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死と連絡

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私は今日も歩く。
歩く歩く歩く。
歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く。
とまってしまったら、いけないような気がするのだ。
止まったとき、私自身も止まってしまうような気がして、私は歩き続けてしまう。
時々怖くなる。
もし、歩みを止めてしまったらどうなるのだろう?
いつも想像するのは立ち止まったままそこからずっと動けず、何もできずに人生が終わっていくのではないかということだ。
それを想像すると私はひどく怖くなる。
動けないまま、石像みたいに動けないまま、意識だけはしっかりあって、考えることしかできない。


私はいつものように歩いていた。
馬鹿馬鹿しい強迫観念なのかもしれない。
でも、止まってしまって最悪の事態が起こるよりはまだマシかもしれないと思う。
ひどく疲れている。普通の人の一生分くらいは歩いているだろう。


あるとき私が歩いているとネコがいた。
ネコは寝ていた。
ごろりと横になって寝ていた。
私は止まれないのでネコを良く見るためには猫の周りをぐるぐると歩き続けなければならなかった。
ネコはちらりとこちらをあざけるように見ると、また寝てしまった。
それを見たら、私はなんだか自分が恥ずかしくなった。
何故、私は歩いているんだろう。
止まったって何もおこりやしないだろうに。
第一、周りの人も、この猫も、止まって休息して生きているのに、私だけあくせくと歩いていて本当に馬鹿みたいだ。
止まってみようかな。止まってもきっと大丈夫だよ。
悩んだ私はしばらくうろうろと歩き続けた。
ネコはたまにこちらを偵察している。
そしてまた一瞥して眠る。


私は立ち止まった。
久しぶりに休んだ気がする。
緑がきれいに映える道をゆっくりと眺めた。
私は今までずっと周りを見ないで歩いていたから、目からうろこが落ちた気分だった。
今までは灰色の世界を歩いていたような気がする。

休息は私を引きとめ続ける。
やっぱり私は動けなくなった。
私は今まで歩いた分を、ずっと休み続けるだろう。
だからきっと、死ぬまで動けない。

ネコが歩く。
12, 11

俺と…お前だ! 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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