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「死をもって楽園に」作:平葱

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◇◇◇



「死をもって楽園に」 作:平葱



その日も僕は、いつもどおりに川へと向かっていた。
魚を釣るのは僕の役目。家族全員の魚を釣るのは大変だけど、皆それぞれ役目があるから僕もそれを果たさないといけない。それに大きな魚を釣ったとき、家族の驚く顔を見るのはとても楽しみでもある。
町外れから林に沿って坂を下る。暫くすると見慣れた分かれ道が見えてきた。
左に進むと川に続く。いつも魚を釣るのは決まったところだ。辿っていくともっと大きな川に出るらしいけど、行った事は一度も無い。
右に進むとまず果樹園が広がる。その先の林道を抜けると小高い丘に出る。丘からは広々とした高原を眺めることができて、この近くで一番見晴らしのいい場所だ。
いつもどおりに左の道へ進もうと足を踏みだして、ふと思いだした。
今日の朝、狩に行っていた隣の兄さんが、よそ者を見たという話。
獲物を探して丘まで登った兄さんが、高原を馬に乗って進んでくる旅人らしきものを見つけたらしいその話はすぐに村に広まって、心配性なうちの母さんも近づいては駄目だって言ってたっけ。
僕の村に旅人が来ることは、無いわけじゃない。僕はまだ会ったことは無いけれど、母さんの母さんのそのまた母さんは会ったことがあるそうだ。
なんとなく、行ってみないと損な気がして、僕は右の道へと進んだ。


  ◇


「なぁ聞いたか。釣りが上手かったあそこの角んとこのあいつ、とうとう死んだらしい」
「そうか…死んだか…惜しい奴が死んだなぁ」
「そうは言ってもしょうがない、過ぎた事を気にしても始まらないさ。原因は例のやつにあるわけだしな」
「丘の小屋のよそ者か。旅人が悪さをするなど聞いたこともなかったけどな」
「奴のところに入り浸っていたのはあいつぐらいだからな、言い逃れはできないだろう。旅人にもいろいろいるってことさ」


  ◇


その日私は、いつも母さんを手伝って働く果樹園を抜けて、丘の上へと向かっていた。
丘の上には薬屋さんが住んでいる。お母さん達はよそ者なんて言うけど、その人が私達と同じ服を着て、同じ帽子を被っているところを私は見たのだ。
友達が毒を持つ実を食べてお腹を壊した時、通りかかった薬屋さんは、小屋から薬を取ってきてくれた。友達はすぐに直ったけど、その頃にはもう薬屋さんは居なくなっていた。
あの時のお礼は、まだ言っていない。ずっとそのことが引っかかってるのは嫌だから、お母さんに内緒で家を飛び出してきたのだ。

薬屋さんが住んでいる小屋は、とてもちぐはぐな小屋だった。古くて今にも崩れそうになっている部もあれば、新しくて頑丈そうに組まれた部分もある。
私は扉を叩いてみた。反応が無いので、今度はもっと強めに叩いて扉と距離をとってみる。暫くすると、とてもゆっくりと軋みながら扉が開いた。

小屋の中は、私の知らない香りで溢れていた。
私を笑顔で招き入れてくれた薬屋さんは、やっぱり私と同じ服を着ていて、私と同じ帽子の下に、私と同じ白い髪が見えていた。服の色が黒いのは、うーん。薬を作っていて汚れたからだろうか。
私が椅子に座って小屋の中を見回していると、湯気を立てた白いカップを持った薬屋さんが私の向かい側に座った。
私は周りを見回すのを止めて、薬屋さんの顔を見てみることにした。肌は私よりも白い。髪とほとんど変わらないくらいだ。真っ黒い目がこっちを、多分私の顔を、じっと見ている。私も死んだらこんな目で皆を見るようになるのだろうか。
「今日はなにか、用事があって来たのかい」
薬屋さんが突然聞いてきたので、私は慌てて答える。
「えーと、その…お礼が言いたくて」
「この前の、君の友達のことかな。僕は用事があって帰ってしまったけど、友達は大丈夫だったかい?」
そう答える薬屋さんの顔を見ていたら、わざわざお礼を言いに来たことが、なんだか恥ずかしくなってきてしまった。
「はい。すぐによくなって、一緒に村に帰れました。ほんとに、ありがとう…ござい…ます」
一応お礼は言えたけど、最後の方は聞こえなかったかもしれない。私はますます恥ずかしくなって、とっさに目の前のカップを手に取った。
それでふと、気づいた。
「これは…お薬ですか」
「そうだね。君達からするとこれは、お薬と呼ばれているものだよ」
そうですかーと言って、私はカップの中を覗いてみた。
お母さんから、薬屋さんは薬を飲んで、死んでしまった体で話していると聞いたことがあったので、少し心配になって、聞いてみることにした。
「このお薬が、薬屋さんの晩ご飯だったりしない…ですか」
「…大丈夫だよ。僕の晩ご飯はちゃんとあるからね。心配してくれてありがとう」
薬屋さんはそう微笑んで、自分のカップのお薬に口をつけた。
それがなんだか美味しそうで、具合が悪くないのに薬を飲むのは初めてだったけど、私はそれを飲んでみる事にした。





