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『第二十二章 蝋で固めた鳥の羽根』

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「久しぶり。」
そう言って綾子は、腰掛けていた岩の上からぴょんと飛び降りた。
そして草汰の前へと立つ。
身長差がかなりあるので、自然と綾子が草汰を見上げる形になる。
『由香に似ている』と、草汰は思った
「久しぶり。」
綾子がまた言う。
表情だけを見れば素直に再会を喜んでいる様に見えるが、何処か距離を測っている様にも感じる。
「うん、久しぶり、だね。」
「元気だった?」
「…え?」
何て事の無い綾子の質問だったが、草汰の表情は強張った。
うまく、思い出せなかった。
「あ、う、うん、もちろん。」
「どうしたの?」
慌てた草汰の様子が可笑しかったのか、綾子は声に出して笑った。
「とりあえず、座ろ?」
「うん。」
綾子に手を引かれ、草汰は岩に腰を下ろした。
岩は夏の日差しに焼かれ熱いくらいだった。
「あ、ねえ。」
腰を下ろしてすぐ、綾子は何かを思い出した様に声をあげた。
「さっき『前世ぶり』って言ってたけど、本当に生まれ変わったの?」
「あ…それは…」
綾子の質問に、また草汰は固まってしまった。
確かに草汰はさっき『前世ぶり』と綾子に話しかけたが、それは照れ隠しに思わず言ってしまっただけで、深い意味があるわけでは無かった。
「それとも本当はまだ幽霊さん?」
「…まさか、違うよ。」
「本当?」
綾子はまたころころと楽しそうに笑った。
しかし草汰は反対に、どんどん不安になっていく。
「…ごめんね?」
そんな草汰に気付いてか、綾子は不安げに声をかけた。
「あ、ううん。ごめん…」
「もう、何であなたが謝るのよ。」
『ぺし』っと綾子が草汰を叩く。
少し、気持ちが楽になる。
「ねえ。」
今度は草汰から話しかけた。
「なあに?」
「もしかして、あれからずっと来てた?」
「まさかあ。」
綾子がまた草汰を叩く。
何だか、とても機嫌が良い様だ。
「あ、でも今月は毎週来てたよ。」
「毎週?」
「うん。毎週、この曜日。夏休みだからさ。」
「そっか…」
「あなたは?」
「僕は…初めてだよ。」
「ほんと?」
「うん。」
あの冬以来、草汰がここにやってきたのは初めてだった。
その返事に、綾子は何となく寂しそうな顔をした。
「今日、お祭みたいだね。」
綾子の笑顔が曇ってしまったので、草汰は話題を変える。
遠くに祭囃子が聞こえている。
「そうね。お祭、好き?」
「うーん、人込みはちょっと苦手だな。」
「オンガクカなのに?コンサートみたいなのも苦手?」
「ううん、自分を見に来られるのは大丈夫。」
「何かそれって、すっごいナルシスト。」
眼を細めて綾子が草汰をにらむ。
草汰は上手く返事ができずに、ただ苦笑いを返した。
「…お母さんね、あの後すぐ見つかったんだよ。」
少しの沈黙の後、空を見上げるように綾子が言った。
「…そっか。無事、だった?」
「うん。何日か記憶喪失になってて、少し怪我もしてたけど、今はすっかり元気よ。」
「そっか…」
「あなたと、一緒ね。」
「え?」
「ううん、何でもない。」
誤魔化す様に綾子が笑う。
(由香さんから、僕の事を聞いたのかな…)
行方不明になっていた母親に、その理由を聞かない家族はいるまい。
(なのに、どうしてこんな僕に笑ってくれるんだろう…?)
