問を尋ねました。
「秋兎さん。秋兎さんは私が誰か、わかる?」
 言葉にしてみると随分変な質問かなと思いつつ、私は自分で首を傾げました。
 秋兎さんは茶色の長い耳をぴょこんと立て、しばらく考えてから口を開きました。
「お嬢様、あなたはMrs.Autumnです。その答え以外見つかりませんが……」
 彼の答えが求めていたものではなかったので、私は更に尋ねました。
「私がMrs.Autumnだという事は自分でもわかっているんです。でも、私が聞きたいのはそういうことではなくて、私がどこから生まれてきて、どうしてここにいるのかなんです」
「随分と哲学的な質問ですね。私には答えるのがとても難しいです」
 困った顔をする秋兎さんに、私は一度頭を下げました。
「ごめんなさい。でも、何故か気になったんです。少なくともこの常秋の庭園で十年は過ごしてきているというのに、私はこの世界で私を生んだ両親に会った記憶がないんです。それどころか、猫さんや兎さん、鳥さんはいるのに私以外の人間に会った事が無い。人間なのは私一人なのです。それがどうしても気になってしまって……」
 ロッキングチェアを揺らしながら私が言うと、秋兎さんは私の言葉に驚いたようにもう一度長い耳を勢い良くぴょこんと立てました。
「そんな事が気になされては駄目です、お嬢様。あなたはMrs.Autumn。それだけで十分ではありませんか。確かにこの世界にはあなた以外の人間はいません。ですが、それに疑問を抱く事はありませんし、ご自身が誰であるかなんて考えてはなりません」
 普段は穏やかな秋兎さんが捲くし立てて言うのに、私は驚いてしまってしばらく瞼をぱちくりと上下させていました。
 私は「どうして?」と聞くと、秋兎さんが一つ咳払いをして言いました。
「Mrs.Autumnはこの常秋の庭園の主だからです」
 主だから、という言葉は私にとって妙に引っかかりを感じるものでした。
 確かに主と呼ばれているし、それに疑問も抱いて来ませんでしたが、秋庭の管理は秋兎さんを始めとしたお屋敷の執事さんや庭師の猫さん達にお任せているのです。
 主と言っても形だけで、庭に手をつけていない私が主だからという言葉がどうしても気になってしまったのです。
「私は確かに常秋の庭の主ですけれど、私が誰かを考える事がそんなにいけない事なのですか?」と秋兎さんに聞くと、彼は黙って長いお耳を床につけるように頭を下げました。
「この通りです。これ以上はお嬢様と言えど、お答えすることはできません。どうか、自身が誰かなどと疑問に持たれることをおやめください。ましてや、自身が誰かという事を他の誰かにも聞こうとしないでください。」
 私が頭を下げるのをやめるように言っても、秋兎さんは頑なに「お嬢様が私の言葉に、はいと仰って頂けるまでやめません」と言うので困り果ててしまって、それ以降は秋兎さんの言う通りに誰かに疑問を投げかけるのはやめるようにしました。
 でも、私の疑問への探究心はとどまることは無かったのです。


   ⅳ

 私はこの世界の事が知りたくて、皆さんの目を盗んでお屋敷の書庫に篭もるようになりました。
 広い書庫の壁一面に棚が立ち並んでいて、その様々な本に目を通して行ったのですが、疑問を抱くようになってからと言うもの、お屋敷にある蔵書に違和感を感じるようになりました。
 秋の植物、秋の果実、秋をテーマにした詩集。全てが秋ばかりなのに、他の季節のものが存在しません。
 書庫に保存していた十年分以上はある私の日記を、いつからか遡るように読み始めていました。
 そこで気がついたのは、何故今まで疑問を抱かなかったのだろうと思うような奇妙な事実でした。
 不思議なことに、日記の日付は一日から三十日を毎日繰り返しているのに、月だけは十一月のままなのです。
 それに気付いてからというもの、「どうして私のお屋敷では次の季節はやってこないのだろう」と思いながら、私は日々を過ごすようになりました。