二度、三度とこちらを振り返る少女を見送り、僕は小屋に戻った。
今日中に完成させるはずの薬は、まだ出来上がっていない。今日の分が出来上がる前に少女が来てしまったので、ただでさえ少ない貯蔵が空だ。さっきの少女は、僕のことを「薬屋」と読んでいたけれど、商売ができるほどの薬を作り置いてはいなかった。あくまで最小限の範囲だ。その最小限が少女と接点を作ることに役立ったわけで、これまでどおりの生活で良かったのかと首を傾げた。
先生の言うとおりに、焦らないで待ち続けることが大事なら、必要は無い事だろうと思うけど。
薬を次の工程に移すことを考えながら、何度読んでも覚えられない調剤法を調べに書庫へ向かおうとすると、机の上にある、見慣れた背表紙の日記に目が行ってしまった。
最後に読んだのはいつだったろうか。最近は目を通すことも少なくなったけど、書いてある事は殆ど覚えている。
先生が薬を飲む事を止めた日から、先生のことを語ってくれるのは、その日記だけになってしまったからだ。
日記には、自分の国を出てからの先生の旅路と、この土地に定住してからのことがこと細かに記されてあった。
そして、日記の最後にはこう付け足されてあった。




私が初めてこの地の人々を見た時、ここは楽園だと確信したものだ。
国で不老不死の研究を続けられなくなって何十年、ついに楽園に辿り着いたと私は神に感謝した。
だが、救いを得たのも束の間、私はこの土地で、答えを見失った。
この地では多くの者が、子供を生んですぐに息絶える。
この地の死の概念は歪だ。私が言うのも可笑しな話だが、人が死ぬと、地に還るという思想が定着しているのだ。実に具体的な転生の図だ。
一定以上生きてしまうと、彼らの観念で死んだものと見なされる、居なくなったものとされ、自然と村から追放されるようだった。
私は苦悩し、楽園と呼んだものが地獄へと成り代わる様に悶え苦しむはずだった。
が、私の目に入ってきたのは、楽園も地獄も知る事のない、そこに暮らす人々の笑顔だった。
私の国ではおよそ見る事のできなかった光景だ。彼らの生きる様は、私の中に生きた疑問として着実に広がっていった。
そのまま答えが見つかるか、私の頭が擦り切れるまで疑問を抱き続けていられたのなら、どんなに良かっただろう。

しかし私は、それを許されてはいなかった。

この地にきて間もない頃、この地の人々の事を知る前のこと。私は一人の少年と出会った。
疲れきった私にこの地のことをいろいろと教えてくれた少年と、私は次第に親しくなった。
そんなある日、具合が悪いながらも私のところまで来てくれた少年に、私は薬を与えた。
たいして強くはない薬だった、寿命が伸びると言っても、私の国でいう長寿と呼ばれる人たちの仲間に、少なからず入れるだろうという程度のものだった。
お礼のつもりだったのかもしれない。こんな私の元へ来てくれる少年に対して、驕った私はそれが少年を壊してしまうとは思わず、それを与えてしまった。
少年は寿命を迎えなかった。ごく僅かな副作用がどう作用したのか、薬そのものが彼を壊してしまったのか。私には解らなかった。
少年は彼らの中で生き、そして死んだものとされた。
行き場の無くなった少年が私のもとに訪れても、私は、自分の行ったことが何を意味していたのかという答えを、探し続けていた。
そして私は薬を飲むのを止めた。
私を食い尽くそうとしたその疑問が、私自身に成り代わるのを恐れていた故に。

無責任な私を憎んでもらってもかまわない。それでも、ただ一つだけ、これを聞くとことを許して欲しい。

私は君を救ったのだろうか、と。




先生、僕にはその答えはわかりません。

だけど先生が僕にしたことが罪であるなら、僕も同罪です。

先生が残してくれた薬で、僕は罪を犯し続けようと思うのです。


やがてこの目が、楽園か地獄の果てを映すまでは。



-了-


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