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014_幸せのクローバー

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幸せのクローバー

 窓際のダイニングテーブルで、何枚もの封筒や紙幣を整理していた時、手元に射し込む日の光にはたと気付いた。顔を上げてみると、そこには青空が広がっていて、私はしばらく、魂を抜かれてしまったみたいに、ぼんやりと空を見つめ続けていた。
 この世界に空なんてものがあったことを、私はすっかり忘れていた。久しぶりに、本当に久しぶりに、肩の力が抜けたのを感じた。

 ――どこか、遊びに行こうか。

 私は隣の部屋にいる娘のちひろに声をかけた。ちひろはちょっとびっくりした顔をしてから、いいよ、と答えた。春休みが終われば、ちひろは4年生になる。そろそろ母親と出掛けるのを嫌がるようになるのかもしれない。そんな気配はまだぜんぜんないけど、1年後、1ヶ月後、もしかしたら1日先にだって、何がどうなるかは誰にもわからないのだ。

 簡単に化粧をして、私はちひろとマンションの駐車場に向かった。隣同士で並んでいる軽とファミリーカーがうちの車だ。私とちひろは軽の方に乗る。大きな車を運転するのは得意ではない。きっともうファミリーカーはあまり使わなくなる。しばらくしたら売らなければいけないのかもしれない。

 私たちは、車で10分ほどの川原にやってきた。野球場もある広い場所で、夏にはバーベキューをする若者たちや家族連れで賑わう。私たちも旦那の休日には、ファミリーカーに道具を乗せて、何度かバーベキューをしたことがあった。
 適当な場所に車を停め、私とちひろは川べりを歩いた。まだ少し肌寒いけれど、日の光は確実に春へと近づいている。一面のクローバーに混じって、つくしがぽつぽつと頭を出し始めていた。

「春だねぇ」

 私のつぶやきは、なんだかとても寂しく響いて、口にしたことを後悔した。私とちひろは黙ったまま、一面のクローバーで緑色に染まった向こう岸を眺めていた。遠くの野球場からは、人の声がかすかに届いている。時折、金属バットでボールを打つ甲高い音が混じった。

(やっと四つ葉のクローバー見つけたよ! まずママにプレゼントね)

 旦那とちひろと私で、川原に来た時のことを思い出した。四つ葉のクローバーを私とちひろにプレゼントするとはりきっていた旦那は、結局ひとつだけしか見つけられなくて、そのひとつを私にくれたのだ。
 あのクローバー、本の間に挟んだのは覚えているけど、どの本だったかを忘れてしまって、見つけられないでいる。クローバーを挟んだ時の感触は覚えているのに、本のタイトルがどうしても思い出せないのが、もどかしくて仕方がなかった。

「四つ葉のクローバー探そうか」

 私の提案に、ちひろはこくりと頷いた。クローバーの固まっている場所で、私とちひろは膝をつき、四つ葉を探し始めた。

「四つ葉、ママにプレゼントしてあげるからね」

 何気なく言ったちひろの言葉は、私を気遣うものだった。ちひろもまた、あの小さな胸で、いろんなことを思っているのだろう。

「ありがとう。じゃあママが見つけたら、ちひろにプレゼントするからね」

 うまく言えただろうか? 私に任せておけば大丈夫だと、ちひろに思ってもらえただろうか? ちひろは小さな声で、うん、とだけ答えた。

 私は真剣に四つ葉のクローバーを探し始めた。ちひろに四つ葉のクローバーをプレゼントすることができたら、きっと私たちはうまくいく。幸せを呼ぶという四つ葉のクローバーを、どうしても見つけなければいけないと思った。
 重なり合ったクローバーは、四つ葉にも五つ葉にも見える。でも手を伸ばしてみると、クローバーはすっと離れ、ただの三つ葉に戻ってしまうのだ。
 あの時と同じように、四つ葉のクローバーはなかなか見つからなかった。いつの間にか日はかげり、私たちの周りや野球場には、誰もいなくなってしまった。川の水の流れる音が、次第に耳の中へ溜まっていくような気がした。

 ないはずがない。絶対にあるはずなのに、気付いていないだけだ。あと少し、あと少しだけ探せば、絶対に見つけられるんだ。ないはずがないんだ、絶対に。絶対に……。

 そう思って、私は群れたクローバーを乱暴に払った。何度も何度も、私は同じ動きを繰り返した。

「ママ、ママ」

 悲しげなちひろの声にはっとする。あたりはすっかり暗くなって、ちひろは今にも泣きだしそうな顔をしていた。

「帰ろう、おうちに帰ろう」

 ちひろは私の袖をつかんだ。その指先は土で汚れていた。

「うん、帰ろう。……ちひろ、ごめんね。ごめんね」

 私はちひろを抱きしめた。ちひろは我慢していたものを吐き出すように大きな声で泣いた。私は唇を噛みしめて、ちひろに気付かれないよう、声を出さずに泣いた。
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