「ねぇ、私は誰なんでしょう?」
 と、いつからか私は誰にも聞けない疑問を毎日あの大きな楓の樹に投げかけていました。
 そうして日々はゆるりと流れて、再び十一月三十日の夜が来たのです。
 その日は何故か空気がいつもよりも肌寒く思えました。
 いつものようにダージリンを飲みながら、楓の樹に同じように言葉を投げかけていました。
「ねぇ、楓さん。私は誰なのでしょう。どうしてこの庭はずっと秋なのでしょう」
 やはりというのか、当たり前の事なのですが、楓の樹は答えてはくれませんでした。
 いえ、答えてはくれなかったのですが、樹がいつもと違った様子を見せたのです。
 私が持っていたティーカップに、ひらりと落ちてきた小さな何かがちゃぷんと中に入っている紅茶に浸かったのです。
 落ち葉、でした。
 私が楓の樹を見上げると、茂っていた赤黄の鮮やかな紅葉が冷たい風に揺さぶられて、楓の枝から離れて舞い散っていたのです。
 それは今までに無かった現象でした。この庭園では植物の葉が枯れ、落葉する事など一度も起こったことが無かったのです。
 そこで私は悟ったのです。この常秋の庭園に次の季節が姿を見せようとしていることを。
 それと、“私自身がどういう存在であったのか”を。
 紅葉がはらはらと落ちていくのを寂しく思いながら眺めていた私の傍らで、チリン、と鈴の音が鳴りました。
「全く、疑問を持たれない方が良いと言ったのに。どうやらあなたは色々と気付いてしまったようですね」
 振り向くと、そこにはロシアンブルーの猫さん。ブルーさんが緑色の瞳を寂しげにしてそこに居ました。
 私は、一つ溜め息をつくと、こくりと頭を下げました。
「ごめんなさい。でも、こうなる事が自然だったと思うんです」
 私が言うと、ブルーさんは「ほう」と言って目を丸くしました。
「あなたはこれで良かったと? 次の朝陽が昇る頃にはこの庭に冬の季節が訪れます。この庭園に住む動物達は冬の寒さに耐え切れず眠りにつく事になるでしょう。時が回ればまた春が来て、更に回れば夏が過ぎて再び秋が来るかもしれないですが、それが必ず起きる保証も無いというのに」
「ええ、これで良いんです。考えてもみれば、季節が秋であり続けるはずがないのです。秋は冬に向けての準備の季節。植物は冬に向けて緑を無くし眠る準備をし、動物は食べ物を集めて棲家に篭もる準備をします。それは冬が明けて温かな明日を過ごすことができるようにするための物。でも私は違って、この庭園の時が秋であり続ける事を心のどこかで願っていたんです」
「しかし、何故……」
 ブルーさんが困った顔をして問うのに、私ははっきりとした口調で言いました。
「私は、私が誰であるのかに気づいてしまいました。そして、この常秋の世界の秘密も。言ってしまえば、ここは私の我が儘が生み出した不自然な世界なのです。だから、これで良いんです」
「私は――」
 ブルーさんは哀しそうに瞼を伏せて、口ごもりました。
「……私は、正直なところこの世界ででもあなたが幸せに過ごせるなら良いと思っていた。だから、あなたがこの世界の不自然さに気付く事が無いように忠告をしたつもりでしたが、裏目になってしまったようですね」
 寂しげに呟くブルーさんに、私はもう一度頭を下げました。
「この庭園の主でありながら、こんな事を思ってしまってごめんなさい。多分、この庭園に住む皆さんがやがて来る春のために眠るように、私も眠りにつくつもりです」
 椅子にしていた切り株から立ち上がって、私はお屋敷のある方へと脚を向けました。
 背を向けた私に、ブルーさんが
「……あなたは、戻ってこられるのですか。この庭園に」
 と言うので、私は彼に微笑んで、顔を左右に振ると言いました。
「いいえ。でも、安心して下さい。少なくとも、“ブルーとはまたすぐに会えるから”」
 そう言って私はその場を去り、お屋敷に辿り着くと寝室のベッドで深い眠りに尽きました。
 その後、常秋の庭園は冬になっていたと思います。そう思うのですが、実際にそうだったかはわかりません。
 何故なら、常秋の庭園の主である私は、その後目覚める事は無かったからです。


