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論評

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前に蚊を叩き潰そうとしたら、生物を愛する友人に「虫を潰すな」と怒られた事がある。
虫だって生きているんだ。お前が潰されたらどう思う。お前に潰されるために虫は生まれたんじゃない。
ひどい剣幕で怒られたので私はたじたじとして思わず謝ってしまったのだけれど、今考えるとなんだかおかしい話でもある。
何故、肉を食べるために動物を殺しても構わないのに、虫を潰して怒られるのだろうか。
ましてや、蚊というのはいわゆる人間に危害を加える存在である。あの痒さは不快以外の何者でもないだろう。牛だって蚊が体に止まらないようにしっぽを使って払っているのだ。牛に許されて私たちには許されないものなのだろうか。
私たちが潰されたらどう思うという問いは詭弁だと思う。
確かに私たちも潰されたくはない。虫もできるならば潰されたくはないだろう。
しかし虫と言うのは潰されるのを覚悟でたくさんの卵を産み、たくさんの個体を作る。
虫ももうそこらへんは計算済みと言うものじゃないだろうか。
そこらへんの犬かなんかが足でアリを踏み潰すのと何が違うんだろうか。
恣意的だから?それならば牛が蚊を潰すのも恣意的だといえるだろう。
「蚊を潰すなんて牛はなんてひどい生き物なんだ。蚊を潰す人は野蛮だ。」
そう思う方がいるならば、メスの蚊が何百何千いる狭い部屋に閉じ込められてみるといいと思う。

このように、動物愛護と言うのは時として行きすぎることがある。
鯨は高等な生物だから食べてはいけないという団体や、動物が人間のために殺されて食べられるのが許せないといってベジタリアンになった方々がそのいい例だと思う。
一般に「平等」というのはいいこととされているし、彼らもたぶんそういう認識がどこかにあるだろう。
しかし彼らのやっていることは「差別」「区別」であり、下等な生物(しかもその下等高等と言う位置づけは我々人間が勝手につけたものに過ぎず、ある生物学者によると珪藻類がこの地球上で最も高等な生物であるという説もあるらしい。)は殺して食べても構わない、植物は殺して食べても構わないというよく考えるとかなり不平等で身勝手なものじゃないだろうか。
見かけではいいことをしているようでも実は別にいいことではなくて、ただ損をしているだけだったりする。
挙句の果てにはかえって生態系のバランスを崩してしまうことだってある。
まあ、そのバランスの崩れも自然の流れの一環なのだけれど、人間は現状を維持したがるものなのでそう言うことは嫌がるだろう。

話は少し変わってしまうのだけれど、家畜というシステムは一見残酷なように見えて実は自然とあまり変わらず、種の保存という意味では生物の意味を満たしているのではないだろうか。
ある程度種の保存が人間によって操作されているとはいえ、それは自然の中でも同じことで、捕食者から逃れるのに適したように変化していく。つまり捕食者の影響と言うのを被捕食者は自ら望んでしていくものだ。
だとすれば、ある程度管理されて居ても種が確実に保存できる家畜たちはそこまでいやではないかもしれない。
確実に殺されるけれど、確実に種は保存できる。
殺されないかもしれないけれど、もしかしたら全て食べられてしまって種が保存出来ないかも知れない。
どちらも同じような事に思えるのは私だけかもしれないが、なぜそこまで家畜と言うものがかわいそうと思うのかがわからない。
管理され、必ず殺されると言う運命がかわいそうと言うのならば、人間だっていつか殺されるではないか。
その相手はウイルスかも知れないし、発がん性物質かも知れないし、老化かも知れないし、動物かも知れないし、人間かもしれない。相手が不特定多数なだけで何も変わりはしない。
人間だって自らを法律という檻で管理しているではないか。
管理された環境で初めて私たちは安全に生きる事ができる。
さらにその管理された環境でも必ず死は訪れる。




はいはい詭弁詭弁^^^
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