トップに戻る

<< 前 次 >>

『序 〜少女』

単ページ   最大化   

カチャ

ガチャリ

「…」

バタン

少女は無言で扉を開け、無言で扉を閉めた。
いつも出迎えてくれる母は…今はいない。
時間は午後2時。
学校は早退した。

「…」

少女は相変わらず無言で靴を脱ぐと、脇目もふらず階段を上った。
二階には少女の部屋。
少し乱暴に扉を開けると、そのままベッドの上へと飛び込んだ。

「~~~!!」

枕に顔を押し付けたまま、少女は突然叫びだした。
静まり返った部屋に、くぐもった声が響く。

「~~~!!!」

叫びながらめちゃくちゃに手足をばたつかせる。
舞い上がったほこりが、窓からの光にきらきらと輝いた。

「…」

たっぷり三十秒は暴れたのち、今度はぱたりと動かなくなった。
顔をうずめたままで、枕もとのぬいぐるみを抱き寄せる。

「…ふう」

やっと仰向けになった少女は、大きなため息をついた。
歳は十六。
短めの黒髪が、整った中性的な顔に似合って、ちょっと少年のように見える。
天井を見上げる切れ長の目は、少し赤くなっていた。

今、この家にいるのは少女ひとりきりだ。
いつもなら専業主婦である母が出迎えてくれるのだが、今日はいない。
正確には、五日前から、いないのだ。

それはまったく突然の失踪であった。

ある朝少女が起きると、いつもなら台所にいるはずの母の姿がない。
それどころか家の中にも、庭にも、家の前の道路にもその姿はなかった。
書置きなどは無く、始めは事件や事故を心配したが、衣類の一部がなくなっており、
また銀行からいくらかの金がおろされていたので失踪だろうという事になった。
家族――少女と父に心当たりは無く、前日まではいつも通りの母だった。
捜索願は翌日に出した。
父はあの日から仕事を休み、ずっと母を捜しに出ている。
父の仕事は教師だ。
その性格からか容姿からか、父は生徒に人気がある。
昨日の夜も、父が担任を勤めるクラスの学級委員からクラス代表として電話があった。
休みの理由を、生徒には「病気」とだけ伝えたらしく、みんな心配してくれたようだ。
電話があった時、あいにく父は家におらず、少女が電話に出た。
真面目そうな、可愛らしい女の子の声だった。
「あの…磐田先生のクラスで学級委員をしています、斎藤と申しますが、磐田先生は今…?」
「父は今…今、薬を飲んで寝ています。」
「そうですか…あの…私、クラスの代表で…あの…お大事にと、お伝えください。」
「ありがとうございます。それでは…」
「あ…」
相手の返事を待たず、少女は電話を切った。
あれから二日。
斎藤と名乗った女の子は、きっとあの時以上に父の心配をしてくれているだろう。
そう思うと、少女は少し誇らしかった。

母も父と同じく、よく人に好かれる人だ。
そんなに明るいほうでは無いが、控えめというわけではなく、
面倒見の良さから人によく頼りにされている。
友人も多く、何かと出かける事が多いが、家事の手を抜くことは無く、かならず夕食前には帰宅した。
少女も頼りにしており、悩みがあれば相談はまず母にした。
父とはとても仲が良く、時々まるで恋人同士のように手を繋いだりして少女を照れさせた。

その母が、いない。

理由は何一つ思い当たらなかった。

「はあ…」

少女はまたひとつため息をついた。
母を捜しに出ている父は、今日も夜遅くまで帰らないだろう。

「…」

着たままだったコートのポケットに手を入れると、ひんやりとした感触が手に当たった。
財布。母が買ってくれたものだ。
財布の中には、父が不在の間困らないようにと多めに渡してくれたお金が、
けっこうな額が入っている。

「…」

少女は無言で立ち上がると、部屋を出て階段を下り始めた。
何となく、ここにはいたくなかった。

(海に…行こう…)

ふと、そう思った。
2

火呼子(ひよこ) 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る