   ⅴ

 ある朝、私は目覚めました。
 でも、目覚めたのは常秋の庭園の主ではなくて、ただの私。
 目覚めて最初に見たのはお屋敷の寝室ではなく、もうしばらく見ていなかった見知った天井と見知った小さな部屋でした。
 テレビがあって、小さな勉強机があって、天蓋もついていないような簡素なベッドが置いてある部屋。
 それは私の部屋、そして私が本当にいるべき世界でした。
 もう常秋の庭園の主ではないただの私は、この世界での記憶を思い出していました。
 この世界での私は大学の文学部の学生でした。毎日を意味も無しに忙しく、慌しく過ごすだけのただのつまらない人間。
 私は秋期の中間試験の初日を終えて翌日の他の講義の試験に向けて早く下校しようとして自転車を走らせていた最中に、通りがかったトラックに跳ねられたところまではうっすらと覚えていたのです。
 私はテレビをつけて、今がいつなのかを確認していました。
 いつのまにか、自分の知っている朝の番組のキャスターが変わっていて驚きましたが、もっと驚いたのはクリスマスイベントを伝える報道でした。
 イベントの名前の後ろについている数字4つにどれだけの月日が流れていたのかを知ったのです。
 私の最後に記憶していた年から三年が経っていました。いえ、十数年の月日をあの庭で過ごしたように思っていたので、三年しか経っていないと言うべきなのでしょうか。
 多分、昏睡状態のまま、三年間。ずっと眠り続けて、秋のままの世界で過ごす夢を見ていたのでしょう。忙しくて、慌しい、このつまらない現実世界から逃れたくて。
 番組のコーナーが天気予報に変わるのを見てから、私は窓辺に近づいて窓の向こうの景色を遮るようにかかった紅葉柄のカーテンをそっと開きました。
 外は、はらはらと粉雪が舞い降りて、一面が、雪景色でした。
 ふと、部屋の入り口の扉からカリカリという音がしました。
 その音に振り返ってドアを開けてみようとすると、開いた隙間からロシアンブルーの猫が部屋に飛び込んで来るのに、私は彼を抱き上げて頭をこつんと軽く叩いてあげました。
「こら、ブルー。ドアに爪立てちゃ駄目でしょ」
 ブルーは私に言われた事がわかっているのかわかっていないのか、甲高い声でにゃあと一鳴き。
 その妙に嬉しそうな脳天気に鳴く声に、少しだけ呆れつつもそんな彼が可愛く思えて思わずその小さな頭を撫でていました。
「亜樹姉ちゃ……ん?」
 そんな私を見て、驚く人が居ました。私の、弟でした。
 眠りから覚めた私を見て半泣きになりながら、弟は一階のリビングに続く階段を勢い良く駆け下りようとして、
「ちょっ、母さん! 父さん! どっちでもいいや! 姉ちゃんが、姉ちゃんが……うわあぁっ!?」
 と叫びながら慌しく階段を転げ落ちていきました。
 その騒がしさに昏睡から目覚めていつもの日常に戻ってきたと思う反面、ずっと庭園の秘密に気付く事無く過ごしていれば良かったのかなと思ったのですが――慌てて階段を駆け上がってくる両親の顔を見てどこか安心してしまったのか、そんな考えはすぐに吹き飛びました。
 私は満面の笑顔を浮かべて、私の帰りを待っていた家族に言いました。
「……ただいま」
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