「…あのさ。」
「なに?」
「行方不明になった理由は、聞いたの?」
草汰の問いに、綾子は小さく首を振ってこたえた。
予想外の返事に、草汰は言葉も無い。
「おかしいかな?」
綾子が苦笑いで言う。
「そんな事、無いよ…」
取り繕うように草汰も笑ってこたえた。
「あたしもお父さんもね、お母さんが無事に帰ってきてくれただけで、充分幸せ。だからね、家出した理由なんてどうでもいいの。」
「そっか…」
「お母さんだって、人間だもん。たまには不安になって、逃げ出したくなる事だってきっとあるよ。そうでしょ?」
「…うん。」
何か諭すように話す綾子に、草汰は何も言え無くなってしまった。
『由香の家出の原因は自分』
それを伝えたくてここにやって来たつもりだった。
しかし、
(話して、どうする?理由なんてどうでも良いと言ってるこの子に…)
草汰はすっかり混乱してしまっていた。
「…大丈夫?」
そんな草汰の顔を、綾子は心配そうに覗きこんだ。
「あ、うん。大丈夫だよ。なんで?」
「え?だって…ううん、何でも無い。」
気まずい沈黙。
『こんな筈じゃ無かった』と草汰は思った。
(どうしよう…それでも、話すべきなのかな…)
ちらと綾子の横顔を見る。
正面を向いたまま、何かを考えている様だ。
笑顔なのが少し哀しい。
「あの、さ。」
「うん。」
恐る恐る、綾子が草汰に話しかける。
「あなたは、どうしてた?」
「どう…って?」
「え?…お仕事とか、そうだ!病院にはちゃんと行った?」
「う、うん。行ったよ、行った。」
そうこたえながらも、草汰はどうしても上手く思い出せずにいた。
(あれ…おかしいな…)
さっきから綾子と話しながら、草汰は『あれから』が思い出せない事に気付いていた。
そういえば、今日どうやってここまで来たのかも思い出せない。
それ程に、混乱してしまっているのかと、草汰は情けなくなる。
「君は、どうしてた?」
話題を逸らそうと草汰は逆に質問する。
「あたし?」
綾子は少し驚いた様に小首を傾げ、自分を指差して聞く。
「うん。」
「あたしは、別に。日常が戻ってきたって感じかな。」
そう言って笑う。
本当に幸せそうな笑顔だと、草汰は思った。
強い日差しに、まるで輝いているようだ。
「学校の友達もね、良かったねって言ってくれて…あ、そうそう、何でかみんなあたしのお母さんがいなくなった事知ってたんだけど。」
「うん?」
「あたし、自分で話してたみたい。おかしいわよね、自分からみんなにばらしておいて忘れちゃってたなんて。」
「そうだったんだ。」
「うん。お母さんが家出した次の日、昼休みにご飯食べながら。いつもあたしお弁当なんだけど、その日はパン買ってったの。それでみんなが『めずらしいね』って。」
「ああ。」
「それであたし『おかあさんがいなくなっちゃって』ってこたえたらしいの。全然覚えてないんだけどね。きっと…ううん、結構、精神的にまいってたのね。」
「そっか…」
真剣な表情で話を聞く草汰とは対照的に、綾子は始終笑顔だ。
若い彼女にとっては、もうすっかり笑い話になっているらしい。
『羨ましいな』と草汰は思った。
「あ、みんなって言っても『仲のいい子みんな』って事よ?言い触らされたりはしてないから、大丈夫よ。」
草汰の暗い表情を勘違いしてか、綾子は自分の話をフォローするように言った。
少し心配していた事でもあったから、草汰は「そっか、良かった」とこたえた。
「お母さんは、さ。」
少し雰囲気が良くなった気がしたので、草汰は思い切って気になっていた事を聞くことにした。
「お母さんは、元気にしてる?」
「うん。最初のうちは、ちょっと気にしてるみたいだったけど…って当たり前よね。」
そう言って綾子は笑ったが、草汰は笑えなかった。
「でももう今はすっかり元気よ。やっと本当に帰って来たって感じかな。」
「そっか、良かった。」
「うん。ただ、近所の人がちょっと、ね。」
「何か、あった?」
「ううん。でもなかには変な噂してる人もいるみたい。」
「そうなんだ…」
「けどお母さん、けっこう友達多いし大丈夫よ。」
明るく話す綾子に対して、草汰の表情が険しくなっていく。
自責の念が、物凄かった。
「あのさ。」
そんな草汰に、少し考えるような素振りをしてから、綾子は明るいトーンのまま言った。
「あたし、お母さんにあなたの事、話したの。」
「…え?」
予想だにしなかった綾子の言葉に、草汰は思わず顔を上げた。
驚いた表情の草汰。
笑顔のままの綾子。
どちらの顔も、夏の日差しに照らされて、きらきらと輝いている。
遠い祭囃子は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
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